310 薬師と老人
トーウに抱きしめられたままのアラを見つめてから、剣狂老人がなにかつまらなそうに周囲を見回す。
「やはり『勇者』と言う物は、ステータスが高いだけのつまらぬ存在よのう。戦いの音を聞きつけてからこの場へ駆け付けるまでの間、遠目に戦いの様子を見ていたが多少の手傷を負わせた程度で油断し、トドメを刺していないというのに、最も近くにいる敵から注意をそらして一撃を貰うなど、未熟以前の問題。『残心』と言う言葉は貴様ら『勇者』の国より伝わった物だと聞いたが、それすら出来ぬ未熟者ではのう、まったくこの程度の相手では手慰みにすらならぬではないか。それに比べそちらの嬢ちゃんは相手のスキを見逃さず、己に出来る最大限で的確な、それも相手の意表を突く一手を打つとは、イヤイヤこれから先が面白そうじゃのう。そこの小僧も、何をする気かは解らぬかったが、なかなかいい目付きをして居った、なるほどこれはラッドが気にするわけじゃ」
な、なんだ、俺やサミューの事を評価してくれたみたいだけど、あんまり嬉しくないような。
「ああん、なんだジジイ、俺に殺されてえのか、ナメた口きいてんじゃねえぞ」
ヤスエイがかなりいらだった様子で睨み付けてるが、まああの言い方じゃ馬鹿にされてるとしか思えないもんな。
「ふうむ、小人は自らの大きさを目安に物を測るため、自らより大きなものを測れぬと言うが、全くその通りよのう。まあ羽虫ではどれほど頑張っても巨竜の体躯を測る事は出来ぬか。せめて上を見上げるという事だけでも覚えれば、自らが立っているのが土蔵の土壁の前なのか、決して越えられぬ霊峰の断崖絶壁の麓なのか、解ろうと言うものだが、まあそれが出来ぬからこそ小人は小人のままなのだろうが」
ねえ、煽ってるの、わざとヤスエイの事を馬鹿にしているの、あんまり無茶な事をされてこっちに八つ当たりされるような事になったら。
いや、もしかするとヤスエイを怒らせて判断力を鈍らせようっていう作戦なのかもしれないな。『鑑定』したステータスだとヤスエイのほうが剣狂老人よりもかなり強いから、そうする事で有利な条件を作ろうとしてるのか。
「このくそジジイ、殺す、今すぐその、え、あ」
「感情がぶれすぎじゃ、怒りに捉われているせいで注意がおろそかになり、動きが大きくなったせいで隙だらけ、だからこうして簡単に懐に入られる。まったくこの程度の事で感情をぶれさせるとは、度し難い未熟さよな。少しは落ち着いて貰えぬと、こちらとしても面白くないのだが」
気が付けば、怒りをあらわにして威嚇するような動きをしていたヤスエイのすぐ目の前に、剣狂老人が立って片手の人差し指をヤスエイの胸の真ん中に突き付けていた。
「ほれ、もしもこの指が針だったならば、今頃貴様の心臓には穴が空いて居ったぞ、この程度の接近など多少腕が立ち注意力の有る者ならば、完全に反応するのは難しくとも、接近に気がつき致命傷だけはなんとか回避できるだろうに」
いや、そんな説教をしてないで、せっかくそんなに追い込んだんならそのまま倒してくれればいいのに。と言うか、わざと怒らせてる訳じゃなくて、本人としてはただ思った事を普通に話してたら、相手がいきなり切れて呆れてるって感じなのかも。
「これに懲りたならば、少しは精進して真面目に技術を磨き、もう少し歯ごたえのある、おっと」
「クソったれがあ、避けてんじゃねえよ」
ヤスエイの振った剣を避けるように、剣狂老人が下がり、軽くため息を吐く。
「やれやれ、少しは話を聞けばいい物を、これはダメかのう。ステータスだけは高いというのにのう勿体ない事よ。心・技・体と言う言葉も『勇者』が持ち込んだ物らしいが、体のみが優れてるだけで、技は未熟以下で目も当てられぬ、心に至っては性根から歪んでいるか。どれか一つが劣るのならば、修正のしようも有ったかもしれんが、これでは百年経とうとも我が敵手とはなりえぬか」
もしかして、あの爺さんヤスエイを説得して、まじめに修行しろとか言いたかったのか、いやあの爺さんの目的を考えればあり得ない話じゃないのかも。
「殺す、いや、ただじゃおかねえ、俺の最強の毒で苦しみぬいた末に死なせてやる、今度の毒はさっきの女に使ったやつの比じゃねえ、ボスモンスターだってもだえ苦しんで発狂死するような凶悪なやつよ。こいつがかすりゃあテメエだって一ころだ、おら、さっきみてえに近寄ってみろよ、毒にびびってんのかああ」
