第8話!
「……大丈夫ですか?」
「……………………」
「立てますか?」
「…………………………?」
そしてさっきの恐ろしいショタは震えて動けないマーファリーへ手を伸ばしていた。
ショタの言葉に、ゆっくり顔を上げたマーファリーの顔は、こう言っちゃなんだが酷いものだ。
涙は滲み、お化粧でも隠しきれていない青白い顔。
歯がカタカタと音を立てて、唇まで紫色。
なにも寒いからではない。
彼女がここまで怯えたのは……地震のように地面が揺れた時からなのだ。
もしかして、地震が怖いのかしら……。
私、日本人だから地震には慣れているけど、やっぱり揺れると慣れてても怖いし……仕方ないわよね……。
「……あ、ありがとうございます……」
「……マーファリー! 大丈夫でして!?」
「エ、エルファリーフお嬢様……、い、いつこちらへ……」
「わたくしの事よりあなたですわ! まあ、なんという顔色……すぐに屋敷へ戻りなさい! 屋敷には結界が張ってあります。魔獣は入れませんわ」
「……す、すみません……地面が……揺れて……っ」
「私たちが連れて帰るわ。エルフィはどうするの?」
真っ青を通り越して青白くなっているマーファリーを支えながら、エルフィへ問うと彼女は真っ直ぐと緑色の瞳を私たちへ向けた。
……この子……なんて……。
「まずは町の者たちを避難させます。新たな魔獣が生まれてしまわぬように、町の人々を安心させるのが領主の妹であるわたくしの責務ですわ」
「……そ、そう……」
……なんて、強い……。
「僕もこの魔獣の浄化が済み次第手伝います」
「え? ……あ、いえ、あなたも中央区へ避難してください。領主庁舎には魔獣除けの結界が張ってありますから、そちらへ! あとはわたくしたち行政に携わる者の務めですわ」
「それならば尚の事手伝いますよ。魔獣に脅かされた者たちの心には強者の支えが必要です。あなたのような強い女性と、ハーディバルという騎士の存在は必ず民の心の拠り所となるでしょう。あなたは不安で怯える民と、初めての事態に対応に追われているであろう姉上の側にいて差し上げた方がいい。前線には自警兵と衛騎士隊、ハーディバル……僕も手伝いますから、皆で力を合わせて乗り越えましょう」
「………………。……分かりました、そうかもしれませんね……。……では、お名前をお伺いしても? わたくしはエルファリーフ・ユスフィアーデと申します」
「え!? ……あー…………じゃあフリッツ……うん、フリッツ・ニーバスで」
……ん?
なんか途中までいい話だったのに、最後が締まってないわよ!?
****
屋敷へと戻ると、すぐにナージャがお茶を入れてマーファリーへ持ってきてくれた。
なんだ、ちゃんとメイドらしい事も出来るんじゃない、この生意気娘。
ナージャのお茶を飲んで息を吐き出したマーファリーの事を、使用人一同心配そうに見守る。
町は警報が響き渡り、時々テレビのようなもの……なんでも画面が魔石でできている、通信端末の大きい版なんだとか……の放送で状況が伝えられた。
町に侵入した魔獣は現在分かっている時点で五体。
レベル2が三体と、レベル3が二体……。
レベル3は偶然居合わせた魔法騎士隊長と、謎の少年フリッツによって浄化が完了。
残りの三体も、間も無く浄化が終わるという。
しかし問題は魔獣の侵入で恐怖に打ち負け、魔獣化してしまった十人近くの住民。
まだ増える恐れがあり、もし見かけたら家から出ずに速やかに領主庁舎へ連絡してください。
また、魔獣にならないためにも家族や親しい人の側で、相手を思いやり、励ましあってください……。
繰り返される、そんな言葉にだんだん胸が重くなる。
「大丈夫ですかぁ、マーファリーさん」
「え、ええ……もう、だいぶ……」
「はぁ……。もぉ、マーファリーさんが魔獣になっちゃうかと思いましたぁ……」
「そ、そうね、わたしも……。……ごめんなさい……」
「いいですよぉ〜。アバロンは地震があると大地が消えちゃうんですもんね〜。そんな場所で暮らしてたら、地面が揺れたら怖くて固まっちゃっても仕方ないですよ〜」
「……え? 大地が、消える?」
なにそれ、やばくない?
