347 再始動
「そうですよ、そうやって手を休めずに、動かし続けてください」
優し気なサミューの声に、やや息を切らしたトーウの声が続く。
「は、はい、承知いたしております、ですがこんなにも固い物とは思いもよりませんでした、それにとても大きくて片手では到底」
手や頬を白く汚しながらも、トーウは言われた通りに手を動かし続ける。そこへサミューが指導するように時折同じく白く汚れのついた手を伸ばす。
「確かに大分大きいですけれど、まだまだ大きくなっていきますよ、さあ頑張ってもっとしっかりと手を動かしていきましょう」
「こ、これよりも大きくですか、解りました、旦那様のためこのトーウ全身全霊をかけて頑張ります。それにしてもこんなにとは、世の御婦人方はこのような事を日々行われているとは感服いたします」
「ふふ、毎日というのは体が持たないでしょうから、大体は数日おきでしょうが。まあ貴族の方々や商人の御家など裕福な御家庭などでは、当然のように毎日という事も有るのでしょうけれど。そう言えば、聞いた話では鬱屈した感情を発散するためにされる方もいるらしいですね」
「うー、べたべたするよー、サミュ、トーウー」
宣言通り両手を白くベタベタにしたアラが両手を上げると、サミューが微笑みながらそちらの方へと寄っていく。
「あらあら、アラちゃんこんなにおててをベタベタにしちゃって、わたしも手伝いますから、頑張ってね」
「うん、ありがとサミュ、リャーの為にアラもがんばるんだからね」
「ああ、こうしておりますと、だんだんこの感触が心地よくなってまいりました。それに仄かに感じられるこの独特の香り、たまらなくなってしまいます。あ、あのサミュー様、一口だけ、ほんの少しだけでも、口に含んでみてはいけませんでしょうか」
「トーウさん、まだ駄目ですよ、我慢してくださいね。アラちゃんもおててについたのを舐めたりしちゃダメですよ。我慢すればしただけ後が楽しみになる物ですから、ほら、ミーシアちゃんもそんな顔をしてないで我慢ですよ」
ホント、こうして見てるとお母さんって感じだよなサミューは、台所にエプロンが良く似合うこと。
「さてと、大分生地が出来てきましたから、丸めて一度寝かせましょうか、寝かしている間にどんどん大きくなっていくんですよ」
アラとトーウにパンの作り方を教えている様子なんてほんとにさ。
しかしまあ、よく宿屋の台所を借りられたよな。
「あ、熱っ、熱っ、で、でも、お、おいしいです」
「アラの作ったパン、ふかふかで、おいしーね」
焼き上がったばかりのパンを美味しそうに食べるお子様二人の横で、何もしていなかったはずのハルが手を伸ばして一つを持ち上げ一口大に千切る。
「確かに、サミューが指導しただけあって、なかなかの味ですわね」
このカラスお嬢様は偉そうに、まあとはいえ……
「頑張りましたわね、アラ、ミーシア、トーウも、あら」
年長者としてこうやってきちんとみんなを誉めたり纏めたりしてるから、偉そうなのもそこまでアレじゃないんだよな。
ん、そう言えばトーウに声を掛けようとして途中で言葉を切ったけどどうしたんだろ、あ……
「ああ、素晴らしい味でございます。パリパリとした薄い皮を破ると、まるで上質な綿のようにふわふわの生地が優しく歯を包み込み温かさが体へと運ばれていきます。食感だけでなく、口の中に一瞬で広がる芳醇な香り、それにほのかな甘みが一噛み、一噛みするごとに強まってゆき、喉の奥へと自然に流れ込んでまいります。わたくしは今、偉大なる大地の恵みそれを口にいたしております」
あ、いつも通りの感じでトリップしてる、この感じだとしばらくは戻ってこないかな。
「御主人様、お客様です」
パンを並べ終えた後で片づけをしていたはずのサミューが、しっかりと汚れを落として何時もと全く変わらないメイド姿に戻って話しかけてくるけど、客か、誰だろうな。
「情報屋のテトビ様がなにか伝言を預かってこられているという事でいらっしゃっております」
「テトビか、伝言って誰からなのか聞いて、いや俺が直接確認しよう。通してくれ」
「もう上がってやすぜ旦那、いやあうめえパンでやすねえ」
いつの間にか、食堂に入って来てテーブルに座っていたテトビがちゃっかりとパンを一つ手に取り齧りながら声をかけてくるけどさ、お前、このタイミングで中に入ってたら取次の意味がないだろ。というかお前、それ俺の分のパンじゃねえかよ。
「お前、普通はサミューが呼びに行くまで外で待ってるべきじゃないのか」
「まあ、まあ、堅いこたあ言いっこなしって事で、あっしと旦那の仲じゃねえですかい。第一こんないい匂いが外まで漂ってるってのに、ずっと待ちぼうけだなんて生殺しですぜ。あ、メイドさん珈琲すいやせんね」
まったく悪びれる様子の無いテトビがパンを齧りながら訳の分からない事をのたまい、あまつさえサミューの煎れてくれたコーヒーを遠慮する事なく飲みやがる。
