495 王女と王兄2
「交渉をしている限りはライワ伯が動かないと言うのを拡大解釈したのが、王都の今の現状ですか、何でも戦争の準備をしながら、宴席や舞踏会を繰り返しているとか」
お茶に合わせた菓子の乗った皿を差し出される伯父上が、嘆かわしさを表すように首を振られる。
「ええ、開戦になったと同時に、主戦派の一部貴族達は担保としてライフェル神殿に差し押さえられていた資産を解放し、それらを担保に別口の借金をして戦費と遊興費に充てているようですが」
「愚かな、確かに戦争に勝てば、神殿の借金は帳消しに出来ようし、国内に有る神殿の利権を奪えれば新たな借金を返済しても余り有ろうが、それはあくまでも神殿に完勝できればの事です」
伯父上の言われる通り、負ければ大量の戦費を消費した挙句、二重の借金を抱えることとなる。なにより……
「完勝しなければ借金が残り破産する貴族家が一定数いるのであれば、神殿との交渉による和睦は期待できなくなる、身内からの反対や妨害があるでしょうから。おそらく宰相のモナ候やその周囲の者達がこれまで狙っていたのは、武力を背景として神殿から借金の一部棒引きや低利率への借り直し、返済期間の延長などの譲歩を引き出すというもので、戦争はあくまでも交渉の一環、全面対決等は望んでいなかっただろうに」
それがあったからこそ、講和を取りまとめる好機だと思っていたのですが。
「その為にもモナ侯爵らも開戦の正当性を求めていたのに、味方が暴走した挙句こんな最悪の形で戦争が始まり、更に追加の借金という形で味方が交渉の余地を削っていてはな。自分達が煽った結果とはいえ、皮肉なものだ」
話に熱が入っているのか、伯父上の言葉がだんだん素の物に戻ってきておるな。
「煽ったですか、それは宰相がという事でしょうか伯父上」
「うむ、モナ侯爵が借金を抱えた貴族達を纏め上げて自らの派閥への支持を集め、その影響力を持って神殿に強気の交渉をする為には、勇ましく主戦論を展開し、貴族達の敵愾心を利用するのが手っ取り早かった。その為にもモナ候らは自分達は戦争に勝てる、勝てば明るい未来が待っていると貴族達へ言い続けていた。それを馬鹿正直に信じた貴族達が、こうして新たな借金をして後がない状況に自らを追い込んでしまったという訳だ」
これでは……
「下り坂に入った馬車が馬に鞭撃ち、加速し続け、気が付いた時にはもう止めることの出来ぬ速度になっていたという訳だ、下手に無理矢理馬車を止めようとすれば、そのまま馬車ごと横転しかねん、だがそのままの速度で走り続ければ、制御しきれずなにかに衝突するなり、車体が耐えられずに壊れやはり横転する」
大きな事故になれば、被害は馬車だけにとどまらず、周りの者も巻き込むことになりましょう。同じようにこの戦争の惨禍は、始めた貴族達だけでなく。
「出来る事は、何とか無事に平地まで辿り着き運よく止まってくれるよう祈るか、あるいはよほど胆力と技術が有るのなら徐々に速度を削り何とか止める事も出来るか。でなくば、周りに被害を与えないよう潔く、適当な場所に馬車をぶつけて自分達だけで始末をつけるか、と言ったところか」
「もしも叔父上であれば、この馬車をどう乗りこなしなさいますか。いえ伯父上ならば、この事態をより良い方向に……」
む、伯父上の表情が急に変わられたが、まるで仮面をハメられたかのように。
「少し話過ぎてしまったようですね。失礼いたしました、廷臣でも殿下の家臣でもない、一私人が無責任に政治を賢しげに語るなどと愚かな真似を、どうかお許しくださいませ」
「叔父上、そのような物言いは、伯父上の御言葉であれば宮廷の諸官も諸侯も無下にはなさらぬでしょう。伯父上であれば、ベーザ王兄殿下で有られれば、ライフェルの方々との友誼も有りますし、この戦争を……」
わたくしの言葉を遮る様に、伯父上が言葉を続けられる。
「殿下、臣めは王家を抜けて臣籍に降り、公職も返上した身、そのような者が宮中に影響力を行使するような事など、あってはならぬ事です」
「でありましても、伯父上はいまだに王位継承権を有されています」
「だからこそです、臣めが官位も持たずに政に関われば、周囲は臣が再び王族として振るまっていると捉えましょう」
