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一章 三人の落ちこぼれ共④

 悠とほのからは、保健室へと入室した。

 ホームルーム前のためか、人影はない。保険医はおそらく職員室で打ち合わせでもあるのだろう。


 ズルズルと音を立てるのは、谷口を背負ったほのかだ。身長が低いせいで、足を引き摺る形でしか運べなかったのである。


 白いカーテンを開けると、自業自得の狼少年を乱暴にベットに投げ捨てる。まるで干していた衣服か布団でも放るように。


「あー疲れた……」


 保険医の椅子に座ると、マルボロを取り出して一服し始めた。

 タバコ独特の臭いが鼻をくすぐる。


「先輩、タバコ吸っていいんですか?」


「アホ。あたしは例外なんだよ」


 顔立ちや背格好からは十二、三歳程度にしか見えない。しかし、目力や言葉使いは同年代のソレを逸している。

 達観たっかんしている……の一言で片付けられるものではない。


 身長が低い、もしくは顔立ちが幼い者は総じて性格や言動が幼く感じられることが多い。だが、彼女は違う。

 赤ずきんの皮を着ている狼のような、違和感が彼女から見て取れるのだ。


 もしも童話で、狼がお婆さんではなく赤ずきんの皮を被っていたのなら、きっと誰であっても気づくであろう。

 目の前で紫煙しえんくゆらす少女は、まさにそれであった。


「ほのか……怪我人だ、もう少し優しく扱ってやらんか」


 傍らに浮かぶ、小さな狐が投げかけた。


「うるせぇなぁ。さっきは『神前で嘘をつく馬鹿者め』って言った癖に」


「うぉっほん!」


 ほのかの反論をかき消すように、せき払い。これ以上は追求するなとでも言いたげだ。


「ともかく――目撃者がいなかっただけでも、僥倖と言えよう」


 獣の目が、悠に向けられる。三度、目が合う。


「ただし、この者を除いてはな」


 口を開く前に目を背けたものの、なんの逃げ道にもならなかったようだ。

 彼らは悠が「狐」が見えていると知ってしまっている。

 殺風景な保健室が、尋問室へと姿を変える。


「いや……聞こえているな、神鳥かんどりよ」


 心臓が跳ね上がる。喉元に切っ先を突きつけられたような感覚だ。一問一答が生死を別ける、まさにその場面だ。

 未だ知らぬ恐怖が想像を駆り立て、心臓をわし掴みにする。

 気が狂いそうだ。


「聞こえているだろう……? 返事をしてはどうだ」


 覚悟を決める。生唾がねっとりと纏わりつく。


「あぁ――聞こえているし、見えているよ」


 フーちゃんの目を睨み返す。


「あんたらのおかげで、今朝は酷い目にあった。一体、何者なんだ? 何が目的なんだ?」


 言葉を遮るように、フーちゃんは肉球を突き出す。


「今朝のことは迷惑をかけた……すまない。そして、覚えている内に謝っていく。叩いて悪かったな」


 瞬間、フーちゃんの身体が揺らいだ。殺気を感じ身をひるがすと、背後にあった薬品棚が轟音ごうおんと共に粉砕された。

 先ほど、ほのかを叩いた木槌きづちだ。ガラスを打ち破り、棚にめり込んでいる。かたわらのほのかが、感嘆の息を漏らす。


「ちぃ……避けおってからに」


 構えなおし、再び悠に肉薄にくはくする。


「ちょ、ちょっと待った! なんで叩こうとするんだ!? そんなの当たったら死んじゃうだろ!」


 振るわれる木槌を避けつつ、わめく。


「騒ぐな! 今朝の記憶だけ消させてもらうだけだ、死にはせん。だから観念しろ!」


「そんな都合よく消えるわけないでしょ! アホか!」


「何を、小童こわっぱが!!」


 阿呆あほう呼ばわりされたことに腹を立てたのか、フーちゃんは木槌を投擲とうかく咄嗟とっさに身をかがめ、やりすごす。鈍い音と共に、コンクリートの壁に突き刺さった。


 小さな舌打ちと共に、フーちゃんは木槌の許へと向かう。一人と一匹の位置は交差、悠は距離をとるため真反対の机へと向かう。


「よお、中々やるなぁ女泣かせ」


 椅子に腰掛けるほのかは、さも面白そうに問いかける。


「何で先輩は見てるだけなんですか 助けて下さいよ!!」


「アホか、お前を助ける理由がないだろ」


 悠は、ひしゃげた薬品棚を指差す。


「あれ見たでしょ! あんなの喰らったら無事じゃ済まないでしょ! 死ぬでしょ!」


「いや、喰らってみたら死なないかもしれないぞ?」


「なんでそう、嫌な方に前向きなんですか!」


 あれで死なないのは、灰色のネコと茶色いネズミが住む世界だけだ。現実では頭蓋骨にヒビが入るどころか、下手をすれば水風船のように頭が弾ける。

 想像するだけで背筋が冷える。


 二人のやりとりが白熱するなか、大きな音を立ててコンクリートの壁が剥がれ落ちた。

 フーちゃんが木槌を引き抜いたのだ。

 力任せにしたせいで、突き刺さっていた時よりも穴は拡大していた。


「小童が……手間を、取らせおって」


 ぜぇぜぇと息を切らし、肩で息をする。


「今更、死にはしないと、言っても……聞く耳は、もたんだろうな」


 袖を捲くり、金茶色の両腕が姿を現した。

 本領発揮というところか。


 柄を右耳に添えるよう構える。示現じげん流でいうところの蜻蛉とんぼだ。

 バッティングフォームに似たそれは、傍から見ても渾身こんしんの一撃を放つと示唆している。小さな身体から、殺気が溢れ出ているようだった。


「おーおー、フーちゃん本気じゃん。これはヤベェんじゃねーの?」


 けたけたと笑うほのか。背もたれに身をあずけ、嬉々とした表情でジッポをもてあそんでいる。目の前で何が起きようとも、他人事だと陪観ばいかんに徹する気だろう。

 悠の中で怒りが湧き上がると同時に、フーちゃんが肉迫する。


「観念せい!」


 大上段から繰り出される木槌。突進の勢いそのままに振るわれたそれは、恐るべき速さで優の脳天を捉えた。


 ――避けきれない。

 眼前に迫る凶器。もはやここまでかと覚悟した瞬間、唐突にそれは破られた。

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