487 橋の上にて
「御主人様、領境の橋が見えてきました。あの川を越えれば王領になります」
先頭を行くサミューの指さす先に確かに橋が見えるけど、アレを越えれば任務達成か。
「やっと、到着ですかい、いやはや、王女様を迎えに行ってからもそうですが、その前のライワ伯爵領を出てからという物、山あり谷あり、命がいくらあっても足りねえ旅路でしたねえ。ですがそれもこれで一段落、ご案内させて頂いたあっしも肩の荷が下りるってもんですし、伯爵様からの報奨を考えると、今夜の酒と肴は旨くなりそうでさあ」
テトビが呑気そうに酒とか羨ましい事を言いやがるが、一々妬んでも仕方ないか。
コイツには散々世話になったからな、いろいろ教えて貰ったり地方の顔役を紹介して貰ったりで、コイツがいなかったら、今回の護衛任務は失敗してたかもしれないな。
ミュデュシュン伯爵領を出てから今日で五日目、これまでに小規模な襲撃は有ったけど、それほど手間取ることなく撃退出来たしな。
襲撃して来た敵の規模の小ささや、単純なやり方なんかを考えれば、俺と王女が流されたあの橋での待ち伏せが敵側の本命で、あれが失敗した事で向こうも諦めたって事かな。
マインとミュデュシュン家がそれぞれ先触れの使者を送ったから、橋の向こう側には千人単位の部隊が出迎えに来てるらしいし、河も向こう岸の近くには十数隻の船が兵士を乗せて待機してるから、前みたいに水中から襲われたり出口で待ち構えられる恐れも無い。
というかあの橋自体が王領の管理下に有るらしいから、王女の乗った馬車があの橋の上に乗った時点で、俺の役目は終了、王女を守る義務と責任は王宮側に移るから、そこまで行けばもう王女の護衛に関しては心配ないよね。
まあ、この国の状態を考えれば帰り道でも何かトラブりそうな気はするけど、王女を迎えに行くまでもアレだったからさ。
「止まれ、冒険者」
ん、もうすぐ橋に差し掛かるってところでマインが急に前に出てきたけど、どうしたんだ。
「この橋の上は、我が国を統治される偉大なる国王陛下の直轄領となる。故に貴様はこれで御役御免だ、これより先は我らが、馬車を護る。我が配下と御者を代わらせろ」
ああ、マイン達にも王女直属の護衛としてのメンツが有るのかな。
まあ、マインの言う通り俺達の仕事はこれで終わったんだし、カミヤさんからの依頼も王女に貸しを作ったって事でそれなりには達成できたと思うから、この位はマインに花を持たせても良いか。
カミヤさんや神官長さん的には、開戦の口実に使える様なもっと大きなネタが欲しかったんだろうけど、こればっかりは相手の居る話だから、今のままじゃこれ以上はね。
何もかも完璧にとはいかないよな。
「分かった、ミーシア、王女殿下の護衛兵と御者を交代してくれ」
「は、はい、わ、わかりました」
ミーシアが馬車の御者席から下りて、馬達を宥めていると、すぐに兵士の一人が馬車に乗り手綱を手に取る。
「本来ならば、貴様はもう必要ないゆえ、何処へなりとも立ち去れと言いたいところではあるが。ありがたくも、近衛総監で有られる第三王子殿下が、向こう岸の陣地にて貴様へお褒めの言葉を賜れるとの御達しだ、貴様は付いてこい」
え、俺、てっきりこれで終わりかと思ってたんだけど、まあ向こうとしてもメンツとか儀礼上の関係とかで、王女の護衛をしてた相手を何も対応せずに帰す訳にはいかないとかあるのかな。
「解った」
もしかしたら御土産じゃなくて、なにか褒美とかもらえたりするのかな。
「待て、既に護衛ではない貴様をその恰好で王子殿下のもとへ行かせるわけにはいかん。靴代わりの具足はともかく、武器や上半身の防具類は外し『アイテムボックス』にしまえ」
それもそうか、貴族の行列とすれ違う時ですら、害意が無い事を示す為に武器をすぐ使えないような状態にするってのに、王族と会うっていうんだから、武器を外してしまうってのも当然か。
防具をガチガチに付けてたりしても、何か後ろ暗い事が有るから守りを固めてるのかとか思われそうだし、腕の装備をしてそのまま殴ったりしたら殺傷能力ありそうだもんな。
「それと貴様の奴隷や従者は、強力な魔法や、素手でも使えるスキル等を有しているゆえ、ここに残すよう。また、万が一にも馬上から殿下を見下ろすような不敬があってはならぬゆえ、馬を下り馬車以外は徒歩にて向かう、よいな」
う、確かにうちの子達は、みんな大暴れしてたもんな、ミーシアは言うまでもないし、トーウも自由に毒を出せる、ハルとアラの魔法は一撃で十数人は仕留めれるもんな。サミューは鞭ばかりのイメージが有るけど、過去には握り潰した事も有るから確かに素手でも危険だわ。
