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現実

「最近、私、ヘンな夢見るの」

 4時限目の授業も終わり、食事の時間になっていた。自分で作ったお弁当を広げながら、坂上遥はがらがら声で岩清水明日香にそう呟いた。

昨日は就職活動のための履歴書作成や面接の練習のため、自室にこもって何時間もエアコンをつけっぱなしにしていたので喉がおかしい。空調機器を長時間つけっぱなしにするのは遥の悪い癖だ。

「悪夢かなんか?」

 心配半分、興味半分という表情で訊ねながら、明日香は自分のお弁当の包みを開いた。見かけによらず少食な(言ったら怒られそうだが)明日香のお弁当の中身はご飯と卵焼と残りは少量のおかずだが、とりわけおかずのタコ形のウインナーが目立っていた。明日香には似合わない。

「ううん、違う」

 明日香の質問に遥は首を振って否定した。

 その時、机を1つ隔てて横に陣取って座っている男子集団は盗み聞きしていたのか、その内の一人が、「どうせ昔付き合ってた、とかいう隣のクラスのあいつのことだろ」と野次を飛ばした。いつまでその話を引っ張るんだ。遥は手のひらを振り、「違う違う」と冷静に言葉を返した。

「なーんだ、違うのか」

下手な理由を並べて否定しなかったせいか、その男子はすぐに飽きたみたいで、そっちの会話に夢中になっていった。遥が男子と付き合ってた付き合ってない云々の話は、高校2年生の夏くらいからある勝手な噂話だ。実際は否定した通り、本当に付き合ってもなかったし、付き合っているなんて噂された事自体心外だが、なぜかそのネタは消える気配がない。きっと何年か先の同窓会でも言われるんだろうな、と不吉な予感がしてならない。

遥のクラスは商業科なせいか、どうしても女性が多く偏る。だからその手の話が好きな女性の絶対数が多く、伝染するように男子からも同じ事を言われるようになってしまう。知らないだけでこの学校の生徒の間にはいろいろなうわさ話があるのかもしれない。調べる気にはなれないけれど。

商業科には遥もそうであるように、高校卒業後就職する人も多い。確かクラスメイトの半分以上が就職組だったはずだ。遥も明日香も、さっきどうでもいい横槍を入れた男子も春からは社会人になるはずだ。遥だけはまだ就職が決まっていないので、少し焦っている。

高校卒業と就職という人生に置いて大きな節目となる時期が間近に迫り、空気にどこか冬の匂いが感じられるようになってきた。遥の言う冬の匂いとはエアコンや石油ストーブでこもった空気が充満する乾燥した空気のことで、確かに暖かいとは言え、教室みたいな人っ気の多い部屋に入ってきた瞬間に感じる、あのもわっ、とくる臭いには少し堪えられない部分がある。そのせいか、毎年この季節になると教室内はとても息苦しい。

 クラスは3年間ずっと同じ1教室で、33人。きつきつのクラスだった中学生の時より教室が息苦しいと感じることはないものの、なにぶん商業科なので女性が多い。冬は少し息苦しい程度で終わるが、体育の後のやけに花の香りがするスプレーや、過剰に噴きかける香水(本当はだめだが)の臭いはかなりひどかった。

人数が少ないのはこの高校の立地が田舎であることが多分大きくわざわいしている。毎年どの科も定員をすれすれで、遥の受験した3年前の年は商業科だけが定員割れで、そのことが運がいいのか悪いのかは結果的には分からないが、商業科希望だった遥はその日のテストが不調だったにも関わらず合格できた。

遥の年の商業科で一番の成績で入学したのが、今一緒にお弁当を食べている明日香なのだが、最初は頭いい人という認識だったのに、1年もかからず遥は明日香の小悪魔的な性格に気づいてしまった。明日香は簡単にいえば悪さをすることが多いのに、どこか憎めない所がある。

