316 面談
「御主人様、襟等を直しますね」
正面からサミューが両手を俺の首筋に伸ばし、シャツのボタンを留め直しながら襟なんかもなおしてくれるんだけど、近い、距離が近いって。俺の胸になんかとっても弾力の有る物が当たってるんですけど。
「それにしても意外ですわね、そう言った服装の着こなし方を知っているとは思ってもいませんでしたわ」
「まあ、向こうではこれに近い服装を日常的に着るからな、とはいえ違いはかなりあるが」
しかし、まさかこっちの世界に来てスーツみたいな服を着る事になるとはね、まあ正確にはスーツよりもタキシードとか礼服に近い感じだけど、着る時の注意点なんかは大して変わらない筈だからね。
カミヤさんが用意してくれてたサミュー達の衣類の中に俺用の礼服まで混じってるとは思っても無かったけど、まああの人の事だからこういう事態も予想してたって事なのかな。
「リャー、カッコいいよ」
「す、すっごく、凛々しいです」
アラとミーシアが俺の恰好を誉めてくれるけど、何時もなら一緒になって誉めてくれそうなトーウが居ないからちょっと寂しく感じるな。
奴隷落ちして家名を汚した者がラッテル本家の敷地に入る訳に行かないって事で、ラッテル本家の離れに入った俺達とは別にライワ伯爵軍が駐屯している兵舎の方に一人で行っちゃったけどさ、その事を気にしてるのはトーウ本人だけみたいなんだよね。
しかし、まさか子爵に会うためだけにこんな格好をしなければならないとはな。
(仕方あるまい、爵位持ちと言えば領主であり、その身分に応じた格式と礼儀が求められる物じゃ、陣中や戦時等の場合ならばともかく、領主公館などという公式な場で平民の謁見をする際に平服を許したとなれば、子爵家の体面に係る事となるからの)
ふーん、そう言えば時代劇なんかでも、地元の名士辺りが、偉い相手に面談する時なんかは紋付き袴を着てたりするからそんな感じなのかな。
「リョー、先日雨が降ったようですし泥が残っていても良いようにこちらの靴にした方が良いのではないかしら」
ハルが、丈夫そうな靴を出してくるけど、泥って別に散歩する訳じゃないんだしさ。
(確かに必要かもしれぬの、貴族と平民の冒険者となれば身分差は歴然、せめてお主が騎士やその従者ならば別なのじゃが、表向きとしてはお主はカミヤに雇われた一冒険者にすぎぬからのう。本来ならば、アキラやいつぞやの王女達のような身分の有る者が、お主と席を同じくするどころか個室に同室するだけでも異例な事なのじゃ。謁見用の間にて階の下に跪くような形であれば良い方じゃが、おそらくは庭先などにお主が跪き、子爵がそれに面したテラスやバルコニー、あるいは温室などの席に着く形になろうて。国や地方によっては貴人が下民と対面することが無いよう御簾や薄絹、衝立越しの謁見を行ったり、更には身分差が大きければ、公式の場で言葉を直接かわす事は許されず、従者等に対して話し一言ずつ取り次ぐという事になるからの)
うーん、まあ身分制度が明確な社会だとこういう事も仕方ないのかな、こう言った事も身分をお互いに意識させるための舞台装置なんだろうしね。こういった階級社会で身分を無視するような考えが広まっちゃったら社会制度がおかしくなっちゃうんだろうから。しかしそう考えると、ラクナの言う通り俺ってパルスとかアクラスに相当シャレにならない態度取ってたんだな、下手すれば無礼討ちにされてもおかしくなかったのか。
まさかとは思うけど、昔の『勇者』がそう言う身分制度なんかに中途半端に意見してトラブル起こしてたりって、うん、なんか普通に有りそうな気がするな。そういう事をしないように俺は気を付けなきゃな。
民主制にしろ何にしろ、いきなりガラッと制度を強引に変えても混乱しか起こさないだろうからさ。経済とか教育水準とか生活水準とか、海外事業部で途上国のプロジェクトを若い頃に幾つもこなしたのが自慢の常務がそんな風な事をぼやいてたっけ。
「失礼いたす、むこど、もとい、冒険者リョー殿こちらへ」
ん、呼び出しの騎士が来たか、まあいい、とりあえず行くか。さてと、どんな話になるのやら。
