二 襲撃
茂はホテルの車寄せから少し離れたところで、オートバイに跨ったままインカムに耳を澄ましていた。都会の明るい夜空にもはっきり星が見える、晴天の夜である。
少し待つ覚悟だった茂は、耳元に響いてきた高原のささやき声に、逆に当惑してオートバイのエンジンをかけた。
「クライアントとロビーまで来た。これからタクシーに乗る。」
すぐに葛城の声がした。
「了解。珍しいね、クライアントが時間通りに行動されるなんて。」
「また途中で用事を思い出されるかもしれないけどね。OB会でもと役員の随行で来ていた美しい女性と名刺交換されていた。」
「ははは・・・」
冗談抜きに、出かけた先で魅力的な女性と出会うと、親交を結ぼうとするのは森川氏の一つの習慣だった。そして、仕事ができる男性は女性好きなものだ、というような理解が周囲にも、そして家族にまでも浸透しているかのように、あからさまな森川氏のそうした行動も咎める者はない。それは命を狙われていようとも、やめられない習慣であるらしかった。
クライアントにぴったりとついている高原とは対照的に、葛城はやはりその希望に沿い、警護員と分からぬようかなり距離をとっている。
クロークで荷物と受け取ると、森川清二氏は高原を従えて迷路のようなホテルの宴会場フロアの廊下を抜け、一番南側にある玄関からタクシーの止まる車寄せへと歩いていく。
そのとき、背後から呼び止める者があった。
「お客様」
振り返るとクロークのところにいたホテルの女性スタッフが、息を切らせながら追いついてきていた。
「私ですか?」
森川が振り返り、そのスタッフがかなりの美人だったせいか愛想のよい笑顔を見せた。
「こちら、お客様のものでございますよね。お荷物をお返ししました際、滑り落ちてしまったようで・・・」
スタッフはメガネケースを手にしていた。
「ああ、そうです。ありがとう。」
「お気をつけてお帰りくださいませ。」
一礼するスタッフに背を向け、クライアントとボディガードはタクシーへと乗り込む。車が発進すると森川はほっと息をついた。
「車に乗る時と降りる時が一番危ないんだよね、確か。後は自宅だから、今日は一安心。・・・あのホテルもなかなかだねえ。でも上には上がある。客が客室に置き忘れたメガネを、新幹線に乗って届けにきたホテルもあるそうだよ。」
高原がクライアントのほうを見て言った。
「森川さん」
「なんですか?」
「さっきホテルスタッフから渡されたメガネケース、見せて頂いてもいいですか?」
「ええ、かまいませんよ。」
森川が手渡したメガネケースを開け、高原がチェックするのを森川は感心したように見た。
「さすが、警護員さんは慎重だね。」
「念のためです。・・・他に渡されたものはありませんか?」
森川は笑って首を振った。その後、はっとして携帯電話を取り出し、応答した。
「もしもし。・・・え?・・いやあ、そうですか・・・・」
「・・・・・」
クライアントの顔がだらしのない笑顔になっているのを見ながら、高原は通話が終わるのを待った。
電話を切り、森川がボディガードの顔を見て微笑した。
「あの、高原さん。ちょっと寄るところができました。」
「・・・・・」
「妻には後で電話しておきますんで。先日に続いてのことですみませんが、この先の○○駅前で降ります。今日はここで警護終了にしてください。・・・運転手さん、聞こえた?」
「どのあたりで降りられます?」
「ほら、そこに見えてきたバス降り場のところでいいですよ。・・・すみませんね、高原さん。」
「どなたかとお待ち合わせでしたら、落ち合われるまでご一緒しますが。」
「どうしたんですか?今日は・・・。前回同様、野暮なことは言いっこなしですよ。」
「わかりました。」
クライアントが料金を支払い、二人はタクシーを降りた。
高原は、クライアントと別れると同時に、葛城にインカムから指示を出した。
森川は高原が視界から消えるのを確かめると、足を速め、駅のコンコースを走るように抜けて反対側の出口に出ると、タクシー乗り場を見つけ出し先頭で待っていたタクシーに乗り込んだ。
「××町×丁目方面へ頼む。」
「かしこまりました。」
