439 寝起きと話し
「う、ううん、もう朝か……」
久しぶりの柔らかいベッドだったせいか、熟睡してたな、いや『迷宮攻略』なんかの疲れの影響もあったのかもしれないな。
「しかし、天蓋付ベッドってのは流石に落ち着かないな」
依頼達成の功績って事で主要メンバーは『迷宮』近くにある子爵の別宅に泊めてもらえたんだけど、ここまでデカい部屋に立派なベッドで一人っていうのはちょっと落ち着かないな。日本に居た頃はただのサラリーマンだったから、出張でも大抵はビジネスホテルや酷い時ならカプセルホテルだったからさ。
「だっていうのにこの部屋は、そこそこのホテルのスイートルームって感じだよな、寝室だけじゃなく、隣にリビングルーム、さらに付属の小部屋が幾つか付いて一部屋あつかいだっていうんだから」
普通の日本人じゃ広すぎて逆に緊張しちゃうよな、俺も疲れて無かったら寝付けなかったかも。
「御主人様、御目覚めになられましたか、朝食をお持ちいたしました」
静かにドアを開けたサミューが、いつになくしゃんとした姿勢でレストランとかで使ってそうなワゴンを二つ順番に押しながら、部屋に持ち込んで来る。何だろ、いつもと雰囲気が、てか朝食って……
「サミューここでか」
ここって寝室だよね。
「ええ、もし御嫌でしたら寝台の上ではなく寝台脇の小卓になさいますか、それともあちらの居間、もしくは天気もよろしいので露台にいたしましょうか」
え、えええと。
「このままで、いい」
なんか選びきれなかったから、無難なつもりで一番微妙なの選んじゃったかも。
「承知いたしました、失礼いたします」
上体を起こしていた俺の背中にサミューがクッションを差し込んでもたれかかれるようにしてくれた上で、ベッドの上に俺の膝をまたぐように小さなテーブルを置く。
「パンはどれになさいますか、焼き立ての物で小麦を三種、ライ麦を一種、ご用意いたしましたがどれになさいますか、麦粥とスコーンも御用意致しましたが」
見るからにホカホカしてそうなパンの並べられた籠を、サミューが軽く抱えるけど、選べってか。
「それを頼む」
何種類も示されてもパンの種類が解んないからとりあえず、一番見慣れたフランスパンぽいのを指さしてみる。
「こちらですね、どの程度の厚さで幾つ斬りましょうか、表面を炙る事も出来ますが」
え、それもお好みなの、しかも炙りまでって、よく見るとワゴンの隅に火鉢みたいなのが置いてあるや。
「なら一口程度の厚さで三枚」
「パンには何を付けましょうか、バター、チーズをそれぞれ三種、それとジャムは林檎と柑橘、後は蜂蜜とオリーブ油もございます」
オリーブ油って、いやそう言えばイタリアンとかだとパンに付けてたような……
「バターを頼む」
「サラダはどの程度お取り致しますか、ドレッシングはどうなさいます」
サミューが切ったパンの表面を火に当てて軽くあぶりながら聞いてくるけど、いやそんなサラダバーじゃあるまいし。
「ま、任せる……」
テーブルの上に溶けかけたバターが丁寧に塗られたパンの皿と、サラダとフルーツが盛られた皿が置かれる。
「精進物が生野菜と果物しかありませんでしたが、幸い無精卵を幾つか頂けましたので卵料理に致します、料理の仕方はどうなさいますか。とりあえず半熟と完熟の茹で卵は作ってありますが、それとは別にこの場で簡単な物でしたらすぐに料理いたしますので、ご自由にお申し付けください」
卵料理って、えっとスクランブルエッグとか目玉焼きとかかな、あ、それなら、せっかくだし……
「お、オムレツを頼む」
「焼き加減はいかがなさいますか」
「中は半熟で」
思わず頼んじゃったけどいいのかな、昔テレビで見たフワフワのオムレツが美味しそうだったから……
「すぐに出来ますので、お待ちください。ああ、失礼いたしましたお飲み物を忘れていました。いかがなさいますか、牛乳、山羊乳、果実水は葡萄、柑橘、林檎、柘榴、後は珈琲と紅茶、薔薇水、薬草茶がございます」
「コーヒーを」
「産地は三つありまして……」
「任せる、あと牛乳を少し入れてくれ」
コーヒーの産地なんて言われても違いが分かんないし、というか地球でだって解らないからさ、昔エメマンとかって言われて高いコーヒーを出された事も有ったけど、飲んだところで何が何だかわからなかったからな。
「承知しました、乳牛の品種は……」
「それも、任せる」