確かに、我がムルズの国法においては、宮廷において国政に関与する事が許されるのは、その為の官位と役職を有する廷臣、または王家の一員として国王を補佐する王族のみとされている。だからこそ、臣籍降下されていても王位継承権を持っておられる叔父上であれば、国政に関わったとしても、異論を申すものは少ないはず。
「そうなれば、いらぬ誤解をする者がいましょうし、誤解から余計な欲を出す物も出て来ましょう。臣がなぜ臣籍に降る事を選んだか、思い出してくださいませ」
確か、まだ父王陛下が即位なされる前は、官職に付かれて多くの功績をあげられ年も上である伯父上こそが、正嫡の父上よりも王位にふさわしいという意見が少なくなく、それがあって、継承権争いから内乱になる事を恐れた前国王陛下の勅を受けて、伯父上は臣籍降下されたと。
確かに今の状況は主戦派の中でも派閥同士の主導権争いがあり、そこに伯父上が王室に戻られるとの話があれば、再び伯父上を立て、国王陛下を廃そう等と考える者も出かねないのか。
「では、官位に付かれてはいかがでしょうか、廷臣としての職分の内で国のため働かれるのであれば、そのような勘違いをする者も……」
権限を制限されていても、高位の官であれば出来る事は多い、伯父上で有ればそれを有効に使われて下さる筈。宰相位はモナ侯爵がいますが、それに次ぐ副宰相は臨時の職であり空席、そこならば。
「殿下、お忘れでしょうか、臣は分不相応にも公爵位を頂いております。わが国で宰相位につけるのは下位の伯爵家の当主のみ、それ以外の高官になれるのは、子爵、男爵、あるいは直轄騎士のみとなっておりますれば、広い領地と多くの兵を抱えさまざまな特権を有する高位の貴族が、宮廷においても高官の地位を兼ねることが、国にとってどれほど危険な事態か、殿下ならばおわかりでございましょう」
確かに、高位貴族が持つ自前の権力と兵力、これに国権を動かす力があれば、自領に多大な利益を誘導する事も、領軍と国軍を動かして謀反を興す事も出来るやも知れぬ。それ故に大貴族は外敵より所領を護る事を最大の義務とし、国政に関しては陳情や意見具申という間接的な形でのみ関われるようになってはいるが。
「ですが、伯父上は公爵位を有されてはいても、領地はこの屋敷と僅かな荘園のみで私兵も少なく、年金を除けば、男爵、いえ騎士相当の武力しか有されておらぬはず、それであらば国に危険も無いでしょう、まして今は非常時ですその間の特例位は」
「非常時であっても、いえ非常時であるからこそ、法は守られねばなりませぬ」
そうは言われても。
「非常時で有れば法を破っていいというのであれば、誰もが非常時だという理由で法を軽視し護らぬようになるでしょう。禁忌は一度でも破られそれが罰せられなければ、万人にとっても禁忌ではなくなります。公爵が高官になれるのであれば、侯爵や伯爵が高官になってもおかしくはないという者も居ましょう。一度でも特例を認めれば、それは前例となり、また何かあれば同じように特例が行われ、やがてそれは特例ではなく恒例や慣例となって行き、高位貴族が宰相となっても誰も気にしなくなる事でしょう。そうなれば何者かが国を乗っ取ろうとしても止めることは難しくなりましょう。国法とは王の権威、それを軽視するは王を軽視するも同じ事ですぞ」
伯父上の言われている事は解る、解るが、国が滅びてしまっては、どうしようもないではないか。
「では、では伯父上はこの状況でも何もなされぬと、王家に生まれ、今も恩給を受けていながらこの窮地を見逃すと言われるのですか」
「そうではありません、領地を与えられた貴族としてすべき義務は果たします。陛下より参戦せよとの勅が下りますれば喜んで兵を率いて参集致しましょうし、仮に王都防衛や王領での決戦等という事態になれば、封爵の際に陛下へ立てた誓いの通りに、すぐさま王都へ集い全軍の先頭に立って見事に散って見せましょうぞ」
確かに、王の招集に従い戦うのも、王や王都の危機に駆けつけるのも、貴族にとっては最大の義務ですが。
「後は、官位を持たない一貴族として出来る範囲で有れば、殿下のお役に立てるよう微力ではありますが、ご協力させて頂きます。ただ、臣めが、王位継承に関して殿下を支援していると取られるが如き行動は慎ませていただきますが」
やや疲れたように伯父上が返答なされるが、よかった、これで幾らか伝手を広げる事が出来る。
