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十 暗中

「茂さん、こんな時間にこんなところでお会いするなんて。」

「か、葛城さん・・・・」

 このくらい遅い時刻なら会うことはないだろう、と思ったのが自分だけではなかったことを、茂と葛城は互いの姿を見つけて理解した。

 デザイナーが自分のために設計したようなすっきりしたデザインの、しかし重厚感があり何より私人宅としては破格の大きさの住宅前で、二人は苦笑した。

「晶生がちゃんと追い出されずにやっているか心配で。」

「俺は、お二人が大ゲンカになってるんじゃないかって気になって。」

「そうですよね。」

「はい。ものすごく」

 門から二人は少しだけ中の様子をうかがった。明りの点いている部屋はなく、静まり返っている。

「晶生に電話してみます」

 葛城は携帯電話を取り出した。

 そのとき、後ろから二人の肩を叩く者があった。

「こちらの住宅に何か御用ですか?・・・警備会社の者ですが。」

 茂が飛び上がって振り向くと、確かに警備会社の社員が笑顔でこちらを見下ろしていた。

「・・・・・高原さん・・・・・」

 高原は二人の肩から手を離すと、そのまま腕組みをして、困った顔をしてみせた。

「怜。茂。そんなに俺は信用ないかなあ。」

「そうじゃないよ、晶生。・・・・はっくしょん!」

 葛城が自分の服についている猫関係のものにアレルギー反応を起こしたことに気がつき、茂は慌てて少し離れて服をぱんぱん叩いた。

「大丈夫か?怜」

「はくしょん!・・・うん、大丈夫・・・。・・・で、晶生、早速追い出されたのか?」

「はははは。違うよ。夜中に玄関先に怪しい人物が二人もいて会話してたら、警護員としては気になって気になって、寝てる場合じゃないからね。」

「ごめんごめん」

「高原さん、後ろから気配もなく・・・。すごいですね。」

「今度コツを教えてあげるよ。」

「・・・・・あ。」

 茂がいきなり玄関のほうを見て固まった。

 高原も、そして葛城もすぐに同様になった。

 玄関の扉を開けて、寝巻の上にガウンをひっかけた月ヶ瀬が、この世ならぬ不機嫌な顔をして立っていた。

「・・・あのね、君達」

「・・こ、今晩は・・・月ヶ瀬さん・・・・・」

「他人の家の玄関先で、夜中に会話するのはやめてくれない?」

「・・・・・」

「そうじゃなくても寝られないんだから。」

「すみません・・・・」

「月ヶ瀬、お前ほんとに耳がいいな。」

「静かな家だから。・・・君が言うようにね。高原。」

「こんな時間にすみませんでした・・・・じゃあ俺、これで帰りますので・・・」

「あ、俺も帰るよ。」

 月ヶ瀬は艶やかな長い黒髪を肩の後ろへ追いやり、あきらめたように言った。

「僕に高原が虐待されてないか心配だったら、傍で見張っていてもかまわないよ。」

「・・・・・」

「僕も他に高原の相手をしてくれる人間がいるほうがありがたい。」

「いいんですか?ほんとに?」

「ただしおしゃべりはリビングでしてね。二階の客用寝室も使っていいけど、静かにするって約束して。」

「もちろんです!ありがとうございます、月ヶ瀬さん」

 月ヶ瀬は踵を返し、さっさと家の中へ入ってしまった。

 三人は静かにリビングに入り、シェードランプの淡い明りを灯す。月ヶ瀬は自分の寝室へ戻ってしまったようだった。

 茂はしみじみと室内を見回す。

「前に一度来たことがありますけど・・・見れば見るほど広くてすごい部屋ですね。」

「ここまで広いと全然落ち着かないよな。あ、河合、台所にコーヒーセットがあるんだけど、淹れに行こう。」

「台所ってどこですか?」

「廊下のはるか先の先だよ。」

「・・・・・・・・」

 高原と茂がポットとカップを持ってリビングルームへ戻ると、葛城は部屋をゆっくりと歩いて回っていた。

「怜、コーヒー入ったぞ。」

「うん・・・ありがとう。」

 テーブルを挟んで座った葛城に、高原が不思議そうに声をかける。

「どうした?怜。浮かない顔だな。」

「なんだか不思議だなと思って。」

「何が?」

「アルバムとか、フォトフレームとか、そういうものが全然ないんだね。居間なのにね、この部屋。」

「・・・・・」

 三人はしばらく、黙ってコーヒーを飲んだ。

 ガラス窓の外からは風になびく微かな枝の音や、夜の気配そのものが部屋へ静かに入り込んでくる。

 やがて高原は、微笑しながら二人の顔を順に見た。