タクシーが滑るように走りだし、座席にもたれた森川氏はため息をついた。
しかしその安堵の表情は一秒間も続かなかった。
タクシーが大通りに出ると同時に、運転手がバックミラー越しに森川の顔を一瞥し、少し声を地声に戻したような口調でこう言った。
「ご自宅へお帰りなら、なぜ高原警護員と別れたんですか?」
「えっ!」
森川が身を乗り出すと同時に、助手席に潜んでいたもう一人の人影が動き、魔法のようなスピードで森川の両手を助手席シートの上部から前に回しビニールテープのようなもので拘束した。
助手席シートに両手をかけているような恰好で、森川の体はいとも簡単にしっかりと縛られた。
「お前たちは・・・・」
「はい、殺し屋です。森川清二さん。」
「・・・・・!」
運転手は微笑しながら一瞬ターゲットのほうを見た。波打つ髪は黒髪だが、そのまだ若い青年は、異国的な顔立ちをしていた。
助手席で森川を拘束したもう一人の青年が、滑るようにシートの間から後部座席の運転手の後ろ側、つまり森川の右隣へと移り腰を下ろした。そのまま森川の上着のポケットから静かに二つ折りの紙片を取り出し、開いて持ち主に見せた。
そこにはメッセージが書かれているだけではなく、点々と赤い液体が染みついていた。
「これ、本物だと思われたんですね?」
「・・・・お前たちが、仕組んだのか・・・・」
「はい。タクシー乗り場の先頭に入れてもらうだけで、信じられない金額の賄賂が必要でしたよ。あははは。」
「・・・・・・」
「うまく警護員と別れてくださり、感謝します、森川さん。」
「・・・・・・」
「クライアントであるあなたが、一番よくご存じだと思いましたからね。どうすれば一番怪しまれずに警護員と別れることができるか。いえ、正確に言うならば、あなたをよく研究した、偽物の警護員から。」
「あれは・・・・・」
「時間があまりありません。あなたをなぜ我々が殺すのか、ちゃんと申し上げないと失礼にあたりますからね。仮にもひと一人の命を頂くんですから。」
「・・・誰に頼まれたんだ」
「よく御存じのくせに」
「今までの脅迫も全部お前たちか・・・・」
「森川さん。会社の業績を上げるために、がんばるのは貴いことです。」
「・・・・」
「そして、人員も予算も限りがある中、与えられた仕事をやりとげるという、あなたの姿勢も正しいものだったと思います。」
「・・・・」
深山はタクシーのアクセルをやや強く踏み込んだ。
「世の中、仕事がきつい職場なんか掃いて捨てるほどある。それ自体は、ちっとも珍しいことでも異常なことでもないでしょう。」
「そうだよ」
「しかしどうしてあなたが、殺したいほど恨まれたのか。わかりますか?」
「・・・・自殺した人間がいたからだろう」
「どうして自殺したんだと思われますか?」
「・・・・・・・」
森川は両手を少し動かし、そしてその拘束はまったく緩まなかったが、隣の板見がそれ以上動くなという旨を言葉ではなく手にした刃物で伝えた。
「わかりませんか?」
「・・・・わからない。」
「正直でけっこうですね、森川さん。」
「・・・・・」
車は何度かカーブを曲がり、町はずれへと出ていく。
「上司のあなたが、悪人ではなく気狂いだったからじゃないかと思いますよ。」
「・・・・・」
「悪意よりもなによりも絶望的なのは、相手がなにも感じていないこと・・・無自覚であることでしょうから。」
「どういう意味だ」
「そのままの意味ですよ。あなたは、部下が過酷な環境で苦しむ、そうした仕事をさせていることについて、なにかお悩みになったことはありますか?」
「・・・・・」
「部下の気持ちを、想像してみたことがありますか?」
「私は、偽善はしない。中途半端な優しさは単なる自己満足だ。」
「何かを感じたあと、どんな行動に出るかにあたっては、まさにそうしたことは考慮が必要でしょう。しかしね、僕が申し上げているのは、それ以前の問題についてなんですよ。」
「・・・・」
「部下の気持ちを想像して、お悩みになったことがあるか。そうお尋ねしています。」
わずかな沈黙があった。
車は暗い坂を下って行く。
「・・・・ありません。」
「そうでしょうね。」