モニター画面からナージャたちへと顔を向ける、まだ少し顔色の悪いマーファリーが「はい」とその信じ難い事象を肯定する。
「アバロン大陸は、魔力がなく……科学が進歩した場所ですが……それは大地の資源を消費してエネルギーとして利用するものでした」
「……あのですね、魔力っていうのはぁ、世界を維持する力でもあるんですよぅ。ドラゴンや幻獣が世界へ魔力を与えてくれるんですけど〜、アバロンには『八竜帝王』の『銀翼のニーバーナ』様しかいなかったんです〜。ニーバーナ様だけじゃ、大地を維持するのでいっぱいいっぱいで魔力を人間が使えるくらい与える事ができなかったんですぅ。それなのにアバロンの民はそうと知らずにじゃんじゃんばかばか資源を削り取って消費しちゃうから、遂にニーバーナ様でも支えきれなくなったらしいですよ〜」
「……弱ってしまったニーバーナ様のお力が途絶えた時、アバロン大陸は大地を維持する力すら失ってしまい……地震という天災により大地は崩れて落ちるようになったんです。村を一つ呑み込む大穴が、大陸中に空きました……」
「その時の事を思い出しちゃったんですね、マーファリーさん」
「ええ……大きな地震が来たの……わたしは馬小屋を掃除していた。……大きな地震で馬が暴れて……逃げていく。でも、立ち所に馬は崩れた地面に呑み込まれていった……。か細い植物の蔦が、わたしの体を支えてくれたけど……いつ切れるか分からない。……あるはずの地面が真っ黒な空洞に落ちていくのを震えて眺めている事しかできなかった……」
「マーファリー……」
その身を抱きしめて、思い出した恐怖に震えるマーファリー。
いつも明るく笑ってくれるマーファリーに、こんなに弱い部分があったなんて……。
私が肩に手を置くと「けど」と顔を上げる。
「…………王子様が現れたんです」
真っ暗な穴に吸い込まれる恐怖に泣いていたマーファリーを、一人の青年が救ってくれた。
手を差し出して「大丈夫ですか?」と声をかけて、安全な場所へと転移魔法で連れていってくれた……その青年こそ、この国の王子様。
なぜ彼がアバロン大陸に居たのかは分からないが、フレデリック王子とジョナサン王子、そしてハクラが奴隷である彼女や、彼女のように働かされていた奴隷をも救ってくれたという。
そして村を失い、我が身の事で奴隷の事など気にも留めない村人から奴隷たちを引き受けて、このアルバニス王国へと導いてくれた。
そこからはまさに人生が一変する。
奴隷という『物』から、マーファリー・プーラという『人』へと生まれ変わった。
顔色はどこかほんのり赤くなる。
その時の記憶を思い出しているんだろう。
とても素敵な思い出だ。
……恋愛脳的にかなり美味しい……けど、それを飛び越えて……彼女の大切な思い出なんだろうな、と思う。
恐怖と絶望から引き上げて、希望と幸福な未来へ導いてくれた王子様……と、ハクラ。
「あ! ……もしかして、そのアバロン大陸をハクラは助けたっていうの? どうやって……」
「昨日言ったじゃないですか〜。なんか信じ難いですけど他の『八竜帝王』のうちの二体……『獄炎竜ガージベル』様と『雷鎚のメルギディウス』様をどうやってか知らないですけどたらし込んで協力してもらったみたいですよ〜。伝承だと、『獄炎竜ガージベル』様と『雷鎚のメルギディウス』様は人間が大嫌いらしいのに……」
「……ああ、そういえばそんなような事言ってたわね…………ほ、ほんとにおとぎ話みたい……」
意外と優しいのかしら、ドラゴンって。
まあ、ドラゴンなんてハクラが連れてた小さいのしか見た事ないけど。
とりあえず名前がすごく強そう。
「……あの、わたしもう大丈夫……平気です。殿下たちを思い出したら、なんだか元気が湧いて来ましたから!」
「マーファリー……」
「そうですよ! 助けていただいたのに、地面が揺れたくらいでダメになってる場合じゃないんでした! ……お嬢様たちが帰ってきたら、美味しいお料理でお迎えして差し上げないと! きっととてもお疲れでお戻りになられるはずですもの!」
マ、マーファリー〜〜〜っ!
