508 ピロホン平野 2
剣先が脇腹へと差し込まれ、刀身を血が伝っていく。く、師父のすぐ近くに居ながらこのような愚行を止められなかったとは、ただ見ているだけで何もしなかったなど、我ら弟子は案山子にも劣るではないか。
「師父」
「刃は肉で止まっていて、臓腑には達しておらぬ、大事はない」
そう言われて師父が御自身で短剣を抜かれるが、確かに刺さっていたのは先端の僅かな部分のみ、おそらくはとっさに腹筋を使い、兇刃を抑えこまれたのか。
既に卑怯者たるカンキンは、師父が反射的にはなった拳撃で打ち倒され、師兄等が取り押さえられている。だが……
「カンキン、この卑怯者めが。正々堂々たるべき一騎打ちの勝負に敗れておきながら、あのように見苦しい真似をするとは、武人の風上にも置けぬ恥知らずめ。仮にも貴様の家は歴代当主より複数の『勇者の従者』を輩出し、勿体なくも勇者様の血をその一族に入れながら、よくもこのような事が出来たな、先祖の武名が泣くぞ、この卑劣漢が。すぐにでもあの世の父祖のもとに送ってくれるゆえ、自らの不義で家名に泥をぬったと、その口で直接詫びるがいい」
抑え込まれたカンキンに『鮮血柳葉刀』を振りかぶりながら向かっていくが、こやつ、笑っている。
これから殺されると言うに、このような真似をする卑怯者が死を恐れないというのか。カンキン男爵家と言えば剣士の家系であり、かの勇者クニオの血統と教えを守ってきた家の筈、命を惜しまぬのは解らなくもないが、このような卑劣な真似をするとは。
いや考えるのは後だ、まずはコヤツめを血祭りにあげ……
「待たぬかコンナ」
「なぜ止められるのですか師父、このような者生かしておいても」
「すでに取り押さえて虜とし、抵抗はおろか身動きすら取れぬ相手を切って誰に武勇を誇るつもりか。捕虜殺害の不名誉をライフェル神に負わすつもりか」
それは、確かに無抵抗の捕虜殺害は大罪、だがこの者は降伏の意思を示しておらず、ましてあの様な真似をすれば罪人として処断する事も出来る筈。
「ラッド、この偽善者が、敵を斬る事も出来ぬ臆病者か、過ぎた法名が泣くぞ」
な、コヤツ、師父の慈悲に対してこのような暴言を吐くなぞ、槍許してなど置けぬ。
「そのよく回る舌をえぐり取った上で、首を潰してくれようぞ。カンキン家としても家名を汚すような卑怯者の首など返されても、困るだけであろうしなあ」
ただで殺しはせぬ、己の罪を解らせるためにも……
「待てと申したであろう、コンナ」
「ですが、あのような真似をしながら、この者の不遜な態度、コヤツは生きることを望んでいないとしか思えませぬ、ならばその思い通りに死なせてやるべき……」
なにを言っているのだ、わたしは、コヤツは死にたがっておると。
「つっ」
「其方にも、そのように見えるか。カンキン殿、拙僧にも貴殿は殺されるために、あえて先ほどのような事をされた風に思えまする。一騎打ちの時には、正面から正統派の剣術のみを用い、搦手やフェイントも使われなかった、拙僧にはあの戦いこそが貴殿の本質と思えまする。それにこの短剣での一刺し、貴殿が本気で形振り構わずに拙僧の命を狙うので有れば、スキルを使うなり薬物を塗るなり、あるいは横からではなく拙僧の背後からより致命傷となる場所を狙われたはず」
確かに師父であれば、たとえ油断されていても、攻撃に気付かれれば、よほどの一撃でなくばその時点で対処は可能、実際に切先は皮膚と肉をわずかに貫いたのみ、だが強力なスキルや魔道具であったならば……
「思えば、貴殿が短剣を抜かれたのは、拙僧が止めを刺さぬと言った後で有り、先ほどの暴言もコンナを止めた直後の事。であれば貴殿の狙いは、拙僧等の怒りを買い死ぬ事ではありませぬか。ですが、そうまでなされる理由が皆目見当が尽きませぬ」
「殺せ」
カンキンが取り押さえられたまま暴れようしながら師父を睨み付け、すぼめた口から唾を師父の顔へ吐きかける。
