516 茶会
静かな広い庭園なのに、小川の流れる音と、微風の吹く音の他は少し離れた所に居る王兄殿下の手元から聞こえる幾つかの小さな音だけ。しかし、此処って西洋風異世界のハズじゃ、いや、これも勇者の影響なんだろうな。
「粗茶だが」
王兄殿下が茶釜のお湯を注いで点てたお茶を、質素な服装をした侍女さんが俺の前へ持って来るのを受け取る。
うん、何度見返してもこのお茶は緑色だよね、いや御茶会の誘いだったけどさ、普通は西洋風異世界でお茶会って言ったら、磁器に注がれた紅茶に、銀のフォークが付けられたケーキやスコーンが乗った二、三段になってる入れ物、庭だってガーデンって呼びたくなるような、オシャレにカットされた庭木とか、お花畑ってイメージだったのに。
なんで、抹茶に日本庭園なんだろうか、一応は長椅子とテーブルが用意してあるけど、これって確か立礼式ってやつだよね。正座の出来ない人とか、外国人向けにイスとテーブルを用意した御茶の席。
これはもしかして、俺が日本人だと疑われてるのか、いやでも俺は茶道の御手前なんて知らないぞ。確か飲む前に茶碗を回すんだっけ。
「これは、かつてこの国に定住された『勇者』様が愛用していた茶の方式で我が国でも嗜む者は少数でな、他国の者や普段嗜まぬ者に細かい作法を押し付けるつもりはない。今はミーラ殿下の用意が出来るまでの時間つぶしとでも思い、珍しい茶と菓子、それと景色を楽しんでもらえればよい」
てことは、別に俺が勇者だとばれた訳じゃないのか、まあ神殿関係者なら茶道を知っているかもぐらいには考えてるのかな。
しかし、この世界で抹茶って、まあ、カミヤさんの話だと紅茶も緑茶も烏龍茶も、茶葉の加工の仕方の違いで、それぞれに向いた品種や育て方の違いはあるけど、基本的には同じチャノキって植物の葉っぱから取れるって話だし、ライワ伯爵家では番茶なんかも出てたけど、この世界じゃな。
まあ、これも勇者の影響って事なのか、何せお茶の横に和菓子っぽい物も置いてあるし。
うーん、ムルズ王国は変な所で日本風というか、面白半分で勇者が持ち込んだんじゃないかと疑えるところが色々あるから、これもその一つと思っておくか。
「お待たせしました、サカキ卿、いえ『尚武法師』殿」
ベーザ王兄の屋敷で着替えたのか、簡素な服装のミーラ王女が姿を現す。
「では、王女殿下、臣はこれで、庭園は背後と左右を我が邸宅が塞いでおりますし、開けている正面も樹木や建物等の配置により敷地の外からはこの辺りの様子を覗く事は出来ぬようになっておりますし、敷地の境界付近には見張りの兵も置いてありますので、どうぞ気兼ねなくお過ごしくださいますよう」
「うむ、公爵、大義であった」
え、ええ、王兄殿下は侍女さん達と行っちゃうの、王女様と二人っきりって、良いのかよこれ。
「どうぞ、ここにはわたくしと法師殿しかいらっしゃいませんので、どうか楽になさってくださいませ」
なんだろう、前と比べて物言いが少し偉そうじゃない気が。
(以前のお主はライワ伯爵家の家臣でしかないが、今は王女が法師と呼んでおる通り、お主の事をライフェル教の高位僧侶として扱っておるのじゃろう)
王女から見た、俺との身分差が縮まったって事なのか、ホント階級社会ってめんどくさいな。
「は、御言葉に甘えさせていただきます、ところでキリツ殿は、どちらに」
いくらなんでも王女様と俺の二人っきりってのはいろいろ問題になりそうじゃない。
「キリツ達は、当王家の祖霊をまつる霊廟へ向かわせております。伯父上へわたくしからの贈り物を届けに来ただけのキリツ達が、何時までもこの屋敷にいては、法師殿を監視している者どもが不審に思いましょう。わたくしは負傷した宦官を憐れんだ伯父上が、強引に屋敷に留め置き休ませている、という事になっております」
