第六話:狩人出陣
室内は静かな緊張感で満たされていた。ソファに座る者、壁際で佇む者、中央の大テーブルの周りで話をしている者など、一見すれば、各人が自由気ままにくつろいでいる様にも見える。しかし、窓から差し込む日差しに部屋の中は温かではあっても、そこで交わされる視線はくつろいでいる物とは程遠い。
アレスとシルファの二人が部屋の中に入った時も、迎え入れた空気は、暖かながらどこか心胆冷ますに十分な物であった。部屋を見渡せば"狩人"のどこか殺気立った視線が戻ってくる。その冷徹な眼光は、気の弱い者ならそれだけで容易に倒れ伏してしまう事だろう。
しかしながら、その重々しい空気の中をアレスは悠々と、シルファは毅然とした調子で歩いていた。今更この程度の空気に怯む様な脆弱な性根を持ち合わせていない二人だ。何事も無いように部屋に入り終えると、扉が閉じる音がやけに重々しく部屋に響いた。
「さて……」
二人が思い思いの場所に陣取ると、部屋の中央に設えられた大テーブルの脇にいた一人が重々しく口を開いた。
「アズィール、弟はどうした?」
「体調が良くないようなので、寝てます。話は私が聞いておきますので、ご心配なく」
力強い宣言は、嘘ではないが事実とも言い難い内容であったが、聞いた者が納得するには十分であった。まさかどこかの中庭に力尽きて転がされているとは夢にも思わぬ事だろう。一つ大きな頷きを返すと、男が部屋をぐるりと見渡す。
「では、少し足りないが始めるとしよう」
視線を動かすだけで部屋の中を見渡せば、すでにその人数は八人となっている。何も言われぬまま、自然と大テーブルの方へ集まる"狩人"達に従い、アレスも寄りかかっていた壁から離れて空いている隙間に体を滑り込ませる。ふと視線を向けると、ちょうど真正面の位置で、シルファが少し困った様に顔を背けるのが見えた。続けてテーブルに集まる"狩人"の顔を軽く見渡すが、あるものは自然に、あるものはあからさまにその視線を逸らす。
(やれやれ、これだからなぁ)
"獣"に対抗するための力を持つ"狩人"の中で、無闇に他人と馴れ合う者は少ない。自分達よりもはるかに優れた身体能力を持つ"獣"を相手にするには、常人が想像する以上の実力の幅を埋める必要がある。その為に、彼等は地獄すらなお生ぬるい特訓を行う――肉体的にも、精神的にも。苛烈な修行を越えた先で手に入るのは、対抗するに足りる力を手にした高揚感と自負だ。しかし戦闘を繰り返した者達は、その経験からいつしか常時警戒心を持つ獣のように、他者に対し容易に心を開かなくなるものだ。
そんな中でシルファやガディスのように、積極的に人に話しかける――あるいは、絡む人間は珍しいと言える。
もっとも、それ故に通常"獣"を狩るのに多人数が協力し合うのは稀だ。多くはスタンドプレー、せいぜいが3・4人で行われる物だった。
「時間はかかったが、奴らの居所を突き止める事に成功した。これが、恐らくは最後の作戦になるだろう」
まず口を開いたのは先程シルファに声をかけたディオール・クスファという男であった。この場にいる者の中では最も年輩であり、同時にこの集団の実質的なリーダーでもある。
アレスに比べると頭一つ半は身長が高く、その体格はよく鍛えられており、ガッチリした物であった。栗色の髪は短く纏められており、そのおかげで傷だらけの厳つい顔が皆の前に晒されている。その面相は、子供が夜道で出会ったら逃げ出しそうなほどだ。
「皆、これまでと同様、互いに協力し合い迅速な行動をして貰いたい」
しかし、その深い声は驚くほど穏やかで落ち着いた物である。本来なら個人プレーに走りがちな"狩人"達が、曲がりなりにもチームとして機能しているのは彼の力と言っても過言ではない。特に大きな声で話しているわけではないが、その口調は不思議とあがらいがたかった。
「さて、今回の目標だが……」
一度会話を切ると、男は軽く目を閉じて地図に手を添える。短く、しかし鋭い口調で聞き慣れぬ言葉を呟いた瞬間、部屋の空気が僅かかき乱れた。"狩人"達の間を縫い、大テーブルの上に集まってゆくのは、ただの風。窓も扉も締め切られた部屋の中、突如発生した風に動じる者はいない。
