513 握手
「てなわけでしてね、撤退した神殿軍を追いかけて進軍した貴族側の戦力は、戦場を回り込んで来た神殿の機動戦力に後背の補給路と退路を断たれて孤立、そのまま薬が切れた所を前後から挟撃されて全滅ってなことになったそうでして」
ピロホン平原で神殿軍が敗走したっていう話が伝わってから十数日、やっとその続報をテトビが仕入れてきて、朝食を食べながら説明してくれたけど、ずいぶんとまあ話が変わって来たな。
「どうやら、決戦の敗退自体が神殿軍の想定内だったようでさあね。後方で要塞化した陣地に敵の大半を引き込んで、事前に用意してた迂回路でキッチリ包囲するなんてのは、狙ってなきゃ出来ねえですぜ」
防衛施設で引きつけて機動部隊で回り込みって、昔小説とかで読んだなたしか『鉄床戦術』とか『槌と金床』とかっていうんだっけ。
「せっかくの占領地を二割も放棄しやして、あんなとこまで下がったってのも、戦線整理の狙いだったのかもしれやせんね。あの陣地から先は、多少丘が有る他にゃ殆ど凹凸のねえ平地で川や城塞みてえなモンもすくねえですからねえ。獲ったとしやしても、数を用意しねえと守りにくいでしょうや、逆に敵に取られても奪い返すのは難しくありやせんから」
うーんまあ、普通に考えればそうか、地形やら砦やらで守られてない状況じゃ、攻めて来た敵と対等な条件で戦う事になるんだから、守る方のアドバンテージが移動の疲れが無いぐらいしかなくなるもんな。それなら多少下がっても守りの堅い要塞で待ち受けた方がいいのか。
「一方で今の状況ですと、堅てえ守りで敵が来ても問題ありやせん、それどころか敵が来りゃあ来た分だけ敵を削れるでしょうや。状況を固定して、現有する占領地の支配を強化するにゃあ、ちょうどいいんじゃねえですかい。開戦直後に城を三つ落してからってもの、神殿側は勝ちっぱなしで一気に占領地を広げやしたからねえ。ここらでいったん落ち着きやして、占領地の管理もしてえんでしょうや」
ん、占領地の管理って、まだ戦争中なのにか、そう言うのって勝ってからする事なんじゃないのかな。それともここまでに切り取った領地で満足するって話なのかな。まあ確かに結構な広さを切り取ってるみたいだけど。
「神殿の占領地は複数どころか中小合わせて数十の貴族や直轄騎士の領地を跨ってやすからね。領地が変わりゃあ領主様次第で法律も制度も変わりやすから。主要な街道沿いや冒険者や旅人が多いとこなんかでやすと、ある程度周りに合わせたりしやすが、田舎になりゃ地元の人間しか分かんねえ記号で書かれた道標しかねえなんて事も有りやす。そんなチグハグが直ぐにどうこうなりゃしねえでしょうが、ある程度占領地に統一した通達を出しとかねえとイザって時に困るでしょうし、代官や領主と一緒に警備兵なんぞも逃げてりゃ治安が悪くなるでしょう、あとは残党が神殿側の補給線にちょっかい出すなんて事も有るでしょうや」
そっか、ゲームじゃないんだから占領して、はい終わりって訳にはいかないのか。
いや文明シュミレーションゲームでも、占領した都市なんかは暴動が起こりやすいから治安用の戦闘ユニットが必要とかあったりしたっけ。かと言って各都市にユニットを置くと戦力が足りなくなったりするんだよな。
「まあ、その辺の整理、特に残党狩りと、輸送経路の確保なんぞの為にいったん進軍を止めて、敵味方の支配地域をはっきりさせるのに今回はちょうど良かったんじゃねえですかい」
しかし、コイツ情報屋だからて言っても、ずいぶん軍事に詳しいような。それともこっちじゃこの位が普通なのかな。
「そうだ、テトビその情報は何時のだ」
情報は鮮度が重要だよね、この数日でまた貴族達との交渉が再開されたけど、昨日までの様子だとムルズ側の軍が全滅した事をまだ知らない感じなんだよな。まあ、知っててあえて黙ってて、こっちの反応を見てたって可能性も有るけど。
「そうですねえ、後方遮断がされやしたのが三日前、軍勢が壊滅しちまいやしたのが昨日の深夜の事ですからねえ、あの場所からの距離を考えりゃあ、物資集積所がヤられたっていう早馬ですら届くのにも、もう二、三日はかかりやすかねえ。無事な連中が集積所をやられたって気が付くまでにも結構かかったようですし」
距離が有るなら、通信技術の無いこの世界じゃその位かかるのは当然か、というか。
「なんでお前はそんな事をもう知ってるんだ」
コイツの事だから嘘とかガセネタって事はないんだろうけどさ。幾らなんでも早すぎないか。
「そりゃまあ、あっしにも、それなりのツテが有るって事でさあ。おっと、ネタ元は幾ら旦那でも教えられやせんぜ、コイツはあっしの飯のタネですからねえ」
