551 王女の立場
馬車の窓を覆うカーテンを少しずらして外の様子を覗き見ると、以前は多くの人で溢れていたはずの通りは、疎らな人影があるばかりで、それらも大きな荷物を担いだ家族連れなどで、王都を捨てて逃げる途上と思われる者ばかり。
「あまり、外を見られない方がいいかと思いますよ。最近は王都も物騒らしいですから、弓矢で狙撃という事もあり得ますし。まあ、高威力の魔法を使われたら馬車ごと吹き飛ばされるかもしれませんけれど、そんな魔法を使う隙が有れば、その前に見つけて切り刻めますか」
カーテンに掛けていたわたくしの手を抑え、代わりに外を覗きだした彼女の様子を伺いながら、今の情勢にため息が出そうになるのを必死に堪えます。
目の前にいる女性は、私の配下や王家の臣下ではなく神殿から派遣されてきた護衛なのですから。
皮肉な物ですね、戦争の火種となったマインの一件のせいでまともに信用できる戦力が居ない事を想い知らされ、こうして交渉相手に護衛を手配して貰わなければならないなんて。
「この馬車自体が、高レベルの魔物素材を使っていて、対魔法防御も対スキル防御も可能な物で、窓も硝子ではなく魔物の甲殻を削った物を使用しています。使者殿がそこまで心配しなくとも一撃で破壊される恐れは低いかと」
相手は貴族の分家筋の出らしいですが、形としてはあの神官長猊下の送ってきた使者、下手な弱みは見せられませんから言葉遣いも気を付けませんと。
「確かに丈夫ですし、道が空いているのでそれなりの速度もだせて、馬車が止まる事も殆ど無いですから、狙い撃つのも難しいでしょうけれど、道が空いているという事は狙う側からすれば目撃者や邪魔になる第三者が居ないから襲撃し放題という事ですよ。それに最近はああいった火事で放棄された廃墟も増えて居ますから、隠れて待ち伏せするのにも適してますし」
そう言って、彼女が示す先には焼け落ちたまま片付けられていない建物、確かにしばらく前から不審火が増えて居ると聞きますし、普段は市井の事件などほとんど気にする事のない主戦派貴族達が何故かこの件を気に掛けているそうですが。
王都から多くの民が逃げ出している現状では、目撃者を捜すのも一苦労ですから解決は難しそうですね。
「湖上が騒がしくなってから、都は逆に静かになりましたからねえ。人目が無くなった分だけ、やましい事をする連中は動きやすくなっているんじゃないかしら」
わたくしの内心を読んだかのように言葉を向けてきますけれど、ムルズ湖を占拠しているのは貴方達ライフェル神殿の水軍でしょうに。
神殿の水軍が占拠してから、湖上の支配圏を奪還するため主戦派貴族達が集めた船団が二度仕掛けましたが、どちらも大敗。
水獣騎士を失ったため強制接舷からの切込みを仕掛けた一度目の作戦は、仕掛けた船の兵達が神殿の武闘大師や赤狐に押し返され、逆に乗り込まれて船を奪われたらしいです。そして、民間の帆船を徴用し弓兵や遠距離スキル持ちを乗せた二度目の作戦は機動力に勝る櫂船に翻弄され、敵の丁字戦法とかいう作戦で一方的に撃ち削られたそうですから。
その為、王都への物流が滞り、安定に向かっていた食糧価格がまた高騰した上に、王都決戦とのうわさまで流れてしまい、民衆ばかりか主戦派以外の貴族達までもが様々な理由を付けて王都から脱出して行きました。
「そう言えば、王宮からはライフェルの船団に対して退去するよう、使者を送ったらしいですわね」
「当然でしょう、この戦争はあくまでも一部の貴族の連合とライフェル神殿の戦いであって、ムルズ王国その物や王家、王宮は無関係です。そしてムルズ湖は王領に属します。いわば中立の勢力の支配域に交戦中の部隊が展開していれば、退去を求めるのは当然の事では」
「王家は無関係と言いますけれど、ピロホン会戦には王族の方も参戦されてましたけれど。ああ、あくまでも個人として私兵を率いた参加で王族としての参戦ではなかったんでしたっけ。王族の方の周りには、正規軍のような兵士の部隊や、個人所有とは思えない規模の騎士団もいましたが、いえ、神殿が会戦後に王宮に確認した時は、数日前に部隊丸ごと装備や物資をもったまま退役した、という事になっていんでしたっけ」
王位争いに向けて功績を作ろうと、よく考えもせずに戦争に参加した兄姉たちのせいで、どれほど動きづらくなった事か。
どう考えても無理な言い逃れというのは誰もが解っていますが、それでも王家は無関係という立場を貫かなければ、神殿はムルズ王国その物を敵と見なして戦域を拡大させるでしょうし、そうなれば王都の民の多くにあの薬を飲ませて戦力とするなどという一部の貴族の妄言も現実となりかねません。
