修理屋クロノス
修理屋クロノスの朝は早くない。
街から少し離れた場所に位置する彼女の店に、朝早くから客が複数人訪れることはまず起きないからである。
加えて何より、彼女は絶望的に朝に弱かった。
ーーううん...眠たいよぅ...
そう呻きながらも、修理屋クロノスの店主は目を覚ます。
確かに朝は早いとは言えないが、朝からやるべきことが存在しているのは事実だ。
彼女のやるべきことは至ってシンプルである。
顔を洗う、朝ごはんを済ませる、歯を磨くといったことを済ませたら、開店準備をするだけだ。
まだまだ眠たげだが、やはり開店準備はしなければならない。
ふらふらと作業場に向かい、部屋の隅に立てかけられているものを手にし手入れを始める。
それは、夜空のように深く青いタンザナイトという宝石を先端に持ち、本体は優雅な曲線を描くポプラにより構成されている"杖"。
他には目立つ装飾は見られないが、十分に良質なものであることが窺える。
先端の宝石を布で拭きながら、傷がついていないか確認をする。
繊細な作業が必要となるためある程度の手入れは必須だ。
手入れが済んだ彼女は杖を持ち、作業場中央の少し大きな机へと向かう。
近くにあったメモ用紙を半分に破き、それを机に置く。
少し呼吸を整え、集中する。
杖を構え、先端を先ほど破った紙に向け、詠唱をする。
魔力が自身の腕から杖に流れてゆくのを感じる。
杖の先端の暗く青い宝石に、淡く弱く、オレンジ色に光が差した。
さながらそれは、夜空から日没へと静かに時が巻き戻るように思えた。
その紙は、小刻みに振動したと思えば、互いにくっつき、みるみるうちに裂け目が薄れ、消えてゆく。
紙はもともと破れてなどいなかったかのように修復されていた。
調子は悪くなさそうだと心の中で評価し、杖を立てかけ作業場を離れる。
そう、彼女、修理屋クロノスの店主は魔法使いであった。
作業場を少し片付け、店先の看板を"営業時間外"から"営業中"に変えたらいよいよ開店である。
とは言ってもまだ少し眠い上、客が来ないうちには特にやることがないため、カウンターに突っ伏し暇を潰す。
そのうち気が向いたら、カウンターに置いてある読みかけの本を読んでもいいかもしれない、などと考えながらだらだらと過ごす。
朝は嫌いだけどこの時間は好きだ。
お昼過ぎになり、店の外で騒がしくしている鳥の鳴き声に耳を傾けていたら、店の扉が開く。
軽く会釈しながら入ってきたいかにも冒険者といった風貌のその男は、定期的にこの店にやってくる客、いわゆる常連、古参客だ。
開店当初からかなりの頻度でやってくるこの男と彼女は顔馴染みと言ってもいいだろう。
世間話やちょっとした最近のニュースを聞きながら、作業を進めていく。
その男はいつものように自分の腰に差している片手剣を取り出し、「約5日だな」と彼女に言う。
この5日というのはつまり"巻き戻す時間"である。
この男は時間魔法を使って修理していることを伝えている数少ない客であるため、話が早い。
そうでない客には、壊れてしまった日付などを尋ねることが必要になってくるため、少し大変だ。
無闇に時間魔法が使えることを話しても何もいいことがないということは彼女も理解している。
彼女は頷き、片手剣を作業場に持ち込もうとしたところ、そういえば、と言った具合に男が話しかけてきた。
その男が言うには、なんでも勇者御一行がついに旅に出るらしい。
勇者御一行について、というより勇者本人についてはある程度知っている。
実は勇者本人が一週間おきにこの店に現れるからである。
ーーいつも通りであれば明日にはくると思うんだけどな。
と思いながら、「そっか...ついに出発するんだね...」と呟き、男の片手剣を連れて作業場に引き下がる。
5日は大体標準的な時間だ。
頻繁に片手剣を使用し魔物なんかを狩っている冒険者達の武器は5日もすれば、基本的に少し刃こぼれしてしまう。
そのままでももちろん使用可能ではあるがやはり修理はした方が良いだろう。
先ほど使用した机に片手剣を置き、数ある砂時計の中から"5日"と書かれたものを探し出し、魔法の干渉を受けない遠く離れたところへ置く。
この砂時計は、標準的な出力で時間魔法を使用した際、どれほどの時間かけた時に何日分巻き戻るかを計測し作成したものだ。
例えば5日分であれば約40秒ほど、といったようになっている。
先ほどよりも若干強くオレンジ色に発光している宝石が手元を明るく照らす。
集中が途切れないよう静かに呼吸をする。
ゆっくりと落ちてゆく砂時計の砂を見つめる。
時間が進行し、対象の時間は逆行する。
片手剣の時間は巻き戻り、ちらほらと見えていた刃こぼれは見られず、色も新品同様となった。
ーーやっぱり結構良い剣なんじゃないかな。
そんなことを考えながらカウンターに戻ると、きっかり5日分の料金を用意し男が待っていた。
会計を済ませ、簡単な会話をし男は店を出て行った。
ついに明日、一週間ぶりに勇者がこの店にやってくることを思いながら、淡々と仕事をこなしてゆく。
ーー出発したらもちろん彼ももう来ないことになるんだろうな...その前にはどんなことを話そうかな...
