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六 報復

 ターミナル駅が最寄りの、しかし少し離れた場所にあるビジネスホテルは、夜間用の小さな出入り口からわずかに明りが漏れているだけで、すっかり深夜の眠りについたように見えた。

 夜の闇の色のような黒髪を長く伸ばした、しなやかな細身の体をした青年は、恐らく生まれて初めて自分の背後、すぐ後ろまで近づいた人物の気配に、気づくのが遅すぎたことを悟った。

 振り向きざまに相手へ右手で攻撃を加えようとしたが、態勢を整えていた相手が数段有利だった。

 月ヶ瀬の左肩下、二の腕の上部あたりに激痛が走ったのと、右腕を背後の人物に取られたのはほぼ同時だった。

「こんばんは。大森パトロール社の・・・と言っていいのかな?・・・業務中じゃなかったかな?・・・月ヶ瀬透くん。」

「・・・・・!」

 流れ出したかなりの量の血が、左腕を伝って地面へと滴り落ちた。

 阪元は月ヶ瀬の腕を貫いた美しい銀色の刃物を右手で弄びながら、左手で黒髪のボディガードの右腕をしっかりと拘束していた。

 血糊のついた刃先を後ろから月ヶ瀬の頬に当て、耳元でささやくように言葉を続ける。

「業務中だとするならば・・・契約が終了した元クライアントを、こんな時刻に尾行してるなんて、君の会社もよっぽど暇なんだね。」

「業務じゃないよ。」

 月ヶ瀬は出血とともに額からにじみ出てきた汗が目に入り、片目を閉じながら、静かに答えた。

「一般市民が、危ないことをしちゃいけないよ。仕事の邪魔をする者は、私はゆるさないからね。」

 月ヶ瀬は低く、しかし声に出して冷笑した。

「・・・・阪元探偵社は社長まで現場に動員するんだね。人員不足?」

「森川の、そして我々の、行動をここまで予測したのは大したものだよ。でも私は君のファンだから君のことを誰より研究してるんだ。」

「それはありがとう」

「うちに来ればよかったって後悔してない?」

「それどころかそちらは、創業するんじゃなかったって後悔してないの?社長さん」

「お互い様じゃないかな」

「・・・阪元さん。酒井さんを助けたつもり?それとも、僕を助けたつもり?」

 阪元は一瞬表情をこわばらせ、そして苦笑した。

「なぜ、酒井?」

「深山がしそんじた。板見はアシスタント。最後にやるのは、酒井でしょ?まさか和泉や吉田じゃないんだろうから。」

「あっはっは。」

 そのまま阪元は月ヶ瀬を引きずるように、後ろに停車していたリムジンの後部座席へ体を滑り込ませた。

「僕を誘拐してもあまり意味はないけど?」

「大人しくしてくれるかな、月ヶ瀬くん。」

 座席は二人掛けのものが広い空間を挟んで向き合って配置されている。

 阪元は月ヶ瀬を後部左側のシートに座らせると、自分は斜め向かいの席に座り、二人に続いて車内に入ってきた長身のエージェントが月ヶ瀬の体をシートにロープで拘束するのを微笑しながら眺めた。

「腕の応急手当もしてあげて。」

「はい。」

「戦意喪失するには十分な傷だけど、あまり血が出すぎて気を失われても困る。」

 月ヶ瀬の左腕に簡単な処置を施すと、浅香は運転席へ移動した。

「じゃ、出してくれる?」

「・・・かしこまりました。」

 微かに当惑したような声で浅香の応答があり、車は静かに動き出した。

 阪元がシートで足を組み、背もたれに体を預けながら、斜め向かいの座席の月ヶ瀬の漆黒の両目を見た。

「教えてくれないかな、月ヶ瀬くん。」

「?」

「この後、どうなるのかを。」

「は?」

「ごめんね、正しくは・・・どうなると思うのかを、だね。」

「森川は部屋をふたつとってるんじゃないかね。」

「・・・・」

「夕べまでは男性の名前でとった部屋。そして今日は、たぶん女性の名前でとった、別の部屋に泊まる。」

「なるほど?」

「君達が奴を殺すのは、女性が帰った後でしょ。」

「そうだね。」

「明日のたぶん早朝、本格的な逃亡を支援するために今日も準備があるだろうから。女性はきっと一旦ホテルを後にする。余計な巻き添えを出さないのが君達のポリシーなんでしょ?」