「さてと、つい先ほどたまたま『四弦万矢』の旦那にお会いしやしてね、旦那宛てに伝言を預かってやすぜ。昼食後辺りに町の外の森の中へ皆さんで来てほしいってんですがね」
わざわざ街の外にか、となると他人の耳目が有るような場所だと話せないような内容って事かな。となると『迷宮』攻略に関してとかかな。まあ、仇討ちの一件なんかで色々と表ではできないような話が残ってたりするのかな。
「こいつを頂いたら、あっしは騎士のラースト様御一行にも同じ話を持って行って、ついでに八百屋も回らなきゃならねえんでさあ。なんに使うか解りやせんが、南瓜やらメロンやら林檎やら、全く時期を考えて欲しいってもんで。まあ隣の御領地に有る『迷宮』の『鬼軍荘園』で年中取れるんで、何件か商店をまわりゃあ見つかるとは思うんですがねえ、とはいえあの旦那がそれを知ってて、注文したようには思えねえんですよねえ」
自前のナイフを抜いてパンに切れ目を入れ、どこから用意したのか干し肉と野菜を挟んでサンドイッチにしていたテトビが大きく口を開けて齧りつきながら愚痴るけど、野菜に果物ねえ野外で食事会でもって事か、ミムズ達も一緒って事はやっぱり『迷宮攻略』に関しての話題かな。
「しかしまあ、手打ちの内容についての話を聞きやしたが。あの『四弦万矢』のスキルを教われるたあうらやましい話でさあ。『破軍』を成し遂げる様な大物の手の内についての秘密となりゃあ、あっしのような情報屋やペテン師に取っちゃ、ほんのさわりだけでも数年はメシの種どころか上等な酒に困らずに済むようなネタですぜ」
ああ、なんでも商売に繋げようとするコイツの感覚だとそう言う風な捉え方になるのか。でもこの言い方だと。
「お前の事だから、俺のパーティーメンバーだと言い張って技の伝授を見に来るものかと思ったが」
ちゃっかり俺らのパンを食べるようなコイツならやりかねないよね。
「冗談じゃありやせんぜ旦那、所詮あっしは、たまたま仕事の関係で旦那と御一緒してるだけの部外者ですぜ。そんな人間が技の秘密を知ったなんて事になりゃあ、あっし一人の命ですみゃあ御の字、下手をすりゃあ情報が漏れてるかもしれねえって事で、あっしと付き合いの多い旦那衆まで纏めて消されかねやせんぜ」
うわあ、この世界の情報管理って変な所でアレだな。宿帳なんかの個人情報とかはダダ漏れの癖にさ。
「さっきのメシの種って話も、命が有ればって前置き付きですからねえ。『四弦万矢』に狙われるのはもちろん、あっしの知ってる情報を無理やりにでも全部引き出そうと、ヤベエ武芸者連中にまで追い回されかねやせんからねえ」
え、関係なさそうな連中にも狙われるってか。あれ、そう言えば前にもテトビから同じような話を聞かされてたよな、たしか『剣狂老人』に剣を教わったって話の時だったか。
「武芸者ってのは、強くなる事そのものを人生の目的にしてるみてえな連中ですし、冒険者にしろ仕官目的の浪人にしろ、強けりゃつええだけ美味しい思いが出来やすからねえ。そう言った連中に取っちゃ、今回弓を習って、しかも例のじい様の剣まで習ってるお嬢ちゃんは狙い目かもしれやせんぜ、あんまりこの話は言いふらさねえほうが良いですぜ」
うーん、アラが狙われかねないって事だよな、まあ、あの子の場合だと、大抵の相手なら返り討ちにしちゃいそうな気もするけど、気を付けなきゃダメって事だな。
「まあ、お嬢ちゃんが弓を習うって話を知ってる人間はほんの一握りだけですし、あっしだって旦那との関係が有ったから知れた様なもんですんで、『普通なら』お嬢ちゃんが弓と剣を教わってるって事を知る人物はこれ以上増えねえでしょうがねえ」
それはアレか、コイツが情報を売り回らなければって事だろうか、まあコイツ自身の仕事は情報屋なんだから、それをされてもおかしくはないか。
前に商道徳とか客との仁義みたいな事は言ってた気がするけど、あくまでもそれは客とコイツとの取引内容についてのような言い方だったから、そこに関係しない範囲内でなら俺の情報を売られても仕方ないのか。まあ、こういう風に匂わしてくるって事は多分……
「お前の沈黙はこの額で買えるのか」
話の内容が段々とアレな感じになって来たのに気を使ったのか、サミューが後片付けの続きという名目でみんなを食堂から連れ出してくれたのを確認して、金貨を幾つかテトビの前に置く。
「へへへ、『沈黙は金、雄弁は銀』ってね。流石は旦那、よくわかってらっしゃらあ。あっしとしやしても、ヤベエ橋を渡って大金を稼ぐよりは、こうして黙ってるだけで頂ける方がありがてえんでね。とは言え、こいつは貰いすぎですんで、まあお釣り代わりって事で、今回の『迷宮攻略』に関して何か情報が有りやしたら、タダで提供いたしやすぜ。そんじゃ、あっしは他に行くところが有りやすんでこれで」
サンドイッチの残りを一気に食べたテトビが出ていくけど、『四弦万矢』の呼び出しか、一体何の用だろうな。
H30年2月24日 誤字修正しました。