「理由が無くば、捕虜を殺す真似など出来ませぬ。ライフェル教は蛮人の集まりではありませぬぞ。拙僧は先ほどの貴殿の剣技に感服し尊敬に値する御仁とお見受けいたしました。拙僧の杖術を巧みに捌き、そのまま次の技へとつなげていくあの技量、産まれ持ったステータスや与えられた職、ただ意味も無く上げただけのレベルやスキルなどを頼り戦うような者には到底出来ぬ芸当。よほどの修練と経験があっての物でございましょう。まさにムルズを代表する剣士との呼び声に恥じぬ物、であらば、例え捕虜であってもそれにふさわしき礼節を持って遇するのは当然の事かと」
頬に着いた唾を気にする事も無く師父が述べられると、カンキンの身体から力が抜け、そのままうなだれるように顔を伏せる。
「御坊は、武人・武僧ではあられても、武家ではないのですな」
む、どういう事だ、コヤツは何が言いたいのだ。
「我がカンキン家は、御坊等も言われた通りムルズ随一の剣の家柄と自負しており、それは他も認める所でありましょう。その家の当主たる某が、この戦においてライフェル軍の要たる武闘大師を討ち取れと主筋より命ぜられ、力及ばず破れておきながら、おめおめと生き延びる事などどうして許されようか、王都へ帰る事などどうしてできようか」
確かに、名誉を重んじる武人ならば負けた以上は死ぬのが当然という考え方をする者もいようが、だがこの者の必死さは何なのだ、せっかく師父が見逃された命をあえて捨てようとしているとしか。生きてさえいれば、敗者の汚名を濯ぐ機会も有ろうというもの。
「当主が、戦場での役目を果たせぬばかりか、生き汚く敵に降った等と言われれば、たとえ事実がどうであろうと我がカンキン家そのものが国より罪を受け取り潰しとなりましょう。いや処分が下されぬとも、周囲より責められ石を持って追われる事となり、遠からず一族皆が捨て駒としてライフェルとの戦場に送られ、我が家は潰えましょう。だが、某がここで御坊等の手にかかって死ねば、それは名誉の戦死、国の者達は某の事を忠義の士とでも呼びそやし、王宮も我が家や子らを遇しましょう」
まさか、そのような事があるはずが、命に従い死力を尽くし戦った勇士が、敵に捕らわれたという一事のみを持って責められその一族までも罰を受けるなど、密偵などではあるまいに。
そういえば、リョー師叔が以前にムルズの騎士を捕えようとしたときに自爆されかけたと言っていたが、まさか本当にムルズとはそのような国なのか。
「王女殿下から、御坊を討つよう命ぜられた時から、某には勝って帰るか、棺となって帰るかしか無いのです、どうか死こそが慈悲と思い」
「貴殿を打ち破った拙僧が自ら、貴殿の武勇は見事ゆえその技量を惜しみ助命したのだと、ムルズの王宮へ書状をしたためましょうぞ」
「たとえそれで王宮が罪無しと公表しようとも、周囲が、世の中がカンキン家を許しませぬ、命を惜しみ敵に降った怯懦の家系と呼ばれ、焼き討ちされかねませぬ」
「無益な、それではあたら有能な人材を使い潰すだけではありませぬか、成功できぬならば死ねなどと。戦死は確かに名誉ではあるが、それは勝利の為に全力を尽くし役目を果たそうとした結果で有ればこそのものであり、本来は避けるべき結果であろうに。死そのものを美化し、賛美し、目的とするような考えなど、物事の道理をはき違え歪んでいるとしか」
師父が、忌々しげに言葉を続けられる。
「そのようではこの戦のあとで戦力を回復させ、失地を挽回するための戦力を残す事も難しくなるではありませぬか。いや、ライフェル神殿の立場で考えるならば拙僧と互角に戦えるほどの実力者であるカンキン殿や、その他の騎士達がこの戦場で消え二度と敵となりはしないというのは。望む事かもしれませぬが」
少し考え込まれてから師父が御言葉を更に続ける。
