旅人とベル~立派な学校~
轟々と水が音を立てて流れている。
ここ数日の豪雨で勢いを増した土色の川が西から東へと向かって伸びていた。濁流は今も土を容赦なく削っていて、川下では土手が一部崩れて決壊していた。
目の前には橋の残骸と思しき折れた柱が立っており、そこから垂れ下がるロープが不規則に風にたなびいている。
川幅は目算で50メートル超。とても人間が泳いで渡れるものではない。ぐるりと辺りを見回すが、他に渡れそうな場所は見当たらなかった。
「橋、流されちゃってるね」
栗毛の馬に乗った少女がポツリと言った。年の頃は10歳前後。腰まで届く長い銀色の髪と金の目を持つ美しい少女だ。若草色の地味なブラウスの上から雨除けの合羽を纏っていて、着飾れば貴族令嬢と言っても通じる品のある顔立ちをしていた。
「そうだな」
馬を降りて橋の残骸を確認していた男が溜め息を吐いた。焦げ茶色の髪と目の凡庸な顔立ちの男だ。服の端から除く身体は引き締まっていたが、特別体格が良いわけではない。頑丈そうな革のジャケットを纏い、腰をベルトで締めている。武器を携帯している様子はなかった。
男は少女を乗せた馬の綱を引き川から離れる。雨は小雨になっていたが足元は緩く、栗毛の牝馬の足跡が深く地面に残った。
来た道を南へと引き返す男に少女が訊ねた。
「旅人さん、どうするの?」
旅人と呼ばれた男は目に垂れた雨粒を指で拭いながら答えた。
「ここに来る途中で大きな屋敷があった。そこで他に北に向かう道がないか聞いてみよう」
そこで旅人は馬の背に乗る少女を見た。馬での長時間移動は幼い少女の身体には負担が大きい。まして今はこの悪天候だ。
「……ベル。今日はそこで宿を借りれないか頼んでみる。もう少し頑張れ」
「うん!」
ベルと呼ばれた少女は、疲れを感じさせない笑顔を作って旅人に言った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ぬかるむ道を3キロほど引き返して、街道から少し離れた西の山裾にその屋敷はあった。
近づいてみればそれは屋敷ではなく、外壁の中にいくつかの建物が一まとめにされた施設のようだった。外壁は高く、外からでは施設の奥行までは見通せない。
手前に門と詰め所らしき小さな建物を見つけ、旅人とベルはそちらへ向かった。門に近づくと、建物の中から丁度作業着姿の中年男が顔を出した。男は二人の姿を見つけて話しかけてきた。
「おや、この学園に何か御用ですか?」
旅人はここを訪れた事情を説明した。
「北へ向かって旅をしている途中、川の増水で橋が流されてしまい引き返してきました。こちらには迂回できる道を教えていただきたいのと、出来れば今夜軒下で結構ですので宿を貸していただけないかと思ってうかがいました」
「おお、それは災難でしたな」
中年男はチラと馬上のベルを見て、同情的な声を出す。
「雨も降っていますし、一先ず詰め所の中へどうぞ」
そう言って二人を詰め所の中に招き入れてくれた。建物の中はショベルやハンマーなどの道具が所狭しと置かれていて物置小屋のような様相を呈していた。きちんとした椅子も無く、男は木箱の上に旅人とベルを座らせる。
「今、どなたか先生を呼んできますので、少々お待ちください」
中年男はそのまま二人を詰め所に残し、どこかへ行ってしまった。
残された旅人はベルの合羽を脱がし、きれいな手拭いで彼女の髪や顔についた水滴を拭う。それにベルは気持ちよさそうに目を細めた。
「むふ~……」
15分ほど待っていると、中年男が壮年の男を連れて戻ってきた。
「ジョー先生。この二人が?」
「はいそうです。ロイド学園長」
ロイド学園長と呼ばれた男は白髪をオールバックにした生真面目そうな人物だった。パリッとしたスーツを身に纏い、左目には単眼鏡を装着している。教師というより、官僚やビジネスマンと言われた方がしっくりくる風貌の持ち主だった。
学園長は警戒心の籠った視線を旅人とベルに向ける。だが一瞬ベルの身体がビクリと震えたのを見て、すぐに穏やかな微笑みを浮かべた。
「失礼。怯えさせてしまったね。最近は物騒な話もよく聞くもので、不躾な視線を向けてしまい申し訳ない」
学園長は改めて旅人に向き直って言った。
「事情はジョー先生から伺いました。橋が流されるとは災難でしたね。幸い、うちの学園には空いている部屋が沢山ありますので宿をお貸しすることは全く問題ありません」
「ありがとうございます」
旅人は深々と頭を下げ、ベルもそれに倣った。
学園長はそれに微笑み、直ぐに眉尻を下げて続けた。
「ただ、北へ向かう道となるとこの辺りにはあの橋以外にありません。少し下流には渡し船もあった筈ですが、あの豪雨の後では暫く営業は難しいでしょう」
雨足も今日は少し大人しくなっているが、またいつ本格的に振り出すか分からない。そうでなくとも雨が何日も降り続いていたことを考えれば、川の増水がいつ頃引くかは予想がつかなかった。
旅人はベルと顔を見合わせ、かなり遠回りにはなるが南へ引き返して別のルートを進むことを検討する。
そんな二人を見て、学園長はふと思いついたように言った。
「そうだ。お二人とも、もしよろしければ増水が収まるまで、こちらに滞在してはいかがです?」
「ここに……ですか?」
突然の提案に旅人は目を瞬かせた。
「失礼ですが、ここは一体どういう施設なんでしょう?」
「学校です。ここでは6~15歳のお子さんをお預かりして全寮制の一貫教育を行っています」
全寮制の一貫教育。一部のエリート層が通う学校で偶に聞く言葉だ。
「6歳から……かなり幅広い年齢を受け入れてらっしゃるんですね。こんな街から離れた場所に施設を構えているというのはあまり聞きませんが、何か意味が?」
旅人の疑問に学園長は一瞬目を丸くする。そしてすぐ面白そうな顔になって答えた。