その遥を考えを裏付けるように、明日香はにやにやと笑った。少し馬鹿にした表情で語尾を吊り上げて訊くのは明日香の癖だ。

「へぇ~、じゃあどんな?」

「笑わないでよ」

 遥が口をすぼめて念を入れると、「大丈夫大丈夫」と八重歯を覗かせた。

 明日香は綺麗な女の子だ。背の順に並ぶと半分よりぎりぎり後ろになるくらいの遥と違い、明日香はほとんど一番後ろに並ぶくらい背が高く、そのせいかスタイルもいい。何よりウェーブがかかっていて上品なお嬢様という感じの髪の毛は、遥の無造作に背中に流しているだけの地味な猫っ毛とは見栄えが違う。

今でこそ明日香の髪色は黒だが、就職活動をしだす以前は、茶髪で金のメッシュを入れていて、よく先生から注意を受けていた。髪色の黒に戻したのは、さすがに就職活動をするのに髪を染めているのはまずいと気がついたからだろう。

 クラスメイトからはお嬢様な明日香と、地味な遥がいつも一緒にいるのは合わない、と何度も言われている。正直なところ遥に合わないと思っているが、もう一人の当事者の明日香は気にした様子もなく、べたべたと引っ付いてきて、友達の少ない遥の数少ない友人になってくれた。よくもまあマイペースに3年間も友達でいてくれたものだ、と嬉しく感じている。

 3年間を振り返って少し眼の奥が熱くなりながら、昨日見たヘンな夢を語ろうとすると、

「おっ、この唐揚げもらいー」

 ひょいっと箸を伸ばした明日香は嬉しそうに遥のお弁当箱から唐揚げを盗んでいった。それは昨日の就活の準備や練習の合間に作った(冷凍食品なので揚げただけだが)遥の小さいお弁当の中にはどう頑張っても2つしか入らなかった唐揚げ。

「ちょっとー! 唐揚げはだめって言ってるでしょ!」

 慌てて抗議したが明日香は、満足そうに笑いながら無視して口の中放り込んでしまった。

腹いせに何か盗ってやろうかと画策したが、明日香はすでに手でお弁当を隠していた。内心泣きそうになりながら、むすっとした目で睨んだ。

 なによ、と言いたげな顔を返されたが、じーっと機嫌悪そうに見つめる遥の視線にきっかり3秒で根負けした明日香は、

「ほら。ウインナーあげるから」

 と、少し気まずそうな顔をしながらも、遥のお弁当箱の中にタコ形のウインナーを追加した。

さっき遥が覗いていたのに気づいて、それを渡したのか、それとも単純に明日香はこのタコさんウインナーが子供っぽくて恥ずかしいのかはわからないが、遥にはそれが可愛らしくて、なんとなく唐揚げを取られたことがどうでも良くなってきた。

「んで何?」

明日香のその『何』という言葉が何を指しているのか一瞬わからなくて、トレードでもらったタコさんウインナーをかじったまま真顔で振り向いた。

「あんたが見た夢」

「あっ」

 思わず出てしまった声で、明日香に大きくため息をつかれた。それが本題だったのにもかかわらずすっかり忘れてしまっていた。

「あっ、じゃないよ全く。あんたから振っておいて」

タコ形のウインナーを見て、明日香の性格と料理スキル上、多分これは明日香母のものだろうとなんとなく思った。明日香はこんな子供じみた――もらったことを喜ぶ遥が子どもっぽいというわけではなく――性格ではないし、料理が下手な明日香がわざわざこんなめんどくさいものを作るとも思えない。たぶん母親が作ったんだろうなあ。

「ごめんごめん。じゃあ言うから笑わないでよ」

 ウインナーを口の中にいれた遥を見計らったように、明日香は、「だいじょーうぶ」

 そのまま口の中にあるウインナーを咀嚼して、飲み込んでから、遥は明日香だけにぎりぎり聞こえる程度の小さな声で、

「私がアイドルになるって夢」

 その言葉を聞いた明日香は、コンマ一秒だけ何を言ったのか聞き取れない、という顔をしてから、次の瞬間には教室中に響き渡る大声で笑いだした。

「あはははは。なにそれーマジあり得ない」

 クラスの半数以下の大学受験組であり、食事の時間も惜しんで勉強をしている彼らさえもが何事か、と思ったのかこちらを振り向いた。受験組の彼らは就職組を敬遠しながら、関わり合いを持とうとしないので、反応するのは珍しいのだが、それくらい明日香の笑い声は唐突で大きかった。