「私は、おかしいんでしょうか。」
「そうですね。」
「だとしたら・・・それは私のせいじゃない。」
「ええ。」
「そういう能力を与えられなかったんだから。何かをサボったわけじゃない。」
「頭がおかしいが故に他人を害する人間は、病院に隔離して療養していただくなり、しかるべき対応をすることが必要です。」
「・・・・」
「しかし、そういうシステムは十分じゃない。それができない場合は、次善の策があります。そのために我々がいると申し上げてもよいでしょう。」
「君の言いたいことはよくわかったよ・・・・。」
森川の声の調子が、微かに下がった。
「・・・・」
「私は、人の上に立つべき人間じゃなかった。そういうことなんだね・・・。確かに、そうなのかもしれない・・・・」
「・・・・・」
「自覚のないところで他人を害する・・・それは、考えてみたら・・・十分ありえるし、そしてとても、怖いことですね。」
「はい」
「ならば、反省しなければならない。謝らなければならない。そういう結果を生んだことについて・・・・」
「はい」
「・・・・そのことに、同意します。もちろん・・・・命乞いのために言っている部分もあるけれど、心からそう思う部分があることも、本当です。」
そのまま森川は黙った。
深山は静かに苦笑した。
「森川さん、あなたは情はないけれど頭はいいから、僕の言った内容は、よく理解されたようですね。」
車の目の前の風景が変わり、港街へと出ていた。
遠くに微かな星の瞬く夜空が、水平線との境をあいまいにしながら桟橋のシルエットとともに視界に広がる。
海沿いを車はややスピードを落としながら、埠頭へ向かって進む。
「もうすぐ私は・・・殺されるんですね」
「はい」
「最後にせめて、これを依頼したのが本当は誰なのか、教えてはもらえないでしょうか」
「そんなに心あたりが大勢おられるんですか?」
「想像はついていますが、その人に伝言したい」
「想像のとおりだと思いますよ」
「・・・私は、ただ、一所懸命仕事をした。自分の出世欲もあったけれど、それもこれも、満足のいく仕事をするためだった。」
「・・・・・」
「しかし私には何か大きな欠落があったようです。もう取り返しはつかないけれど、今になって少しはそのことが理解できたと思います。ですからできるならば、私が傷つけた人のところへ行って、直接詫びたい。できないなら、すみませんが、そのことを伝えてほしい。」
「人が死ぬ前に、今のお言葉、聞きたかったです。」
「誰かが、・・・私に言ってくれたなら・・・・」
「・・・・・・」
「今のあなたのようなことを、私に言ってくれた人は、誰ひとりいませんでした。このことは、不幸なことだったと、思います。言い訳でしかありませんけれど・・・今となっては・・・」
車は埠頭入口の門扉を抜け、一旦停止し、そして再び、やや速度を速めて走り始めた。
深山は運転席の窓からちらりと後ろを振り返った。大型バイクが近くを一台、そして視界ぎりぎりの距離をもう一台が並走している。深山が右手で合図をすると、近いほうのバイクからも合図が戻った。
「・・・板見くん。退避。」
「はい。」
板見が後部座席の自分のほうのドアを開き、車外へ身を乗り出し、距離を詰めていた大型バイクに乗り移りバイクは二人乗りのまま遠ざかっていった。
その身のこなしの鮮やかさに、恐怖も忘れたように見入っていた森川に、深山が最後に声をかけた。
「では、途中までご一緒します。あの世への門出の。」
深山はアクセルを踏み込んだ。
その意味を理解し、森川は声にならない声で絶叫した。
深山は口元の小型マイクに向かって、唇の隙間からささやくように数字を刻んだ。
「スリー」
「・・・・お願いです。助けてください・・・」
森川のかすれた声がむなしく車内に響く。
「ツー」
「死にたく・・・・ない・・・・・」
深山は左手をハンドルから離し、腰のホルダーから細い銀のナイフを静かに抜いた。
目の前に埠頭の外れと暗い海面が急激に迫った。
「ワン」
「・・・助けて!」
「・・・ゼロ」
車は激しいスリップ音を響かせ、急旋回した。
ブレーキ音が鳴り終わるより早く、深山は車外へ飛び出し地面へ投げ出されるように着地した。