「それで・・・・お前たちが心配したのは、俺か?月ヶ瀬か?」

「両方だけど・・・・月ヶ瀬はある意味いつも通りで、ちょっと安心したかな。どうしてあんな怪我をしたのか、大体事情はお前に話したんだろう?」

「ああ。」

「・・・でもちょっとびっくりした。まさか俺と茂さんまで家に入れてくれるとは思わなかったよ。」

「たしかにそうだな。」

 高原と葛城は少しだけ笑った。



 日付が変わろうとしている街の中心の高層ビルの、個人の書斎のような社長室には、ふたりの人間がいた。

 窓に向かってしつらえられた、上質だが簡素なデザインの机に向かう椅子に座り、部屋の主は椅子の背にもたれて天を仰いでいる。

「・・・・社長。」

 部屋の真ん中にある小さな円卓に向かう椅子に座ったもう一人の人物が、頬杖をついたまま、声をかける。

「・・・・・・」

「すごいダメージだということはよくわかりますが、このまま朝までそうしてはるつもりですか?」

「私はもうだめだ、酒井。私に構わず行っていいよ。」

「それ、あと少し早めに言ってほしかったんですけど。」

「・・・・・・」

 阪元社長は顔だけを酒井のほうへ向け、恨めしそうな表情をした。

「・・・・あ、言い過ぎました?」

「お前はいいよな、酒井。恭子さんに慰めてもらったんだろう?」

「俺と祐耶、二人まとめてですけどね。」

「私を慰めてくれる人は誰もいない」

「恭子さんに頼みましょか?」

「だめだめ」

「庄田さんのほうがええですか?」

「だめ。部下に慰められる上司なんていない。」

「そうですかね。」

「だからお前しかいないんだよね、酒井。」

「俺も部下だと思いますけど。」

「細かいことは気にしないで」

 敏腕のエージェントはその精悍な顔に目いっぱいの不満を湛えて、上司を斜に見た。

 そしてうつむき、ため息をついた。

「・・・・お客様の命は、二度と戻ってくるわけじゃ、ないですからな。」

「そうだよ」

「これまでつくりあげてきた、阪元探偵社のルール、そしてやり方・・・・。もちろん今までも色々なくはなかったですが、ここまで先鋭化したのは初めてですな。弱点が。」

「・・・そうなんだよ。」

 酒井は再び黙った。

 阪元は椅子の背にもたれて脱力したまま、やはり沈黙した。

 頬杖をついたまま、しばらくして酒井が緩々と言葉を出した。

「まあ、明日結論出さんといかんわけじゃありませんから。」

「・・・・・」

「考えるな、とは申しません。この問題について、一番悩まなければならないのは、他ならぬ社長ですからね。」

「そうなんだよ」

「しかしいずれにせよ、そう簡単に解決策などありますまい。」

「ああ。」

「とりあえず、気分転換したほうがええんとちゃいますか?」

「・・・・・そうかもしれないね」

 酒井は宙に視線を止め、微笑した。

「明日、ほんまは俺は休暇ですけど、よろしかったらおつきあいしますよ。」

「トレーニング・センター?」

「はい。行きます?お相手しますよ。」

「これまで・・・十勝十二敗だったっけ。」

「今回は俺が勝つ気がしますね。で、何にします?空手ですか?それとも剣道?」

「無差別級の喧嘩道がいいな。相手を締め落としたら勝ち。」

「社長を締め落としたら庄田さんに殺されますがな。」

「そうだなあ。私も弟に殺されたくはないしな。じゃあ、今回はクレー射撃にしよう。」

「はいはい。それじゃ俺、帰りますよ。明日、ご用意ができましたらお電話ください。お迎えに上がります。」

 ドア口まで部下を見送りながら、ふと阪元が言った。

「あ、そうだ。明日だけどね」

「はい」

「私との勝負の前に、もう一度見舞いに行ってあげたらどうかな?」

「・・・・板見ですか?」

「そうだよ。元気な酒井凌介が、ね。」



 ふと高原は思い出したように、しかし同時に、ずっと言う機会を求めていたことをようやく言うように、言葉にした。

「そうだ、河合・・・・、お前波多野さんから聞いたか?森川さんのご家族のこと」

「いえ、まだあれから波多野部長にお会いできていないので・・・」

「そうか。」

 高原は斜め向かいのソファーで葛城がコーヒーを飲みながら少し心配そうに茂を見たことに気付いたが、そのまま真向かいの茂に向かい、話を続けた。

「美和氏…奥様とお母様も転居されるんだけど、近くに住まわれていたお嬢さんとお孫さんも、やはり引っ越しされる。そのことは、森川さんの元部下が森川さんに殺害されたことがほぼ間違いないと分かった時点で、決めておられたたんだけどね。」

