661 ハルの選択
後半はやや難産でした、もしかしたら後々に編集するかもしれません。
「それでは、交渉を始めさせていただきましょう。この場の立会人は先の話通りライフェル神殿『巡検使』、このオートミが務めさせていただきます。ですがその前にひとつ、シルマ家子息のガル・シルマ殿が、目を覚ます事無く先ほど息を引き取られたと、シルマ家の方より伺いました」
シルマ家との交渉の為、ライフェル神殿が用意したテーブルに俺達とエル達が付いた直後に、デカメロンさんを従えたオートミがそう話しだす。そうか、ガルが死んだか。
「かの方の生前の行いに思うことのある方も、対立された方もこの場にいらっしゃいますが、それでも故人が理由はどうあれ『迷宮攻略』に勤められ、魔物と戦われていたのは事実。どうか皆様、故人の冥福を、『迷宮』に散った魂が『迷宮核』に囚われ贄となる事なく、ライフェル神の御許へと旅立てるように祈りを」
オートミが聖職者みたいな事を言って、両手を組んでるけど、いや考えてみればライフェル神殿の尼僧だから一応は聖職者だったな。
とりあえず、ここでいらない波風を立てる必要もないだろうから、オートミに習って手を合わせておくか。シルマ家の連中は当然のように、リューン王国の王子やその側近達も目を瞑って祈ってる。
(そう言えば、ラクナ、ライフェル教の祈りってどうやればいいんだ)
(とりあえず、他の者達と同じような姿勢で少しの間目を瞑って居ればそれでよかろうて、本当に祈っておるかどうかなど、傍目には分らぬからの、儀礼的に見た目さえ取れておればの)
それでいいのかよ、一応お前はライフェル教の神器のはずじゃなかったか。
「皆様、ありがとうございます。それでは、交渉を始めさせていただきますが、まずは両者の禍根を清算するためにも、賠償についての話し合いからとしましょうか。当事者であったガル・シルマ殿はお亡くなりになられましたが、故人の属するシルマ家の信用や名誉にもかかわるため、シルマ家からリョー殿への賠償を行うという事で間違いありませんね」
賠償か、ガルが俺達を狙って襲撃してきた件と、俺達に撃退されて囚われたのにエル達に引き渡された直後にまた攻撃してきた件か。
「こういった話は、互いに要求をぶつけ合いますと、互いに求める物が大きく譲れる物が少なくなり、話がまとまりにくくなりますから。神殿の方でこういった場合の相場を基に仮に案を作ってみましたが、見ては頂けないでしょうか」
オートミが言うのに合わせてヤッカが俺とエルに羊皮紙を渡して来るけど、これは和解案みたいな奴かな。交渉で上手く行かないって言うのは、多分王女だった時の経験談じゃ、いや今気にするのはそこじゃなく内容だよな。
「む、賠償の金額が些か高額な気も致しますが、この件に関して何度もガルが仕出かしている我らが何か言えるはずもない、当家はこの内容を受け入れよう」
書かれてる内容的には、そんなにおかしな事じゃないよな。シルマ家は俺に賠償金を支払って、ガルが『地虫窟』でやらかしたアレコレを俺は許す。
許す事に伴って、俺達はシルマ家の不名誉となる今回のガルの一件を口外しないし、この事についてこれ以上の要求をシルマ家にはしない。
まあ、妥当な線だよな、賠償したって言うのに更に金払えとか便宜を図れなんて言い出したり、後から実はとか言いふらされたりしたらさ、俺だって嫌になるし和解の意味がないからな。
金額も悪くないし……
「御主人様、発言の許可を頂けますでしょうか」
ん、ハルが俺に聞いて来たけどどうしたんだ。
元々交渉事が得意でシルマ家の内情にも詳しいハルに、交渉の大半を任せるって話になってたけど、このタイミングでって。
この内容にケチを付けるってなると、神殿はともかくシルマ家やリューン王国の心証は悪くなるんじゃないか。いや、ハルの事だから何か考えがあるんだろうし……
「ああ、構わない交渉においては気にせず発言してくれ。エル殿、『巡検使』様、交渉においてこの者の発言は私の許可のもとに行われる事であり、私の意思に基づくものとご理解ください」
こういって置けば、ハルの発言が軽んじられる事もないよな。
「ありがとうございます、ではお言葉に甘えまして」
俺に一礼したハルが立ち上がり、エルに向き直り一礼してから口を開く。
「おにい、いえ申し訳ありません、エル・シルマ様にお願いがございます」
ハルがエルを兄と呼びかけた事に、シルマ家の連中の何人かが舌打ちをするが、エルが後ろを睨みつけてそれを押さえてからハルに向き直る。