「こちらでお待ちください」
「ここ、ですか」
騎士に案内されるままに一室に入ったんだけど、話が違うじゃねえかよラクナ、立場の差を分からせるような感じの場所で謁見するんじゃなかったのか。どう見てもここは応接間みたいな感じじゃねえかよ。
「いかにも、ではこれにて」
いや、これにてって行っちゃったけどさ俺はこれどうしたらいいの。
大分ガタが来てボロイところもあるけど、もとは立派そうなソファーとテーブルは、これまでのラッテル家の状況を考えれば、貴族家として最低限度の物品としてとって置いた一張羅みたいなものなんじゃないのか。
そう考えれば、ここに通すって事はかなり優遇されてるって事なんじゃ、いやでもさ、よく考えてみると俺はラッテル家に大金を貸し出してる債権者なんだから、こう言う対応も当然なんだろうか。
いやでも幾らなんでもそれはないか、さっきのラクナの話を聞く分だけでも、この世界での身分差ってのがどれだけか少しは想像できるしさ。時代劇なんかでも殿さまは金を借りてるのに『大義であった』とか偉そうに言って貸し手が平伏してるなんてシーンがあるし。
何より、向こうから言い出した事だし色々事情が有ったとはいえ、客観的に見れば俺は子爵の指と令嬢を担保代わりに持って行く様な、『ベ〇スの商人』のシャ〇ロックとまではいかないけれど、物語の悪徳金貸し並みの事はやってるんだから、良い感情を持たれてなくてもおかしくはないような気がするんだけど。
いや、だからこそ下手にこっちの機嫌を損ねないようにとかか、うーんダメだ、考えれば考えるほど訳が分からなくなってくるな。
「お待たせしたか、おや、立ったままでお待たせしたようで、どうぞお座り下され」
考え込んでいる間に、初老の男性が入ってきたけどもしかしてこの人物がゴーイ・ショウ・ラッテル子爵、トーウの父親か。
トーウやラッテル領の騎士連中の言動がアレだったから、もっと武人風のゴツイオッサンみたいなイメージだったけど、痩せてて、くたびれた初老男性と言う風だな、いや考えてみれば傾きかけたというか、もう末期だったラッテル領を何年も支えて来たんだし、食糧も不足してたんだから、もとがゴツかったとしても体格を維持できるわけがないか。
「ささ、どうぞお座り下され」
「失礼します」
ラッテル子爵に勧められるまま先にソファーに着いちゃったけどホントに良いのかな。
「では改めて、お初にお目にかかる、ラッテル家現当主のゴーイ・ショウ・ラッテルと申す」
「冒険者で、現在はライワ伯に雇われているリョーです」
対面に座った直後に、ラッテル子爵がそのまま名乗ったから、俺も普通に名乗り返したけど、こういうのにも決まった作法とか有ったりするのかな。
「在野の冒険者を相手に、堅苦しい貴族のやり取りを押し付けたりはしないので、楽になさって下され」
お、話が分かるじゃん、まあ無礼講っていうのは額面通りに受け取っちゃまずいもんだけど、多少の無作法は見逃してくれるって事だよね。
「ありがたくお言葉に甘えさせて頂きます、なにせ田舎者ゆえ貴族の方から直接お言葉を頂くような機会はほとんどないため、知らずに無作法を働いた際にはどうかお目こぼしいただければ」
「お気になされずに、では無粋ではあるが、単刀直入に話を進めさせていただくがまずはこれを」
そう言って子爵がテーブルに出してきたのは、何かの書類か、なんか幾つも判子が押してあるし、草書みたいにあえて崩したような文字や暗号みたいな記号が書き込まれてるけど。いったいなんだろこれ全部で20~30枚くらいあるけどさ、全部同じような内容だな。
(これは、為替手形じゃな支払人がライフェル教となって居るので、全部が同じ額面ならばこれを手近な神殿に持って行けば一枚に付き金貨五十枚と交換する事が出来るのう)
てことは小切手みたいなものか、つまりこれは……
「額面で金貨千三百枚分、我が指を担保に借り受けた分とその前に貴殿より頂いた二百枚分に幾らか利息をつけさせて頂いた、どうかご笑納いただきたい」
