597 事前仕込み
「それでは以上の通りお願いします」
私の横から聞こえてくる言葉に、対面に座っているクレ侯爵が頷くが、侯爵も内心では不安なのだろう。
「承知しました。当領内に置いての両巡検使殿とその御一同の自由な行動を認める書状を、今ここで用意いたしましょう」
そう言って応接用のソファから後ろのデスクへ移動した侯爵が、あらかじめ文官に用意させていたであろう文面にいくつか書き足しながら署名して、蠟を垂らして刻印を押される。定期的に取り出して確認する必要のある書状だからこそ、封をしないのは判るが、事前にある程度文面を用意していたとは。
いや侯爵の立場を、これまでの経緯を考えれば当然か。クレ侯爵家は以前に『鬼族の町』で発生したアンデッド騒ぎの一件で神殿の怒りを買っている以上は、これ以上の下手は打てないであろうし。
しかも、あの時には冒険者リョー、いえ『勇者』様を事実上の領外退去にした経緯があったのだから。『勇者』というお立場は秘密とはいえ、形式上では当時のリョー様は神殿の、神官長が直々に指名し手配した冒険者。
しかもその追放に至った判断理由がアンデッド発生の理由を作った罪人に要請された、他の貴族達からの圧力によるものとなれば。
一応はそれを指摘した神官長猊下へクレ侯爵家配下の騎士が直訴ともとれる発言をしたことで、侯爵家は許されたという形にはなっていても、神殿に対する大きな弱みがあるのは確か。
「こちらをお持ちください。ところで領内の『迷宮』管理状況や、神殿施設の視察をされるとのことでしたが」
それが『巡検使』の表上の役割となっているのだから、こう聞かれるのは当然の事か。
「え、ええ、そうです、それと……」
途中で言いよどんだ副使のエミリアがこちらに視線を向けて来るのに、ため息をこらえて侯爵へと視線を向けなおす。
「侯爵の御言葉の通りです、こちらの神殿は『鬼族の町』攻略の支援などで、人員や物資の大規模な移動がありましたので、現在の管理状況の確認が必要ですので。また『迷宮』に関しましても、『鬼族の町』の現状確認、それと『地虫窟』についてですね」
「『地虫窟』ですか」
交渉を引き継いだ私の言葉に侯爵が怪訝な表情を浮かべる。
「ええ、あの『迷宮』は、御家中のシルマ家による『大規模討伐』が失敗した結果、危険度が増していると聞きます。それでありながら攻略に向かう方が多いとか、現状で『活性化』の恐れはまだないとの事ですが、危険な魔物が増えているのは事実ですし、何か大きな被害が出ればどうなるか分かりません。神殿としては出来るだけ早く『鎮静化』を目指すべきと考えています」
神殿の調べでは、シルマ家のみならず、他の貴族家や騎士家の分家の者達や冒険者集団などがあの『迷宮』に集まっているそうだが。
「ええ、出所は不明ですが、あの『迷宮』を攻略すれば、当家の家臣筆頭であったシルマ家に与えていた知行地や俸禄、役職などを代わりに引き継げるなどという、根も葉もない噂が広まっておりまして。当家がいくら否定しても噂を信じたのか、継承権順位が低く他家であぶれた子息達や仕官目当ての冒険者に傭兵、更には取り潰しとなった家に仕えていた浪人などが集まっているようでして、我が国の者だけでなく周辺諸国からも……」
浪人、そう言えばこの国はしばらく前に政変というか、宰相を始めとする重臣の顔ぶれがガラリと変わり、そのあおりで幾つかの貴族家や直轄騎士の家が取り潰されたのだったか。
それに他国というと、この地方ならムルズ王国が最も近い。もしや先の動乱での浪人も、そうなると神殿に敵対的な者も集まっているやもしれないか。