うん、こう言われちゃうと何も反論できないな。
「解った、すまないがここで待っててくれ、すぐに戻るから馬達を見ててほしい」
「解りました、お待ちしております御主人様」
「いってらっしゃい、リャー」
みんなを代表してか、サミューとアラが返事をして俺達を送り出してくれる。
さて、今回の締めになるお仕事をしに行くか。
「あともう少しで向こう岸か、ずいぶんと長い橋だったな、歩いて渡るだけでちょっとした散歩だ」
(この川は、王都にとっては水上交通の要であるとともに、防衛の要とも呼ばれて居るほどじゃからの、川幅は見てのとおり広くそれゆえ橋も長くなろうて)
てことは戦争なんかになった場合、この手の橋を落されたら王都に攻め上がるのが難しくなるんじゃないだろうか、まあ、あの神官長さんがそんな事も考えてない訳はないか。
(この程度の歩行で愚痴をこぼすなど、馬や馬車に慣れ過ぎて体がなまっているのではなかろうの)
馬や馬車で体がなまるって、あんな揺れる乗り物に乗ってたら逆に体力使って体が鍛えられるって、そう言えば昔は乗馬に似た揺れで筋力づくりって健康器具が有ったっけ。
「そう言えば冒険者、貴様の護衛任務は先ほどで終わりであろう。貴様のライワ家渉外担当としての職務もこれで終わりという事か」
後ろを歩いてるマインが訊いてくるけど、ああ、言われてみれば確かに。
えっと確か、テトビから渡されたカミヤさんの任命状の内容は『当家家人として雇入れし冒険者、『虫下し』のリョーをライワ伯爵家渉外担当官に任じ、知行300戸相当の地位とそれに見合う額の報酬を与える物である、期間は現任務を終了するまでとする』だったよな、でもって現任務ってのは、王女の護衛の事だから確かにもう終わってるな。
一緒に貰った、カミヤさんの手紙にも貴族とかコイツみたいな騎士を相手にするときに舐められないためのハッタリ代わりの地位だって書いてあったよな。
ただの雇われ冒険者の護衛だと交渉どころか、護衛方針についての話すら聞いて貰えない可能性が有るからって。
「確かにそうなるな」
ここまで来て、もうやるべき事が終わっちゃってるから、渉外担当官なんて役職も地位も必要ないしな。それに多分……
「では、今の貴様はもう、ライワ伯爵家の高官でも重臣でもないという事だな」
なんだ、マインは随分こだわるな、なんだっていうんだ、あれか、これで俺を公然と見下せるとか考えか、それともその件を誰かに報こ、がああああ……
「ぐぶ、ぐ、ぐ」
喉の奥から血が溢れかえり、口から流れていく、視線を下ろすと胸や腹の数か所に穴が空いて、そこから血が流れて、なんだこれ、なんだこれええぇぇぇ
「ふん、やはり生き汚い冒険者はしぶといな」
振り向くと何かを投げたような姿勢でマインが笑ってやがる。
その間も、俺達の横に有ったはずの馬車はどんどん進んでいく、窓はカーテンがかかっていたから車内からは見えていないか、これは、王女の命令か、それともコイツの……
「な、なに、を……」
「ふん、不逞の輩を成敗しているまで」
左手に持った袋に入れて右手をマインが振りかぶる、握っているのはパチンコ玉くらいの小さな弾丸の束か。
「当家秘伝の投擲術、貴様ごときに二度も使うのは剛腹だが」
マインが投げ付けると同時に無数の弾丸が俺の身体を貫いて行く。
「我がスキルには、軽いとはいえ『回復阻害』の効果が有る、どうやら貴様は自己回復系のスキルも有るようだが、貫通せずに体内に残っている鉄球が、そのまま貴様の体を蝕み続けるからな」
「クレイモア卿、これはいかがいたしたか」
向こう岸から無数の騎馬がこっちらへと疾走して来て、馬車の横をどんどん通り抜けていく、このままじゃマズイ、指輪、指輪を……
「おお、これは近衛副長閣下、良い所に居らっしゃいました、実はこの者、ライワ家の雇った冒険者でありながら、王女殿下に対して不遜な行いが有り、やむを得ずこうして成敗するに至りました」
足から力が抜けて、橋の上に崩れ落ちる。
近くに着た騎士とマインが話しているが、そんな事はどうでもいい、今はともかく指輪に……
「クレイモア卿、それは間違いないのか、事実であらば大ごとぞ、その言葉の証はあるのか」
「すぐにご覧に入れましょうぞ」
仰向けに倒れている俺の身体をマインがまさぐり、小物入れなどから次々に物を取り出していく。