品種、なに牛乳飲むのもそんな色々選ぶの、成分無調整とか低脂肪とかの違いじゃないよね、品種でそんな味が変わるのかよ。
「承知いたしました、すぐご用意いたします」
手早くサミューがお湯と火鉢を取り出してコーヒーを淹れ、同時に別な火鉢にフライパンを乗せてオムレツを作り出す。
「お待たせいたしました、もしも卵料理のお代わりが必要でしたらお申し付けください、ワフウの卵焼きも作れますので」
もう、なにがなんだかもう、いやでも美味しいなこのオムレツ。いやいや、現実逃避してる場合じゃないよな。
「サミュー、一体どうしたんだ、これは」
「どうしたとは、一体……」
「いや、この食事の事だが」
なんでこんな至れり尽くせりな朝食が出てきたの。
「ああ、この事ですか、こちらの別宅に勤められている子爵家の侍従や侍女の方々なのですが、他の方々に加えて、ライワ伯爵家の方々も見えられたので手が足りなくなったとの事でした。ですので、わたしが御主人様の朝食をご用意させて頂く事の許可を頂きました。幸い食材や食器類などは十分にありましたので、ある程度の種類と物を用意できましたが、何か至らぬ点がございましたでしょうか」
ある程度、って、あれでか……
「貴族の方の御家で出す食事を一部とはいえ差配させていただけたのは久しぶりでしたので、色々と不手際が有るかとは思いますが、何かあればお申し付けください」
至らぬところって、これでか。うーん、これが本来のメイドさんの仕事なのかな、なのに俺は『迷宮』に連れまわしたり、盗賊と戦闘させたりってしちゃってたのって……
「すまない、サミュー、俺には貴族の食事というのは経験が無いんだが、こういう物なのか」
考えてみるとカミヤさんの所やトーウの実家じゃこんなの無かったよね。
(当然じゃろうな、アキラはいわば成り上がりじゃ、あ奴は敵も多いゆえ他家から紹介された使用人はほとんどおらず、領地の雇用対策として領民を雇い入れたり、縁の有った冒険者上がりなどが大半で有ったからの。こう言った貴族のやり方というのには疎い部分も有ろうし、あ奴自身もあまりこう言った事を好んではおらんかったからの。もちろん出来ぬわけでは無かろうが、お主が日本人であったので戸惑わぬような対応をしたのじゃろうて、あ奴は日本人を歓待する場合ではそう言った点に気を使っておるらしいからの、それであってもお主等の泊まっておった部屋には常時果物が数種おいてあったじゃろうて。ラッテル家の方はもっと簡単じゃ飢饉から立ち直ったばかりの家にそんな余力はないじゃろうからの)
ああ、言われてみればそうか、確かにこうして食事するっていうのは違和感が有るよね、雰囲気は全然違うけど、ベッドで食べるっていうのはなんか入院中みたいだし、こうも好き放題に選べるとなると逆にどうしていいか分からなくなりそうだから。うん、普通にテーブルに出されて、決まった内容の朝食の方が食べて気を使わないかも。
「そうですね、御家にもよるとは思いますけれど、以前お勤めさせて頂いた御家では、朝食用のパンは毎食焼き立ての物を十数品目、野菜や果物などはその季節に取れる物を近隣の農園から毎日十種類以上が届きますので、それらの質が良い物を数種、その他の肉類などの付け合わせもいくつかの部位を下拵えしてすぐにこの場で作れるようにしておりましたし、コーヒーやお茶では産地は少なくとも五か所程度でしたが、焙煎の仕方や挽き方、茶葉の発酵具合、香料の有無や、場合によってはそれらを調合したりもしますし、煎れ方なども変えられますので、その時の好みで少なくとも百通り程度はお出しできるようにしていました、あとは卵や乳牛、山羊なども数品種は御屋敷の敷地内で飼われており、生みたてや搾りたてをご用意していました」
え、なにその一人ビュッフェみたいな状況、ホントに選び放題じゃねえかよ。冷凍保存も物流システムも未発達なこの世界でそれって、相当な贅沢じゃないんだろうか。
(まあ、それなりの規模の所領を持つ貴族ともなれば、茶葉や珈琲豆、麦や燻製品等の保存が利き長距離輸送に耐える物ならば数種類集めるなど難しくなかろうし、館の近郊に菜園や果樹林、畜舎等を構えておるのは珍しくないからの、気候さえ合うのならば、生鮮食品を十数種ほど常時確保するのは手がかかるとはいえ不可能では無かろうて)
なにそれ、自分用の畑や牧場を持ってるってのは普通の事なのか。