受験組がそうした反応を見せる中、素直な就職組の男子からは、うっせーぞ、と野次が飛ぶ。

 笑い出したのは明日香で、明日香が原因なのだが、事の発端は遥自身にあって、他人に迷惑をかけたのが自分のせいである気がして申し訳ない気分だった。それにギャグという意味で面白いことを言ったわけではないのに、大声で笑われたのは、みんなから笑われているような気分で、恥ずかしくなった。穴があったら入りたいとはこのことだ。

「笑わないでって言ったのに……」

 ぼそぼそと呟いた遥のセリフは高揚する明日香の耳には届かず、まだ大声で笑っている。ここまで笑われると、恥ずかしいというより惨めな気分だ。笑わないで、って言ったのに。

 あまつさえ明日香は、うるさいという言葉が笑っている理由を聞かれたの勘違いしたのか、

「だってさー。これは笑わずにいられないって。そこの男子ー聞いて聞いて。遥がねー。アイ――、」

「あーーっ」と、やおら大きな声を出して、明日香が先程野次を飛ばしたクラスメイトに言いふらそうとした台詞を遮った。二度も大きな声をあげられると思っていなかった勉強中のクラスメイトはよほど驚いたのかいらついた表情を見せた。

 遥はやばいという顔をして、声のトーンを落とし、「明日香うるさい。私を笑い者にする気!?」

 そこでようやく明日香はやり過ぎたことに気がついたのか、「ごめんごめん」と手を合わせて謝った。

 それからもクラス中から鋭い視線が飛んできたが、遥は無視して我が物顔で食事をした。その間、明日香は怒ってるクラスメイトに軽く謝っていた。

「全く。今度やったら絶交だからね」

「分かった分かった」

「明日香のばーか」

 どう捕らえても捨て台詞にしか聞こえないその言葉を明日香は軽く受け流して、クラスメイト全員に「何にもだから、気にしないで」となだめて、元のわいわいがやがやに収束した。

 そこで明日香が遥以外には気づかないような小さなため息をついたことを遥は見逃さなかった。。

 絶交という言葉と、最後の捨て台詞は少し言い過ぎたのかもしれない。でも言いふらされたらまともにクラスメイトの顔を見れなくなるような発言を言い立てようとした明日香の方もひどい。でもこの程度の言い合いならしょっちゅうするし、絶交という言葉もこれで何度目になるのかわからないほど口にしているので今更本気で言ってるようには聞こえないだろう。

少しだけ明日香の表情を伺ってみた。気まずいような済まなさそうな顔というような表情をしてご飯を食べていたので遥はとりあえず明日香を許すことにした。

それにしても、

 ――はぁ……。

 なんでそもそもアイドルになったという夢なんて見たのか。見たことは確かなのだが、アイドルなんていうものを意識したのも小さい時、それこそ10年以上前なので、その単語すら久し振りに口にした。遥の親だけが知っていて、友達に言うのは恥ずかしくて無理だが、実のことを言うと遥が幼かった時の夢はアイドルになることだった(アイドルがその頃好きだったのはなんとなく覚えているが、幼稚園の卒園アルバムを見ると、何を思っていたのかそう書いてあるのでよっぽど好きだったのかもしれない)ので、もしかしたら寝る前に何か幼稚園の頃を思い出すようなフラッシュバックを見たのかもしれない。

 その頃というのはテレビに映るあの綺麗な女の人たちに憧れたものだった。可愛らしい服装で、大勢の観客を集めたコンサートホール、その中央でスポットライトがきらびやかに当たる舞台に立ち、歌って踊って――。彼女たちは眩しく輝いて見えて、それが当時の遥には羨ましかった。

 遥は閉めきったガラス戸ごしに空を見上げた。

 空の青色は天高く澄んでいて、どこまでも透明だった。果てしない空のどこかには本当にアイドルという人たちがいて、自分とは関わりはない世界にいるけれども、同じ空気を吸って生きている。彼女たちも空を見上げればおんなじように思うのかな。

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