「・・・・はい」

「幼稚園の入園式当日、お孫さんが制服を着て森川さん宅を訪問することになってたのは、本当だよ。でも、入園手続きは取り消してあった。祖父に制服姿を見せるためだけに、来られる予定だったんだ。」

「・・・・・・」

 茂は黙ってうつむいた。

 何度か瞬きし、再び高原のほうを見ると、高原もうつむいてじっとしていた。

 長い沈黙が起こった。

「高原さん・・・・」

「・・・最初の襲撃で、殺されていたほうが幸せだったのかな」

「・・・・」

「・・・なんてことだけは、考えないようにしてるよ。俺は・・。」

「・・・・」

「わかってる。俺たちの仕事の範疇じゃないんだからね。だからさ」

「・・・・」

「・・・だから、お前も間違っても何か気にしたりは・・・」

 うつむいたまま、またしばらく高原は黙った。

 シェードランプだけの薄暗い室内で、しかも顔を下に向けているため、高原の表情はわからない。

「・・・高原さん・・・」

「ごめん、悪いけど河合」

「はい」

「コーヒーまだ台所の大きいポットにストックあるから、小さいポットに取ってきてくれないかな」

「・・・・・」

 茂は立ち上がり、しかしドアのほうではなくテーブルを回り込んで高原の前に立った。巨大なソファーセットはテーブルそのものもソファーとの距離も大きく、楽に高原とテーブルの間に入ることができた。

 高原は顔を上げない。

「しっかりしてください、高原さん」

「・・・・・」

「落ち着いて普通に考えてください。犯罪歴も疑いもないクライアントで、今回のような脅迫を受けていたかたの、警護契約申し込みを受けない選択肢はありえません。」

「・・・」

「そして警護員はその能力を最大限活かして、警護をする。高原さんは実力通りの仕事をなさった。」

「・・・・」

「仮にも、ご自分が実力を発揮すべきでなかったようなことをおっしゃるのは、今日も命がけで全力でクライアントを守っている・・・全ての警護員への冒涜です。」

「・・・・・河合・・・」

「そう思われませんか?」

 高原は顔を上げた。

「・・・河合。」

「はい」

 高原は当惑していた。

「お前の言うことは、すごく正しいんだけどさ」

「はい」

「顔と言葉があってない」

「・・・・・」

「なんでそんなに泣いてるんだよ、河合」

「・・・・・」

 茂は、薄暗い部屋の中でもはっきりわかるほど、大量の涙をこぼしていた。

 それは文字通り滝のように流れて、床へぽたぽたと滴り落ちていた。

「しょうがない奴だな」

 高原は立ち上がり、茂の後頭部に右手を、背中に左手を回し、声もなく号泣している後輩警護員を抱き寄せようとした。

 しかしそれはできなかった。

 茂が、顔を床に向け、両手を高原の胸に当てて両腕を突っ張って抵抗していた。

「・・・・」

 高原は、一瞬目をまるくし、そして必死で笑いを堪えていることが明らかな、難しい表情をした。

「なに抵抗してる河合」

「だめです」

「?」

「今は俺が高原さんを慰める場面なんですから、だめです。」

「慰めてくれてたのか」

「最終的にはその予定だったんです」

「はははは」

 高原はもう一度腕に力をこめたが、茂は毅然として抵抗する。

「だめですってば」

 そのとき茂は右サイドから別の人間に抱きしめられた。

「脇が甘いですよ、茂さん」

 葛城は、茂の首根っこに両腕を回し、笑っているのか泣いているのか判断しづらい表情で、茂の頭に自分の頭をぶつけるように、おどけて見せた。



 深夜の大森パトロール社の事務室の、自席に座り長々と考え事をしていた波多野は、携帯電話のコール音に現実に引き戻されたように応答した。

「もしもし。・・・・はい、事務所で、孤独に考え事してたところですよ。ははは。」

 相手は低めの女性の声だった。波多野は椅子の上で少し背筋を伸ばし、話す。

「そうですね。途方に暮れるべき状態でしょう・・・。クライアントを、”守る”というのは、どういうことか、わからなくなりますね。探そうとした結果、もっとわからなくなった感じですね。」