「奴隷の身で発言するなど不遜ではあるが、『虫下し』殿の代理というのなら話を聞かぬわけにはいかぬか。よかろう述べてみよ」
エルが一度ハルに向けた視線をそらして答えてるけど、もしかするとハルを売った事に後ろめたさがあるのかな。この場じゃ、ハルを奴隷として扱わないとならないだろうけど、それに思うところがあったりするのか。
「ありがとうございます、まずはこれを」
そう言ってハルが手に持って差し出したのは、本だな、装丁は革の上に鴉みたいな黒い羽根を何枚も張り付けたような。もしかしてアレがそうなのか。
「それは、『黒羽の手帳』、やはり見つけていたか…… ハル、それをどうするつもり…… いや、違うな。御言葉を頂戴いたします」
動揺し、ざわめいているシルマ家の連中を背に、エルがハルにしっかりと正対して頭を下げ言葉を敬語に変えてるけど、これは『黒羽の手帳』を持つハルを当主と認めたって事か。
「そのような礼はおやめくださいエル様、わたくしはリョー様の奴隷の一人、クレ侯爵家の重臣という立場のある御家を継がれる方がそのような事をされては、御家の体面に関わりましょう。わたくしはただ、お願いしたい事があるだけです。これまでの遺恨の一切を解消しては頂けないでしょうか」
「これまでの禍根と言うが、それは今話し合っている事では、この賠償で解決するはずではないか」
「ガル様との『地虫窟』でのことに止まらず、一切の禍根にございます。これまで私ども『虫下し』の一党とシルマ家の間には、幾度かの接触があり、それらの中には友好的ではない物もありました。例えばシルマ家に縁のある奴隷を、リョー様が購入し所持されている事、そう言った一切の禍根にございます」
ん、あれ、今の流れでのハルの物言いってまるで、いやそんなはずはないよな……
「それは、確かに、そうか」
「実際ガル様も、過去にわたくしを攻撃した際には、家の恥が許せぬと述べられていました。今後そのような事がないよう、今日この時より以前に、両勢力の間に起こった一切を今後は持ち出さず、過去を理由とした敵対行動を許さず、行った者は処断し、その者への反撃行為はどちらの物であっても罪に問わないと。また、争いの原因になるであろう奴隷の件を解決するため、ハルという娘も、ミーシアという奴隷もシルマ家の家中には元から居なかったと、シルマ家の新当主としてエル様が明言され、御家中に徹底していただけないでしょうか」
え、やっぱり、これって、いいのかハル、それって、このまま……
「なんだと、それは、まて新当主としてだと、わたしが、か、だが、それは」
「そのためにコレをお使いくださいませ、お約束頂けるのであればこのままお渡しいたします」
そう言ってハルがエルに向かって『黒羽の手帳』を差し出すけど、ほんとにいいのか、あれが有ればハルは……
(お主も聞いておったじゃろうて、ハルの要望は奴隷として問題が無いように、シルマ家との縁を完全に切りたいという意味じゃろう)
そりゃ俺にだって、意味は判るけど、でも実家と縁を切るって……
(その家族に売られた上に、それを理由として売った側の者達に命を狙われたのじゃ、血縁への幻想など醒めるには十分じゃろうて。それにこれ自体はお主にとっても悪くない条件じゃぞ)
いや俺にとってもって、そりゃガルみたいなのが居たんだから、これからもハル達を狙ってシルマ家の連中が襲って来るかもって事か、でもそれだってハル達が自由になれば……
(そうではない、ガルの病死の件じゃ、先ほど夢で話した時も言うたが、これが急病ではなくお主の仕掛けた暗殺じゃと疑われれば、またシルマ家に狙われる事になる。じゃがエルがハルの話を飲めば、この会談以前の話を蒸し返す事は出来なくなる。つまりは昨日ガルが倒れた事も、先ほど死んだ事もそれに該当し、シルマ家がお主の関与を確信しようとも、形の上では『手打ち』が済んでいるのと同等となり報復は許されぬ。約定を守るというのも、家の面子や家臣からの信用の上で重要となるからの。万が一、この約定を破りガルの件でお主を襲う様な事をすれば、この場の見届け人であるライフェル教は体面を傷つけられたとして、シルマ家を潰して乗っ取るための名目が出来るのう)
ああ、そうか神殿の立ち合いっているこの会談は、ガルのやらかしの賠償だけじゃなく、俺達が『瘴気蜈蚣』を倒してこの場を確保した際の戦利品をシルマ家に売る話も議題なんだよな。
となれば、ここでハルが見つけただろう『黒羽の手帳』の引き渡しとその条件の交渉も、神殿が立ち会って結果を保証するって事になるのか。