「当事者意識を持って自律的に動ける人材を育てる為にはそれが必要だと考えた結果です。街は誘惑も多く、堕落した考えや環境に触れていると自分もそれに引きずられてしまう。人間の性格は身近な人たちの平均値になるとも言いますからね。それに親元にいるとどうしても子供には甘えが生まれてしまう。それが悪いことだとは言いませんが、教育純度を高めるにはこれがベストだと考えています」
そう語る学園長の表情は誇らしげだった。旅人はそれに頷き、正直な感想を述べた。
「なるほど。合理的かもしれませんが中々厳しい環境ですね。これだけ離れていると親御さんもそう簡単に会いに来るわけにもいかないでしょうし」
「それは否定しません。子供たちが親御さんに会えるのは原則年二回の長期休暇の時だけですからね。しかしだからこそ自律した思考を養うことができる。何より親御さんも逞しく成長した子供の姿を見て喜んでいただいていますよ」
これは中々本格的な教育機関のようだと旅人は理解し、新たに疑問が生まれる。
「素晴らしい方針だとは思います。ですがそんな立派な施設に我々のようなどこの馬の骨ともしれない人間がお邪魔して良いのでしょうか?」
旅人は自分の素性の怪しさを自覚していた。
「こんな可愛らしいお子さんを連れた犯罪者もいないでしょう」
学園長は肩を竦めてあっさりと言った。更に、
「それに実のところ、ここ数日の雨で学園の施設に色々と不具合が起きていましてね。用務員のジョー先生一人では対応が追い付かずに困っていたのですよ。宿代代わりという訳ではありませんが、貴方には滞在中ジョー先生のお手伝いをお願いできないかと考えています」
「へへ……」
旅人が視線を向けると、ジョー先生は頭をかいて笑った。学園長はベルに視線を向けて続ける。
「そうだ。折角ですから、その間お嬢さんには我々の授業を体験していただくというのはいかがですかな?」
「え?」
突然話題を振られてベルが目を丸くする。慌てて旅人が割って入った。
「流石にそこまでしていただくわけには──」
「勿論、費用などはいただくつもりはありませんのでご安心ください。私としても、生徒たちのいい刺激になるのではと期待してるのですよ」
学園長は旅人の言葉を遠慮と捉えて笑う。そしてベルに顔を向けて続けた。
「お嬢さん。君と歳の近い子たちと一緒に勉強してみたくないかな?」
「したいです!」
ベルの返事に学園長は「そうかそうか」と笑顔を見せる。旅人の意思を無視して二人の短期滞在が決定した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「今日からしばらくの間、一緒に勉強することになったベルさんです。皆さん、どうか仲良くしてくださいね」
若い女性教師が教室で生徒たちを前に言った。彼女は緊張した面持ちで横に立つ少女に視線で挨拶を促す。
「は、初めまして、ベルです。どうぞよろしくお願いします!」
ベルが少し詰まりながら言った。彼女は紺を基調とした学園の制服を身に纏っていた。普段の動きやすい旅装とはまた違い、初々しさと品の良さが滲み出ていた。
教室内の生徒たちからワッと歓迎するような声と拍手が上がる。男子生徒の半数ほどはベルの可憐さに頬を紅潮させていた。
「よろしくね、ベルちゃん。私ドナ」
「うん!」
ベルにとっては初めての学校生活。最初から上手く行くとは誰も思っていなかった。
例えば学業。ベル自身は旅人から一般的な教養は学んでいたが、この学園で教えている内容はそれとはレベルが二つ三つ違った。当然、ベルも最初は理解できずに戸惑った。しかしそれはほんの僅かな時間だった。人並外れて聡明なベルは、短時間テキストを流し読みしただけですぐに他の生徒たちに追いつき、教師たちを驚かせた。
人間関係はそれより少しハードルが高かった。教室の人数は一学年約20名と少数。何年も同じクラスで過ごしてきた生徒たちの距離感は近かった。これまで旅人以外とまともな対人経験のないベルは、生徒たちに一斉に群がられ、最初は上手くコミュニケーションが取れなかった。ドナという世話焼きの少女が上手くさばいてくれなければ一言も喋れないままだったかもしれない。
そんな風に小さな問題はあったが、意外にもベルの学園生活の滑り出しはまずまず順調だった。それはベル本人の魅力や頑張りもさることながら、この学園の生徒たちの成熟度の高さが大きかった。
勿論、全ての生徒と上手くいっていたわけではない。
「……あれ? あの人は?」
「あの人?」
休み時間。もう授業が始まるというのに教室から出ていく大柄な少年の姿にベルが首を傾げた。
隣の席のドナがそれに反応する。赤毛にそばかすが特徴の快活な少女だ。
「……ああ、ポプランね」
「ポプラン?」
「気にしないでいいわ。どうせサボリよ」
世話焼きのドナにしては珍しい素っ気ない態度に、ベルは不思議そうに目を瞬かせた。
その夜。ベルと旅人は職員用の寮の一室にいた。
フローリングのシンプルなワンルーム。簡素な造りであまり広くはない。家具はベッドと机、椅子が一つずつ。つい先ほどまでベルが机で宿題をしていた。学園長からはもう一部屋準備するとの申し出があったが、それはベルが拒絶した。
ベッドの縁に座り、旅人がベルの長い銀髪を梳かしている。ベルは気持ちよさそうに目を細めながら今日の出来事について語った。
「──それでね。そのポプランって人、結局そのまま教室に戻ってこなかったの」
「ふ~ん」
楽しそうに喋っていたベルの顔が少し曇った。
「ドナちゃんたちに言ってもどうでも良さそうで……明日、一緒に授業受けようよって話しかけた方がいいかなぁ?」
「やめときな」
旅人がきっぱりと言った。あまりベルの考えを否定することのない彼にしては珍しい反応だ。
「きっとその子にも何か事情があるんだろう。他所から来た何も知らない人間にあれこれ言われても反発するだけさ」
「事情かぁ……」
ベルは旅人の胸に後頭部を預けて、考えるように呟いた。
翌日の放課後。ベルは担任教師のカーシャにポプランという少年について相談していた。