 低いため息をつく波多野に、相手は一言二言返す。

「おっしゃるとおりです・・・・我々のやり方の警護は、不得意分野が広すぎます。自信なくしそうになりますね。ええ、・・・・警護員たちを導くどころじゃないですよ・・・お恥ずかしいことです。でも、あいつらは、互いに助け合って、乗り越えようとしてくれてます。それしかないですからね。社長のお見込み通りです。」

 女性が電話の向こうで穏やかに笑った。

「ただ、阪元さんのところも、たぶん別の意味で大変なんだろうなと、私も思います。高原は、自分が責任逃れをするようだと思ったんでしょう、あまり多くは語りませんでしたが、もしもあいつの想像通り・・・あのタクシーの襲撃で、刺客が殺害依頼人から、最後の最後に中止命令を受けていたとするなら・・・・阪元さんたちも、今回のことは相当なダメージだったでしょう。」

 電話の向こうの女性はじっと波多野の話を聞いている。

「この先、どんなふうになっていくんでしょうね。」

 女性が再び何か言った。波多野は苦笑した。

「・・・そうですね。そういうことを悩むこと・・・それこそが、社長と私の仕事ですな。そしてガーディアンとその卵たちは・・・。難しいもんですね。」

 最後に波多野は、自分に言い聞かせるように言った。

「・・・ええ。そうです・・・・・。悩まない人間は、もっと悩むべきですし、・・・でも悩みすぎる人間には、あまり考えすぎるなと言ってやりたい。・・・・・難しいもんですね。」



 私鉄の駅から少し離れた、あまり大きくない病院も、平日午前中は外来患者でそれなりに混雑していた。

 一般病棟の外れにある目立たない小さな病室へ、酒井は少し足が重いのを感じながら向かう。

 雲の多い空から柔らかい光が、カーテンを半分開けた窓から入り、病室は穏やかな明るさだった。

 板見は眠っていた。

「よう寝るやっちゃ。寝る子は育つ、やな。」

 逆にほっとしたような表情になり、酒井はベッドサイドまで行くと、複雑な表情で後輩エージェントの寝顔を見下ろした。

 氷枕はしていなかったが、少し顔が赤く、額には汗がにじんでいる。

「まだ熱があるみたいやな。」

 右手の指の甲で板見の額に触れる。確かに少し熱っぽい。

「帰り際に看護師さんに氷頼んどいたるわ。じゃあな。」

 踵を返し、病室出口へと向かった酒井は、次の瞬間表情を変えて立ち止まった。そして首に巻きついた銀色の細い鎖の端を左手でつかみ、瞬時にほどくと振り返り、ベッドの上の後輩エージェントへ目にも止まらぬ速さで反撃した。