「神官長猊下がこれだけの戦力を投入され、あのような作戦を是とされる訳か。諸国に多くの信徒を抱え、戦力も多く拙僧のような高レベルの者も少なくないライフェルと、ただ一国にすぎぬムルズ王国では、総戦力の差が大きく、戦闘で消費した戦力の回復力も違う。互いに同数の被害を出し続けたとしてもムルズが先に倒れるというのに、このような無駄な戦い方では、自らの死期を早めるようなもの。猊下の御言葉ではムルズ側はこの決戦で勝利して此方の妥協を引き出し早期に停戦交渉を始めたがっているとの事だったが、自らの国に余力が少ないと解っていながらこれなのか。いや、これ以上は拙僧の考える事ではないか」
そこまで言われてから、師父が無手のままでカンキンに向かって構えられる。
「戒めを解け。カンキン殿、今一度勝負を所望いたす。拙僧が勝った暁には、貴殿の首級を我が武勲として頂きたく存じます」
「おお、おお、ありがたい、いやムルズ王国男爵グラム・ヨウセイ・カンキン、『武闘大師』殿の挑戦をお受けいたす、いざ」
師兄等が拘束を解かれると、カンキンがまだ無事な手で短剣を拾い構えるが、既にほとんど体力が残っていないのが拙僧の目でも解る。
「無理もない、数十合とはいえ、全力の師父と切り結ばれたのだ、おそらくは先ほどの一戦に全てを継ぎこみ気力体力ともに残ってはおらぬだろうに」
師兄が呻くように呟き、視線を二人に向けたままでこちらへと問いかけられる。
「コンナ、周囲に無事な敵勢力は居るか」
「いえ、御二人の最初の戦闘の間に近郊に居る敵の大半は討ち取るか捕え、残りも蹴散らして後退させております、おそらくはカンキンが師父を抑えこむ前提で、勝負が始まるのに合わせて、巻き込まれぬようこの辺りの戦力を薄くしたのかと。それ以外の場所では、戦闘のさなかですのでこちらを気にする余裕は敵味方ともに無いかと」
おそらく、師兄は今のやり取りを敵方の者が目撃していないかを気にされているのであろう。
「そうか、ならばよい。カンキン殿の願いを師父が聞き入れた以上、いらぬ小物の讒言により、師父の行動が後で台無しとなっては無粋だからな。一度勝負が着き敗者を取り押さえた後で、また仕切り直しと言う状況だけを見れば、道理の解らぬ者が邪推しカンキン家が裏切り密約を交わしたなどと騒ぎかねんからな。始まるぞ、異質な考え方の相手とはいえ、あれもまた武に生きる者の生き方死に方の一つであろう、よく見て置けコンナ」
「御意」
カンキンが短剣を振りかぶりとびかかるのに合わせて、師父が正拳突きを繰り出され、拳が胸甲を貫き、カンキンの背中から突き出す。
「お、おみ、ごと……」
「貴殿の一撃も迷い一つない斬り込みも見事でございました、先ほどの一戦よりも早く鋭く、一度見ていなければ、あるいは貴殿の武器が短剣ではなく長剣であったならば、危ういところでしたな」
「法師殿、俗世とは生きづらい場所でございますな」
師父が腕を引き抜くと同時に、カンキンの身体が崩れ落ち、その場にしゃがまれた師父が剣を抜かれ首級を取られる。
「師父、血が、どうぞお拭きください」
師弟の一人が、手ぬぐいを差し出そうとするのを、師父が血まみれの手を軽く掲げられて止める。
「この血は強敵であたカンキン男爵の返り血、我が武勲になれど、汚れにはならぬ、それに」
師父が硬杖を拾い上げられる。
「たとえ拭ったとしても、またすぐに新しい血で濡れる事となろうしな」
「ん、師父、あちらをご覧くだされ、中央陣地のみならず左翼陣地の聖騎士団までもが、崩れ始めています」
馬の鞍の上に立ち上がって、高所から戦場全体を見回すようにしていた師弟が、僧兵にあるまじき慌てた声で叫び出すが、ライフェル神殿に仕える聖騎士団がこうも早く崩れるなどそんな筈があるまいて。
「なんだこれは、陣形も何もない全く統制のとれていないただの大規模な乱戦ではないか、敵の指揮官は何を、いやなんだあの兵士は、雑兵達が同数の騎士を圧倒しているだと、あの怪我で何故倒れない、素手で鎧を引き裂くなど。あれは人間なのか、あれでは魔物ではないか……」