「君は悪い人間の心理を想像するのがうまいね。」

「ありがとう。」

 月ヶ瀬は微熱を帯びたような顔に、汗をにじませたまま、表情ひとつ変えずに答えた。

「・・・痛い?」

「当たり前でしょ。あなた、ドS?」

「よく言われる。」

 深いエメラルドグリーンの両目が、静かに残酷な光を放っている。

 仕立ての良い柔らかい素材のジャケットの袖を軽くまくり上げ、組んだ膝の上で両手を組み、改めて目の前の手負いのボディガードを眺める。

「・・・まだ先を言うべき?」

「森川殺害の方法は?」

「地味に絞殺なんじゃないの。でもわざわざそんなことを訊くってことは、現場のエージェントに任せてあるのかね。」

「まあ、そうだね。そうか。君なら絞め殺すか。」

「一番簡単で確実だもの。」

「本当に・・・君がうちに来てくれなかったことは、痛恨の極みだよ。月ヶ瀬くん。」

「殺し屋にしたかった?僕を。」

「ああ。一流のアサーシンになれる。」

「光栄だけど、最大の侮辱だね。」

「わかっているよ。・・・・君は、犯罪が何より嫌い。・・・でもね」

「・・・・・」

「犯罪から守った人間が犯罪を犯してしまったら、やっぱり、失望した?」

「・・・・・」

「災難?不運?・・・いや、違うんじゃないかな。」

「どういう意味だ」

「必然じゃないのかね。君たちは、誰でも彼でも守る。なんにも考えずにね。なんともラクな仕事だ。でも、ラクすればそれだけの結果しか生まれない。当然の報いだったんじゃないかね。」

「・・・・・」

「皆を守ろうとする者は、つまり、誰一人守れない者だよ。」

「・・・・・」

「自己満足の、偽善者。大森パトロール社を一言で形容すると、こうなる。」

 月ヶ瀬は黙っている。

 阪元は月ヶ瀬から視線を外さず、続ける。

「ただし今回のケースにおいては、もっと簡単な形容がある。」

「・・・・・・」

「善人ぶった人殺し、だよ。」

「・・・・・・」

「間接的な、ね。でも、それだけに一番たちの悪い。」

 そこまで言うと、阪元は楽しくてたまらないといった表情で、顔を少し傾け月ヶ瀬の顔を眺めた。

「ふーん・・・」

 育ちの良さが滲むような阪元の顔が、気品ある嘲笑で満たされた。月ヶ瀬は一言も発しない。

「・・・君が、そんな表情をすることが、あるんだね。」

 月ヶ瀬の、ロープさえなければ今すぐ飛びかかり殺してやりたいと言うような、憎悪に満ちた顔は、確かに彼にしては感情が表に現れすぎていると言えた。

 阪元はゆっくりとした動作で組んだ足をもとにもどし、月ヶ瀬の隣のシートへ移った。そして前を向いたままの月ヶ瀬の横顔を一瞥すると、その正面に一瞬で回りこみ、月ヶ瀬の左腕にかかったロープ一本を引きおろし、包帯が巻かれたその左腕を掴んで捻るように引き上げた。