「承知しました、各地から戦力が集まっていれば治安の維持も大変でしょう。出来るだけそちらに御迷惑をおかけしないよう、身の安全については自前の戦力を活用させていただくこととしましょう。それとですが、現状の噂に踊らされ、実力の足りない者達へのライフェル神の加護が及ばず、その者らが『迷宮』の糧となる様な事が続けば、『地虫窟』が『活性化』する恐れもあります」
「それは、そうですが……」
前回の一件に続いて、今回の事で神殿からなにがしかの懲罰が下されるのではと、警戒しているであろう侯爵の方を見ながら、隣にいるエミリアを軽く肘でつつくと、彼女がそれを察し私の言葉を引き継ぐ。
これまで寝たきり同然で交渉などした事のない彼女にも経験を積んでもらう必要が有りますし、何より無理に条件を切り上げていく必要のない頼み事は、私より彼女がした方が上手く話が進みそうですから。
「でありましたなら、ライフェル神殿としても管理状況の確認だけでなく、積極的にこの事態を収めるためにも、『迷宮鎮静化』にご協力したいのですが。とはいえ、ムルズの一件もあり現状で動かせる正規の僧兵や聖騎士も限られます。ですので神殿の指名する冒険者を呼び寄せたいのですが、御許可頂けますでしょうか」
「ライフェル神殿が、わざわざ呼んでまで使いたい冒険者となれば、こちらとしても願ってもない事ですが、当領地は特に冒険者などの流入に制限はしておりませんが。もちろん領境の関所で通行手形や身分証等の確認はしますが、一般的な冒険者がそれぞれの土地で、正規の手続きを踏み申請すれば発行される程度の書状で十分通過できる状況です。『地虫窟』自体も立ち入りの制限はしておりませんが、なぜこちらの許可などと……」
エミリアの一部へ頻繁に視線を向けている侯爵に向かって、エミリアがやや前かがみになって笑みを返す。
「その冒険者は『虫下し』や『百足殺し』などと呼ばれ、以前に少人数で『地虫窟』に入り『青毒百足』を狩った実績もあるのですが、以前こちらの領地でとある貴族と揉めたことがあったようでして」
「あの者ですか、それであれば御心配には及びません、その冒険者に関しまして領外追放や入領禁止などの処分を公式に行ってはおりません。当時の『鬼族の町』では、一部貴族の問題もあり、なにがしかの混乱もあり、依頼を終えたその者が立ち去る事となったようですが」
物は言いようですね。確かに、公的な形での領外退去命令ではなかったそうですが、実際には自主退去しなければ実力行使も厭わなかったでしょうに。
まあその対応についてもラマイ前子爵、いや罪人マイラスからの賄賂に転んだ、王宮の貴族たちからの圧力によるものゆえ、侯爵も被害者なのかもしれぬが。
しかし、奢侈禁止令を出し過剰な遊興とともに汚職や賄賂の類を取り締まるとして、敵対派閥の貴族家を排除した、現宰相の派閥にいるだろう王宮の貴族達が賄賂を受け取って、そのような行為をするというのもおかしな物だが。
まあ、宰相派から見れば敵対貴族の中でも王国有数の大貴族であり、事情通のシルマ家を家臣に抱えて、いろいろな所で影響力を持っていたクレ侯爵家を叩くいい機会だと思ったのだろうが。
そのおかげで神殿は宰相派とクレ侯爵家の両方に貸しを作る事が出来たそうだが、ムルズでのあの一件と言い、神殿は、いや神官長は本当に状況を利用して利益を得るのが上手い。
「では、この冒険者がクレ侯爵領内で活動するのも、『地虫窟』の攻略に望むのも問題はないという事でよろしいでしょうか」
「当然ですな、当方としましても実力のあるものが『鎮静化』を目指すというのは、願ってもない事。もっともそのものが我が国と我が領の法を犯さぬ限りはとなりますが」
これ以上は、エミリアでなく私が対応した方がよさそうか。侯爵は『勇者』様が神殿の影響力を背景に何か不法行為を働かないか心配しているようだが、こちらとしてはそれを利用しない手はない。