が、それは予め決めてあったような彼の意思による行動ではなかった。運転席側の窓ガラスが砕け散っていた。
ドアを破り暗殺者の襟首を掴んで引きずり出した高原が、深山を地面に組み伏せるように、埠頭の端の路上でうつ伏せに止まった。
車の前には乗り捨てられた中型オートバイが横倒しになり車の前輪の一部が乗り上げていた。バイクを捨てたもう一人の警護員が車の運転席へ飛び乗り、ドアを閉め車をさらに急旋回させ発進させた。
襟元を締め上げられ一瞬苦悶の表情で相手を見上げた深山はすぐに左脚蹴りを見舞い、相手の体重から半身を抜いた。そして恐ろしいスピードで身を翻し、高原の脇へ回ろうとしたが、次の瞬間には何か見えない壁に激突するのを避けるようにバランスを崩し、辛うじて転倒から逃れると背後から走り込んできた大型バイクの運転手に抱きかかえられるように拾われ、後部座席へと飛び乗った。
刺客の頭を狙って振りぬいたスティール・スティックを静かに降ろし、高原は深山を乗せたバイクが走り去った後を少しの間見ていた。
遠くからパトカーのサイレン音が聞こえてきた。
日付の変わりかけた深夜の事務室で、ソファーの背にもたれ、しばらく波多野部長は黙って天井を見ていた。
上司の言葉を待ちながら、三人の警護員はソファーに並んで座り、じっとテーブルを凝視している。
三十秒ほども沈黙した後、波多野が口を開いた。
「・・・全体としては、よくやった、と言うべきなんだが。」
「・・・・」
「しかしそれだけでは、やっぱりいかんな。」
「・・・はい。」
「クライアントに大きな怪我がなかったのは、とにかく良かった。怜が刺客から奪った車でクライアントをそのまま病院へ送り届けてくれて、・・・しかも警察へ提供する証拠品まで確保できて、まあ一石二鳥というところかね。」
「晶生と私は今日一通り事情聴取をされましたが、クライアントは改めて明日受けるそうです。」
「そうか。・・・・で、晶生。」
「はい」
「刺客の特徴を警察には話したとは思うが、初めて会う人間じゃなかったんだな?」
「・・・・はい。同じエージェントです・・・・水木氏と木田氏を狙い、龍川氏を殺した、阪元探偵社の・・・。」
「なるほどな。」
「波多野さん」
「なんだ?晶生」
「俺は、クライアントを守るための最善の行動をとったつもりでしたが、今思えば・・・犯人逮捕のほうに力点を置いてしまったのかもしれません。」
「そうだな。」
「森川さんが俺と別れようとするのを、もう少し努力すれば止められたかもしれません。反省しています。」
「結果論ではあるが、そういえなくもない。が、それはもういい。偽のメモを渡されて、高原警護員が殺されて偽物に入れ替わっていると信じ込んでしまった以上、クライアントを止めることは実際はやろうとしても至難の業だっただろう。」
「実物は犯人に回収されてしまったそうですが・・・メモは良くできていたそうです。血糊が点々とついていて。走り書きで、『高原が殺されました。それは偽物です。私も負傷しました。逃げてください』と書かれ、紙は私の名刺そっくりのものだったそうです。」
「怜が姿を見せない距離にいることが逆に利用された。そしてメモを、晶生も気づかなかったくらいにうまく、メガネケースを返すときにクライアントの手のひらに滑り込ませたんだもんな。『髪の長い男性から内密にとお預かりしました。』とささやいて。相変わらずというべきか、鮮やかなもんだ。」
波多野はずっと黙っている茂の方を少し見た後、再び高原と葛城を順に見た。
「一流の警護員に、乱闘シーンはほとんどない・・・・そういう常識も、あの会社相手だとほぼ通用しない。警護の念入りな準備は絶対に必要だが、それをもって襲撃を防ぐこともまたほぼ不可能な奴らだ。予想外の事態が日常的なものだと思って当たるしかない。今回、その極端なケースだったと思うほかないが・・・・。しかし肝を冷やしたよ。」
「すみません・・・」
「普通の警備会社なら、クライアントから警護終了を言い渡された時点で実際に警護を終了しただろうし、それでも決しておかしくはない。」
「はい。」
「しかしその先を追及したお前たちの行動は、正しかったと思う。」
