第三章:ほんの一幕の攻防
アレスが男達に連れてこられたのは、行政区の中心にほど近い場所にある邸宅であった。先程までいた街の外苑に近い場所にある家屋とは比べ物にならない、端が霞んで見えるほど長い赤褐色の壁は人の侵入を容赦なく拒み、その視線からすら屋敷を守っている。
その佇まいは、どっしりと腰を据えているようで、歴史を感じさせる古びた雰囲気と合わさり、威圧されているかのような錯覚を感じさせる。
「まるで、王候貴族の屋敷だな」
まるでつまらなそうに呟くのは、相変わらず長い布包みを背負ったアレス。摺りきれた旅装も加わり、よく整備・装飾を行われている高級感溢れる道端では明らかに浮いている。
まして、目の前にその屋敷がある場所で堂々と皮肉を口にするなど、恐れ知らずもいい所だ。ここまで案内をしてきた2人が、その言葉に肝を冷やしているというのに、本人といえば呑気に欠伸などをしている。
「…まだか」
「いえ!もうすぐそこ…」
男が指を指したのは、見上げる程の高さに至る壁の一角に小ぢんまりと備え付けられた、質素な扉だった。近づいた所でよくよく見てみると、造りは頑丈であり、きちんと整備や掃除もされているようだ。しかし、いかにも質実剛健な佇まいは、周りに比べるべくもない。少し壁の奥に押し込まれ、目立たぬ場所にあるのも、周囲との兼ね合いを考えているのだろう。
アレスが少し物思いに耽りながら佇んでいる内に、残りの2人は扉の横手に取り付けられた小窓に向かい、用件を告げていた。自分達の不名誉はぼかしつつ、暫しのやり取りが続く。身振り手振りを含めた会話はそれほど長くは続かず、しばらくたつと重々しい音と共に鍵が開けられ、対照的に音もなく扉が開く。
人1人が通れる程度のわずかな隙間しか開いていないのは、一度に多数の侵入者が入り込まない為の仕組みであろう。なかなか抜け目ない仕組みの扉を抜けた先では、小さな小屋程度の大きさの建物が壁際に備え付けられている。壁と同じく頑丈そうな造りの四角い建物は、警備兵の詰所になっているらしく、アレスが敷地に入る時に軽装の兵士姿の男達が出てくるのが見えた。
その内の1人、他に比べて少し立派な作りの鎧を着込んだ男が、アレス達の方に来るなり口を開いた。
「そこの男」
「……」
「おい、聞こえんのか?」
「あんたの事、呼んでるよ」
「お前の事だ!」
隣で佇む見ず知らずの兵士にぬけぬけと声をかけたアレスは、怒鳴られた時点でようやくそちらを振り向いた。
厳つい顔立ちに、たるみの見えぬ鍛えられた中年の男であった。周りと彼自身の態度を見るに、この場所の責任者なのだろう。口元を髭が覆っているが、威厳を取り繕うとしているのか、やたら指でいじくっているのが見てとれた。
とりあえず、このまま話すら聞いて貰えなければ、面倒臭い事になりかねない。そう考えると、アレスの次の行動は素早かった。
「失礼。少々、悪ふざけが過ぎました」
殊勝に頭を下げる処ではない、それは宮廷で見られるような礼儀正しき仕草で行われた謝罪であった。身に付けている物がくたびれているだけに、その仕草は誰が見ても不釣り合いな物であった。
しかし、外観と中身の差異が激しいだけに、周りの受けた衝撃は計り知れない。果たして、不釣り合いなのは人なのか、それとも服装なのか。僅かの間、思考が絡まり、周囲に沈黙が訪れる。
目を見開いている連れの2人に、どう動くべきか迷う兵士。そんな中で平然としていたアレスの耳に、しばしの沈黙の後、ごほん、と少々わざとらしい咳払いが聞こえる。
それが、合図となった。
「まあ、いい。それで、貴公の用件は何か。聞けば、当主様にお会いしたいとの事だが」
やはり、周囲と同じく毒気を抜かれたのか、男の方は激昂を抑えた様子で会話を始めた。対するアレスの側といえば、先程までの物腰は影を潜め、いっそふてぶてしさすら感じさせる、自然体であった。
「ええ。この街では"獣"の被害が広まっているとの事。少し腕には自信がある故、雇って貰いたく思い、こうしてお訪ねした次第で」
「しかし……いささか、乱暴とは思わないのかね」
気難しげに眉をしかめるのは、こちらの資質を計りかねているのであろう。
実力はあるかもしれぬが、先程のやり取りから、お世辞にも扱い安い人柄ではない、とふんだらしい。街中での騒ぎの事は同行した二人が語った以上の事は知らぬはずだが、彼らの所行に少々問題があったとはいえ、客観的に見ればアレスが吹っ掛けた喧嘩である。しかも、相手はこれから会おうという相手が雇った者達だ。
「確かに、手段が手荒であった事は認めます」
故にこそ、彼には勝算があった。