ハルはそれを狙って、この場でこの話をしたのか、もしかして俺の安全の為に『黒羽の手帳』を手放す事にしたんじゃ……
「分かった、シルマ家次期当主として、今の話しを受けよう。私にハルという妹はいなかった、いや御領主へ出生時の報告の記録が有ったか、ならば『大規模討伐』に父上が連れて行き、その際に死亡している、大量の死者が出た混乱の中で未帰還者名簿に漏れがあったと、お詫びと訂正の使者を出さねばな。同じく当家所有の奴隷も、『大規模討伐』失敗時に死亡した者と、その後に売却した者の記録がどこかで混ざりが有ったようだ、帰宅した際に確認し訂正が必要だろう。また当家と『虫下し』殿との間には、わだかまりは何一つ存在しない。お前達もそれで良いな」
「御意、次期様」
エルが『黒羽の手帳』を受け取ってから宣言し、顔だけを向けて確認すると、シルマ家の連中が一斉に返事をするけど、今までよりも恭しい態度で礼をしているような。
「では我らはこれで失礼させてもらう」
エルが俺達や、オートミ達、リューン王国の連中にそれぞれ礼をして出て行く。
ハルが、エル・シルマに『黒羽の手帳』を渡してからの話は早かった。賠償の和解案と同じように、ライフェル教の連中が事前にシルマ家の買取希望を確認したり、ハル達の立会いの下で主な戦利品を確認してたりしてたらしく、相場を基に参考価格を出してくれていたから、それを基準に交渉できたしな。
シルマ家側が望んだのは、過去の大規模討伐などで使ってきた主力になる様な『魔道具』や装備品、後は『黒羽の手帳』のようにシルマ家や分家などに代々伝わって、家長や所属の証になる様な物品、これらは装飾品や小物なんかが多く、それ以外にも遺族に頼まれていたという形見の品や遺体などが含まれ、全部で金貨一万枚近い額になった。
日本円にすれば10億、流石にシルマ家が即金で払える額じゃないから、大半を神殿が立て替えて一部を分割払い、それ以外はシルマ家の持っている利権、特に『迷宮』に関するモノから便宜を図る形で返済する事になった。
シルマ家が希望しなかった物品、雇われていた傭兵や冒険者の個人装備や、シルマ家の私兵用だろう同一規格で大量に有った武器防具、樽に入ったままの薬や消耗品、大型魔獣用の兵器類なんかはライフェル神殿が大半を、一部をリューン王国が買い取り、『魔道具』なんかも幾つか有ったおかげでこっちも一万五千枚を超えた。
更には『瘴気蜈蚣』も俺達が必要とする素材分を抜いて残りを渡すという約束で神殿に金貨三千枚で売れた。
全部で約二万八千枚、ひと財産どころじゃない金額になったが、とりあえずオートミの名義で証文を書き、『迷宮』から出て神殿に行けば一括で払って貰える。リューン王国の分も額が額なため即金は難しいく、一旦は神殿が建て替え、連絡を受けた向こうの国にある神殿が回収するらしい。
「では、わたくし達もこれで失礼します。本日購入させて頂いた物品は、もともとこの『地虫窟』攻略用の物ですし、これからの攻略にも有効に使えるでしょう。僧兵達や雇い入れている冒険者への配布も考える必要もありますし、ここで調達できた分、外から運び入れている補給物資の内容も変更できそうですから」
「すぐに手配を行います、大型魔獣の討伐に付いて神殿への報告も必要になる事でしょうし」
「我々も、天幕に戻ることとする。それなりの『魔道具』が幾つか買えた事だし、国元への土産に丁度良いだろう」
「そうね、私達も外遊の功績と言えそうなものが幾つかいるけど、それに加えてもいいかもね」
オートミ達と王子様達が、エルに続いて席を立つと、後は俺達だけが残された。
「さて、わたくし達も戻るとしましょうか、今日はいい取引ができましたわ、これだけの金額が稼げたことですし、わたくし達の待遇をもう少し考えても良いのではなくて。今の交渉にしても私が主導しましたし、『瘴気蜈蚣』戦もわたくし達の活躍有っての勝利ですし、丁度欲しい宝石が……」
いち早く立ち上がったハルが、満足げな笑みを浮かべているけど……
「ハル、良かったのか」
どうしても、これを聞かない訳には行かないよな。
「今日の交渉の事かしら、良いに決まっているじゃない、これほどの大取引ができましたし、わたくし達で使えそうな物もいくつか手元に残せましたもの」
「そうじゃない、判っているだろう」
「『黒羽の手帳』をエル様に渡した事かしら」
事も無げにハルが聞き返して来るけど、なんでそんな平気そうな。
「そうだ、どうしてあんなことを、あれが有れば……」