うおううぅ! あんた、さっきまであんなに怖がってたのに……!
な、なんて、なんて健気なの〜〜〜〜っ!
「そうね、こんな事初めてだもの、ユスフィーナ様はきっと大層お疲れで帰って来られるわ。さあ、みんな! 使用人の腕の見せ所ですよ! ユスフィーナ様とエルファリーフお嬢様を全力でお迎えする準備を!」
「「「はい!」」」
「マーファリー、動けるならお風呂の準備をしてきてちょうだい! ナージャ、あなたはミスズお嬢様をお部屋で休ませて。夕飯になったらお呼びしますから」
「え……!? ……あ、は、はーい、お任せくださぁい!」
「私にも何か手伝わせて!?」
「え!?」
「これは使用人の仕事です! お客様はごゆっくりお休みになられる事が、仕事とお考えくださいませ!」
「……え……ええ〜〜……」
レナメイド長の一声でワッと慌しく動き出した使用人一同。
なのに私は部屋に戻って休めだなんて……。
私も何かしたいよ〜、仲間に入れて欲しいよ〜。
そうレナメイド長にねだりにねだったおかげで、ならば自らの部屋のお風呂掃除をナージャと共にして下さいと言い渡されてしまった。
……それ、実質的にナージャに風呂掃除させて私には休めと言ってるようなもん……。
だがしかし、そんな脅しには屈しないわよ!
「げっ! あんた本当に風呂掃除するつもりぃ!? ナージャが怒られるんだけど!?」
「あらぁ、それは一石二鳥だわ〜」
「く、くぬぅ〜〜!」
そうはさせるか!
なんて、私に張り合ってお風呂掃除を始めるナージャ。
こちらとしてもそうはさせるものか!
張り合いながらやっていたら、あっという間にお風呂はピカピカ……天井までも。
「ふぅ……どうしよう……終わっちゃったわ……。レナメイド長、もうお仕事させてくれない、わよねぇ……」
「当たり前でしょ。今お茶持ってくるから座って待ってなさいよ」
「……あんたってほんと、私と二人きりだと別人ね〜。もう慣れてきちゃったけど」
「あんたに媚び売ったって、こっちはな〜んにも得しないんだから当たり前でしょ〜」
とはいいつつ、メイドの仕事は一応ちゃんとやるらしい。
お茶とお菓子をトレイに乗せて、私の部屋へと持ってくる。
一人でお茶するのも寂しいし「あんたも飲んでけば?」と言うとナージャは「そうする〜」と満面の笑みで椅子に座った。
はぁ、もうハイハイって感じ。
「……そういえば、さっきあのドS騎士から聞いたんだけど……あんたが使ったあの魔導書偽物だったらしいわよ。知ってた?」
「…………え……!?」
クッキーに手を伸ばしていたナージャが驚いたように顔を上げる。
この様子じゃやっぱり知らなかったみたいね……。
「だから騎士団で本物を探して回収するんだって。私が帰る方法も『オリジナル』って本物の方に載ってるみたい。……ねぇ、あんたはその本物の場所、知ってたりは……」
「……し、知るわけない、でしょ……」
「だよねー」
やっぱりドS騎士と騎士団が見つけてくれるのを祈るしかないのかな。
……ん、このクッキー美味しい!
「…………………」
私がクッキーに夢中になる横で、ナージャは両手を膝の上できつく握り締めていた。
青い顔。
思い詰めた表情。
この時、ナージャの異変に気付いてあげられていたら……あんな事にはならなかったのかもしれない。