カーシャは黒髪をひっつめ髪にした若い女性教師だ。彼女は国語の教師で司書を兼務しており、図書準備室で明日の授業の準備をしていた。狭い室内に執務机と作業机が一つずつ。作業机には修復途中の本と修復用の道具が置かれていた。教師と司書の仕事を混在させまいとするカーシャの几帳面さが見て取れた。
「ポプランに何かされたの?」
カーシャから返ってきたのは心配の声だった。ベルは慌てて首を横に振った。
「ち、違います。そうじゃなくて、昨日は途中で教室からいなくなって、今日は一日姿も見てないので……私のせいで何か気に障ることでもあったのかなって」
カーシャは少しホッとした様子で嘆息した。
「ああ、そういう……ポプランが授業をサボるのはよくあることだから気にしなくてもいいわ」
「…………」
そう言われてもベルは納得できない様子で眉を顰めた。
カーシャは仕方なくポフランの事情について説明した。
「ポプランは元々やる気のない子供なの。あの子、他の子よりも一回り以上身体が大きいでしょう?」
ベルは彼の後姿を思い出して頷く。
「ポプランは13歳で貴女たちより3つ年上なの。もう3回も留年してるのよ」
それを聞いてベルは何か事情があるのだろうか、と想像した。
「それはどうして?」
「やる気がないのよ」
カーシャはバッサリと切り捨てた。
「元々ポプランは親御さんに厳しい環境で鍛えなおして欲しいって頼まれてこの学園に放り込まれたんだけど、本人に全然やる気がなくてね。入学してから一度も進級できないまま留年を繰り返してるの」
カーシャの表情には呆れと嫌気が混在している。ベルはつい、話したこともないポプランをフォローするようなことを口にしていた。
「えと、授業が難しくてついてこれないんじゃ……」
その難しい授業に苦も無く順応したベルが言うのは厭味だったかもしれない。だがカーシャはそれを指摘せずかぶりを横に振った。
「勿論、うちの授業が外から来た生徒にとって難しい内容だってことは理解してるわ。ただそれとこれとは話が別。授業についてこれない生徒にはレベルに合わせて個別に補習や課題を設けてるし、他の子たちはそうやって頑張って追いついてきたわ。だけどポプランは碌に課題に取り組もうともせずに、やれ教え方が悪い、やれ疲れたって言い訳ばかり……」
そこでカーシャは自分が苦々しい表情をしていることに気づいて口を閉ざす。そしてベルの視線を意識し、明るい表情を作って続けた。
「結局、周りが何を言ったところで本人の意識が変わらないことにはどうしようもないの。ポプランのように嫌なことがあればすぐ他人のせいにして問題から逃げている限り、人は成長しないのよ」
「…………」
カーシャの言っていることはベルにも理解できたし、間違いなく正しかった。けれどベルは何故か彼女の言葉に頷く気にはなれなかった。
そんなベルの反応に気づくことなく、カーシャは話題を変えた。
「とにかくポプランのことは貴女が気にしなくてもいいわ。それよりもベルさん。貴女、今日の小テスト満点だったわよ。本当にこれまで学校に通ったことがないの? これなら──」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──トンタントンタン
古い木造倉庫の屋根の上でトンカチの音がリズムよく響いていた。
それは運動場の横に設置された用具置き場だった。まだ建物自体は比較的新しいが、屋根の紅い塗装が剥げてそこから屋根の一部が腐食している。ここ最近の雨で雨漏りを起こしていた。
屋根の上に登って二人の男がその屋根の補修作業を行っている。トンカチをもって釘を打っているのが旅人。そしてもう一人、板を持って固定しているのが、
「あ、おいポプラン。動かさずにちゃんと持ってろよ」
「っ! 文句言うなよ!」
旅人の要求にムッとした顔で反駁したのは金髪で少しだらしない体型の少年。ベルと同じクラスで、ずっと授業をサボっているというポプランだった。
ポプランは口では言い返しながらも、手元は素直に板を押さえるように固定する。
「よし、それでいいぞ」
それを見て旅人は笑い、再びトンカチで釘を叩いた。
──トンタントンタン
「…………」
「…………」
しばしその場にトンカチの音だけが響いた。
ポプランは板を固定しながら、コッソリ覗き見るように旅人の顔を見る。そして何故自分はこんな場所でこの男を手伝っているのだろうと、数日前の出来事を回顧した。
その日は外部からの体験入学生とやらが来た日だった。
オドオドした雰囲気の少女だ。こうした場所に不慣れであることが一目見て分かった。この学園の授業はレベルが高い。あの様子では周りについて行けず泣いてしまうだろう。ポプランはそんな風に暗い同情を抱いて少女を見ていた。
『えっと、ここに補助線を引いたら、BCとADの角度が等しくなるので──』
しかし少女はとても優秀だった。授業が始まった時は目を白黒させていたのに、ほんの僅かな時間で授業内容を理解し、追いついてみせた。
『っ!』
クラスメイトに囲まれて笑っている少女を見て、ポプランは『自分もあんな風に頭や顔が良かったら』と惨めな感想を抱いた。そしてそれを周りに気づかれまいと、逃げるように教室を後にした。
そうしてどこかでサボる場所を探してウロウロしていると、見覚えのない若い男に声をかけられた。
『おお、そこの少年。悪いけどちょっと手伝ってくれ』
『え!? 何で僕が──って、おい!』
ポプランは拒否しようとしたが男は強引で、壊れた建物の修理や崩れた土砂の掻きだしなどを手伝わされた。
『はぁ、はぁ、はぁ……』
『よ~し、今日のところはこの辺でいいだろ。それじゃ少年、明日もよろしくな』
『はぁ!?』
それから毎日、ポプランは授業にも出ずこの旅人と名乗った男の手伝いをしている。
用具置き場の屋根の補修を終えると、用務員のジョー先生がハムとチーズを挟んだパンと水を持ってきてくれた。