「その前にお聞きしたいのですが……あなたは"獣"対策に雇われた臨時ではなく、れっきとした警備の責任者とお見受けします」
「いかにも、その通りだ」
「今回の"獣"対策の戦力選定に加わっていたりは?」
「いや。それは他の者が行っている。本業を疎かにする訳にはいかんのでな」
予想通りの答えを聞いたアレスは、内心で笑みを浮かべる。
「なるほど、そうでしたか。ならばこの様な事であまりお手を煩わせる訳にもいきませんね」
あくまでも外観は礼儀正しく、殊勝な態度ですまなそうに振る舞う。
「しかし、街での事はこちらにも言い分があります。長くなるので、詳しい話はそちらのほうで話したいと思います」
厄介者は、押し付けてしまえ――言外に付け加えた意味を読み取ったかは分からない。しかし、仕草の端々から小物と見てとったアレスの読み通り、男の方は迷いを見せる。
正規の手続きを踏まず、強引な手段を持って、頭に直談判を持ち込む乱暴な男。かといえば、礼儀正しく振る舞い、扱いに困る。
判断に困った挙げ句、責任を他に委ねるに至るのは、無理もない事と言えた。
「――少し待っていろ。確認をとらせる」
「それは、御手数をかけます」
周りに群がる兵の一人を屋敷の方まで走らせると、アレスは詰所の中に案内された。同行していた二人は、すでに街の方へと帰してある。
もっとも、そう告げた時には、二人とも若干離れ難そうな素振りを見せた。無論、アレスに惚れ込んだ訳ではなく、自分たちの失態を語られる事に対する不安の表れであろう。まごついていた二人であったが、親しげに肩を叩き、さりげなく耳元で囁くだけでその態度を一変させた。
「まあ、必要以上に悪い事にはせん。だが、これ以上俺の気に障る様ならば……」
即座に姿勢を正し、やけに堅苦しい口調で別れを告げた二人を思いだし、自然に口元が綻ぶ。果たして、誠意溢れた会話の内容か、少しも笑っていない目元か、肩に食い込む指先のどれに感化されたかは分からない。分からないが、これで少しは態度を改めてくれれば、彼らにとっても街の住人にとっても悪い事ではない、と思う。
突然態度を一変させた二人に対し、周りの兵士は目を白黒させるばかりであったが、そちらの方には特に気を払わずに、目の前の扉をくぐった。
男所帯が利用している部屋であったが、中はアレスの想像以上に片付けられていた。
部屋の中央には、恐らくミーティングなどで使用するための大テーブルが一つ鎮座しており、その周囲には数脚の椅子が用意されている。その上には数枚の書類や飲みさしのカップなど、業務に必要な物から個人的な物まで置かれており、雑多な印象だ。奥にはもうひとつ扉があり、その脇には個人用の机が置いてある。こちらは持ち主の性格を表すように、小綺麗に片付けられている。髭を整えるために使うのか、小さなナイフが丁寧に置かれているのが、妙に笑いを誘った。
こちらの方を見る事もない髭の隊長は、机の上から羊皮紙やら、他にいくつか細々した物を選ぶと、椅子に向かって顎をしゃくる。どうやら、座れという意味らしい。
「では、失礼」
特に警戒もせずに椅子に腰を降ろす。さすがに邪魔になるため、背にくくり付けられた布包みは取り外し、すぐ手に取れる距離で、机に立て掛ける。
そうこうしている内に、部屋の中に人の気配が濃厚になってゆく。さりげない仕草で入り口の側を振り返ってみれば、案の定何人かが部屋へ戻ってくる所であった。無論、休憩などではなく、こちらの監視が目的だろう。
(ま、いくらでも警戒してくれや)
一見してリラックスした様子のアレスを見て、警戒するも油断するも相手の勝手。
僅か、会話の切り出しに時間がかかったのは、他の兵の配置を気にしたのだろう。ふんぞり反った様な態勢で口を開く男には、少し余裕が見てとれた。
「ふむ。とりあえずは、ただの訪問客という事で扱わせてもらうぞ」
「どうぞ、御随意に」
「……とりあえず、名と訪問理由をもう一度聴いておこうか」
「名は、アレス・ローデル。ここには、"獣"対策に雇って貰いたいと思い、訪ねたまで」
「見たところ、この街の者ではないな。どこの出身だ」
「家はここよりずっと北で王都の近く。もっとも、ここ数年は帰ってないけど」
そんな身の上の調査が数件続いた後、男は唐突に持っていたペンの尻をアレスの方へと向けた。否――指されたのは、アレスの脇にある布包みの方だ。
「中を改めさせて貰おう。武器の類いはここで全て見せてもらう事になっている」
視線がこちらから外れたのは、他の兵士へ目線で合図を送ったのだろう。すぐに一人の男が此方の脇へと控える。少しの間躊躇っているようであったが、此方が何の反応もしないのを見ると、やがて丁寧な手つきで包みを持っていった。