まあそりゃそうか、情報源を教えろなんて情報屋に行っても教えてくれるわけないよな。とりあえずタイミングを見てこの街のライフェル神殿に行ってみるか。
あそこなら、神官長さんが毎日転移してきてるから、神殿軍の状況なら詳しく教えてくれるだろう、ここ数日は貴族達とのやり取りが再開して忙しかったから行けなかったんだけど、今日は行ってみようか、ラッドの容態も気になるしさ。
「そういや旦那の今日の御予定は、どちらで」
「午前中はシェイク伯爵が後援する芸術家たちの展覧会、その後にクレッス子爵の昼食会、午後は王都の外に有る王兄殿下の荘園に招待されている」
本物の貴族ならこういう予定の管理は、秘書とか副官みたいな人がしてるんだろうけど、俺は元々営業職だから、こう言った予定を覚えるのは当然の事だったからさ。
「シェイク伯爵にクレッス子爵ですかい、どっちも細かい派閥は違えど、それぞれ主戦派に属する一派の大物ですねえ。王兄殿下だけはどっち側かってのが、まだはっきりしてやせんがね」
さて、朝食も終わったことだし、そろそろ行くとするか。クレッス子爵は以前からカミヤさんに渡りを付けたがってたから、その絡みだろうけど、問題なのはシェイク伯爵が俺をライワ家の『使節官』じゃなく、ライフェル神殿の『尚武法師』として招待してるんだよな。
今のテトビの話だと、シェイク伯爵はまだ戦況を知らないというか、多分自分達が勝ってると思ってるはずなのに、こうして呼び出すって事は、自分達が有利な状況で停戦交渉とか、もしくは降伏勧告とかなのか。
「よくいらした、法師殿。伯爵閣下は中でお待ちである」
ヤッカが御者を務めた馬車から降りたら、武装した騎士に囲まれたんだけど、これは話し合いを前に威圧してこっちを萎縮させたいのかな。
「貴殿らは」
展覧会の会場の広さが限られるので少人数でお越しくださいって話だったからヤッカだけしか連れてこなかったんだが、この広さはどう見てもそんな心配はいらないだろうし、向こうは三ケタ近い護衛を連れてるんだけど。
そう言えば、会社に居た時に先輩から聞いた話だと、反社会勢力の事務所とかに呼び出されるとこんな感じらしいな、こわもての連中に囲まれて、圧力で相手の要求をのませるって。
セオリーで行くなら相手のテリトリーに入るのも、相手より少人数で行くのもNGなんだけど、まあ俺の場合はね。
「私は、シェイク伯爵家家臣クラック・ハズだ。この会場は伯爵閣下に献上された美術品が大量にあるからな、警備主任を務めている。何しろ今は戦時中だというのに、敵勢力の薄汚い人間がこの王都でのうのうとしているので、何が有ってもおかしくはないのでな」
うん友好的に握手を求めて右手を差し出してきてるけど、言ってる事はどう考えても俺を敵視してるよね。この状況で握手って、お約束的にはアレかな、『長命の魔法輪』に意識を向けながら俺も右手を差し出す。
「よろしく頼む」
「ふん」
「ぐうう」
やっぱりかよ、俺の手を握り返したクラックが手に力を籠めやがった。
「ふん、『尚武法師』等と御大層な名乗りをしておきながら、なんと非力な」
ゴリゴリと手や指の骨が折れていく音が響く中で、必死に痛がるのを堪え、同時に『超再生』が自動で発生しないように抑えこむ。
「貴様、何をするか」
俺の様子に興奮しかけているヤッカを、左手を振って抑え、若干脂汗が浮いてきた顔に無理矢理笑みを浮かべてクラックに向き直る。
「伯爵の所に案内してくれるかな、警備員さん」
結構無理をして、平静なふりを続ける。
「この、ふん、付いてこい」
「ヤッカ、馬車を移動させてから車内に小さな袋が有るからそれを取って来てくれ。それまでは私一人で良い」
「わ、わかった」
指示通りにヤッカが馬車の御者席に戻るのを見ながら、会場へと入って行く。
「おお、法師いらしたか、どうですかな、この会場に有る品々は、これでも私は目利きには自信が有ってな。我が国でも有数の品を集めたと自負して居る。神殿の宗教画とは違う趣が有ると思うがいかがかな」
ロビーを抜けた先で、豪華そうな椅子に座った伯爵が俺に軽く手を上げて来るのに軽く会釈をして答える。
「伯爵閣下、お招きありがとうございます。実に素晴らしい美術品、確かに私の知る作品に勝るとも劣らぬ一品ばかりかと、国が変われば文化が変わるという事がよく解りますな、先ほどもそちらのハズ卿に教えて頂いたばかりでして」
「ん、クラックが法師に我が国の文化に関してお教え出来る事があるとは、戦闘ばかりの武骨者と思っておりましたが、見直さねばなりませぬな」
俺と伯爵の会話に、クラックが慌てた表情を浮かべるが、主の会話に割り込むようなマネを客人の前ですりゃ、無礼者と怒鳴られるだけだから、どうしようも出来ずにいる。