「ありがたい、王位に付きましては、そもそもわたくしは望むつもりはございませんのでどうかご安心を、ではこれからどうするかを話し合いたいのですが」
とは言え、事がすでに起こってしまっている以上は、何事も後手後手に回ってしまうのは避けられぬが。
「臣が考えますに、すでに始まっている戦いをどうにかする事は難しいかと思います。開戦とほぼ同時に三つの城が落されて神殿軍の本隊は戦わずに王都方面へ後退する貴族家の軍や騎士団を追いやる様にゆっくりと進んでおり、南方域でも幾つかの貴族家の軍がフレミラウ法師率いる神殿の別動隊に敗退しているとの事」
「いかにも、それを迎え撃つために、貴族諸侯が集めた軍勢がピロホン平野へ進軍して陣を張り、神殿軍に追われ後退してくる貴族軍を受け入れながら、会戦の準備を進めていると聞きます。伯父上の言われる通り、今からこの会戦を止める事は難しいでしょう」
だが、この戦いだけで戦争が終わる訳ではない、どちらが勝とうとも兵として集められた多くの民が死ぬ事となり、その後も被害が広がる。
「神殿が敗退すれば、貴族達は利権を求めて各地の神殿領に進むでしょうし、そうなれば神殿側は国外からさらに追加の戦力を送り込んで来るでしょう。周辺国の協力を期待できる大義名分も有りますし、ライフェル神殿の権威を護る事を考えれば、勝つまで諦めることはないでしょう」
そうなれば、統率の取れていない貴族の領軍や傭兵による略奪が起きかねない、そして神殿の第二陣に対抗するためにも更なる徴兵が行われかねず、神殿がさらに力を入れれば戦争の長期化や被害の拡大は避けられぬか。
「また、痛み分けとなって領軍が伴に後退すれば、しばらくはにらみ合いになるでしょうが、それによって現状神殿側に占領されている地域は、そのままとなり、税や物資は入ってこなくなり、長期化すればそれらの地を領有する貴族家は困窮する事でしょう。それで貴族達の頭が冷えて、停戦に向かうか、それとも追い込まれた事でより過激化するかは現状ではわかりませんが」
これらの地域からの物流が止まれば、王都の食糧事情や物価はさらに悪化するかもしれぬし、境界線付近で小競り合い等が繰り返され、それらの土地は荒れ多くの住民が巻き込まれかねぬ。
「そして、神殿が圧勝した場合ですが、主導権が向こうになりますから、神官長猊下が会戦に一勝した事で良しとして、借金返済に関する契約の履行を条件に降伏を求めて来るか、それとも我が国を徹底的に叩くべくさらに進軍してくるかにもよりますが、貴族達も自分達の命を金銭よりも優先しだし、講和に応じる流れが出来るかもしれませぬ」
一戦の犠牲だけでおさまるのなら、それが良いのかもしれぬ。神殿の軍は略奪や虐殺などを行う事も殆ど無く、雇っている傭兵や協力している貴族達にもそれと同じ事を求めるはず。民の被害を考えれば……
だが神殿軍が進軍し、伯父上の言われるように王都決戦、王軍と貴族軍が籠城し神殿軍が攻城戦を行うとなれば王都に住む民は戦いに巻き込まれていくことに。
「今は、どの状況になっても良いように考えておきましょう、それらの状況次第で誰を説得し、どう話を持って行くかが変わって来るでしょうから。」
伯父上の言われる通り、現状では開戦の結果がどうなるかは解らぬゆえ、色々な状況を考えておかねば。
「臣が噂で聞いた話では、モナ宰相には此度の戦に関し何か秘策があるとか」
「ええ、それを聞かれたためか、第一王女殿下と第二王子殿下も、私兵を率いてピロホン平野での戦に参加される意向を示されています」
おそらくは戦果を挙げることで、宮廷内の立場を高め場合によっては将来の王位継承争いを有利に進めようという事でしょうが。
「ともかく今は情報を集めるしかありませんか」
戦争の状況をできるだけ早く把握して、対応できるようにせねば。だが……
「おそらく、この状況で一番頼るべき相手は……」
少しもじった地名で、宰相の秘策に付いてなにか気付いた方もいるかもしれませんが、感想欄でガチなネタバラシは御遠慮して、ぼかすあるいは匂わす程度にして頂けると助かります。
ネタバラシ、駄目、絶対!!
R2年8月20日 参加する王族を、第二王女でなく第二王子に訂正しました
R3年8月1日 誤字修正しました。