序章4 『仕組みと仕方』
ここは1425年のフランス。
歴史通り、フランスとイングランドは百年戦争の真っ只中であった。 フランス王国の王位継承をめぐるヴァロワ朝フランス王国と、プランタジネット朝およびランカスター朝イングランド王国の戦いであり、現在のフランスとイギリスの国境線を決定した戦争である 。
シャルル6世が謎の死を遂げた後、これを好機とみたイングランドは攻め込む。シャルル6世の摂政権を巡ってアルマニャン派と対立していたブルゴーニュ派はイングランドと同盟を結び、シャルル7世と急にうまくいかなくなった実母イザボー・ド・バヴィエールもイングランド側についた。今、若き国王シャルル7世は絶体絶命の危機にある……というのがいまの状況である。
多少誤差程度の違いはあるものの、そこまでは俺が知っている歴史と同じだった。それでも俺には理解し得難いことがある。
この世界には科学という概念が存在しなかった。その代わりに『魔法』が発達していたのだ。
ありとあらゆるものに精霊は宿っている。火や水、木や土などすべてにだ。精霊と対話し、祈りを捧げ、恵みとして力を借りる。それが魔法というもの。
科学は迷信で魔法が当たり前。生前とは真逆のスタイルであるこの世界に適応するには少し時間がかかりそうだ。
知りたかったことをジャンヌから一通り聞いた。
俺は四脚椅子の上で足を組み、薪が積まれた暖炉を眺める。
どうみても暖炉が即席で作られたようには見えない。この椅子だってそうだ。 だいぶ使い込まれているようだ。ドッキリという線は消えたな。
手の甲を血が滲むぐらいつねってみる。
血はでる。ということは夢ではない。そもそもここまで意識がはっきりしているのに夢でしたなんてことはありえない。あっても俺が許さない。
「なにか悩みごとでも?」
ジャンヌは心配そうに首を傾げる。
「いや、こっちの話だ。それにしても戦争中なのにここは平和なんだな」
「周りの大きな村は強奪にあったようですが、ドンレミ村は小さな村だから狙われないのです」
「強奪はどんな感じなんだ?」
「酷いものです……。逃げ遅れた老人、女や子供、病人までもが殺されました。そして金目のものをひとつ残らず持っていくのです。家は焼かれて畑は踏み荒らされる。川には毒が流されて使い物になりません。生き残った人々は受け入れてくれる村を探して放浪しているのです。私たちはそういう人を受け入れます。同じ人間なのですから」
それならばこの村だけが狙われないのはおかしい。イングランド軍は強奪はもちろん、村を再起不能まで追い込んでいる。人々は狙われないこの村を頼りにやってくる。安全だと思い込んで。
「この辺りに他の村は?」
「山を越えればあったはずですが詳しくは分かりません。近くの村は襲われてしまったので情報が入ってこないのです」
「これはまずいことになった。最近村が襲われたのはいつだ。それはここからどれだけ離れてる」
「襲われたのは三日前で、ここからはたしか……三日間ぐらいですね」
俺の考えが正しければあと二日……いや、一日もたたずにイングランド軍がやってくることだろう。この村を安全と錯覚させて金目のものを持った避難民を集める。そこで一網打尽だ。戦いもろくに知らない村人が集まったこの村が百戦錬磨のイングランド軍に勝てるはずがない。
「お偉いさんは誰だ。国から階級や特権をもらってるやつのことだよ」
「領主ボドリクール様のことでしょうか?それならここから二日とかからないところにおられますが……」
「ダメだ! そんなんじゃ間に合わない。今すぐに村人に注意をうながしてくれ」
村人たちは胡散臭い俺に冷たい視線を向けてくることだろう。だがジャンヌの言うことなら耳を傾ける。
頭の回る指揮官なら寝静まった夜中に仕掛けてくるはず。そしてその夜中はまさに今この時。
「村の中で一番強い男と足の速い男を一人ずつ呼んでくれ」
ジャンヌは背の低いおさげの少女と体の大きいいかつい顔の男を連れてきた。
「こんな夜中に呼び出しやがって何の用だ? ジャンヌ嬢ちゃん」
男は俺を横目で睨みながら腕を組む。
丸太みたいに太い腕はだてじゃなさそうだ。
「そう怖いお顔をしないでください。そこにおられるケイ様に従ってほしいのです」
「この坊主にィ? この俺がァ? 冗談キツいぜ。理由はあるんだろうな?」
「ケイ様にお聞きください」
再び俺を見た男の額には血管が浮き出ていた。
この状況で冗談を言えば間違いなく殺される。
俺は直感で悟った。
「時間がない。二人ともついてきてくれ。ジャンヌは村人を起こしてもらいたい」
男と少女を連れて村の外へと出る。
「死ぬ前に言い訳させてやるよ。俺たちをここに連れてきたわけを言え」
黒のスーツを着ればヤクザ顔負けの威圧。そもそもこの時代にヤクザはいたのだろうか?