やがて、風が治まる頃には机の上に新たな地図が完成していた。もとより置かれた地図の上、なにも存在しなかった場所に直接描かれたような精密な立体図が浮かび上がる。大地の起伏までしっかりと再現したそれは、正に世界をそのまま縮小したような精密な出来であった。
その地図の端、街から湖を挟んだ反対側にある崖の上、そのさらに先へ進んだ先に小さな光点が4つ、灯っていた。
「……こんな所にいやがったのか」
忌々し気な口調で呟く"狩人"に続く様に、数人が閉ざしていた口を開く。
「まさか、あんな崖の先にいるとは」
「しかも4体。小勢なくせに慎重ときたか、くそっ」
「静かに。どちらにしろ、油断できる相手では無いだろう」
口調も荒く、吐き捨てる様に言葉を放つ男達を宥めるように、ディオールは殊更に穏やかな調子で話始める。
「だが、我々とて既に二グループの"獣"達を討伐してきた。それまでの経験から、我々は十分奴らに対抗できるだけの実力を備えていると私は考えている。……策はある。あとは、皆がどう動いてくれるかが、鍵だ」
そこで一度言葉を切り、無言で周囲を見渡すと小さな声で是、と答えが上がった。
「では、具体的な案件に入るとしよう」
満足気に頷くディオールに対し、もう一度小さく是、という答えが聞こえ、それを皮切りに本格的に会話が進み始める。敵の進路の予想と、それに対する陣形。最大限に各自の能力を活用できるような配置を考えるのは、個性的に過ぎる"狩人"の事を考えれば一般的な兵法のそれが必ずしも通用するとは限らない。
(さてさて、どうなる事やら)
アレスが見たところ、ここに集まった"狩人"は個人戦技に優れた者が多く見受けられる。下手に連携させても、それほど高度な作戦行動が期待できるとも思えなかった。逐次指示を伝達できるならともかく、"獣"相手に目まぐるしく変化する戦場にて連携を行うには練度が足りなすぎるだろう。
「我々は、奴らが動くと同時に陣形をしく。場所はここだ」
ディオールが指し示したのは、街にほど近い崖の真下であった。
「街に近すぎやしないかね」
「かといって、奴らを囲みこむのはここらの地形では難しい」
確かに多少起伏があるとはいえ、基本的にこの周囲は平坦な森が拡がっている。後ろに周り込もうとしても、気配を察知されれば即座に動かれる事であろう。
「部隊は前衛と後衛の2段構えだ。前衛にはアズィール姉弟、アルシャイバル、それとローゼルに務めてもらう。他は私と共に後衛だ」
瞬間、動揺が"狩人"達の間から漏れだし、空気を震わせる。突然いくつもの意識がこちらを向くが、アレスは顔色一つ変える事もなく、軽く頷いた。
「承知した」
「後衛は、前衛の援護を基本方針とする。最初は長距離での射撃、接近したら旗色の悪い場所へ援護に入る」
「ちょ、ちょっと待てよ」
慌て間に割って入ろうとするのは、若い"狩人"の一人であった。ディオール程ではないがかなりの長身であり、その身のこなしもきびきびとしている。腰にはいた立派な拵えの大剣を見る限りでは、アレス達と同様に近接戦闘に優れた"狩人"だろう。
不満げな表情を隠すこともなく、男はアレスを指差すと辺りを気にせずにまくし立てる。
「どうして、こんな新参者を"獣"に直接当たらせる!?実力的にもっと相応しい者もいるだろう。一角を崩されれば、不利は免れんぞ!」
その口振りと気迫から察するに、要は自分の方がその位置に相応しい、と言いたいらしい。それを別にしても、こちらを見る目が少々殺意に満ちている方がアレスには気にかかった。周りを見てみても、殆んどの者は意味ありげに苦笑を浮かべるばかりで、助け船をだそうとはしない。唯一、シルファだけは気の毒そうな表情を浮かべていたが、だからといって特に何かする訳ではなかったが。
(ま、自分で何とかしろって事か。面倒だが)
胸中で重い腰を上げようとしたアレスだったが、それに先駆けて男を抑えたのは、ディオールであった。
「確かに、君の言うことも分かる」
「なら――」
「しかし、変更は認めない。今回後衛に選んだ者達は、ある程度の状況を判断して動けると見て選抜した。その事をよく覚えておいて欲しい」