やっぱりか、まあ当然の事だろうね、カミヤさんの支援のおかげで食糧問題が解決したのはもちろん、色々な借金なんかも順調に完済してるらしいし、まあ借金をカミヤさんが立て替えてるみたいなものだから債務の一本化みたいなものだろうけどさ。
それでも金だけじゃなく利権や政治、ラッテル家の血筋や役職なんかも絡む話になるだろうから、色んな所に借りを作ったままにするよりは、姻戚関係が出来たうえに国内政治には絡みにくいカミヤさんに任せちゃった方が良いのかな。
しかしなんでまた、現金じゃなくて手形での支払いにしたんだろう、こういうのって手数料もかかりそうだし、余計な手間になるんじゃ。
「貴殿は、かなり容量の有る『アイテムボックス』を所有されていると聞いているが、もしも入りきらねば多量の金貨は嵩張る事となろう。また安全面でも現金を持ち歩くよりは、交換の際に身元確認が有るため窃盗の恐れの少ないこちらの方が良いかと思ったのだが」
なるほどね、俺の『アイテムボックス』にどのくらい入るのかなんて相手には解らないんだから、もしももう入らない状況で現金を手渡されて、千枚以上の金貨を普通に持ち歩くなんてことになれば、重いし邪魔だしで持ち運ぶのは大変だろうし、目立つからスリなんかにも目をつけられやすいもんね。それに、それだけ大量に有れば一枚二枚盗まれても気が付きにくそうだから、不用心だよね。
それに比べれば、必要な時に五十枚ずつなんて言うある程度管理しやすい額で受け取れるっていうのは便利なんだな。だけどさ。
「利息として、金貨百枚は少し多いかと思いますが」
確か、借用書には利息について書いてないから、そのまま元本だけでもいいはずなんだけど。
「これは某の感謝の気持ちと思っていただければありがたい、貴殿からの金子が有ったからこそ、いやそれ以上に貴殿がライワ伯へのツテを用意してくれたからこそ、我が領は立ち直るきっかけを得る事が出来た、そうでなくば今頃この地には餓死者の躯しか残っていなかったであろう。いや、昨今の国内情勢を考えれば、ライワ伯の介入が無ければ食糧価格の高騰が続き我が国全域で多くの民が飢える事となっていたであろう」
でもなあ、俺がカミヤさんを引き込んじゃったせいで、この国は戦争状態なんだけど……
「戦乱について何か思う事が有るかもしれぬが、飢餓で苦しむのはただそこに暮らしていただけでしかない民草だが、戦で斃れるのは覚悟を持っているはずの騎士や兵士達だ、どちらかしか守れぬのなら、そのどちらを選ぶべきかは為政者の立場で有れば自明の事、そもそも下々を飢えさせて貴族の身が肥え太るような国では続きはせぬ。それに相手がライフェル神殿ならば略奪などの無法で民が傷つく事も無かろうし、王家そのものが取り潰されるような事にはなるまいしな」
そう言ってくれるなら、気にする事は無いのか、それならありがたく返してもらうか。
「ではこちらを」
とりあえず、荷物から借用書を取り出したけど、最初の200枚は別に契約したわけじゃなくてただ単に投げ渡しただけなんだよな、となると正式に借用書にあるのはトーウが来た時の千枚、いや、正確に言えば……
「金貨950枚の借用書と、トーウの売買契約書、それとお預かりしていた閣下と騎士達の指になります」
二枚の書類をテーブルに並べるけど、これでいいんだよね。トーウはああ言ってたし俺もそれを許すって言っちゃったけど、普通に考えればやっぱり俺なんかの奴隷でいるより実家に戻った方が……
子爵が片手で俺の方に手形の束を押し出して、書類を一枚自分の方に引き寄せるけど、あれ、一枚。
「リョー殿、これはラッテル領主や子爵家当主としてではなく、一人の娘を持つ父親としての頼みだが、トーウを、某の娘を貰ってやっては貰えないだろうか」
念の為、以前のトーウの回想とラッテル子爵の一人称が変わってますが、あれは臣下を相手にしている時とリョー君を相手にしている時で本人が使い分けているだけで、それだけリョー君を立てているという演出です。
H29年3月28日 誤字修正しました。
H29年8月22日 誤字修正しました。