「もうちょっと待ってくれ。すぐに分かるはずだ」
できるだけ物音を消しながら進む。俺の様子を見て男たちも理解したのか、動作が慎重になる。
やつらがいるなら見つかってはならない。こちらが先に見つけなければ意味がないのだから。
そろそろ夜が明けるなと空を見上げたその時、かすかな音を聞きつけてとっさに身を伏せる。
「伏せろ!」
小声で合図すると、男は少し嫌そうな顔をしながらも指示に従う。
「あそこだ、見えるか?」
銀の甲冑を身に付けた兵士が落ち着かない様子で辺りをキョロキョロしていた。
「あれはイングランドのクソ野郎じゃねえか! てんめぇ、スパイだったのか!」
「早まるな、仲間だったら隠れねえよ。あいつは偵察兵だ。きっとすぐに逃げられるよう手段を用意してある。俺が気を引き付けるから隙をついて捕まえてくれ。君は村のみんなに逃げるよう伝えてくれ」
男には捕縛を、少女には伝令を頼むと、息を潜めながら地を這う。
幸い俺の格好はそう目立つ色をしていない。
偵察兵の背後に歩伏前進で回り込み、距離をじりじりと積めていく。
あとは俺が気をそらし、その隙に男が兵士を取り押さえれば完璧だ。
俺は手元の小石を掴み取って投げようとする。すると、何かを悟ったように兵士は急にこちらを向くと、抜刀した。
「チッ、胸糞わりぃな。見られたからには子供といえども死んでもらう」
兵士を剣を振りかぶりながらこちらに向かって走ってくる。
「ま、待ってくれ! 俺は子供だ! 何も見て……あぶね!」
俺は慌てて横に飛び退けると、先ほどまで俺がいた位置には鈍く光る鋼鉄の剣が突き刺さっていた。
俺が命がけで引き付けてるってのにあのおっさんは何してんだよ!
心の中で不満を叫び散らす。
「ちょこまかと逃げやがって。おとなしくぅっ……な、なんだこれ! くそっ! 離しやがれ!」
そばにある草や木、花や葉が次々と兵士の体に次々と巻き付き始めていた。
「くそっ! くそっ! 離れろ! 離れろよ! うっ……」
ついに兵士の四肢を絡みとり、自由を奪った。時たまにもぞもぞ動くところを見ると、死んではいないらしい。
「どうだ青二才。こいつ燃やしてみるか?」
男はその太い腕を持ち上げる。そして落とした。すると、もがき苦しんでいた兵士の腹は陥没。その後おとなしくなった。
「燃やすのは……やめとこう。ところでどうやったんだ?」
「あぁ? 森の神に祈りを捧げたに決まってんだろ。まぁ『祈り』を知ってる人間ってのも珍しいもんだがな」
豪快な笑い声を上げる男を眺めながら、この男だけは怒らせてはならないと直感で悟った。
でも何かが変だ。誰かに見られてる気がする。
俺はぎこちなく辺りを見回すと、視界の隅っこに人影が見えた。
「おっさん! あそこにいるやつを捕まえてくれ!」
「くそっ、離れすぎだ! いくら祈りでも届かねぇ」
男は悔しそうに呟く。
バレたと知ると、人影の行動は早かった。立ち上がって木の裏に隠れた。そして、どこかに馬を用意してあったのだろう。その馬に乗ってあっという間に立ち去ってしまった。
「二人いたんだ……やられた。急いで村に戻ろう」
「あのくそやろうを追わねえのかよ。やっぱガキだな」
「こいつらは偵察兵だ。きっとすぐ近くに仲間の兵士が待機しているに違いない。村に戻ってみんなに伝えないといけない」
渋々頷く男を連れて村に戻る。
「ケイ様! 指示通り村人を全員起こしました。これからどのようにされます?」
村の入り口でジャンヌが俺の帰りを待っていた。
「今すぐ村を離れる。荷物は持っちゃいけない。全部置いていくんだ」
「でも持っていかないと敵の手に渡ってしまうのですが……」
「命が大事なら従うんだ」
「……分かりました」
女の子に有無を言わせないのは心が痛む。だけど今は説明してる時間はない。時は一刻を争うのだから。
村人が避難する中、俺は逃げ遅れた老人や子供がいないか村を歩き回っていた。
残念ながら重病人や歩くことすらままならない老人たちを連れていくことはできなかった。彼らは自らついていくことを拒否したのだ。俺はそういう人たちに「きっと戻ってくるから」「敵国の兵でも心はあるはすだ」などと元気づけて村を後にした。
そう、とても無責任な言葉を残して。