189 モナ侯爵
今回は他者視点です。
「く、手勢の者たちからの連絡はまだつかぬのか、いつまでかかっておるのか」
事が起こる前に中止命令を伝え、奴らを止めねばならぬから、儂の貴下の者でも騎馬に優れた者を選んだというのに。馬も持てぬ下級騎士や家を継ぐことも出来ぬごく潰し共を見つけるのに何日待たせおる。
「各地に放った刺客は多く、それぞれがおのれの判断で動き回っておりますれば、手掛かりをつないで一人ずつ見つけていくには日数が必要かと」
馬鹿な事をのたまう護衛騎士に、先ほど淹れさせたばかりの茶を器ごと投げつける。
「ぐううああ」
「愚か者が、刺客共の一人でも件の冒険者と戦って居れば、この儂がライフェル神殿に対して思う所が有ると取られかねんのだぞ、万が一にも破門ともなれば宰相位は返上、陛下からも見放され、儂に従って居る各家はもちろん、儂に頼りっきりであった第一王子ですら手の平を返すであろう。それだけではなく領地の削封や爵位の降格もありうるのだぞ」
「申し訳、申し訳ございませぬ、平に、平にご容赦を」
片目を押さえたままで平伏する騎士を見下ろし、別な者に声をかける。
「誰かこの痴れ者を下げよ」
「申し訳ございませぬ、この者プランの弟も今回の討伐に参加しておりますので、それゆえかと」
「『討伐』などという言葉を使うでないわ」
あの冒険者に対してそのような言葉を使っているだけでも、神殿から邪推されかねぬとなぜわからぬのだ。
「御意」
「まあ良い、レネルとかいったか、田舎男爵の長男との連絡は付いたのか」
あの者はトーウ・ショウ・ラッテルを儂の下へ連れて来ると壮語しておったが、それが金銭などによる取引のような正規の契約による手法ならばともかく、非合法の手段であの冒険者にちょっかいを出し、こちらまで神殿の怒りを買うような事態となっては目も当てられぬ。
「ノイツ卿に関しても現在行方が分かっておらず、とある『迷宮』に向かわれたとの情報が有るのですが、これも真偽はいまだ不明でして」
「見つけ次第、かの者は消せ、それと渡りをつけていた者もだ、万が一の場合でも儂の方に累が及ばぬようにな」
あの男が勝手に自滅するのはいいが、儂と関係が有るなどと妄言されてはたまらぬからな。
「ですが、宜しいのですか、ノイツ卿は他国の男爵家嗣子、それを当家の者が害したとなれば……」
「それを明るみにせずに済ますのが、貴様らの仕事であろうが」
第一、やつはしょせん男爵家、それもまだ家督を継いですらおらん、いくらでも代わりは居るだろうが。それにノイツ男爵家は『鬼族の街』の一件でライフェル神殿から制裁を受けている最中のはず、ならば多少手荒な真似をしても問題は小さいだろう。もちろん何事も無いのが一番じゃが。
「まあ良い、できるだけ早く対処せよ、必要ならば放った者たちをすべて切り捨てよ」
「御意、ではラッテル子爵家に対しては手出しせずという事でよろしゅうございましょうか」
「馬鹿を申すな、トーウ・ショウ・ラッテルを手に入れる事が出来なくなっただけの事、ラッテル家自体とライフェル教には何の関係もないだろう。かの家を完全に押えねば、陛下の御懸念を払拭することは出来ぬ」
そうだ、トーウを入手してスキル持ちの奴隷を増やし、陛下へ奉ずる事が出来ないのなら、当初の予定通りにラッテル家そのものを支配下に置けばよいではないか、手はまだあるのだ。
「糧秣の買い入れ状態はどうなっておる」
あの領地の食糧難は数年で改善できるものではない、こうして食糧を買い占めておけば、金も縁戚となる貴族家にも乏しいあの家が食糧を手に入れる事は難しくなる。
ラッテル家はこの数年の穀物購入で、すでに私財のほとんどを使い果たしていると聞く、領民への食糧支援をチラつかせればあの甘い当主の事だ、そのうち落ちるだろう。
そうなれば陛下の覚えもより良いものとなり、当家の権勢は揺るがぬものとなる。
