In the rain
夕立が降ってきたのは部活の練習中だった。
準備運動が終わって、本練習が始まろうとした時、手の甲にポツッと何かが当たった感触がして、見てみると雫の跡があった。
「あ、雨だ」
部員の誰かが小さく呟いたかと思っていたら、あっと言う間にどしゃ降りになっていた。
『In the rain』
「伊沢先輩、どうするんすか?」
神田友喜は両手でゴシゴシと髪の毛の水気を払いながら、そう聞いてきた。
部員は俺も含め全員、校庭近くの渡り廊下の屋根の下に避難していた。 さてどうするかなと、周りを見回しながら考えた。
突然の雨に、素早く逃げ込んだとはいえ皆びしょ濡れだった。おかげで体にぴったりと張り付いたTシャツが気持ち悪くて、うわーだの、げーだのとわめいていた。
もちろんそれは女子も同じで、いわゆる絶景であった。運動部の女子は案外そういうことを気にしないのか、楽しそうに話している姿を見ていても、誰もこっちを気にしている様子もないので、ここぞとばかりに楽しんでいた。
「ちょっ・・・先輩何見てんすか?」
俺の視線の先を追って、呆れた顔で友喜は溜め息をついた。
お前だって嫌いじゃねぇだろ。どうでもいいけど早く指示して下さいよ。というやりとりを交した後、今度は校庭を見た。
視界は煙るぐらいの雨で、校庭にはすっかり海が出来ていた。こりゃ雨が止んでも部活は無理だな。雨のわりには明るい空を眺めて、俺は大きく溜め息をついた。
「しゃーない、今日は練習なしな。何とかして部室戻って体拭いて、んで・・・何とかして帰ってくれ」
その場にいる全員にそう伝えると、はーいと皆各々に返事をした。
真っ先に一年の男子の何人かが雨の中に飛び出し、全力で追い掛けっこをしながら部室に戻っていった。その後を女子も小走りで、喋りながら続いた。
皆が思い思いに部室へ戻り、最後に残されたのは俺と倉沢千冬だけになっていた。
倉沢は長い髪に雫を滴らせて、やっぱり透けている下着を気にしてない風で、渡り廊下に虚ろな表情で座っていた。
その姿に、体の奥底から何かが突き上げるような感覚に襲われた。その感覚を奥歯を噛み締めるように堪えた。
「あれ?皐君は帰んないの?」
何処かに行っていた意識が今帰ってきたみたいに、倉沢は表情を取り戻し俺に話しかけてきた。
ふいに見つめられた俺は、慌てながらも何とか、責任ある立場として皆が戻るのを確認してかないといけないからという意味の言葉を伝えた。
大変なんだねぇと、倉沢はマヌケに言い放った後、気付いたようにはっとした表情をした。
「もしかして・・・帰れないの私のせい・・・だね」
俺は苦笑しながら、コクリと頷いた。倉沢は顔の前で両手を合わせて、ゴメンと俺に謝った後、立ち上がり帰る準備を始めた。
「うわっちゃぁ・・・酷い雨だなぁ」
屋根の外を確認して、倉沢は眉間に皺を寄せながらそう言った。
「じゃ、私も戻るから!皐君も安心して帰ってね」
そう言って倉沢は俺に笑顔を向けた後、長い髪をなびかせながら雨の中を駆けていった。
俺はその後ろ姿に、小さな幸せを感じていた。
部室にいた友喜や、同級生の安藤輝・坂上ゆうと一緒に下らない話で盛り上がっている間に、7時に出る最終バスを逃してしまい、おかげですっかり本降りになった雨の中、びしょ濡れで自転車を漕ぐ羽目になった。
−−−明日学校休みで良かった。すっかり重くなった制服に気づいた俺は、真っ先にそんなことを考えた。
このあたりまで来ると、街灯もまばらになり、すっかり暗闇が景色を包んでいた。
一昨日、車に当て逃げされて自転車のライトは壊されていたので、そのわずかな街灯の中に目を凝らして自転車を進めていった。
−−−次の角だ。
曲がれば家が見えてくるはずの直角の曲がり角を見て、俺は少しだけ緊張を緩めた。このあたりは田舎だから、人は滅多に通っていないし、中学も含め5年間ここを通っているが、まだ一度も事故を起こしたことはない。そんな油断もあった。
雨の中、いつもの曲がり角を、いつものように曲がると、視界は突如暗転した。
空中で回ったような感覚を味わい、どっちが上か下かも分からなくなった後、硬い地面に背中から落ちて、本当に飛んでいたんだと気づいた。
体中に雨がボツボツとぶつかってくる。落ちたときに打ち付けた背中が痛んだが、それ以外は大して痛まない。体を何とか起こしながら、それだけ確認した。
「チャリ・・・」
ふと、さっきまで自分が乗っていた自転車の行方が気になり、あたりを見回した。
周りは街灯が一本だけ立っていて、他は民家がまばらに立っているだけだった。暗闇の中に、街灯に照らされて輝く雨が、まるでノイズみたいに見えた。
そしてそのノイズの隙間に、倒れている人を見た。
それが、ユキとの出会いだった。