旅人とポプランは用具室の庇の下でそれを食べながら休憩に入る。目の前に広がる運動場はこの時間は誰も利用している者がおらずガランとしていた。
「いや~、旅人さんのお陰で大分片付きましたな。午後からは崩れた外壁の補修に取り掛かりましょうか」
「裏の工作室の方はいいんですか? 柱が腐ってて危なそうでしたよ」
「あの建物はもう使ってないので今度業者を呼んで解体するそうです。下手に素人が手を出して事故でもなったら大変ですからね」
「了解です。じゃあ俺たちは高いところの作業を中心にやっていきますね」
ポプランの横では旅人とジョー先生が今日の作業予定について話していた。ポプランはその会話内容に思わずツッコむ。
「おい。俺たちって何で当たり前のように僕が頭数に入ってるんだよ」
それに旅人とジョー先生は顔を見合わせて言った。
『……え? 今更?』
「ああ今更だよ! 自分でも反応鈍くね、って思ってるよ!!」
自虐的に叫ぶポプラン。旅人はニヤリと笑って言った。
「どうせ暇なんだろ?」
「……暇なわけないだろ。僕は学生で、普通今は授業を受けてる時間だぞ」
「サボってたのに?」
「っ」
旅人の当然の指摘に言葉に詰まる。ポプランは旅人のニヤケ面を睨みつけると、自分でも苦しいと分かる言い訳を口にした。
「本当は直ぐ授業に戻るつもりだったんだよ。それをあんたが声かけて来たから……こういう仕事を生徒に手伝わせてるそっちの方が問題じゃないのか?」
「ふむ……」
ポフランは手酷く言い返されることを覚悟していた。しかし旅人は考えるように顎を撫でる。そしてジョー先生の方に視線を向けて言った。
「ですって、ジョー先生」
「儂かい!?」
雑にパスをされてジョー先生が目を丸くした。
「だって俺は所詮、この学園の関係者でも何でもない一時滞在の手伝いだし」
「いやいやいや! 彼に声をかけて手伝わせたのは君だろう!? 儂は何も言ってないよね!?」
「最近太り気味で高い場所での作業は怖いって──」
「それは言ったけど! だからって生徒に作業を手伝わせろとは言ってないから!!」
いい大人二人が互いに責任を押し付け合う。
「みっともな……くくっ」
その情けない姿にポプランの口から笑みがこぼれた。
休憩を終えて三人は再び作業に戻る。ジョー先生は雨で溜まったゴミの片付け。旅人とポプランは補修用の板材をノコギリで丁度いいサイズに切り出していた。
──ギ~コ、ギ~コ、ギーコ
「…………」
ポプランは旅人が切り出した板を荷台に載せ新しい材木を旅人の横に置く。単純で空白の時間が多い作業だ。つい余計なことを考えてしまう。不意に自分が本来いるべき場所から逃げてきたことを思い出しポプランの顔が自己嫌悪に歪んだ。
「しんどいなら休んでいいぞ」
旅人が足元の板に視線を落としたまま言った。見られていないと思って油断していたポプランは頬を紅潮させ、反射的に悪態を吐いた。
「……そんなんじゃない。いい歳してこんな場所で雑用させられてるあんたらが惨めだなと思って同情してたんだよ」
「ははっ」
旅人は怒らなかった。
「そりゃ気を遣わせてすまんな。じゃあ同情ついでにそこの定規と木炭取ってくれるか?」
「…………」
「サンキュ」
旅人は受け取った定規と木炭で大きめの材木に線を引く。その様子をポプランは暫し黙って見つめ、ポツリと呟いた。
「……ごめん。嘘ついた。僕はあんたたちのこと笑えない。見下せるような人間じゃなかった」
ポプランの謝罪に旅人は何も言わなかった。
「授業には全然ついて行けない。補習を受けても先生が何を言ってるのか分からない。頑張りたいけど全然結果が出ないし、文字を見てると頭がボーっとして叫び出したくなる。周りの皆が簡単に、当たり前にできていることが僕にはできない。僕は……出来損ないだ」
「…………」
旅人は慰めも励ましも口にせず、ただ黙って作業を続けながらポプランの話を聞く。
「でもこんなこと言ったらいつも先生たちには叱られる──『やればできる。他の子はもっと頑張ってる。自分ができないと思うなら他の子よりもっと努力しないといけない。なのに君は他の子の半分もやらないで言い訳ばかりしてる。才能や環境のせいにしてたらいつまで経っても成長しない』って。そんなの言われなくても分かってる! でもできないんだ! 駄目な人間は駄目なんだから、仕方ないじゃないか……!」
「そうだな」
「────」
旅人に同意され、何故かポプランの胸がキュッと冷えた。
旅人はただ自分の言葉に同意しただけだ。ショックを受ける理由はどこにもない。まさか自分は彼が「そんなことないよ」と慰めてくれることを期待していたのか?
羞恥と情けなさでポプランの顔が泣きそうに歪む。旅人はそんなポプランを見ることなく言った。
「努力できるってのは一つの能力だからな。皆が皆同じようにできるわけじゃないし、比べても意味がない」
「…………え?」
ポプランは顔を上げ目を瞬かせた。
「だけど勉強ってのは限界や違いが目に見えにくいから厄介だよな。教える側もついもっとやれるって勘違いしちまう。俺も昔、頭の良い奴に教わった時は分かってもらえなくて苦労したよ」
旅人は顔を上げてニッと笑う。ポプランは旅人の言葉の意味が分からず聞き返した。
「努力が……能力?」
「うん? そりゃそうだろ」
「で、でも先生たちは、努力は誰にでもできることで、それをしないのはただの怠慢だって──」
「んなわけあるか」
旅人は何を言っているんだと呆れた。
「そりゃ努力を『する』か『しない』の二択ならそうかもしれんが、今俺が言ってるのは程度の話だぞ。人によってできることに差があるのは当然だろう」
「当然……?」
「おお。例えば俺の知ってる騎士団じゃ、40kgの重りを背負って100km以上を踏破する訓練なんてのを日常的にやってたわけだが、お前はこれが誰でもできることだと思うか?」
「無理に決まってるだろ」
ポプランは即答した。