仕事といっても、基本的に何を対象としてもやることは変わらないため、比較的簡単と言える。
時々やってくる新規客に軽くこの特殊な修理屋のことを説明したりする以外に、行う操作は変わらないため、明日のことを楽しみに思いながらでも1日は過ぎてゆく。
いつの間にか外が暗くなり始めているのに気づいて彼女は店先に出る。
看板を"営業時間外"に変え、自分の部屋へと引き下がる。
今日の収益の集計や、夜ご飯、その他家事を済ませる。
いつものように洗濯は時間魔法を使用し簡単に済ませてしまう。
ベッドに潜り込む。
掛け布団が柔らかく包み込んでくれる。
明日がちょっと楽しみだな、どんなことを話そうかな、などと考えながら彼女は瞼を落とす。
朝が来る。
今日もこの修理屋の朝はそこまで早くない。
しかし今日はいつもよりははっきりと目を覚ました。
毎日こなしている朝のルーティーンも一週間に1度訪れるこの日は若干調子が良いように感じる。
開店作業を着々と進ていく。
最後に看板を変えるため店先へ出ると、そこには件の勇者がいた。
急な遭遇に心拍が早まるのを感じる。
ーー心拍数が上がるのを感じたのはびっくりしたからってだけだよね...
なんて思っていたら、遅れて他にも人がいることに気づく。
今回は1人ではなく、複数人で来ているようだった。
彼の他には、背の高い神官の服装をした男の人、魔法使いの服装をした女の人がいる。
ーーこの人たちが彼と一緒に旅に出る人たちかな。
全員で修理屋に入り、彼がこの修理屋のことを紹介する。
また彼女にも2人のことを紹介する。
ーーやっぱり男性の方は神官で、女性の方は魔法使いだったみたい。
2人を紹介する彼は少し楽しそうに見えた。
彼は出発前に最後にここに寄ることにしたそうだ。
そして彼は、魔王を討伐しに行くと言った。
昨日聞いた通り、ついにこの日が来てしまったと思った。
結局彼は修理するのは彼の剣だけで良いと言った。
この場には時間魔法を使っていることを伝えていない人がいるため、彼はいつも通りに頼む、とそれだけ言った。
彼女は毎週彼の剣を7日分巻き戻しているため、今回もそうであろうということを把握した。
カウンターから覗くと、彼は仲間と楽しげに会話していた。
魔法使いの女性と彼が話しているその時、胸に何かを感じるも彼女にはその正体はわからない。
勇者の剣を7日程戻し、作業場から戻る。
7日分のお代を計算しておく。
彼は修理が終わったことに気づいて剣を受け取り、伝えられた値段を払った。
彼が剣を受け取った時、そばで見ていた神官の男性と魔法使いの女性が少し驚いたそぶりをしていた。
2人には魔力の流れなどから気づかれてしまったのだろうか、互いに声を潜め何か話したのち、
「詳しくは知らないけど、その技術はあまり公に出さない方がいいものだと思うよ」
と魔法使いの女性に言われてしまった。
彼らはこのまま出発するようだった。
出発前に彼ともっと話したかったが、思っていたよりも時間がない様子だったため、やめてしまった。
毎週していたあの他愛のない会話、昨日の夜考えた話したかったこと、彼にお勧めされて最近読んでいた小説のこと、そのどれも話せないまま彼を、彼らを見送ってしまう。
彼らは出発してしまった。
ーー昨日からわかっていたことではあるのにね...
ーー次はいつ会えるのかな...
店に1人。
いつも通り。
それでも。
モヤモヤする。
読む本の内容が入ってこない。
それでも,時間は進む。
客の対応もそこそこに、まだ夕焼けが見えかける、そんな時間だが店を閉じてしまう。
食事をする気分ではなかったが、やはりお腹は空くので夜ご飯を食べる。
ーーいろいろ話したいことがあったのにな...
はっきりとしない負の感情を抱えたまま、彼女はベッドに向かう。
彼女は日々の上を滑っていた。
一週間に1度訪れていたあの日は戻らないだろうと彼女は理解してしまった。
楽しみにできることは彼女にはもう残っていない。
彼女が本を読む理由も、好きだった何もしない時間を謳歌する気持ちも。
あの冒険者の男が来る日になった。
顔馴染みである男は、彼女の様子が変だと感じ、何があったのか尋ねた。
彼女は話した。
今まで彼とどんな話をしてきたか。
仲間と話している楽しそうな彼を見てどんな気持ちになったか。
彼を、彼らを見送ったときに何を思ったか。
冒険者の男は、それはきっと恋だろうと言った。
ーー恋?...私は彼に恋している?...そうなのかな...わからない...