「当然の事ですね、この者には法に従う事を徹底するよう伝えましょう。もちろんこの冒険者も、国法と領法の庇護を受けられると承知してもよろしいでしょうか」
エミリアに代わって話を続ける私の方へ視線を向けた侯爵が、ちらちらとエミリアの方へ視線を戻しながら怪訝そうに聞いてくる。まったく、そういうものだと判ってはいるが……
「先ほど侯爵閣下から伺ったお話では、今この領内には色々な方がいらっしゃるようですから。不良貴族が身分をかさに着て、不法にも平民の冒険者に危害を加えるというような事があるかもしれません。国や領地によっては正当な自衛行為であっても、平民が貴族に反撃をすれば、それが罪となるため無抵抗で害されるしかない事もありますから」
普通は他家の財産である領民を害したり、領の評判に関わる治安を乱すような行いは、その地の領主との関係が悪化するため真っ当な貴族であれば避けるものだが、それが理解できない者が貴族にも騎士や地方貴族にも少なくない。
実際に不法行為があっても、他貴族を処罰するのは政治上の関係で難しいため、領民が殺されても多少の詫び金などで済まされることもあり、領内に籍を有さず納税をしていない冒険者では法の庇護の対象になっていない、という土地も珍しくはないと聞く。
とは言え、今のこのクレ侯爵領では。
「そのような事はありえません、『鬼族の町』は落ち着いたとはいえ、どこかにアンデッドが残っているやもしれず、『地虫窟』も不安定な状で、戦力となる冒険者や傭兵たちをないがしろにするような事はしません。なにより私は以前『鬼族の町』にいらした神官長猊下の御言葉に感銘を受けましたから」
そうであろうな、私も記録で読んだが『迷宮とは様々な立場や種族、身分の方々が集い肩を並べて戦う場。それらの異なる戦士達がともに戦う為には、互いの信用と契約の順守が肝要、信に応えず約を守らぬ者の為に誰が戦うのでしょうか。働きに対しては然るべき形で報いる事こそ身分有る者の務め』などと、つい数か月前に遠回しに非難されたばかりでは、冒険者を冷遇などできるはずもない。
「では、冒険者が法を守り、正当な範囲内での自衛行為なら、不法行為を行ったものが、貴族や地方貴族、騎士などであっても反撃は問題ないと」
「もちろんです、ですがその冒険者が、騎士が手出しできないのをいいことに、故意に不敬な行いや、騎士の名誉を汚すような無礼を働いた結果、騎士達が自らの誇りを守るために手打ちとした場合や、裁判に訴えられた際などには、法を曲げてまで不当に守る事は出来ませんぞ」
あの方がそのような事をするようには見えぬが、言いがかりを付けられる事はあるやも。
「当然でしょうね、ただ無礼打ちとは、自らの実力をもって名誉回復を図る行為です。騎士やその一族を名乗り、武に訴えながら実力が足らず返り討ちに会うような未熟者が、泣き付いてきたとしても取り合うようなマネは……」
「いたしませぬ。騎士とは、ひいてはそれを率いる貴族とは、自らとその郎党の武力で領地と主君の為に戦い守るもの。侮辱され名誉を守ろうと剣を抜きながら返り討ちに会うような無様を晒す者が、負けた後で泣き言を口にするなど、自ら騎士の資格なしと喧伝するような物。それならば初めから力に訴えず法の裁きを望むべきであって、負けたのならば、助っ人を集めるなり、レベルを上げるなりして仇を討ち、恥を濯いでこそ騎士でありましょう」
武門の家らしい物言いですが、もしやこれはエミリアを意識して、いいえ流石にそれはないでしょうか。