「強くなるための努力だぞ? 努力は誰にでもできるんじゃなかったのか?」
「いやいや! それとこれとは話が別でしょ! 努力って言っても段階があって一足飛びには──」
ポプランはそこで旅人の言わんとすることを理解した。
「だよな。同じように勉強だっていきなりできる奴と同じだけの努力ができたりはしない。飯と寝る時間以外ずっと勉強できる奴もいれば、30分活字を見ただけで頭が痛くなる奴もいる。続けて行けば少しずつ時間は伸ばせるとしても、環境や生まれ持ったものの違いもあるからな。誰でも同じレベルの努力ができるようになるわけじゃない」
レベルの高い努力は相応の能力が必要となる。努力のための努力、突き詰めれば環境や才能も必要だ。努力は気持ち一つで誰でもできるお手軽なものではない。旅人が言っているのはごく当たり前のことだった。
「で、でも、追いつくには他の人よりもっと努力しないと──」
「無理をしたところで追いつけたりはせん」
そこで旅人はノコギリで手元の材木を切り終え、嘆息を一つ。顔を上げポプランの顔を見て言った。
「俺は別に努力するなとか、努力しても無駄だと言ってるわけじゃないぞ。ただ身の丈に合わん努力は努力とは言わん。それはやった気になってるだけだ」
「やった気……」
ポプランは旅人の言葉をオウム返しに呟いた。
「何も積んでこなかった奴が気持ち一つでレベルの高い努力ができたりはせん。身の丈に合ったものを一つずつ積み上げていくしかないんだ。だけどそれは楽でも簡単でもないぞ。身の丈を知るってことは他人より劣ってる自分と向き合うってことだからな。きっとお前が想像してる以上に惨めで苦痛な時間だよ。他人にその努力は理解されにくいし、今更そんなレベルの低いことをやってるのかと笑われるかもしれん。それでも近道はないし、少しずつでも足踏みせず前に進むしかない」
旅人の言葉には実感が籠っていた。
「……それをすれば、皆に追いつける?」
ポプランはその場にしゃがみ込み、膝に自分の顔を押し付けながら言った。
「さあな。周りも努力してるんだ。やったから絶対に追いつけるなんてそんなお手軽な話はないだろ。というか、お前にとって大切なのは追いつけるかどうかじゃないんじゃないのか?」
「…………」
旅人の指摘にポプランは膝で顔を隠したまま何も言わなかった。沈黙は30秒ほど続いた。
「……努力したいんだ」
ポプランは呻くように言った。
「でも、できない自分に直面すると、つい周りのせいにしちゃう。先生の教え方が悪いとか、パパとママがもっと出来のいい子に生んでくれてたらって……そういう考え方が良くないって、自分でもよく分かってるのに……」
ポプランの声は制御できない自分の性根の醜さを憎むように震えていた。
「まぁ、口に出すのは賢くないわな。他責思考はどうしたって周りには言い訳に聞こえるし、口に出すと思考もそっちに引きずられやすい」
旅人の反応は至極あっさりとしていた。
「でも誰か他の奴のせいだと思わなきゃやってられない時もあるだろ」
「え?」
ポプランは顔を上げた。そこにあった旅人の顔はいつも通りだった。
「何でもかんでも自分のせいにしてたら潰れちまうよ。周りから甘えだって言われるかもしれんが、しんどさを他人と比べても仕方ない。他責ってのはきっと自分を守るための最後の鎧だ。勿論何でもかんでも周りのせいにするのは論外だけど、一概に他責思考が悪いとは俺は思わんよ」
学園の教師の教えとは正反対の言葉にポプランは目を瞬かせた。
「あんまり自分を追い詰めるな。どうせ他人の言葉なんて無責任なもんだ。そいつらはそれでお前が潰れても責任なんて取れやしない。他人に何を言われようが、どんな時でもお前だけは自分の味方でいてやれ。そんで自分のペースで自分と向き合っていけばいい」
「…………うん」
ポプランが再び膝に顔をうずめる。それを見て旅人は悪戯っぽく付け加えた。
「ちなみに自分を省みて授業に出るのは一通り俺の手伝いが終わってからでいいからな?」
「……駄目大人」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その日の放課後、ベルはロイド学園長に呼び出され学園長室で面談していた。
学園長室は物が少なくスッキリとした造りになっていた。最低限の執務机、本棚、応接セット以外には、背の高いゼンマイ式の置時計が置かれているだけ。観葉植物の鉢の一つも無く、部屋の主の性格を表しているようだった。
ベルと学園長は応接セットのソファーに向かい合って座る。まず学園長が口を開いた。
「呼び出してすまないね、ベルさん。授業に参加してもらって今日でちょうど一週間が経つけれど、学園生活は楽しんでもらえてるかな?」
「はい!」
ベルは元気よく答えた。その返事に学園長が笑みを深くする。
「それは良かった。学校に通うのは初めてだと聞いていたから問題がないか心配していたけれど、楽しんでもらえているようで何よりだ」
ベルは学園長の意図が分からず一瞬首を傾げ、そして思いついたように言った。
「あ。そういえば一つ気になったことがあります」
「ほう? 何かな?」
「同じクラスのポプランさんがずっと授業に出ていなくて、何かあったのかなって」
「────」
ベルの言葉に学園長の顔が微かに歪む。しかし学園長は直ぐに笑顔を作って言った。
「彼のことは気にしなくていいんだよ」
「え? でも──」
「いいんだ」
学園長の言葉の圧にベルは困惑に目を瞬かせた。学園長は咳払いして言い直す。
「……コホン。ポプランについては我々も色々と手を尽くしてきたが、どうしても他責思考が抜けなくてね。教育というのはこちらが何を言おうと、結局本人に変わる意思がなければどうしようもない。近々彼には最後通告をすることになるだろう」
それがポプランが学園を辞めさせられるという意味であることはベルにも分かった。