「あった、有り申した、これをご覧くだされ副長閣下、これこそ我が言が真である証、こやつが殿下より盗み出した指輪に御座います」
「ふむ、確かにその指輪には見覚えが有る、王家伝来の品の一つに違いあるまい。このような真似をする盗人を護衛に入れるとはライワ家め何を考えておるのか。いや、だが事がこうして明らかとなった以上、ライワ家には我がムルズより手を引くよう、周辺諸国へとこの事を伝えねば」
そんな指輪はどうでもいい、今は、この指輪、『術送の指輪』で……
「我らが王女殿下はこの旅において何度も刺客に襲われておりまする、幸い我ら護衛の者の献身により殿下は御無事で有られましたが、危うい事も有り申した。あれほど都合よく刺客が殿下の位置を捕捉出来たのは、何者かが手引きしたとしか思えませぬ、そして殿下に忠誠を誓った我等を除けば、そのような事が出来るのはこやつかその配下しかおりませぬでしょう。おそらくは神殿側に内通し、畏れ多くも殿下のお命を狙っていたのかと、この者を締め上げればすぐにも神殿との関係を吐きましょうぞ」
「なんと、そのような事が、だがそうであれば、もはや我ら王直属の騎士団や軍も手を拱いてはおられぬ。我が国に属する多くの貴族家がライフェル神殿の脅威に晒されている中、王家の騎士団がただ見ている事しか出来ぬ事に多くの騎士が忸怩たる思いを抱えていたが、このような事態で有れば、陛下も我ら王国軍全軍に神殿討伐の勅を下される事であろう」
今のうちに、伝えないと、さっきから何度も『すぐに逃げろ』と『術送の指輪』を使って信号を送っているけど、アラ達は、聞き入れないかもしれない。
だから、何回でも何回でも、これは『命令』だと『俺の事は気にしないですぐに逃げろ』と、『何としてもアラを連れて全員でラッテル領まで行け』と、繰り返さないと、少しでも、一回でも多く、だから、たのむ、つたわってくれ。
「クレイモア卿、貴殿の行いは、我が国を救う事となろう。岸辺の陣地で待っておられる第三王子殿下もこの事を聞かれれば、お喜びになられる事であろう。何か褒美に望む物が有るのであらば、小官より殿下へ言上つかまつっても構わぬぞ」
「ありがたき幸せ、では二点ほど、副長閣下より王子殿下にお伝えして頂きたき事がございます」
「なんなりと申してみよ、よほどの事でなくば殿下も聞き入れてくだされよう」
頼む、どうかみんな無事で逃げてくれ。
「は、まずは一点目ですが、我らが刺客に追われミュデュシュン伯爵領に協力を求めた際、王女殿下は悪辣なるこの者の虚言に騙され、殿下の恩為に尽力し功績を成した我が従兄ブラインド・クラスター・シェル男爵が陥れられ、男爵の功績がこの者に奪われたばかりでなく、殿下は勘違いをなされ男爵がお叱りを受け、罰を待つ身に落ちるという事態になっておりまする。功績第一でありながらそのような仕儀となり、このままでは余りにも哀れゆえ、どうか男爵の名誉回復と正当なる報奨をお願いいたしたく」
大丈夫なはずだ、一度逃げるとなれば、変身したミーシアの足は騎兵よりも早い、みんなを乗せても逃げ切ってくれるはずだし、代え馬もある。
「なんと、そのような事が、王子殿下より、ミーラ王女殿下へおとりなしして頂けるよう、言上いたそう。してもう一点は」
「は、捕縛した者の権利により、この者の持ち物の内、薬剤の類を今この場にて戦利品として頂きたく」
「本来は王家に対して罪を働いた賊の持ち物は、王宮の取調官が一度見分し証拠となる物が無いか確認した上で、功績者へ下賜する物だが、薬剤の類であらば背後関係を探る上では関係なかろう、好きにするが良い。この者を王宮へ連行し取り調べを始めるまでの日数や、更に拷問を行い背後関係を吐かせ終わるまでの期間を考えれが、長くなるであろうからな」
「ありがたき幸せ、そう言えばこの者の手勢が向こう岸に残っておりまするが、それらはいかがいたしましょうか」
「貴殿らの変事を認めた時点で、いくつかの隊へ橋を渡り切るよう、船団には対岸に上陸し治安維持にあたるよう命じてここにきておる。これだけ話しておれば既に向こう岸へ辿り着いて居ろうし、怪しい者がいれば逃がしはすまい」
大丈夫だ、戦闘をしているような音は聞こえてこない、きっと皆は橋の所には残ってない、逃げているはずだ。
「そうだ、逃げてくれ、それでいい」
どうか、無事に、逃げ切ってクレ、そう、すれば、そうしてくれ、さえ、すれば、もう、もう……
「もう、それ、で、それ、だけ、で、俺は、も、う……」
今日で0日、ふう、間に合ってよかった。