普通に考えれば主が招待した客を相手にあんなアホな真似をすれば、後で困る事になるって解り切ってるだろうに。脅しと実力行使は別だって解ってないんだろうな。
脅しってのは、相手に対して攻撃されるかもしれないって思わせるのが目的であって、実際に手を出してしまえば、双方ともに後に引けなくなってしまう。
ヤ〇ザだって通常は威圧してくるだけで、法に触れない警察沙汰にならないギリギリを狙ってくるものだっていうのに。
例外的に牽制や相手の心理を追い込む目的で、限定的、あるいは小規模な実力行使という事あるだろうけど、それだってここまでなら相手は本気でやり返してこないが威嚇効果はあるっていう一線を越えないようにするか、さもなければ、相手の反撃で受けるデメリットよりも相手から妥協を引き出すメリットの方がデカいと計算で来た時なんだろうけど。
今回の場合はね。
「神官長猊下だけでなく、ライワ伯爵閣下からも、これからの事を考えてムルズの文化に付いて知り得た事を事細かに報告するよう言われていましたので、色々と勉強するようにしていましたが。まさか、来客に対して握手ではなく手を潰すなどという挨拶が有るとは思っていませんでした。今後ライワ家ではムルズの貴人を出迎える際には棍棒を用意するようにしましょう。ああ、その際にはシェイク伯爵家の方に教えて頂いたと伝えるようにしましょう」
砕けて形の変わってしまった右手を軽く掲げて示すと、シェイク伯爵とクラックの顔から一気に血の気が引いて行く。
「な、な、そ、その手は、まさか、ハズ、貴様が……」
まあ、顔色が悪くなるのも仕方ないよね、今回俺は神殿関係者として招待されてるけど、同時にライワ伯爵家の人間だって事も相手は知ってるはずなのに、それに対して危害を加えたってなると、交渉上でかなり不味い事になるのは間違いないもんね。
多分クラックはそこまで難しい事は考えてなかったんだろうし、ちょっとした力試しくらいのつもりだったんだろうけど、自分の行動が主の顔を潰したことくらいは解るんだろうな。
チート持ちの主人公とかなら、さっきみたいな事されたら逆に握り返して相手の手を砕くんだろうけど、俺にはそんな握力ないし、何よりこういう場では『一方的な被害者』って立場は色々と使い道が有るし、相手を信用してたのであえて抵抗しなかった、なのにこんな事になったって感じで話を持っていけるだろうから。
「お待たせしました、サカキ卿、御指示の品をお持ちしました」
状況がまだ飲み込みきれてないだろう、シェイク伯爵をよそに、ヤッカがやや早めの足取りで入室して来て、俺の指示した小袋を差し出す。
「サ、サカキ卿、それはまさか、ライワの秘や……」
小袋から取り出した焼き菓子を口に含み噛み砕くと同時に、止めていた『超再生』を発動させる。
「こ、これが、あの秘薬の効果、こんな物を使われては……」
モノの数秒で元に戻って行く俺の手を凝視しているシェイク伯爵達には、俺が『馬のふん』を使ったように見えるだろうから、これも良い交渉材料になるだろうな。
「があああ」
いきなり悲鳴が聞こえて視線を向けると、右腕を抑えて蹲ってるクラックとその横で返り血を浴びて立ってるシェイク伯爵が、というかクラックの腕……
「サカキ卿、当家家中の者が失礼をいたした、このようなモノでお許しいただけるとは思えぬが、当家の誠意の証と思っていただきたい。具体的な賠償と、何より今使われた薬の代価については、後日正式に交渉いたしたいが、とりあえずこの痴れ者の家を取り潰し私財を没収し一族の身柄を抑えさせましょう。足りない分は当家で補填いたす」
「は、伯爵閣下、そ、そのような」
「誰か、この愚か者を連れて行け、それと奴隷商を呼んで置け。サカキ卿、今回の事態は私としても予想外の事態で、当家の指示によるものではないという事は、ライワ伯に、いやライフェル神殿にもはっきりとお伝え願えないだろうか」
うん、対応が早いな、あくまでもクラック個人の問題に責任を押し込みたい、だけど保障はしっかりして心証を悪くしないようにしておきたいって感じか、とっさの事だっていうのに危機管理意識がしっかりしてるな。
「では、ライワ伯当てに、シェイク伯爵から今回の件に付いての便りを書かれてはいかがでしょうか、私も報告を上げる必要が有りますから、それとともにライワ伯のもとへと届けさせましょう」
そうすれば、シェイク伯が自分達の側の非を認めたって証拠になるからね。
「致し方ないか、直ぐにしたためるゆえお待ちいただきたい」
棚ぼたみたいな感じだけど、これはいい感じに話を持っていけそうだな。