「痛い痛い痛い、なにするんですか酒井さん」

「それはこっちのセリフや。なに先輩絞殺しようとしてる」

「酒井さんの背後が隙だらけだったものですから」

 酒井は板見に右手でヘッドロックをかけながら、左手で、板見が自分に仕掛けた銀の鎖をくるくると弄んだ。

「百万年早いわ。チェーンの端は相手の背中側に来なあかん。お前思いっきり俺の前に出してたで。すぐに解かれる。話にならんで。」

「寝た態勢からなんですからしょうがないじゃないですか」

「どんな態勢だろうと完璧にやるのがエージェントや。・・・というか、先輩で練習するなっちゅうんや」

「酒井さん、不覚にも後輩の襲撃を防げなかったからって八つ当たりしないでください」

「なんやと、このドアホ、くたばれ!」

「ぎゃー!けが人になにするんですか!」

「けが人なら大人しくしとれ、ボケ」

「痛い痛い!」

 病室のドアが開き、看護師が入ってきた。

「あの、恐れ入りますが、病室で騒がないでください。」



 大きな荷物を持って自宅マンションの玄関ドアの鍵を開けた高原は、背後から近づいた人物に足払いをかけられ、そのまま部屋の中へ倒れ込むように組み伏せられた。

「・・・・!」

 背後でドアが閉まり、襲撃者はうつ伏せの高原の体に体重をかけ両腕を左肘と左手で拘束しながら、右手で冷たく光るものを高原の首元へと当てた。

 高原が顔を横向きにして、自分の上の人物へ声をかけた。

「予定は明後日じゃなかったっけ?」

「早まったんだ。」

「そうか。お帰り、崇。」

 山添は笑いをこらえながら、高原の首元からボールペンを離して自分の胸ポケットに戻した。

 そしてすぐに厳しい表情になる。

「晶生、お前やっぱり色々やったんだってな」

「ああ。」

「・・・しょうがない奴だよな」

「・・・・すまない」

「反撃しないのか?手加減は無用だぞ晶生」

「いや、お前の背負ってる鞄の中に、お土産とか入ってたら壊れたら困るからさ」

「はははは」

 高原は自分の上からどいた同僚を、部屋へ招き入れる。

 ヴェランダに面したガラス戸から、雲の多い空の弱い光が部屋をほの明るく照らしている。

 ソファーに座り、山添は大きなカバンを隣の部屋へ置いて戻ってきた高原に、出張土産のご当地健康ドリンクを差し出す。

「なんか怪しい効き目らしい。試してみよう。」

「大丈夫かな。」

「大丈夫大丈夫。」

 高原は向かいのソファーに座り、山添の童顔に似合う黒目勝ちの目を見て、微笑した。

「・・・ありがとう、崇。出張帰りで疲れてるのに、事務所に行ったその足で立ち寄ってくれたんだな。」

「話は波多野さんにだいたい聞いたよ。・・・・大丈夫か?晶生」

「ああ。あれから毎晩、波多野さんの命令で月ヶ瀬の監視をしてるんで、すごく気が紛れる。」

「なるほどなあ」

「しかも怜と茂がほぼ毎晩泊まりに来る。お前も来るか?あと二日だけどね。」

「そうしようかな。」

 山添はソファーの背にもたれた。

 高原は少し穏やかな表情のまま、自分の手元を見つめた。

「俺は、自分の無能が悔しかった。でもそれは、クライアントに、自分の思い通りの行動をしてほしいっていう、傲慢な願望から来る感情かもしれない。」

「・・・・・・」

「何かが間違ってる、って思ったのは本当だけど・・・何かを自分の都合の良いものに矯正したいということと、同義だったかもしれない。」

「そうか。」

「うん。」

 山添は高原のメガネの奥の知的な両目を少し見て、そして微笑した。

「自分の無能を嘆くのは、自分の分を超えたことなんだと思う。重要なことは、いつ死んでも良いように、今日ベストを尽くすことだと思うよ。」

「そうだな。」

「でも百パーセントのベストじゃ、息切れする。概ねのベスト、で良いと思うよ。」

「はははは。」

「結果がどうにもならないときも、概ねベストを尽くした、と自分を許してやるべきときもある。そうだよな。」

「ああ。そういうことにしたい。」

「そういうことにしようよ。」

 二人は顔を見合わせて、少し笑った。



 茂が会社帰りに大森パトロール社の事務所に顔を出すと、高原が茂を認めて手を振り、そしてすぐに自席を立って別の席の警護員へ声をかけた。

 打ち合わせコーナーで高原は茂とその警護員とを紹介した。

「槙野、これが河合茂警護員だよ。河合、こちらが槙野俊幸警護員。ふたりとも、顔は見たことあるだろうけど、話したことはないだろう?」

「はい。・・・槙野です。よろしく、河合さん。」

「よろしくお願いします。」

 茂は全身から感謝の念を放ちながら、目の前のやや小柄な警護員を見た。茂より少し背が低く、体はさらにもっと細い。髪は茂くらいあかるい茶色だが、短くすっきりしており、そしてその品の良い表情は誰かを思わせるものがあった。