だんだんと開店時間は後ろ倒しになってゆく。
彼らが出発してから一週間後、やはり彼は現れなかった。
彼女は彼について考えていた。
ーー彼が私のことをどう思っていたのか知りたかった。
ーーもし彼が私のことを好ましく思ってくれてたらどうしよう。
ーーもしそうじゃなかったらどうしよう。
その後も日々は単調に、ただ単調に通り過ぎてゆく。
時間は冷酷に、残酷に経過する。
彼らが旅立ってからついに半年が経過した。
モヤモヤとする気持ちはあれど、ある程度自分の気持ちに納得したつもりになるには十分に長すぎる時間だった。
彼女が彼を想う気持ちは、閉ざされてしまった。
彼女の目に映る世界は色褪せてしまったのかもしれない。
そんな日の中に、彼らはやって来た。
勇者と共に旅に出ていた神官の男性と魔法使いの女性だった。
国への報告の前にここに寄ったようだった。
彼らは、勇者は魔王と相討ちになり、帰らぬ人となったと伝えた。
彼女は絶望した。
彼女は理解を拒んだ。
忘れようとしていたはずの、忘れることのできなかった、彼の映る記憶がフラッシュバックする。
思い出が、聞こえない音を立てて崩れてくるのを感じる。
怒りか、悲しみか、それとも自身に対する無力感か。
全てを包含するやるせなさだろうか。
分かり得ない何かが彼女の意識を執拗に殴打する。
震える彼女に神官の男性は伝えた。
「あなたの持つその技術でなんとかできるんじゃないかって、私たちは思ったのです」
ーー...時間魔法...?
そう溢すと、やっぱりそうか、と言った様子で2人は顔を見合わせ、それぞれあるものを取り出す。
魔法使いは魔導書、神官は見たことのない色に輝く水晶玉だった。
「この魔導書にはね、古代に滅んだとされる魔法が1つだけ記されてるの。それはね...『世界魔法』って言うんだけど...」
魔法使いは、聞いたことのない魔法の話をしていた。
世界に影響を及ぼす魔法だと言った。
神官の男性は、自身の持つ水晶玉が異常なほど魔力を増幅させるものであると語っていた。
まともに話を聞けていたとは思わなかったが、それでも彼女は彼らが何を言いたいのかを把握した。
そんな彼女の思考に魔法使いの声が覆い被さった。
「あなたも、彼が好きだったんでしょ」
ーー...なんで...どうして、そう思ったの...?
彼女の、凍結されていた半年間の想いは戻ろうとしていた。
苦笑しながら魔法使いが告げる。
「彼が旅の間に聞かせてくれたの。あなたの話。
あなたが彼のことを好きに思ってるのは、彼の話からよくわかった。
それでね、悔しいけど、とっても楽しそうに話してたんだよ」
視界がぼやけ、溶け、落ちてゆく。
気づけば彼女は作業場へと走り出し、愛用している杖を持ち出していた。
ーーその話が本当なら。
ーー私は伝えに戻りたい。
ーーこの気持ちを。
彼女が杖と共に2人の前に戻った時には、魔法使いは自分の杖取り出していた。
「そのまま戻ってもまた同じ結末を迎えちゃうよ?」
魔法使いは不敵に言うが、すぐに柔らかく笑って、
「冗談だよ、過去の私たちに教えてあげてくれない?
魔王には魔法攻撃は通用しないって」
だって魔王だもんね、と魔法使いは言った。
その過去を変えるための鍵を胸に仕舞い込み、彼女は力強く頷いた。
3人は外に出て、開けた場所へ移動した。
外はまだ明るかった。
彼女に世界は、また明るく映った。
魔法使いと神官はそれぞれ杖と水晶玉を掲げる。
魔法使いが聞き馴染みのない詠唱をする。
不思議な輝きが周囲に満ちる。
彼女は詠唱を始める。
水晶玉へと魔力が、魔法が、流れてゆく。
詠唱を終える。
夜空のように静かなタンザナイトから橙の閃光が迸る。
ふと思い出されるは、その石言葉...「希望」
昼の空を夕暮れに染めたかと思えば。
世界の因果は逆転する。
気づけば、そばにいた魔法使いと神官はいなくなり、彼女は慣れ親しんだカウンターの前に一人立っていた。
店の扉の外から微かに聞こえるのはあの声。
忘れかけていた、それでもずっと、聞きたいと、そう思い続けたあの声。
彼女は前を向き、扉を開く。
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