「それに、アレスさんは私と弟の二人を相手に互角以上に渡り合っています。"獣"相手にも、そうそう遅れをとるとも思えませんよ」
尚も何かを言いかける男だったが、再度それを遮ったのは、意外な事にシルファであった。地図を眺めたまま固い口調で告げる少女の顔は、特に何かの感情がこもっている訳でもなく、ただただ、事実を端的に述べただけでるのが伺える。
しかし、その一言が男に与えた影響は大きかった。あからさまに動揺し、無意味に両手で宙を掻いている男に対して向き直ると、満面の笑みを浮かべながら、再度告げる。
「それとも……私達のような若輩程度では、参考にもならぬという事でしょうか?」
一見すると見惚れるほどの満面の笑みであったが、眼だけが笑ってない事に、その場の全員が気付き、また流れ落ちる冷たい汗に背を冷やしていた。なまじ美しい顔立ちなだけに、逆にその笑顔の奥に秘められた凄味が否応なしに感じられて、恐ろしい。物音を立てながら、何人かが明らかに身を引いているのが分かった。
笑顔を向けられた本人にしても、それに見惚れている余裕など、あろうはずがない。誰が見ても隙だらけな程に慌てた挙げ句に、顔を赤青と二転三転した末、大人しくなった。
「いえ、あなた達の実力を疑っている訳では……」
「ならば、私達が保証するあの方の実力も、信用して下さい」
瞬間、男から再度殺気じみた視線を向けられたが、シルファに向き直ると、存外素直に頷いた。
「御理解いただけたようですね。ところで……」
手袋で覆われている細い指が、地図の一点を指し示す。
「光点が動き始めています。こちらも準備を始めた方がいいのでは?」
その言葉に固まっていた者達が皆、我に返って地図を覗き込む。確かに、地図上の光点が段々と街の方に近づいてきている。
周りを見てみると、半分程の人間は既に装備の確認に忙しそうにしていた。
「余り余裕はない。準備が終わり次第、すぐに出発するぞ!!」
首を回すと、先刻とは異なり、気合いの乗った声で皆を激励するディオールの姿が見えた。水でも浴びせられたかの様に、自失から戻ってくるのは一瞬であった。即座に現状を理解すると、あとは半ば無意識の内に体は動いてくれる。
「アズィール、弟を叩き起こして来い!!」
「はいっ、只今!!」
「間に合わなかったら、陣形は変更だ。あれだけの事を言ったんだ。アズィールの代わりに入り、不様な姿は見せるなよ!!」
「り、了解!!」
「門番に連絡を入れろ。時間が惜しい、手順はすっ飛ばして一気に駆け抜ける。皆、遅れるなよ」
にわかに、室内が慌ただしくなり、掛け声が飛び交ってゆく。血潮沸き立ち、気合い揺れ、鋼の響き合う音が部屋に満ちる。どこか殺那的でありながらも、果てしなく高まる高揚感が体を動かしてゆくのは"狩人"の性という物か。
皆に遅れじと、急いで部屋に戻ろうとしたアレスであったが、ふと視線を感じて振り返れば、先程の男が、しかめ面で立っていた。
忌々し気な顔を見る限りでは、別に友情を育む為に近づいて来たわけでもあるまい。先の続きをするにしても、今この時にわざわざする必然性など全くない。まさかそこまで物を見れぬ者とも思えなかった。
「……一つだけ言っておく」
「何か?」
「お前の実力が俺より上など、何の証拠もない」
突如どうでもいい事を宣言し始める男の言葉を、今はとりあえず黙って聞いておく。
「俺の闘いぶりを、よく見ておけ」
言いたいことだけを一方的に告げた後は、アレスを押し退けるようにして、いそいそと部屋を出てゆく。訳も分からず、僅か立ち竦んでいたアレスであったが、やがて肩をすくめると、小さく呟く。
「やれやれ……ここに来てから、退屈だけはしそうにない」
その口元は楽し気に緩んでおり、アレスも負けじと跳ねるように地を蹴ると、部屋を飛び出していった。
新年初投稿です。皆さん、明けましておめでとうございます。
さて、七話目まで見ていただき、まずはありがとうございます。
感想や何か気になる事があれば、是非ともご記入下さい。
さて、次回はついに激突となります。なるべく早めの投稿を心がけたいと思います。