手渡された男は、此方に一度視線を向け、無言を同意ととったか、布の口を閉じていた紐を手早くほどいた。布がずれ、口から突き出た部分を掴むと、中身を一気に引き抜いた。
「ああ、そうそう。武器は全て、だったか」
思い出した様に呟いたアレスが、のんびりとした調子で懐に手を入れた。
「とりあえず、刃物とかは全部出しときますよ」
数本のナイフや短剣を無造作に、しかし分かりやすいように机の上に置いてゆく。それらを鞘ごと引き抜いた後は、左手の小手を器用に外し、その裏に仕込まれた太い針をよく見えるように置く。他にもいくつか装備品を取り外すと、アレスは少し、意地の悪そうに微笑んだ。
「それで、検証は終わりましたか?」
その一言で部屋の空気が再び動き始めた。
呆然としていた男達が、まるで油の切れた歯車の様な動きで此方を向いた。もっとも、こちらと目が合うと、いささか大袈裟に咳払いを繰り返していたが。
「み、見事な芸術品だな」
まだ同様が収まらぬのか、しきりにこちらと、そちらを見比べている。
「ええ。家族の形見の様なものです」
相手の膝上に置かれた物を見ながら、アレスが少し感慨深げに溢した。
それは、両手を軽く拡げた程度の長さをした金属であった。断面は楕円形であり、それが両端に向けてだんだんと細くなっている。形状的には剣の鞘を二つ繋げ合わせたように見えるが、それは外見がそう見えるだけであり、実際には継ぎ目一つ存在しない。
その代わりに表面には見事な装飾が施されており、男達が口に出したように、人を惹き付ける芸術品のごとき品格を感じさせる。
実際、アレスにとってはいくら金品を積まれたとて、それを手放す事は考えもしないだろう。
「見ての通り、少し珍しい見た目だが、物自体はただの棒ですよ」
放っておけば、いつまでも進みそうにないため、少し強引に事を進める。
「できれば、それは手離したくはない」
その言葉に、相手は再び手元に視線を落とす。いくら弄くっても、物が物なため何も出てくる事はない。
加えて、タイミングよく戻ってきた兵士が扉を叩いていた。
「……御客人は、屋敷の方へ通す様にとの事です」
「だ、そうだが」
「また、荷物は特に預かる必要はない。かさばる物があるようならば、お持ちする様にとの事です」
普通に考えれば、あり得ないほどの待遇であろう。実際に、アレスを除けばその場にいる者達の顔は納得できなさそうな表情だった。
先ほど取り出した装備を手早く直している内に、男の方も不承不承といった感じで、手の中の物を布袋へ入れ直していた。
それを受け取って背中側にくくり付けると、アレスはさっさと出口へ向けて歩き始める。が、数歩進んだだけで、何の前触れもなく振り向いた。
「そういえば、此方は名乗っているのに、そっちの名前を聞いてない」
「なんだ。やぶからぼうに」
「いや、気になって」
飄々とした調子で聞くと、男は苦笑したようであった。相変わらず口元の髭を弄くりながら、不満そうな顔をしていたが、特に勿体ぶる様な事はしなかった。
「ヘイルズ・クライアだ」
「じゃ、ヘイルズさん。お世話になりました」
「いいから、さっさといけ」
ヘイルズの猫でも追い出すような手つきに背を押され、アレスも素直に扉の外に立つ。
そこには、先程声をかけてきたとおぼしき、若い兵士が立っている。他の兵士は持ち場へと戻って行ったのか、姿は見えなかった。
「あんたが案内役?」
「はっ。準備は宜しいでしょうか?」
「――無理って言ったら待っててくれるのかぃ?」
「は。要件にもよりますが、よろしければ私もお供させて頂きます。」
受け答えをする相手は、どこまでも真面目な表情であった。ほんの冗談のつもりだったのだが、真剣に要件を尋ねてくる相手の気迫は、アレスを僅か怯ませた。
「それで、要件は?何か持ってくる荷物がおありでしたら、人を遣わします。もし他にも人にお会いするご予定でしたら――」
「あー、大丈夫。このまま行けるから」
「そうですか。では、御案内させて頂きます」
「ああ、頼むよ」
表面上はなんともなさげな表情であったが、歩いている最中、アレスは心中でこっそりと呟いていた。
(ま、負けた……)
屋敷への道のりは、それほど長くはない。しかし、アレスにとっては、長く感じる事になりそうであった。
さて、主人公のアレスは、ある目的のために行動をしており、その他の事に関しては、かなり気ままな性格です。
そんな面を演出しようとしてるのですが、実際どうでしょうか?
今回は、トントン拍子に筆(?)が進み、前話から間も無く更新できました。
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