確かに、掠っただけでもアウトってなると不用意に相手の間合いには入れないよな。
サミューやトーウみたいに耐性があるとか、俺みたいにすぐ回復できるっていうなら別だろうけど、剣狂老人にはそう言った手段がないだろうから、相手の攻撃を貰わないことが最優先になるだろうから、正面から仕掛けるんじゃなく一撃離脱とか、相手の背後を取るみたいな感じになるんじゃ。
「事欠いて毒とは、まったく、度し難い愚か者よ、所詮は貰い物のステータスやスキル、装備に頼るだけしか能のない『勇者』か、戦いと言う物を全く理解していない、毒を使うにしても、効果のない威嚇に使って手の内をバラすような事などせず、相手に当たるまで隠しておけば多少はマシと言うに」
そこまで言ってから、剣狂老人が視線をアラに向けてから軽くため息を吐き、親指と小指が短めの革製の手袋を右手にはめだす。し、しかし、今の言葉は俺も耳が痛いな、俺だって結局は装備品だよりで今まで何とかしてきてたんだし。
「気は進まぬがまあ仕方なかろう、ここでこのまま話を済ましてしまえば、あの嬢ちゃんがステータスでごり押しさえすれば、大概の事は何とかなってしまうと勘違いしてしまい、おかしな方向に剣技が成長しかねんからな。そうなっては某の楽しみがなくなってしまう。それを避けるためにも少しだけ鍛えた技と言うのがどういった物か、見せてみようか、そうすればステータスや特有の効果のみで勝てるというのがどれほど愚かな考えか解ろうと言うもの。とは言え真剣や木剣などを持ってしまえば、あっさりと勝負が付きすぎて見本演武にならぬからな、このような芸じみた戦いは好みではないが、相手が弱すぎては合わせるしかあるまいか」
そう言って剣狂老人が半身になり何も握っていない手袋をはめただけの右手を軽く掲げて、片手剣を構えているような姿勢になり、握り込んだ右拳の第一関節までしかない親指を立てる。
「あん、ジジイ、一体何のつもりだそりゃあ」
「見て分からぬか、この短い親指がこの場での某の剣よ、幸い親指を立てた方向というのは剣を握った時の刀身の方向と同じじゃしな。某の剣術の極意は技量と身体が高まれば、枝葉草紙の一切が我が愛剣、我が利器と化す事よ。その場に有る小枝や草片ですら剣となるのであれば、我が指が剣とならぬわけが有るまいて」
いや、それは無茶だろ、相手の武器は仮にも『勇者の武具』それも毒に特化した武器だよ、それを相手に素手で戦うって、少しでもかすったら終わりだっていう事が解ってるのか。
「ほざいてろくそジジイが」
一気にヤスエイが距離を詰めて片手を振りかぶり『薬師の創薬刀』を振り下ろすが、剣狂老人がこともなげに右手を振りその一撃を弾く。
「クソが」
自分の一撃を防がれた事で更に苛立ったのか、ヤスエイが連続で斬りかかるがそのすべてを剣狂老人の親指が弾いていく。
「ふう、やはり、『勇者』などこの程度か、攻撃の手を切らすことなく休みなしでこれだけ連続攻撃が出来るのはなかなかだが、所詮は体力任せに振り回しているだけ、無駄が多く高ステータスのわりに速度も威力も低い、だからこうも簡単に弾けてしまう。多少なりとも無駄を排した型を体に覚えさせられれば、違ったものとなろうに、その無駄にしてもただただ考えずに攻撃しているだけのもので、相手を惑わし読みを狂わせるよう、あえて混ぜた物では無いため、次に何をしてくるのか一目でわかってしまう。まったく、これではどれほど貴様が全力を込めた所でラッドのあの一撃には遠く及ばぬな、まったく萎える話だが、ステータス馬鹿の対処法を示す見本とするには丁度良いと考えるか」
うわあ、言いたい放題言ってるな。
「なんでだ、俺の剣は『薬師の創薬刀』だぞ、たかが指一本が何で切れねえ、俺の毒が何で効かねえ、俺は勇者だぞ、最強の職だ、それが何で効かねえ」
いや、その疑問はもっともだと思う、と言うか俺も訳が分かんないし、『勇者の武具』はその強力な『付加効果』だけじゃなく、純粋な装備品としての性能も高い、刃物なら切れ味はかなりのモノになるはずなんだから、普通に考えれば指が斬り飛ばされて終わるはずなのに。
付けている手袋が特別なのかと思って『鑑定』してみたけど、防水性能が高いだけの何の変哲もない皮手袋だったし。