(まあ、菜園等に関しては奢侈の為というだけではなく、非常の際には糧食を自給できるようにするという事もかねているらしいがの)
ああ、そう言う理由も有るのね。というか毎回毎回こんな選ばされるのかよ、それはそれで大変そうだな。
「長く仕えた侍従や侍女ですと主の好みや行動を熟知しておりますので、その日の季節や天候、御目覚めになられた際の御様子や顔色、その日の御予定や前日の行動等から、言われずとも朝食の内容を察し、種類や分量、御茶の温度や濃さ、料理の味付けや出す順番とその間隔等に至るまで、最適な物を出せるようになる物でございますが。あいにく御主人様にこう言った形で食事をお出しするのは初めてですので、十分に察する事が出来ず申し訳ありません」
え、そういう物なのメイドさんすげえな。
「主に指示された事をそのままできるのは、当然の事、主が指示した時にはすでに用意できているようになってやっと半人前、本来は主が思い立った時には口に出すよりも先に全てが整っていてこそ、使用人と言う物です」
何だろう、ブラック企業の上司みたいな無茶を言ってるような気がするんだけど、いや封建制の世界じゃこういう考え方が当然なのかな。
あ、そう言えば……
「みんなはどうしたんだ」
サミューが俺に付きっきりじゃ食事はどうするんだろ。いや、子爵家の館なんだから、心配する事じゃないのか、いやでも人が足りないって話でサミューがこうしてるんだから……
「まだ寝ています、昨日は『迷宮』から帰ったばかりだというのにあんなにはしゃいで食べていましたから」
「そうか」
口元に片手を当てて、楽しそうに、サミューが笑っている。
本当ならこんな時に話す事じゃないかもしれないし、以前も同じような事をしてサミューに嘘を吐かせてしまった、それを含めてサミューにはもう二度もこの提案を拒絶されている、でもそれでも聞く事が出来るのは今この時だろうし、聞かない訳に行かないだろうから。
明日には、それを乗り越えればたぶん今まで通りに戻る事だろう、でもそれはたぶん、そうなる事を恐れてる俺の為だけの行動でしかない、それはただ自分の為に逃げている卑怯な行為だ、だから、また彼女を傷付けてしまうだろうけれど、それでも彼女の為にこれを聞いておかないと。
「サミュー、ミムズは、ミムズ達は明日にはここを発ってそのまま国外に出るらしい」
昨日交わした話を思い出す、ミムズは必要な事と、俺達への忠告しか話さなかった。
「そう、ですか……」
「俺達は、ライワ伯からの依頼が有る、この国の王都とラッテル領を往復する事になる以上、それなりの日数をこの国で過ごす事になるだろう」
詳しく話していないが、多分ミムズ達も俺達には、俺達なりの目的が有って行動するという事は解っているだろう。
「そう、ですね」
「お互いに各地を渡り歩く冒険者生活だ、次にミムズ達と会えるのは何時になるか分からない、いやもしかするともう会えないかもしれない」
なのに、ミムズはサミューの事については一切触れようとしなかったし、あれ以降ミムズ達がサミューと話をした様子もない。
「そう、かもしれませんね」
「サミュー、マイラスは、もういない、だからあいつを心配する必要はない。その上でもう一度聞く、ミムズが望むのなら、お前をミムズの元へ、お前とミムズは……」
ミムズとサミュー、そしてマイラスの関係が俺の予想通りなら、ミムズ達のスキル、ディフィーやミムズの話していた内容、そしてマイラスとミムズのあの行動も、これまで有った色々な事の説明が付く、それならきっとこうする事が、え……
「そうではありません」
俺の言葉を塞いだ言葉と同時に、柔らかな掌が優しく口の前に当てられる。
「ミムズ様が、何を語られたのかは解りませんが、きっとミムズ様は夢の話をされていたのでしょう」
いつの間にか、ベッドの端に乗り上げるように片手と片膝をついたサミューが手を伸ばして俺の口を塞いでいた。
「夢、夢とはどういうことだ」
すこし俯いたサミューの顔が、長い金髪に隠れてよく見えない。
「けして、けして有り得るはずの無い夢の話です、嗜虐的な貴族様に買われた無力な奴隷の娘が、痛みと苦しみの現実から逃げようと、息絶える間際に朦朧とする意識の中で見たであろう分不相応な夢想、現実には起こりえるはずのない、暖かで幸せな空想。ですがそれは夢だからこそ有りうるものです。目が覚めてしまえばもうそこにはありませんし、死んでしまった娘はもう夢を見る事も有りません。ですからそれはもうこの世のどこにもない、儚い夢の話です」