「それより今日話したかったのは、君に今後もこの学園に通わないかと提案する為なんだ」
「?」
学園長が何を言っているのかベルには分からなかった。
「私は旅人さんと──」
「まずは話を聞いてくれたまえ」
学園長はベルの言葉を遮って言った。
「担任のカーシャ先生から報告を受けているが、君は非常に優秀で聡明な生徒だ。とてもこれまで学校に通ったことがないとは思えないほどにね。そんな君が正当な教育を受けることなく今後も放浪生活を送るというのは誰にとっても望ましいことではないと思うのだよ。今後も充実した環境で仲間と共に学びを深めていきたいとは思わないかな?」
「…………」
ベルは何も言わず真っ直ぐに学園長の目を見た。
「君さえうんと言ってくれれば、保護者は私が説得しよう。それとお金のことも心配はいらない。うちは奨学金制度も充実しているから──」
「結構です」
ベルはキッパリと言った。
「私は旅人さんと一緒に旅を続けます。この学園での生活は楽しかったけど、それは旅人さんと一緒にいることに替えられるものじゃありません」
「しかしだね──」
学園長は食い下がろうとしたが、ベルはそれを遮って続けた。
「何を言われても私にその意思はありません。その気のない私に時間を割くぐらいなら今いる生徒さんに時間を使ってください──例えばポプランさんとか」
その言葉に学園長は溜め息を吐いた。
「……さっきも言ったが彼には変わる意思も能力もない。その気がないのは彼の方だよ」
「そうでしょうか?」
ベルは真っ直ぐに学園長の目を見て反論した。
「私が来る前、ポプランさんは時々サボることはあったけど、ちゃんと授業に出ていたそうです。3回も留年して周りは年下ばかりで居心地は良くなかった筈なのに。変わりたいと思っていない人がそんな行動を取るでしょうか?」
「!」
ベルの指摘に学園長は目を見開き、しかし直ぐにかぶりを横に振った。
「……それでも、彼が言い訳ばかりで何も変わらなかったのは事実だ。我々が何度言っても彼は行動を変えなかった。授業に出ていたというのも、どうせ変化が怖くて今の環境にしがみ付いていただけだろう」
「そうかもしれません」
ベルは学園長の言葉を否定しなかった。
「私はポプランさんのことを何も知りませんから」
「そうだろう」
「でも──」
ベルは一呼吸置いて続けた。
「どうして先生たちは、自分たちの教え方に問題があるとは考えないんですか?」
「────」
自分が何を言われたのか理解できず学園長の表情が固まった。
「何を──?」
「先生は先ほど他責思考は良くないと仰いました。私もそう思います。ポプランさんが周りに責任を押し付けている限りポプランさんは成長しない──じゃあ、先生たちは? ポプランさんに全ての責任があるというのなら、先生の責任はどこにあるのでしょう。どうして自分たちの教え方に原因があるかもしれないとは考えないんですか?」
ベルの言葉の意味を理解するのに学園長はしばしの時間を必要とした。いや理解はしていたが、それをすぐには受け止めることができなかった。
「君は──」
学園長の顔が紅潮し、頬の筋肉が引き攣る。
「君は私たちの教育が間違っているというのかね……?」
大の大人に詰め寄られ、しかし内気な筈のベルは全く動じなかった。
「そうは言っていません。でも上手く行かない原因を生徒だけに押し付けている限り、先生たちは今のままです。先生たちご自身は成長しなくても良いのですか?」
「──っ!」
幼い少女の背後に、学園長は得体のしれない何かを幻視した。
自分たちは教育者としてできることは全てやってきた。それは劣等生のポプランに対しても変わらない。自分たちの苦労も知らない子供が何を好き勝手なことを、と学園長は胸中で反駁する。
だがそれと同時にふとよぎる、胸の奥に棘のように刺さった一つの思考。
──駄目な人間はどうせ駄目、こんな奴に自分たちの時間を割きたくない──
そうポプランたち劣等生を見切っていなかったと、果たして自分は言い切れるだろうか?
そんな学園長を見て、ベルは歳不相応に大人びた表情を浮かべて言った。
「あなたはきっと自分が正しくあれる範囲では正しい人なのね」
「────」
頭の中が真っ白になった。
そして学園長の思考が回復するより早く、校舎の外から甲高い悲鳴が聞こえた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
時は少しだけ遡る。まだ10歳にも満たない少年が二人、校舎の裏側でキョロキョロ辺りを見回していた。
「どこに隠れる?」
彼らは友人たちと隠れ鬼をして遊んでいた。隠れ場所は建物の外だけ。校舎裏はあちこちに木や小さな茂みがあって隠れる場所には事欠かない。だがそれ以外の不要な物はすぐに先生たちが片づけてしまうため、隠れ場所のバリエーションは乏しかった。
変化を求めて少年の一人がある物に目を留める。
「あ。あそこにしよう!」
「え?」
少年が指さしたのは今は使われていない古い工作室だ。ここ最近の雨で板や柱が変色していた。その手前にはロープが張られ『危険なので立ち入り禁止』と手書きの看板が立てられていた。
もう一人の少年が言った。
「隠れる場所はお外だけって約束でしょう? それに立ち入り禁止って書いてあるよ?」
「建物に入らなきゃいいんだろう? 工作室の裏なら鬼も近づいてこないって」
「でも……」
「大丈夫だって。中に入らなきゃ危ないことなんてないよ」
ヤンチャそうな少年はルールを都合よく解釈し、制止を無視してロープを掻い潜った。そしてついてこようとしないもう一人の少年を振り返り、後ろ向きに進みながら呼びかけた。
「ほら、来なよ」
──ドンッ
後ろ向きに進んでいた少年の背中が工作室の柱にぶつかった。軽い体重。歩くような速度。ほんの僅かな衝撃。けれど、
──ベキッ!
その僅かな衝撃が老朽化と豪雨で腐食が進んでいた柱に止めを刺した。
「えっ?」
──ガラガラ、ドシャァァン!!