「はい。」
「ただし今後のために、念押しするが」
「・・・・・はい」
「身の安全を、もう少し優先しろ。」
「・・・・・」
「警察を呼ぶタイミングが遅い。尾行時間が長すぎる。お前たちは警護は慣れているが犯罪者の追跡は素人だ。もう少し、警察に多く任せろ。いいな?」
「・・・はい。」
「申し訳ありませんでした」
高原と葛城は頭を下げた。
再び波多野は茂のほうに顔を向け、少し表情を和らげて声をかけた。
「良い研修になったな、茂」
「はい・・・・」
茂の顔はまだひどく青ざめていた。
「先輩たちをよく見て、真似すべきところは真似て、そうでないところは反面教師にするんだぞ。」
「は、はい。」
「なにを怯えている、茂」
「・・・・」
「無理もないか。お前は全部を、一部始終を見たんだもんな。先輩警護員が犯人とあまりスマートとはいえない戦い方をするのを目の当たりにして、自分の将来が少し心配になったんじゃないかと思うが。」
「あ、いえそんなことは・・・・」
葛城がうつむいたまま笑いをこらえ、波多野に睨まれてさらにうつむいた。
茂はさらに表情を曇らせて、唇を噛んだ。
「・・・河合?」
高原が少し心配そうな表情になり、茂を見た。
「よかったです・・・・」
「ん?」
「高原さんと葛城さんに、ケガがなくて・・・・。おふたりとも、無事で済むとはとても思えなかったです・・あの状況を見ていて・・・・・」
葛城が微笑して、茂の肩に手を置いた。
「心配してくださって、ありがとうございます。茂さん。でも私達、一応うちの会社の最古参ですから」
「そうだぞ、河合。なめるなよ。」
「は、はい・・・・・」
「お前たち、調子に乗るな」
波多野がたしなめ、再び高原と葛城は恐縮した。
深夜の高層ビルの事務室の中、唯一明りのついたカンファレンスルームで、深山は目の前の同僚がまだ口を開こうとしないことにさすがに不安になっていた。
「凌介。」
「・・・・」
「怒ってるの?どうして?」
酒井は火をつけない煙草を咥えたまま、思い出したように深山の顔を見た。
「・・・なんでや?なにか問題あるか?」
「ないよね。」
「そうや。お前は予定通りターゲットを拘束して、会話をお聞きになったお客様の判断を仰ぎ、そのご指示通りに行動した。なんも問題ないやんか。」
「じゃあどうしてそんな顔してるの」
「お前、バイクの上から電話で恭子さんに報告したとき、なんも言われへんかったんか?」
「・・・・・危ないことをしたね、って、おっしゃってた」
「その通りや。」
煙草を指で挟み、弄びながら酒井はちらりと同僚の異国的な顔を睨み、再び目を逸らした。
「ゼロと言ってからやめたこと?」
「ほかにはないんか?」
「・・・・ないよ。僕の、”ゼロ”のカウントと同時に、お客様の中止命令が入った。もちろん無視してもよかったけど、サービスだよ。」
「もう一度、自分の胸に手を当てて考えろ」
「・・・・・」
「高原が妨害に来ることは、百も承知やったやろ、お前」
「高原くらいのレベルの警護員なら、ありえる。それは当然のことでしょ。」
「無意識のうちにかどうか知らんけど、追いつくのを待ってたってことはないか?」
「え?」
「ないならええけどな」
「・・・・・」
深山は染料を落とし自然の金茶色に戻った髪を、右手で強くつかむようにかき上げた。
漆黒の両目を、その精悍な表情を強調するように光らせて、酒井が同僚の両目を一瞥した。
「弁明なら聞くで」
「あのね、凌介」
「なんや」
「僕は、すごくうれしいんだ。」
「なにが」
「お前も見たよね?高原は・・・本気で、あのスティール製の棍棒で僕の頭を狙った。」
「ああ、そうやな」
「僕を殺傷することをまったく厭わなかったってこと。クライアントを守るために。」
「ああ。」
「それが嬉しい。それだけのことだけどね。」
「・・・そうか。」
「うん。」
深山は視線を少し遠くへ飛ばした。
「・・・」
「だって、それなら本当に僕も・・・・」
「・・・・」
「・・・僕も、この先、本気で行ける。ためらうことなしに。」
酒井がもう一度ちらりと深山の両目に視線を投げた。深山の表情は変わらなかった。