伯父上って、ああ王兄なんだから、王女からすれば伯父さんか、しかし俺に監視は付いてるだろうとは思ってたけど、やっぱりついてるんだ。『聖者の救世手』の効果で見つけられないって事は結構距離を取って付けてきてるってことか。
いやでも、さっきは公爵ってなんか目下扱いしてたような。
(それに関しても、王兄の従者が居たからであろう、幾ら親族であろうとも他者の居る前では現王族と臣籍に降った元王族との、立場の違いをはっきりさせておかねばならぬのじゃろうて、特に王兄の配下の者達の居る前ではケジメをはっきりさせる必要が有るのじゃろうて)
なら、俺の目の前で伯父上って呼んだ理由は何だろう。普通に考えるのなら、関係性が近いとか、王女にとって信用できる相手って事をこっちにアピールしてるのかな。
まあ、こんな風に場所をセッティングしたんだから、普通に考えれば王兄はミーラ王女の協力者って事なんだろうけど。
「ミーラ王女殿下、なぜこのような方法を、殿下であれば、私めを王宮へ呼び出されるだけで十分でしたでしょうに」
「そう言う訳にはまいりませんでした、今の我が国は開戦以降、主戦派が宮廷での主流となり、特にピロホン平野での勝利の報が伝えられてからは、和平を主張していた貴族達は、身の危険を感じるようになり、次々と王都を離れています、特に親ライフェル神殿派と見なされていた家は、一家も王都には残っておりません。かような状況下で、和平派の王族と見なされている私が、『尚武法師』殿と面会したとなれば、貴族達にいらぬ疑心を抱かせ、策謀を招くこととなりかねません」
疑わせるって、どう考えても真っ当ではあるかもしれないけど、今の王都ではできないような話をするつもりだよね。
しかし、和平派や神殿側の貴族と会えないなと思ってたら、そう言う事になってたのか。まあ、全面戦争って訳じゃないけど戦時下だし、主要な王族も参戦してるなら、非主流派に居れば迫害されるだろうし、この世界なら言いがかりを付けられて家の降格とか取り潰しとか、下手をすれば命にもかかわりかねないのかもな。
(仕方なかろうて、神官長殿の話どおりであれば、この国の者どもには決戦勝利の報せより後の情勢は届いておらぬ。多くの者は近日中に神殿軍の陣地を制圧したとの続報が届くと信じ、主戦派は戦勝の報せに沸き立ち我が世の春と浮かれて、敵対派閥への遠慮など忘れておる事じゃろうて)
「疑われかねぬからこうして場を用意されたと、なぜそこまでして、私等にお会いになろうと」
「和平の為です」
「王家とライワ伯爵家のでしょうか、それに関しましては王宮の官僚の方々と話が進んでおり、近く纏まる事かと、他の貴族家との話し合いも順調に進んでおりますし」
(お主、解って言っておるじゃろう、まったく……)
「いえ、ライワ家との事ではありません、そもそもライワ家とは私とマインの一件が有りましたが、争いになっている訳ではないですから、私が求めているのはライフェル教と我が国との和平です」
うん、やっぱりそうだよね、この王女様は最初からずっとそれが目的だったんだから、でも今の状況でそれを話してくるものだろうか。普通に考えれば、ムルズ側の認識だと今は勝ってる真っ最中、幾ら王女が和平派だったとしても、このまま負け組になりそうな和平派に留まるよりは、今からでも主戦派に鞍替えしようと考えてもおかしくないんじゃ。
それとも、俺を通じて神殿に降伏勧告をして王宮への点数稼ぎ、いやそんなキャラじゃないよな。