 しばらく考え、茂は、槙野の表情があの船上で対峙した阪元探偵社のエージェントに少し似ていることに気がついた。

「河合、おい、何ぼんやりしてる」

 高原が茂の頭をぽんぽん叩く。

「あ、・・・すみません」

「ありがたくも手を上げてくださったんだから、失礼のないように。」

「は、はい!」

「じゃあ、あとは若い人同士で」

「ははは・・・・」

 高原が自席へ戻り、茂は改めて槙野警護員の顔を見た。

「槙野さん、この度は本当にありがとうございます」

「いえいえ、猫は実家でずっと飼っていたんで、ちょうどそろそろ僕も欲しいなと思っていて。」

「ワクチンと避妊は完了してますので、よろしくお願いします。お届けに行きますから。」

「あ、僕のほうで伺いますよ。車で行ったほうがいいでしょう?」

「・・・確かに・・・。それじゃお言葉に甘えて、よろしくお願いします。住所は・・・・」

 打ち合わせコーナーで猫の受け渡しについて相談している警護員を、遠目で見ながら葛城が高原に声をかける。

「よかったね、引き取り手がみつかって。晶生が飼うことになるかと俺はほとんど思ってたよ。」

「月ヶ瀬にも断られたしなあ。」

「聞いたお前すごいよな」

 高原は楽しそうに笑った。

「なんか勢いで聞いてしまった。」

「・・・・今日が最後か。監視も。」

「ああ、そろそろ行くかな。お前も来るか?」

「今日はやめとくよ。茂さんも行かないって言ってるし。」

「そうか。」

 葛城はふっと黙り込んだ。

 高原が同僚の顔を改めて見る。

「どうした?怜」

「・・・いや、ちょっと急に思い出したんだ・・・・」

「何を?」

 葛城は傍にあった椅子に腰を下ろし、同僚を見上げた。

「この間、茂さんが泣いてたとき、ふっと思った。・・・月ヶ瀬は、泣いたりすることが、あるのかなって。」

「・・・・・」

「誰かを助けたいのになにもしてあげられないときも、それから・・・誰かに助けてほしいのに、誰も助けてくれないときも・・・・泣きたくなるよね。」

「ああ。」

「でも、もうひとつあるんだ。それは、自分を殺すと決めたとき。」

「・・・・・」

「自分で自分の息の根を止める瞬間、涙が出る。そういうものだ。そしてあのとき、あの殺し屋が・・・アサーシンが、泣いてたよね。」

「・・・・・」

「晶生、お前を助けてやれないから泣いたんだと思ってたんだけど、そうじゃないなと今思った。・・・深山は、お前を殺そうとしたとき、自分を殺すような気持ちになったんだと思う。」

「・・・・・・」

「だから、あいつの手元には迷いがなかった。たぶん、アサーシンって、いつでも自殺する覚悟で仕事してるんだろう。だから、自分の命と同じくらいの存在であるなら、逆に迷わず殺すんだと思う。」

「・・・・なるほどな・・・」

「でも俺に妨害されて、地面に倒れて起き上がったとき、すごい表情をしていた。彼は、単純に自分を責めていた。自分が、お前の殺害をためらったから失敗したと思ったんだろう。」

「・・・・・」

「そうじゃないのにね。」

「・・・・・・」

 葛城は少しだけ微笑み、すぐに笑顔を消して高原の顔を睨むように見た。

「晶生」

「・・・・・」

「心を研ぎ澄ましている人間ほど、ちょっとしたことで、間違った方向に自分を責めることがあると、思う。」

「・・・・・・」

「だから、あまり考えないで・・・悩まないでくれ。」

「怜」

「そして、お前を大事に思っている人間が、どのくらいいるか、時々思い出してくれ。」

「・・・・・」

「月ヶ瀬のこと、頼む。」

「怜・・・・」

「お前なら、あいつを救えるような気がするよ」

 高原は複雑な表情で、同僚を見た。

 ふと打ち合わせコーナーを見ると、話を終えた茂がこちらを見ていた。

 高原は茂を手招きした。

「おい、河合」

「はい」

 こちらへ茂がやってくる。

「やっぱり、月ヶ瀬のところへ、一緒に行かないか?」

「あ・・・はい。大丈夫ですが・・・でも葛城さんも・・・」

「お前も行くぞ、怜」

「・・・・」

「崇が出張土産を持て余しているみたいだから、みんなで消費しよう」

 葛城は、少し顔色を変え、そして笑った。

「それ、どこかの怪しい健康ドリンクだろう?」

「誰か、飲んでみてほしいんだよな。」

「・・・・・・」

 少しして、事務所を一緒に後にした高原と葛城と茂は、ビルの出口で波多野とすれ違った。

 波多野は含み笑いをしながら三人を見送り、エレベーターではなく階段を使って事務所へと向かった。

 月はビルのほぼ真上まで上がり、窓からは見えなかったが明るい光を屋上から注いでいた。

第十八話、いかがでしたでしょうか。

次回できれば、阪元側の人間を再び中心に描けたらと思っています。

これからもよろしくお願いします。

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