「使者殿の言われる通り、あくまでも一部の王族が一私人としてとして貴族達に合流しただけであって、王国自体は、戦争に関与していません。王都とその周辺一帯は依然として中立地帯です。王家が自領からの撤収を求めるのは当然かと」
自分で言っていても空しい言葉ですね、実質的に中立ではないからこそ、ああして神殿は戦力を送り込んできたのでしょうから。
「そうは言いますけれど、主戦派貴族の大半は王都に居て対ライフェル戦争の話し合いを繰り返していますし、前線への物資や人員もその多くが王都から送られている、特にあのクスリまでも王都から前線に送られている以上、前線への輸送を遮断するのは当然の策かと。民間や戦争に参加していない貴族家の船に関して攻撃の意思はないと神官長猊下からお言葉を預かっていますから、誤って沈められる心配はないはずですけれど。もちろん、無関係の船に偽装した前線への軍事物資の輸送等が無いよう臨検はしますけれど」
臨検ですか、湖上を航行する船を停船させて密航者や密輸品が無いかを検査する。ただそれだけで王都の物流は大きく損なわれました。
船が止められて隅々まで調査される、それだけでかなりの時間がかかりますが、それを十数隻も纏めて停戦させて順番に検査するとなれば、後回しにされた船は何日も湖上で待機する事となり、更に後方に別な船が並ぶ事になる。
その間に問題が発生して引き返すしかない船も有れば、主戦派に関係してなくても、脛に傷があるために船を出せない者も少なくありません。
「これは王宮に答えた内容のそのままですけれど、神殿はムルズ王国が自らが言う通り中立であると示せば、王都から戦闘に参加している貴族達を退去させ、前線への物資輸送を禁止するのであれば、すぐにでも船団を引き上げさせます。退去する貴族達を待ち伏せて襲撃するような事もしないと明言していますよ。中立で神殿が手を出せない筈の王都に守られていると思ってるから、貴族達は火遊びを続けているのでしょうし」
確かにそれはそうですが、この要求は王宮が簡単に呑むことは出来ないでしょうね。
王都を自分達の本拠地だと思っている貴族達を追い出すとなれば、それは神殿に味方し主戦派を切り捨てると宣言するも同じ事、陛下の支持母体である主戦派貴族達を見捨てて敵に回せば、たとえ今この事態を何とか出来たとしても、その後で国王陛下は国を治めきれなくなるでしょう。
かと言って、物流が半減した今のままでは王都は真綿で首を絞められているも同じ、じわじわと死に体に近づいて行きます。ですがムルズ湖を解放し航路を再開するために国軍が動けばムルズその物が神殿の敵となってしまいます。
ムルズ湖の占拠の目的は、物流を抑える事が主ではなく、ムルズ王家に対してどちらに付くのか旗幟を鮮明にするように迫る、勇者の言う所の踏み絵だったのですね。
「王宮は、今回の戦争で中立という立場で両勢力からより多くの利益を得ようと、状況を放置したばかりか、一部では油を注いだんですから、この位の意思表示はして貰いませんと」
「放置、油を注いだですって、王宮がか」
「ええ、でなければ、なぜ王女様が少人数で国境付近のラッテル領まで行くなんて事の許可が簡単に下りたんですの」
「それは、交渉の窓口を確保するために。王家は中立なのですから、それを示す為に……」
「ですけれど、それが結局、戦争の火を付けましたわね。それも王宮が付けた貴女付の騎士の手で」
「それは……」
「ついでに言えば、ピロホンで神殿が負けたと思われた直後には、内々に王宮から停戦調整の申し出と、その際の利権配分の話があった位ですから。まあふざけるなと首だけ返されたらしいですけれど。その後も、節目節目で似たような内容の接触があったそうですけれど、最近は悲鳴に近いとか」
ではわたくしの行動が認められていたのは、どちらが勝っても良いように、神殿が勝った時に向けての手札だったの。
「何事も理想や主義主張だけでどうにかならないというのを、王家は解っていたようですけれど、見通しが甘すぎますわね。さて、王女様はこれから、あら、あらあら……」
急に馬車が止まり、馬車の前から誰何の声が。
「何者か、この馬車に乗られるのが何方様か知っての狼藉であるか」
「直訴に御座います、どうか御聞き頂きたく」
「ならぬ、そこを退かぬか、無礼であるぞ」
「どうか、どうかお願いいたしたき議があり」