ラッテル家は、本家の者が王室に仕えている他にも、分家筋の者たちが複数の貴族家へと毒見役として出向しておる、それらの者にも影響力を及ぼす事ができれば、各家の当主の死命を握る事も、秘密を集める事も可能だ。
それらを陛下と儂で管理すれば、国内で誰も逆らう事は出来なくなる。陛下は謀反を恐れる必要がなくなり、儂も宰相位を脅かす敵は居なくなる。
まったく、『毒見役の御役目のみに徹し、政には介入するべからず』などという寝ぼけた家訓を、馬鹿正直に代々守る様な愚か者の一族には過ぎたスキルだ。
「はっ、麦、芋、豆の他に雑穀の類も買い入れておりますが、他家ばかりか王族の方々も個人資産にて買い入れを進めているとのことで、なかなか。王都ばかりではなく主だった各都市の市場でも軒並み値が上がっているとの事でして、このまま買い付けを続けてよいのかと、派遣した代官達より問い合わせが入っております」
王族もだと、陛下の命を受けて儂が買い集めていることを知らぬわけではなかろうに、自分たちでラッテル家を抱き込むつもりか。そうはさせぬぞ。
「金に糸目をつけるな、他家に食糧を渡してはならぬ、すべてを当家とその一党で押さえるつもりで買い集めさせよ」
そうでなければ、ラッテル家は押さえられぬ。いや食糧の大半を手にする事が出来ればラッテル家どころではないな。蝗害は周辺地域一帯へと年々広まっているのだ、上手くすればあの地域の貴族家の大半を支配下に収める事も可能かもしれぬ。
「とは申しましても、最近は金貨での買取りを拒むものが多く、銀貨の調達が必要ですが、両替商共もこちらの足元を見るかのように手数料の値上げをしておりまして」
「構わん、守銭奴共にも少しは稼がせてやれ、目に余るようならば儂が法務官に言って取り締まらせるが、そんな事をしている時間が惜しいからな」
「ですが食糧支援に使うにしてもこの量は、それに予算の方も当家の私財や利用予定のない土地などを抵当に入れて金を借り入れるとしても額が額ですし、陛下よりお預かりしている金貨の残りも。また出入りの商人への支払いや使用人等への給金もありますし」
「余った分はラッテル家を下した後で売ればいいのだ、食料が無ければ生きてはいけぬのだから、どれだけ値を付けても売れるだろうが。いや、いっそのこと商人どもには穀物で支払うと伝えよ、利に聡い者ならすぐに食いつくだろうて。使用人にも給与として穀物を与えておけ、下男や下女程度の給金では、これから先まともに麦を食べる事も出来なくなるのだ、儂の慈悲深さに泣いて喜ぶことだろう」
「そ、そのような事……」
今は金よりも穀物の方が価値が有るとわかっていないのか、昨年と比べて穀物の価格がどれだけ上がったと思っているのだ。特にこの二か月弱で倍近く跳ね上がっておる、このままの上り幅で行けば来年の今頃にはどれほどの額になってるか、考えただけでも笑いが止まらぬわ。
陛下から与えられた任を果たすだけで、大量の金が稼げるのだからな。
「儂がそう言っておるのだ、よいな」
「は、はは」
全く使える者がおらんな。
「閣下、実はとある国外の商人がラッテル領に対して食糧の大量売却を打診しているようですが」
うん、ラッテル家に売却などとは時勢を知らぬ田舎商人が、以前ならばともかく今はもう商売になどならぬだろうに。
「ふん、娘を奴隷にして稼いだとはいえ、あの家に領内の腹を満たすだけの食糧は買えまい、儂が言い値で買ってやるとその商人に伝えよ」
食糧はあればあるだけ金になるのだ、下民共にくれてやるくらいなら儂が有効活用してやろう。
「ですが、そう成ると予算の方が、国内での買取だけでもギリギリだと言いますのに……」
「まったく」
つまらぬことを話す家令を黙らせて、机の上に紙を広げてペンを取る。
「この書状を財務相と軍令部に届けよ」
「こ、国庫に手を付けるのですか、旦那様こればかりは……」