「んっ・・・・・!」

 たちまち月ヶ瀬の顔が苦痛に歪み、痛みの激しさに声が漏れた。

 真正面の、美しいボディガードの顔に息がかかるほどの至近距離で、阪元はその異国的な顔に無慈悲な冷笑を湛えて囁きかける。

「自己満足って、つまりは、自己都合ってことだよ。」

「・・・・・・」

「君によく似た、美しいひとだったそうだね。お母さん。」

「・・・・・・」

「しかし彼女が愛したのは犯罪者。善良な市民である・・・息子の君じゃなくてね。殺人犯の夫のほうを、愛した。」

「・・・・・黙れ。」

「極めて頭の良い、そして極めて残虐な男だった。いわばこの世で最も有能なタイプの犯罪者。何人殺したのかね。」

「・・・・・」

「その血が君にも流れているんだ。なぜ嫌うの?」

「黙れ!」

 阪元は月ヶ瀬の漆黒の艶やかな髪を額の上で乱暴につかみ、彼の頭をそのままシートの背に押し付けた。顔を上向きにされたまま、月ヶ瀬が激しい表情で阪元を見返す。

「無理はいつまでも、続くものじゃないよ。正義の、怠惰なボディガードくん。」

「怠惰なのは・・・あなたたちだ・・・・」

「・・・・」

 苦しそうに息をしながら、もう一度月ヶ瀬は言った。

「阪元さん、あなたたちだよ。怠惰なのは。」

「どうして?」

「依頼主は、殺すことを中止するように、ぎりぎりまで指示できる。」

「・・・・・」

「そういう仕組みなんでしょ?僕の案件でもそうだった。そして今回の、タクシーでの襲撃でも、そうだったんじゃない?」

「そうだよ。」

「つまり全部、依頼主に丸投げなんだよ。」

「・・・・・」

「あなたたちは、自分で考え判断していると思ってるかもしれないけど、とんでもない・・・・。単に、依頼主の、言うとおりにしてるだけでしょ。」

「・・・・・」

「そして今回、その怠惰のツケが回ってきたんじゃないの?すべての責任を依頼主に押し付けた結果、依頼主は殺された。そういうことなんじゃないの?」

「なるほどね。」

 阪元は月ヶ瀬の髪をつかんだ手にさらに力をこめ、両目を細めて微笑した。

「・・・・・」

「君は、ほんとに面白い。返す返すも、うちに欲しいよ。」

「・・・・・」

「ありがとう、月ヶ瀬くん。話ができて楽しかった。本当は、あんな会社へ二度と返したくない。」

「・・・・・・」

「返すくらいなら、いっそ殺したい。」

「・・・・・・」

「でも私は、駄々っ子じゃないからね。どっちがいい?自宅?事務所?好きなほうへ、送り届けてあげる。それとも、君達の行きつけの病院がいい?」

 月ヶ瀬は阪元の顔を下眼遣いに見たまま、低い声で言った。

「・・・殺せ。」

 阪元は楽しそうに笑った。

「困ったね。」



 難なくドアを開錠しドアチェーンを切断してホテルの部屋へ入ってきた板見の姿に、森川は驚きを露わにして立ち尽くした。

 震える手で、森川はテーブルの上にあった小型のナイフに手を伸ばした。しかしそれを掴むことはかなわなかった。

 板見が恐ろしいスピードでターゲットの背後に回り込み、金属の器具でその口をこじ開け、チューブ状の薬品入れから内容物を口内へと押し入れていた。

「・・・・・っ!」

「全部飲み込む必要はありません。ほんの小指の先ほどの量で、十分なんですから。」

「うう・・・っ!」

「自殺した部下、そして殺した部下。彼らの苦しみのほんの一部でさえありませんけどね。」

「殺すつもりは・・・なかった・・・・私のせいじゃない・・・・・」

「・・・・・・」

「助けてくれ・・・・」

 板見はそのまま、森川の体がけいれんし始めるまで羽交い絞めにしていた。

 永遠にそうしているかとも思われたが、ドア口でこちらを見ていた長身のエージェントが見かねたように制止した。

「もういい、板見。」

「・・・・・・・」

「手を離せ。」

 板見がようやく羽交い絞めを解くと、森川は床へ崩れるように倒れた。その体はまだ激しくけいれんしている。

 酒井がターゲットの背後、板見の前に割り込むように入り、ロープで森川の首を絞めた。

「愛人というのは、ありがたいもんですな。森川さん。」

 森川にもう返事をすることは不可能だった。

「あなたを匿い、車で送迎し、逃走の手引きをし、ホテルの部屋を確保する。あなたなんかの、どこがええんですかね。」

 ターゲットが息絶えてからも、ロープを首に拘束し二十分以上、そのままにしておいた。

 全てを終え、酒井は通信機器から報告の言葉を伝えながら、板見のほうを見た。

「完了。・・・・行くぞ、板見。」

「・・・・はい。」

 板見より、酒井の表情のほうが強張っていた。

 ホテルを出て、迎えの車へと向かいながら、酒井は板見の足取りが重いことに気がついた。

「どうした?」

「いえ・・・・」

「疲れたか。もう少しや、がんばれ。」

「はい。」

 板見が前を見たまま、しばらくして言った。

「他人の痛みを理解しない者、駆除すべき。それも最も苦しい方法で。」

「・・・・・」

「そうですよね。酒井さん。」

「ああ・・・そうやな。」

「法なんて、甘い。身内を殺されたことがない人間たちが、つくっている決まり事。」

「ああ。」

「俺は、迷いません。酒井さん。」

 車は大通りから一筋入った静かな一角で、エージェント達を待っていた。運転手は金茶色の長い髪を街灯に光らせている。

 後部座席のドアを酒井が開け、そして板見は助手席のドアに手をかける。

 酒井は車に乗り込もうとして、しかし踏みとどまった。

 板見が、助手席のドアを開けようとして叶わぬまま、立ち止まっていた。

「・・・板見?」

 板見が酒井のほうを見た。

「酒井さん」

「ん?」

「すみません」

「え?」

「・・・もう、無理そうです」

「・・・?」

 青白い街灯の光を受けてその顔色はよくわからないが、そのまま板見は両目を閉じた。

「板見!」

 力なく崩折れた板見の体を、酒井が両腕で支え、抱きとめた。

 車の運転席の扉が開き、深山も走り出てきた。

「板見くん!」

 ぐったりと自分の腕に身をゆだねている若きエージェントの、意識が完全に失われていることを知り、酒井は唇を噛んで板見の体を抱き抱える。

「祐耶、このまま協力病院へ向かう。」

「うん」

 板見を抱えたまま酒井が車の後部座席へ乗り込み、自分の膝に板見の頭を乗せるかっこうで横向きにその体をシートへ横たえる。

 深山は運転席に乗り込み、車を発車させた。

 板見の呼吸と脈拍を確認し、次にその上着のボタンを千切るように開き、酒井は小さく「畜生・・・!」と呟いた。

 上腹部の傷から滲んだ血がシャツに染み出していた。

「森川か。なんで言わなかった・・・」

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