「どうしても何も、そもそも『黒羽の手帳』を手に入れようと、この『地虫窟』に入った目的は、ガル・シルマが新当主になってわたくし達を狙ってくるという可能性への対策でしたでしょう。ガル・シルマは死亡し、先ほどの事でシルマ家との遺恨の一切が解消されたのですから、目的に沿った行動ではなくて」
「それは、そうかもしれないが」
「それにシルマ家に興味はないと言ったのは貴方自身ではなくて」
それは、俺がハルを使って乗っ取るつもりはないってだけで、ハル自身が当主として戻るのに反対したわけじゃなかったのに。
「だがアレが有れば、ハルはシルマ家に……」
当主として大手を振って実家に戻る事が出来るはずだったのに。
「当主に成れると言いましても、それだけでしかありませんもの、気位の高いシルマ家の者達でしたら、表では私に従っても、裏では奴隷上りと見下す事になりましたわ。わたくしが『黒羽の手帳』を取り出した時にエル様の後ろに居た者達の表情と言いましたら。わたくしに家を継ぐ資格があると、未だに一族の者だと考える者は、エル様を含むごく僅かだけだと、今の交渉ではっきりと判りましたわ。あれでは、もしもわたくしが当主になっていたら、そのうち一服盛られていたかもしれませんわね。『黒羽の手帳』は『隷属の首輪』のように相手を完全に縛るものではありませんもの、面従腹背は避けられませんわ」
それは、そうかもしれないけど、ハルだったら何とか出来るんじゃないのか、少なくともこうして奴隷でいるよりは。
「まったく、リョー、貴方は自分の価値を非常識な位に分かっていませんわね。『勇者の従者』というのは例え奴隷であっても、地方貴族家の当主などよりも価値のある立場でしてよ。『成長補正』で鍛えられた『勇者の従者』やその子孫の家を幾つ抱えているかで、国の格が左右されるなどと言われる位ですもの。将来わたくし達が『勇者』の下を離れて自由になり、別な主に仕えるとなれば、最低でも国主に使える直轄騎士か男爵として新たに家を興せるのでしてよ」
つまりハルは、シルマ家の当主よりも上を目指してるってことなのか。
「それと、『黒羽の手帳』自体も、わたくしには大して価値がありませんでしたし」
ん、価値がないって、どういうことだ、借りにもシルマ家の知識の結晶だろ。確か各地で収集したり研究してきた魔法なんかも乗ってたんだよな。
「貴方も言っていたでしょうに、貴族などへの影響力でいえば、シルマ家の持っているだろう各家の情報よりも、神殿やライワ家の後ろ盾の方が強力ですし、隠し財産にしましても、こうして『迷宮攻略』で稼げますから、チマチマと各地に隠された物を集めて使うだなんて馬鹿らしいですわ」
そう、なのか。
「それと魔法の知識に関しましても、ざっと書かれている内容を見ましたけれど、大した事がありませんでしたの」
え、だって、魔法の名門の秘伝書なんだろ。
「だって、『溶岩密封』も『高速重石弾』も記載が無いんですもの。考えてみれば、あれだけの人数と物資がありますのに『瘴気蜈蚣』に負ける程度の魔法しかないという事ですわ。ええ、シルマ家の魔法とはその程度でしかなかったという事ですわ。その程度の家に、こだわり続けていただなんて、あんな、あんな……」
「ハル」
やっぱり、無理してたんじゃ。
「ええ、ですからあの程度の家なんて、わたくしには相応しくありませんわ。わたくし自身の名を広めてシルマ家を超える家を立て、あのような目でわたくしを見た者達を見返してあげますわ。そのためにもリョー、例え貴方が嫌だと言いましても、わたくしは貴方にこれからも付いて行きますわよ。何しろ貴方は魔法系勇者、『成長補正』はもちろんですけれど、強力な魔法を数えきれないほど覚えているのですもの。覚悟なさい、貴方の覚えている呪文全て、わたくしの物にして見せますわ」
いつも通りの自信たっぷりな表情で、俺を指さした後で、ハルは羽を大きく広げながら天幕の出口をむく。
「さてと、わたくし達もそろそろ休みませんと、リョーが寝てる間も色々と働いたのですもの。寝不足や働き過ぎは肌に悪く、乙女の大敵ですもの。ミーシア、トーウ貴方達も見張りをしていたのでしょう、天幕に帰って眠りますわよ」
「は、はい」
「お待ちください、ハル様、まだ旦那様が……」
まるで貴族令嬢みたいに、堂々とした態度でハルが出て行くのに、名前を呼ばれた二人が思わずというふうについて行く。
「しかし、シルマ家と縁を切って、将来家を立てるとなれば、新しい家名の候補を考えませんと。とりあえず仮に・・・キとでもしておこうかしら」