ジョー先生とポプランが今日の外壁補修作業を終え、荷物を持って二人並んで歩いていた。旅人は作業で出たゴミをまとめる為、まだ現場に残っている。
「いや、助かったよ。手伝ってくれたお陰で補修作業が予定よりだいぶ早く片付いた」
「うん」
笑顔のジョー先生に、ポプランが短く答えた。愛想のない返事だが、それがただ口下手なだけだということをジョー先生は既に理解していた。その証拠にポプランの表情には最初にあったような不貞腐れた色はもうない。
今もポプランは誰に言われるでもなく、工具箱とセメントの入った桶を運んでいた。よく見れば背筋もピンと伸び、足取りも数日前とはまるで違っていた。
そんな少年の変化にジョー先生は目尻に皺を浮かべて言った。
「今日で急ぎの仕事はもう終わりだ。旅人さんもそろそろ学園を離れることになるだろう」
「…………」
ポプランは真っ直ぐ前を見たまま、足取りに変化はない。
「そろそろ、授業に戻ってみるかね?」
「…………」
ポプランは無言で立ち止まる。ジョー先生はそれを見て「まだ早かったか?」と思った。そしてポプランが望むなら暫く自分の手伝いを続けてくれればいいと発言を訂正しようとした。
だがそれより早くポプランは落ち着いた様子で口を開いた。
「……それなんだけど、実は僕──」
その瞬間、何かが崩れ落ちるような音と悲鳴が聞こえた。
『!?』
ジョー先生とポプランは何事かと顔を見合わせ、直ぐ音がした校舎裏へと駆けた。校舎裏は二人がいた場所から近く、二人が最初に現場に到着した。
「うわぁぁぁんっ!!」
ポプランより幼い少年がその場に立ち尽くして泣いていた。原因は直ぐに分かった。老朽化して取り壊し予定だった工作室が倒壊している。壊れた直後で、まだその場には土煙が立ち上っていた。
「大丈夫かね!?」
「うわぁぁぁぁんっ!!」
ジョー先生が泣いている少年に近づき安否を確認する。少年には怪我一つなく、ジョー先生を見つけるとそのお腹に勢いよく抱き着いた。
少年が無事だったことにジョー先生が安堵の息を漏らす。しかし同時にポプランはあることに気づいて工作室の方に視線を向けた。
「声が……?」
「マークが! マークがぁぁぁっ!!」
泣き喚く少年が工作室を指さし、ジョー先生もそれに気づいた。倒壊した工作室の方から別の泣き声が聞こえた。
徐々に土煙が収まり倒壊した建物の全容が明らかになる。そこには倒れた建物の下敷きになり、身動きが取れなくなっている少年の姿があった。
「ひっく、ひっぐ……うぇぇぇぇんっ!!」
「待ってろ!」
咄嗟にポプランが駆け寄ろうとするが、それをジョー先生が抱きしめて制止した。
「近づいちゃいかんっ!」
「!?」
ポプランは何故とジョー先生を振り返る。
「下手に触ったら瓦礫が崩れてあの子が潰されてしまうかもしれん!!」
その言葉通り、倒壊した建物の残骸は少年の上でギリギリのバランスを保っていた。少年の身体は瓦礫に挟まり身動きこそとれないが、大きな怪我はないように見える。ここに下手に衝撃を加えればそのバランスが崩れ、今度こそ完全に少年の身体は潰れてしまうかもしれない。
「じゃあどうすればっ!?」
「っ!」
理想を言えば救助の専門家が数人がかりで対処すべき事案だ。だが人里離れたこの学園にそんな人材はいない。またジョー先生にそうした知識もない。
ジョー先生は泣き喚く少年を宥めながら、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
そうこうしていると徐々に周囲に人が集まり始めた。最初に物音を聞きつけた生徒たち。そして続いてやってきたのは学園長だった。恐らく学園長室からの動線が近かったのだろう。その後ろにはベルの姿もあった。
「何事ですか、ジョー先生!?」
学園長はそう聞いて、しかし現場を見てすぐに自分で状況を理解した。
建物の倒壊、事故、生徒が下敷き、近づけば救助者も生徒も危険──学園長は近くにいた年長の生徒たちに言った。
「君たち! すぐに先生たちを呼んできなさい! 早く!!」
「は、はいっ!」
指示を出して、できることがなくなる。下敷きになった少年に泣き声が辺りに響いた。
「うぇぇぇぇぇんっ!!」
「っ!」
周囲の生徒たちの縋るような視線から逃れるように、学園長はジョー先生を睨んで言った。
「ジョー先生! 工作室は危ないから生徒たちが近寄らないようしておくように言ったのに、どうしてこんなことにっ!!」
突然矛先を向けられたジョー先生は目を白黒させた。
「え? わ、私はちゃんと近寄らないように看板を立ててロープを──」
「子供がそれだけで止まるわけがないでしょう!!」
言っていること自体はその通りだが、看板とロープ以外に一体何ができたと言うのか。そもそも危険な工作室を業者を呼んで解体すると言って放置していたのは学園長だ。
ジョー先生は口を突いて出そうになった言葉を咄嗟に堪えた。そしてその反応に学園長が更に何か言おうとする。
「大体──」
「誰が悪いとか言っている場合じゃないでしょう!」
それを遮り、一喝したのは学園長の後を追ってこの場にいたベルだ。
「い、いやだから今人を呼んで──」
「他にもやることはあるでしょう! 支えになるものを探したり、あの子を落ち着かせたり!!」
『!』
幼い少女の指摘に学園長とジョー先生が我に返る。
「ジョ、ジョー先生は瓦礫を支えるものを探してください。私はあの子を落ち着かせ──」
学園長が指示を出す。しかしその動きはほんの少しだけ遅かった。
「うぇぇぇんっ! だじゅげでぇぇぇっ!!!」
下敷きになっていた少年がパニックを起こして暴れ出す。絶妙なバランスを保っていた瓦礫が目に見えて揺らいだ。
──グラ……ッ!
「落ち着け! 動くんじゃない!!」
学園長は叫ぶが一度火のついた子供に言葉は通じない。少年のパニックは益々激しくなった。
──グラグラ、ズルッ!
『!』
瓦礫が横滑りしてバランスが崩れた。皆が息を呑む。しかし学園長も、ジョー先生も、生徒も誰も何もできない──いや。
「ベルさん!?」
「ポプランくん!?」
二人が同時に走り出していた。ただしベルはポプランより離れた場所にいて、足も彼より遅い。瓦礫が崩れる前にそこに辿り着いたのはポプラン一人だった。
「ぐっ!!」
ポプランは体当たりするように瓦礫に手をやり崩壊を食い止めようとした。しかし瓦礫の質量に対し少年の身体はあまりに非力だった。崩れ落ちる瓦礫の勢いが止まることはなく、ポプランは瓦礫の中に呑まれ──
──ドオォォンッ!!