それでいいのか、生きていない娘の夢という事になれば、ミムズ達はサミューとは無関係って事になるけど。
「サミュー、それでいいのか、お前はそれで」
「何がでしょうか、私は今とても幸せです。アラちゃんやミーシアちゃんのような可愛らしい子供達のお世話が出来て、ハルさんやトーウさんのような素敵なお友達も出来ました、何よりもこんなに素敵な御主人様が……」
そこまで言ってからサミューが、髪の毛の間からそれまでとは違う微笑みを口元に浮かべて、ベッドの上に乗せていた手と膝を俺の方に進ませる。
「御主人様、わたしの事を心配してくださるのですか」
片手で朝食の乗っていた台を足元の方へ滑らせて除け、クッションにもたれたままの俺の腹をまたぐように両手をつき少し下から濡れた瞳で俺の顔を見上げて来る、あ、これは、そうか……
「もしも、わたしの心情を心配なされているのでしたら、慰めてはくれませんか」
いつの間にか緩められていた、胸元からなんか見えちゃいけないピンポイントがギリギリで隠れているのが見える……
「サ、サミュー、慰めるというのは、何か美味い物でも食べに行くって事か」
「いいえ、いま、ここで、すぐ、この寝台の上で、出来る事でいいんです……」
下から徐々に近づいて来たサミューの顔が俺の視界の全てを占め、濡れた唇が言葉を紡ぐのがはっきりとわかる。
「無茶苦茶にしてくれませんか、何もかも忘れるくらいに、わたしを、この躰を……」
「お、おい、サ、サミュー」
更にゆっくりとサミューが俺との距離を詰め、メイド服に包まれた柔らかな肢体が寝間着姿の俺の身体に押し付けられ、視覚は窓からの朝日を弾く金髪に、嗅覚は柔らかな香りに覆い尽くされ、聴覚は耳元に寄せられた唇から漏れる吐息と声しかとらえてくれない。
「御主人様、わたしの全てを味わっては下さいませんか」
「りょ、料理はもう十分に食べたぞ」
「では、食後のデザート、それとも腹ごなしの運動でしょうか、どうか慰めてください」
サミューの手が俺の背中とクッションの間に回され、柔らかい身体が更に押し付けられて。耳元にかかる吐息が、小さな忍び笑いに変わる。
「ふふ、私は本当に幸せですよ、こんなにもからかいがいの有る、素敵な御主人様がいらっしゃるのですから」
「な、サ、サミュー」
堪える様に肩を震わせ、笑い声の零れ掛ける口元を手で押えたサミューが、軽やかな動きで俺から離れてベッド脇に立ち、そのまま手早く朝食の後を片付けていく。
「お、おま、おま、サミューお前……」
「それでは、今日はごゆるりとお寛ぎください、わたしの素敵な御主人様」
深々と頭を下げたサミューがドアを閉め、その姿が見えなくなった途端に全身から力が抜け、思わず背中のクッションにもたれかかってしまう。
(やれやれ、お主も変に小器用というか、つまらぬ演技が上手い物じゃのう、あのような間抜けな動揺の仕方、見ていてあきれ果てたぞ)
「解っていたか」
(当然じゃ、儂にはお主が内心で強く考えた事が解るというのに、お主は冷静にサミューの行動を見ておったからの、普段ならば、もっと動揺した思いを叫んでおると言うに、今回は全くそれが無かったからの)
「そうか」
コイツには嘘を吐けなかったんだな。
(それで、どうするつもりじゃ、お主だってわかっておるのじゃろう)
「なにがだ」
(あの娘が、その前の話を誤魔化し有耶無耶とするために、あえてあのような行動に出たという事じゃ、それに気づいていたからこそ、お主は冷静でおれたのじゃろう、だというのにあの様に普段通りの動揺した体を装いおって、普通ならばあのような行動は鞭打ちに処してもおかしくはないのじゃぞ)
「いいんだよ、サミューがそれでいいのなら」
すべてが、明らかになって、すべてが、上手く行くなんて事は現実じゃあり得ないし、俺だけは彼女の悩みを解決できるなんて都合良い事もない、だから。
「この距離感が、こんないつものやり取りが彼女に丁度いいのならそれでいいだろ」
(甘いのう、お主は)
「世知辛い世の中だ、仲間内くらいは甘くないと、やってられないさ」
彼女は俺の奴隷ではあるけれど、『俺の物』ではないんだから……
とりあえずこれで、一段落の予定です、これから数話程度、他者視点の話を入れてから、ストーリーを進めたいと思います。
R1年7月30日 誤字修正しました。