「失礼ですが、今のムルズ側が和平に応じるとは思えません、殿下がそう望まれたとしても勝っている戦いを終わらせるなどとは、それに私にはライフェル教としての交渉の権限が有りません」
多分、それはあの神官長さんも同じだろうな、ムルズ王国側が全面降伏を言い出しでもしなければよっぽどの事が無い限り戦争を止めたりは。
「時期は関係ありません、今は一日でも早く神官長猊下に御慈悲を賜り、兵を引いて頂けるようお願いしなければ。そのためには、私は法師殿に頼るしか方法が有りませぬ」
「なぜ、そこまで急がれるのですか、ヒロポン平原での戦に付いてはお聞きになられているのでしょう」
もしかして、王宮の一部にはムルズ側が壊滅したって情報が届いているのか。
「今現在、勝っていても、時間の問題でしょう。神殿と我が国の貴族達では地力の差が大きすぎます。神殿は例え何十回負けようと、変わらず戦い続ける事が出来るでしょう。ですが、我が国の貴族達は数度負ければ後は無くなります、実際ピロホンでの決戦にほぼ全ての騎士と私兵を送った家も少なくありません、たとえ今回は勝てても、次の戦いは、更にその次の戦いは、同じように勝つ事が出来るかどうか、それに神殿であればこのまま貴族軍を引き付けている間に、同等の規模の軍勢で別方向の国境を越え、王都を突く事も出来ることでしょう」
「もしそうだとしても、ムルズが負けるとは限らないのではないですか、実際ピロホンでは勝ったのですし」
「あの勝利は、薬を使って兵達を強化したがゆえの物でした。ですがあの戦いにおいても第一僧兵団は対策を既に見つけたとの事です。それにクスリを使われた者は、クスリを手放す事が出来なくなりやがて廃人となるとか。貴族の中には王都の民の大半にクスリを使えば、陥落はあり得ず。ムルズ王国の臣民の四割にクスリを使えば、何が有ろうとも勝てるという者もいますが、そのような真似をさせるわけにはいきませぬ」
まあヤク中の大量生産なんていうのは、ぞっとするよね。というか、言ってる事は国民を捨て駒にするって明言してるようなもんだし。
「神殿軍を打ち払い国が残ったとて、民が死に絶え残って居ない国など、何の意味が有りましょうか。臣民の居ない王、領民の居ない貴族など、王とも貴族とも呼べはしないでしょう。それに民が戦争を生き延びたとしても、薬漬けとなり、薬を買い続ける事となれば、それは借金の返済として神殿に流れるはずだった国の富が、薬師へと流れるように変わっただけの事。それどころか、クスリのせいでまともな生産作業に従事する事が難しくなった中毒者達がクスリを買う金を求めて犯罪に走り、治安が目に見えて悪化する事でしょう」
まあ、国民の大半がヤク中じゃ、まともな活動は無理だろうな。
「あのクスリに頼った戦いをするという事は、敗戦という目前の破滅を防ぐ代わりに、国に滅亡の種をまくも同じ事。このまま戦争が続き、貴族達がクスリに頼れば頼るほど、この国の未来は滅亡へと近づいて行きます。ですから、どうか、どうか法師様のお力を」
「少し、考えさせていただきたい」
いくらなんでもこれは、俺の一存で決められる事じゃないよね。
「解りました、法師様が監視されているように、私の動向も王都の貴族達が関心を寄せているため、今回のようにお会いする事はなかなか難しいかとは思いますが、伯父上やその意を汲む者を介してやり取りが出来ればと思います。幸い伯父上は顔が広く、様々な派閥に属する者が日々伯父上に面談を求めて、王都近郊の各所でお会いになっています。わたくしや法師様が別々に伯父上に会うだけでしたら、誰も不審には思わない事でしょう」
和平か、戦争の引き金を引いたも同然の俺に頼るなんて、この人は本当にもう手段が残って無いのかもしれないな。
R3年8月1日 誤字修正しました。