「──で、これは一体どういう状況だ?」
「!?」
間一髪駆け付けた旅人が、崩れかけた瓦礫を片手で押し留め、建物の崩壊からポプランと下敷きになっていた少年を守っていた。
「旅人さん!」
周囲の者たちが呆気にとられる中、ベルだけが歓喜の声を上げる。
旅人はグルリと辺りを見回して状況を確認してからポプランに言った。
「まあいい。とりあえず離れてろ」
「う、うん」
ポプランが離れたことを確認。それから旅人は崩れかけた瓦礫を強引に膂力で押し返し、下敷きになった少年を救出した。
「う、うわぁぁぁぁぁんっ!!」
救出された少年が泣きながら到着した教師に抱き着く。旅人はその様子を見てホッと息を吐き、近くにいたポプランに事情を尋ねた。
「……事故ってのは分かるんだが、何でお前一人で突っ込んでたんだ?」
間一髪窮地を救われたポプランは旅人の平然とした態度に閉口した。ジョー先生が責められているのを見て、もしあの少年に何かあればジョー先生と旅人のせいにされてしまうのではと思ったなんて口が裂けても言えやしない。だからヤケクソ気味に吐き捨てた。
「……そんな気分だったんだよ」
「なるほど。アオハルってやつか」
したり顔で旅人が頷く。
「……ぷっ。何だよそれ」
ポプランが辺りを見回すと、生徒が、教師が、学園長がポカンとした表情で自分たちを見ていた。旅人の胸に飛び掛かる銀髪の少女を横目に、ポプランは何だか馬鹿馬鹿しくなって大きな声で笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
事故からさらに三日後。学園の門の前には旅人とベルの姿があった。ベルは学園の制服を脱ぎ、普段の旅装を身に纏っていた。
二人が今日で学園を去ると聞いて、見送りに来たクラスメイトがベルを取り囲んでいる。特に仲の良かった赤髪のドナという少女はベルに抱き着いて大粒の涙を流していた。
一方、旅人の周りに人影はない。一番親しくしていたジョー先生は先に挨拶を済ませていてここにはなかった。手持無沙汰にベルとクラスメイトの別れを眺めていると、ポプランが近づいてきた。
「お、見送りに来てくれたのか?」
「……誰も来てくれなくて寂しそうだったからね」
ポプランの悪態に旅人は「サンキュ」と笑った。ポプランは俯き加減のまま、暫し何も言わず立ち尽くしていたが、やがて顔を上げて言った。
「僕、この学園を辞めることにした」
「そうか」
旅人の答えはあっさりしていた。ポプランは拍子抜けしたように目を瞬かせる。
「……何も言わないの?」
「お前が考えて決めたことだろ」
旅人がポプランを見る目は以前と変わらず穏やかだった。ポプランは微かにあった緊張を解いて言った。
「実家に戻る。それからパパとママに謝って、もう一度地元の学校に通わせてもらうよ。今の僕じゃ学園の授業について行くのは難しいから、そこでもう一度勉強しなおす」
そこでポプランは言葉を区切り、恥ずかしそうに頬を掻いた。
「……また逃げるのかって言われるかもしれないけど」
「言わせとけよ」
旅人は彼の目を見て言った。
「お前が頑張ってることは俺が知ってる。他人のやることにあーだこーだ口出す奴にどうせ大した奴はいねぇ。好きに言わせとけ」
「……うん」
ポプランがベルを見送るクラスメイトの輪に加わった後、今度はロイド学園長が近づいてきた。
彼は旅人の前に立つなり深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
「やめてくださいよ。こちらこそ何日もお世話になっちゃって……」
旅人も慌てて頭を下げる。学園長はそうではないとかぶりを横に振って言った。
「生徒の命を救ってくださったこと、それから私の思い違いを正してくださったこと、心から感謝いたします」
「はい? 生徒の命はともかく、思い違い……?」
何を言われているのか分からず旅人は目を瞬かせた。
学園長はそんな旅人の反応に苦笑して何も答えず、代わりにベルと話をするポプランへと視線を向けて言った。
「ポプランが学園を辞めるという話は聞きましたか?」
「ええ。たった今」
「……私はこれまで世の中には性根の腐った駄目な人間がいて、そんな人間には何を言っても無駄だと思っていました。ポプランもそんな人間の一人だと決めつけていた。だが、実際に性根の腐った人間は彼ではなく私の方だったらしい」
学園長の声には苦みが混じっていた。
「生徒が危険にさらされた時、私は結局何もできなかった。それどころか無意識に周りに責任を押し付けようとしていたんです。日頃、生徒たちに他人のせいにするなと言っているこの私が」
「…………」
「だがポプランは違った。私がどうしようもないと見切りをつけた彼とベルさんだけが、あの土壇場で己の身を省みず生徒を救おうとした。私は、何も分かっていなかった」
学園長はベルに話しかけられて顔を赤らめるポプランを悔やむような目で見つめて言った。
「もし私がそのことにもっと早く気づけていたなら、彼は学園を辞めずに済んだかもしれない」
「それとこれとは話が別でしょう」
旅人の言葉に学園長は振り返る。
「向き不向きや相性ってのは誰にだってあります。あいつにはこの学園は合わなかった、ただそれだけの話ですよ」
「ですが──」
学園長の言葉を遮って、旅人はキッパリと言った。
「自分が頑張れば全ての生徒を取りこぼさずに済んだなんてのは気負い過ぎだし、ハッキリ言って傲慢です。何よりあいつの決断に対する侮辱でしかない」
「っ。そう、ですね」
学園長は言葉を呑み込み項垂れた。旅人はそんな彼に苦笑して続ける。
「それと、一度うまく動けなかったからってそこまで自分を卑下する必要はないでしょう」
「ですが私の本性は──」
「やめませんか、そういうの。性根とか本性とか、そんな安い言葉で片づけられるほど人は単純じゃありませんよ。あいつも、それに貴方も。そうやって見切ってしまったら何も変わらないままだ」
「────」
学園長がハッと息を呑んだ。
「仮に性根だ本性だのがあったとして、それが目を覆いたくなるような酷いものだとしても、それを取り繕って生きるのが人間で、その生き方を教えてくれるのが貴方たち先生なんじゃありませんか?」
「…………はい」
それから暫くして。旅人とベルは馬に揺られて川沿いの土手を進んでいた。
川の流れは穏やかで、数日前の濁流とは打って変わって色も澄んでキラキラと太陽の光を反射していた。ただ決壊した土手の一部はそのままで、流された橋の修復も終わっていない。まだ水分が多く荒れた地面を踏み抜かないよう、旅人はゆっくりと馬の歩を進めた。
川の流れに逆らって吹くそよ風に目を細めるベルに、旅人は言った。
「ベル。学園、楽しかったか?」
「うん!」
ベルは嬉しそうに頷く。それを聞いた旅人の胸に、彼女をこうして連れ歩いていることは自分のエゴに過ぎないのでは、と小さな棘が刺さる。だが、
「また次も、こんな風に色んな人と会えるといいね」
腕の中のベルから陰りのない笑顔を向けられ、旅人は思わず天を仰いで言った。
「……そうだな」
視線の先に渡し船の停泊所が見えてきた。
道はどこまでも続いて行く。道が分かれても、途切れていても、どこかに必ず。
5万文字ほど書いたところでweb向きじゃないなと公開せずに断念した話の世界観とキャラクターを流用した供養話その2です。