「無礼が有ったとして力で挑まれても、力で返し勝利したのであればその冒険者が罰せられるいわれは無し、理由もなく冒険者から貴族へ斬りかかる様な凶行をしたのならば罰せざるを得ませんが。また、無礼を働かれ侮辱された騎士が、その場での手打ちではなく裁判を求めたとなれば、その際は法に基づいて公正に裁く事となりますので、冒険者には身分をわきまえた言動を勧めていただきたい」
その点は、大丈夫であろう。
あの方は、訴えられて負けるような確定的な証拠を取られるヘマはせぬだろうし、もしそうなったとすれば、何か狙いがあるはず。ムルズでの時のように……
「当然でしょうね、義務を負う貴族や騎士には、義務を全うしている限り敬意を払うべきでしょうから。では間違いの無いよう、今回の話し合いの結果を書面に残させていただきます」
さてと、これで『勇者』様がクレ侯爵領で活動する上での、下準備が出来たわけではあるが。
「申し訳ありません殿下、私の不備でお手を煩わせてしまい」
侯爵寧を後にし、護衛である獣人の聖騎士の手を借りて馬車に乗り込んだ直後に、エミリアが頭を下げてくるのを、手を上げて止める。
「エミリア巡検副使殿、この場には『殿下』などという畏れ多い尊称に見合う女性は居ませんよ。貴女の故国のムルズ王国にしても、先の弑逆事件で王族に籍を持つ女子の多くは亡くなり、国外に居た第一王女も王族としての籍を返上し臣籍に下ったとか、新王陛下の御子は男子しかいないと聞きますし」
おそらくは先ほどの会談ですべてを一人で済ませられなかったと言いたいのであろうが、現状では今の謝罪が一番問題なのだが。
「どこに誰の耳目があるか分かりません、ライフェル神殿の巡検使であるのならば、いつ誰に見られ聞かれても恥ずかしく無い言動を心掛けませんと」
ムルズ王国の未来を大きく変えた反乱の首謀者が死んでおらず、ライフェル神殿に居るなどとなれば、どれほどの醜聞となるか。
幸い私の王位継承順が低かったため、私の顔を知るものは少ないでしょうし、その大半はあの事件で死んでいるか、新王となられた叔父上が口止めしていますから、ムルズでは問題ないのですが。
「も、申し訳ありません」
「分かればいいのです、貴女が今後経験を積み、一人でもお役目を果たせるよう導くのも私の仕事でしょうから」
しばらくすると、馬車が止まり、馬人族特有の耳をした聖騎士が外から戸を開けて問いかけてくる。しかしこの者は幻術が得意と聞くが上手くユニコーン族の角を隠しているな。
「郊外で待たせていた護衛団の冒険者と合流しましたが、この後のご予定をうかがえますか」
「このまま、『地虫窟』近郊の町へ向かう。今なら途中の宿場で一泊出来ましょう、できるだけ早く向こうについて『迷宮』の情報を集めます」
「承知しました」
馬車の戸が閉められて動き出す中、離れたところで話す冒険者たちの声が聞こえてくる。あの者達は地声が大きいゆえ、馬車の板越しでもはっきり聞こえるな。
「何度見てもデケエな、あんなデケエの今まで見たことがねえ」
「ああ、まるで頭が三つある見てえだもんな、三頭竜ならぬ、三頭乳ってか」
「おめえら、バカみてえな話してるんじゃねえ。不敬だってんで首落とされても知らねえぞ」
優秀な冒険者と聞いているが、荒っぽい者達は物言いに遠慮がないな。しかし頭が三つか……
思わず目の前に座るエミリアを見てしまうが確かに、小顔で小さめの頭というのもあるだろうが、それとほぼ同じ丸みが胸に二つあるというのは、やはり異性の目を引くのであろう。
もしも私が、このくらい大きかったのなら、あの時に『勇者』様を篭絡し、今とは違う未来を掴めていたのであろうか。
いや、詮無きことを考えても仕方がないか。今考えるべきは私に与えられた役目をいかに果たすか、私が神官長猊下にとって有益であり続ければ、神殿はムルズに敵対する事はないだろうから。