どうやら、直訴のようですね。立ち去るよう命じても再三にわたって聞かぬため仕方なく取り次ぐ、というのが直訴のやり取りとは言え、まどろっこしい物ですね。
「あらまあ、直訴に対応するために警護の兵達が前の方に移動しだしてますけれど、これじゃあ格好の……」
「確かに使者殿が指摘されるとおり動いているが、訴え人を保護し邸宅にて取り調べるには、念のため刺客ではないか武器等を預かる必要がありますし、何かの手違いで訴え人が暴れ出したり、口封じに襲われる事も有りますから、兵で囲むのは当然かと」
「だけれども、そのせいで護衛対象である王女様の周りを手薄にするのは、格好の、ほら、噂をしましたら」
「国賊ミーラ、天誅」
「覚悟せよ売国奴」
楽し気に指をさす窓の外には剣を構えた騎士らしき風体の男達がこちらへと……
「どうやら、あれだけのようですわね、つまらない。まあ王女殿下を狙う賊であれば、どんな目に合わせても合法ですよね。鬼のように厳しい師父から離れられるとはいえ、退屈を持て余していた時にこれはなんて都合がいいのかしら。この役目を無事に終えれば神官長猊下が直々に良縁を御紹介くださると言いますし、噂ではどこぞの子爵家の嗣子とか、風は間違いなくあたくしに来てますわね」
楽しげにつぶやいた使者殿が馬車から飛び出し、瞬く間に刺客達を倒して行きます。
「強い。これが神殿の精鋭が力。単身で私の下へ派遣されるくらいなのですから強くて当然なのでしょうけれど」
無手のまま次々と刺客達を倒していますが、殺していないのになぜ動きが止められるのか…いえ、手足に穴があけられていますね、武器も無しにですか。
「ふふ、師父がやっと教えて下さった『鋼指掌法』やはり良い物ですわねえ。あの鬼師匠に付き従い嫁き遅れと言われそうな年になっても、純潔を護って習得したかいが有りましたわ。指先で直接肉や骨を貫く感触、神経を直に引搔き痛みに悶えさせるこの快感、堪らないわあ」
もう全てを倒しきったというのですか、わたくしを狙わせたという事は、この刺客達もそれなりの腕前であったでしょうに。
「さてと、貴方達には背後関係を話してもらわないとねえ」
楽しげな彼女の声に、地に付したままの刺客の一人が睨み返します。
「く、殺せ」
「そう、それじゃあ」
「ぐう」
何の躊躇もなく無抵抗の相手の腹に深々と指を突き刺した彼女を、刺された騎士が平然とした顔で睨み返します。
「拷問などに、屈せぬ」
「貴方はそうかもしれないわねえ、だから貴方はもういいわ」
「なんだと」
「知ってるかもしれないけれど、あたくしの師父の『鋼指掌法』の下となった『勇者』の伝承では、ただ指先で一つ突くだけで人体を破裂させる秘儀が、かの世界にはあるらしくて、師父はその方法を模索し人の身体を隅々まで調べようとしているのだけれど。もっと簡単な方法が有るのにあたくしは気づいてしまったの」
「どういう意味だ」
「ほとんどの攻撃魔法は、何かに触れた時に破壊を周囲にまき散らすようになっていますけれど、それはそう言った設定した方が簡単で敵に損害を与えやすいからなのだけれど、別にそれが魔法の絶対的な法則という訳でもなくて、例えば一定時間後に発動するようにする事も出来るの。もともと、あたくしの家は魔法と様々な技術の組み合わせが得意ですし、まあ本来は回復魔法と医術なのですけれど」
「貴様、何を言っている」
「ええ、指先にごく小規模で遅発性の爆裂魔法を仕込んで、突き刺すと同時に相手の体内に残して爆発するのを待つっていう方法なら、わざわざ秘孔なんてものを探さなくても良いと思わない」
「な、や、やめ、よせ」
「ふふ、もう遅いわよ、じゃあね、いいえ違ったわね、せいぜい長生きして頂戴」
彼女が言い終るとほぼ同時に、倒れていた刺客の腹が内側から弾け、周囲に肉や臓物が……
「があああ、ああがあああ」
「ふふ、心臓や脳を残してるから、血が無くなるまでのちょっとの間はそうやって鳴いてられるわよ。さてと貴方達も同じように、死にたがりなのかしら、それとも正直な良い子なのかしら」
「こんなやりかた、それにその姿、もしや『臓華師』キリア・ミカミ」
「あら、よく知っているわね、良い子なら、優しく遊んであげるわよ。それで、あなたはどちらかしら、悪い子ならお仕置きを兼ねてたっぷり遊んであげるけれど」
これが、これが神殿の敵への対応か、もしも戦いが続けばより多くの者がこのような事に……
先月行っていた人気投票の結果を、活動報告の方で集計しました。




