感想を所望する場合、『書いてくれる人がいる』を忘れないほうが良いと思います
感想とは。
『物事について、心に感じたことや思ったこと。所感。「―を述べる」「読書―文」』
……だそうです。goo辞書より拝借致しました。
さて、では何故”感想が欲しい”と思うのか。
1.読んでいる人がいるのか知りたい!
⇒アクセスを見れば分かると思われます。ので、これを目的としているわけではないかと思われます。
2.一生懸命書いた作品なので、どう思われているのか知りたい!
⇒おそらく大体の方はこれでしょう。
3.向上したいので、意見が欲しい!
⇒これもあると思います。
……大きく分けるとこんな感じでしょうか?
ということを踏まえて、私が感想について言いたいことは三点あります。
【感想がないからといって落ち込む必要はないと思います】
【感想を貰う・貰わないは個人の自由だと思います】
【感想を所望する場合、『書いてくれる人がいる』を忘れないほうが良いと思います】
自分が産み出した作品について、何か思って・感じてもらえることは嬉しいことだと思います。
そしてそれはプロも同じでしょう。
漫画家や小説家、イラストレーター……反応が欲しいでしょう。創作する人は全員だと思います。大小あれど、欲求はあると思います。
あなたは書籍を手に取り漫画を読みました、とても面白い漫画でした。ブログで感想を書きました、ツイッターで感想を述べました。
感想を目に見えるものにしましたが、果たしてそれ……漫画家さん本人には届いたでしょうか? 大体は届かないと思います、漫画家さんが検索していれば別ですが。ファンレターを送ったり、ツイッターなどで直接届けていれば別ですけれども。
伝えようとすると一手間かかります。それが感想です。思うだけなら脳内で終わるのですが、誰かに述べたい場合は時間を費やすものなのです。
なろうで作品を読むと、ツイッターの”読了宣言”が出来たり、感想を書くページがあったりします。確かに、すぐに作者さんに思いを伝えられるでしょう。
メッセージで送ったり、活動報告で伝えることも出来ます。
手段はさまざまですが、”人と人とのやり取り”です。自分がいて、誰かがいるから感想が発生します。
読むことに時間を使い、更に感想を書くことに時間を使ってくれた人がいる。
……読んだ人全員が感想を書けるわけではありません、読者の方の都合もあります。
だからきっと、感想を貰えると嬉しいのでしょう。
しかし、困ったことに例外があります。先にも述べたとおり感想は”人とのやり取り”です。生きていく中で、誰とでも仲良く出来るわけではありません。合わない人がいたり、苦手な人が出てくると思います。大勢の人がいるので、小説だって合う・合わない作品があるでしょう。
仕方がないことだと思います。それを感想として伝えてくれる事もありますが、ごく稀に感想ではないものが届く場合があります。
それは小説に対して、心に感じたことや思ったことが書かれていない文です。
つい最近偶然ツイッターで見かけました、その方の感想欄に目を疑う文字が並んでいました。
『悪い点:こんなの掲載して恥ずかしくないのか(というような感じの文が五行程度)
一言:死ね(が、大量に)』
悪い点は感想かもしれませんが、一言は感想ではありません。
もし万が一このような感想が届いた場合ですが、強い方ではない限り落ち込むと思います。当然です。一人で怯えず対処しましょう。
死ねは感想ではありません、ただの悪意です。盗作した、とか。他の方の感想欄に同じような言葉を投げつけた、とか自分にも非があるのならともかく。
ただ執筆して作品を掲載しただけならば、気に病むことはないと思います。書くことが好きで書いているのならば、負けてはなりません。
・なろう運営さんに連絡をする
・一人で抱え込まず不安なら仲の良い方や活動報告、ツイッターで相談する
何故書かれたのか、嫉妬されたり、気分が悪かったので標的になってしまったのかな、と色々思いつくことはありますが。……考えても答えは出ないので、深く考えず忘れて”執筆に専念したほうが良いと思います”。
【感想を貰う・貰わないは個人の自由だと思います】これにも関わってくるのですが、貰って嬉しい感想と落ち込む感想があります。
人とは不思議なもので、ただ感想が欲しいというだけではないようです。
ですが、結局のところ何が言いたいのかと言いますと。
感想に左右されてはなりません、執筆は貴方の世界です。
感想で執筆に影響が出るならば、感想は貰わないという選択もありますよ。感想は嬉しい・有り難い・欲しい……ですが危険も秘めていることを心の片隅においておくと良いかと思います。
作品があるからこその感想です、感想を貰うために作品を書いているわけではない……と私は思うのです。
次はこれ【感想を貰う・貰わないは個人の自由だと思います】について書いてみます。