「何を驚く事が有る、鋼を断つほどの利器、名剣であろうとも、斬れる場所は刃の先端にあるほんの僅かな一線のみ、更には一定の角度の範囲内でその一線を当てねば切れる事は無い。たとえ柔な肉や皮膚であろうと刀身や刃の横に当てている分には切れる事は無い。そして力の向きを読んでそこへ的確に合わせて受け流せば、ほんの僅かな力しか込められない親指一本でも十分、貴様の剣を弾ける」
いや、そりゃそうなのかも知れないけどさ、実際にやるのって普通に考えて無理だよね。何を無茶苦茶な事やってるんだこの爺さん。
「毒にしても同じ事、どれほど恐ろしい劇毒であろうとも体内に取り込まれなければ何の効果ももたらさぬ。貴様の刃が某にかすり傷すら負わす事が出来ぬのならば、某の血脈に毒は流れこまぬ。もしもその毒が肌より吸収されるものだとしても、こうして耐水性の有る手袋をはめれば某の指の表面にまで届く事は無い。どれほど強力な武具どれほど強力な毒物を集めようと、いやどれほど高いステータス、効果的なスキルが有ろうとも、その持ち主が愚鈍であれば何の意味もなさないという事がこれで良く解るであろう」
なんだろ、俺達に、と言うかアラに聞かせるような感じの話しようだな。
「相手の剣を弾くならば、こめられた力と勢い得物の形状を考え、それに合わせた的確な角度、勢いで最適な一点に当てればよいだけの事、流石に今の嬢ちゃんがこれとまったく同じ芸をするのは難しかろうが、コツさえつかめば針一本、鉄串一本でも刺突剣の代わりには十分ということよ。これからの某の捌き方をよーく見て参考とするがよい」
その後も色々と解説をしながらヤスエイの剣を弾いてるけど、これって、やられてる方にとってはとんでもなく屈辱的なんじゃないだろうか。まともに相手にされてないってのもそうだけど、自分の行動の何が悪いのかやどう対処するのかを、いちいち言って説明されるとかさ。
「さて、これだけ見本を示せば十分であろう。それに某としてもこれ以上萎えるような事をしては、せっかくラッドのおかげで奮い立ったというのに、やる気がなくなって剣を構える事すら億劫になってしまいかねんからの」
いや、こっちとしてはさ、出来ればヤスエイを倒してそのまま立ち去って貰えるとベストな気もするんですけどね。
「くそ、が、くそじじいが」
これだけ暴れ回っても、息一つ切らさないってのは流石は高ステータスって事なのかもしれないけど。でも指一本でどうやって勝負を決めるつもりなんだ。
「さて、いくぞ、それ」
一撃で『薬師の創薬刀』が握られたヤスエイの手を弾くと同時に一歩進み、ヤスエイの顔面の方へと親指の先端を突き付けるように手を伸ばす。
「眼球とは、鍛える事の出来ぬ急所、さあ、どうする、これ以上やるのならば今度は本当に目玉に指先が突き刺さる事となるぞ、そうなればこの手袋に付いた貴様の毒が貴様の体へ回る事になるやもな」
剣狂老人の親指の先端がヤスエイの左目の真ん前で止められて、ほんの少し進めるだけで、言葉通り目を抉れそうな状態だな。多分ヤスエイの片目の視界は指しか映ってないんじゃなかろうか。
「くそっ」
ヤスエイが慌てて下がるが、それと同じ距離をまったく同じ速度で剣狂老人が進み、ヤスエイが右に動けば剣狂老人も己の左手に移動する。まるで息の合った社交ダンスのペアみたいに同じ方向へ同じ速度で二人が動き続け、更にヤスエイが反撃しようと武器を振り回しても、親指を突き付けた状態を変えないままで全部かわし続けてるし。
結果としてヤスエイの左目と剣狂老人の指先の相対的な位置が変わらないままでいるけど、これって剣狂老人がヤスエイの動きを完全に読んで、それに合わせてるって事だよね。これだけでも相当凄い事なんじゃなかろうか。
「さて、そろそろ退かぬか、ここで消えるのならば無傷のままで家に帰れるぞ」
うん、確かにそうだろうけど、プライドはボロボロだよね。と言うか、倒してくれないの。
(おそらくは、これで心を入れ替えて、まじめに修行するかもしれぬという微かな期待を持っているのかもしれぬのう)
やめて、そんな面倒な事、ただでさえ俺達にとっては強敵だっていうのに、付け入る隙が減るっていうのは問題でしかないんだけど。
H29年2月23日 誤字修正および、剣狂老人の指の形状について修正しました。