「馬鹿者、軍糧の備蓄だ、乱に備えすぐに兵を動かせるよう、各地に糧秣を備蓄しておくのは宰相として当然のことではないか、いざ必要となった時に、食糧価格が高く買えないなどと成っては治安が維持できぬからな」
別に私腹を肥やす訳ではないのだからな。それにラッテル家を下す事は陛下より与えられた勅令によるもの、多少の越権行為も陛下はご承知くださることだろう。
「ですがこの量は国軍の必要量をはるかに」
「貴様は、当家の家臣であろうが、いつから国官となったのだ。国家の大計を考えるは陛下に任じられし官吏が役目、我が家臣とは言え廷臣でないものが国政に口をはさむなど言語道断、分を弁えよ痴れ者が」
多少国庫に負担をかけたとしても年が明ける頃には、食糧価値が少なくとも倍になっておるはずだ、国庫が潤えば誰も文句など言わぬわ。
軍に食糧を押さえさせておけば、儂の指示でいくらでも溜め込めるし売る時期も好きにできる。これで儂の買えぬ分も他家やラッテル領に渡さずに済むからな。
なぜその程度の事がわからぬのだ。
「過ぎた口をお許しください」
「下がれ、我が家令の職が不満ならば、いつ職を辞しても構わぬのだぞ」
「そ、それは……」
これほどの儲け話に、つまらぬ事しか言えぬ家臣など居てもしょうがないからな。
「旦那様、少々よろしいでしょうか」
「なんだ」
ノックとともに、家臣が一人入ってきたが何かあったのか。
「は、『王家毒見役』のラッテル卿が、旦那様への面会を求めておりますがいかが致しましょうか」
「そうか、来たかとおせ」
今の毒見役はラッテル家の長男、それが直々に儂に会いたいとなればいよいよ食糧の無心に来たか、思ったよりも早かったが。
「宰相閣下、失礼いたす」
「おお、ラッテル卿、いかがされたか、おや、そちらにいるのはサクエンではないか、いったいこれはどういう事ですかな」
ラッテルの分家から、儂の所に出向しているサクエンもいるのならば、これは間違いないな。
「は、突然ではありますが、宮中の人事を預かる宰相閣下にお暇乞いの御挨拶に参りました」
「な、そ、それは一体」
王家毒見役を辞めるというのか、いやそれよりも儂の毒見役までもが居なくなれば。
「先日、国元より火急の用事が有る故、出向しているすべての騎士に対して直ちに戻るよう指示がありまして」
馬鹿な、そんな事をすれば、各貴族家はどうなる、それよりも騎士を集結させるなど、謀反を疑われても仕方ない、いやまさか……
「さて、どのような要件かは知りませぬが、父もよほど腹に据えかねぬ事が有ったようで」
本気だというのか、国軍を動員すれば、いや儂の私兵や騎士団だけでもラッテル領を攻め落とすのは容易いが、下手をすればラッテル本家の者やスキル熟練度の高い者が尽く死に絶えかねない、そうなれば何の意味もないではないか。
それを恐れて搦め手ばかり取ってきたというのに。
「ま、待たれよ、そのような事を急に言われても、そ、そうだサクエン、儂につかえぬか、十分な知行を与えてやろう、このままラッテル家に仕えていれば先はないぞ」
最悪でも、こいつを確保しておけば、ラッテル家が全滅しても多少は血が残る、そうすれば、こいつに女奴隷を孕ませさせて、スキル持ちの奴隷を増やすことは不可能ではない。それに儂専用の毒見役を失うわけにもいかぬしな。
「二君にまみえる様な恥知らずな真似、手前には出来かねますな。では御免」
「御免」
こ、こやつ、王国宰相である儂の誘いを無下も無く断るとは。
「閣下、どうなさいますか、ラッテル卿は行かれましたが」
「く、く、食糧の買い上げを進めよ、穀物だけでない野菜も肉も果実も酒も、人の口に入るありとあらゆる物を買い押さえて、ラッテル領を完全に干上がらせろ」
許さぬぞ、この無礼かならず後悔させ、ラッテル家の血に連なるすべての者共を奴隷にしてくれるわ。




