ケティと赤騎士 3
「まさか生首が塀を越えていたなんて……。しかもそれが赤騎士様のところに……」
そういえば一度だけ、そう、あれは確かイリスが毒を盛られて苦しんでいた時だったか、飛距離を確認しなかったことがあるとケティは思い出した。
「ランガと呼んで欲しい。あなたのことはケティと呼んで良いだろうか?」
「勿論でございます、ランガ様」
うっとりとケティは頷く。
「ケティ、本は気に入ってくれたか?」
「え? あれはランガ様が……」
驚くケティにランガは微笑む。
「ああ。陛下からケティはテラン戦記が好きだとお聞きした。自分もあれは好きだ」
「ええ。素晴らしい物語でございます。特にあの姫を連れて戦場を駆ける場面とか」
「ああ、あれは良い」
互いに身を乗り出し、そして赤くなる。
「…………」
「…………」
ケティが視線を逸らしながら小さな声で訊いた。
「ランガ様、あの……。少しだけその逞しい腕に触っても良いでしょうか?」
「も、勿論! いくらでも!」
ケティがそっとランガの腕に指を這わせる。
「あ、堅い。素晴らしい筋肉でございます」
「そうだ、ケティの生首投げも見せて欲しい」
ケティが上目遣いでランガを見つめる。
「あらそんな、ランガ様の前で恥ずかしい」
「是非」
「でも最近は投げてないので、たいした飛距離は出ないと思います。それより戦場では大活躍だったそうですね。お話を聞かせてください。強い敵はいましたか?」
ランガは頷いた。
「ああ、王の護衛に一人いた。長い打ち合いの末になんとか倒せたが、少し斬られてしまった」
「まあ! 何処をお怪我なされたのですか?」
「…………」
ランガがケティの手を握り締める。
「それは後程、たっぷりとお見せしよう」
「見せていただけるのですか? 楽しみでございます」
その時、ノックの音がして、手に何かの載ったトレイを持ったフェルディーナが部屋に入ってきた。
「おお!」
「まあ!」
フェルディーナの持って来たものに、ケティとランガは声を上げる。それは生首だった。
「ケティ、見せてほしい」
「え? そうですか? ランガ様がそうおっしゃるのなら……」
ケティは立ち上がり、近くの窓を全開にすると、少し後ろに下がって両手で生首を持って身体を捻る。
「いぃぃぃー……ほやぁぁぁちゃああ!!!」
気合いと共に投げた生首は、庭園の上を滑るように遠くに飛んで行った。
ランガが手を叩く。
「素晴らしい! 理想的だ!」
「あ、ありがとうございます!」
ケティは照れたように笑った。
◇◇◇◇
「なんというか……、すっかり私達のことなど忘れて盛り上がっていますわね」
「変人同士気が合うのだろう」
「ケティは変人ではありません!」
怒るイリスをヴェリオルが宥める。
先程からずっと同じ部屋にいるというのに、ケティもランガもすっかり二人の世界に入ってしまい、国王夫妻の存在を忘れてしまっているようだ。
「分かった分かった。行くぞ」
ヴェリオルがイリスの手を引く。
「え? しかし陛下――」
「気が合うようだから、二人にしてやろう」
「はあ……」
大丈夫かしらと呟きながら、イリスは国王夫妻の部屋へと戻る。
ヴェリオルが執務室に戻り、イリスはフェルディーナと二人、本を読んだりお菓子を食べたりして過ごした。そして夜――。
「おかしいわ。まだケティは戻ってこないの?」
イリスが眉を寄せる。
「迎えに行こうかしら――あら、陛下」
イリスが立ち上がろうとした時、ちょうど仕事を終えたヴェリオルが部屋に帰ってきた。
「陛下、まだケティが帰ってこないのです」
ヴェリオルが片眉を上げる。
「まあ、良いのではないか?」
「良くありません。迎えに行きます」
立ち上がったイリスの腕をヴェリオルが掴んだ。
「やめておけ」
「何故ですか」
不満げなイリスに、ヴェリオルは告げた。
「ランガには、褒賞としてケティをやる約束をしている」
「褒賞!?」
イリスが大きく目を見開いてよろめく。
「な! 何を勝手に――」
「あの娘は騎士が好きなのだろう?」
悪びれる様子も無く言うヴェリオルの胸元を、イリスは掴んだ。
「だからといって、騎士の慰み者などとんでもない! 私の大切な侍女に何をするのですか! ケティを連れ戻します」
「もう遅い」
「陛下!」
なんてこと……、と額に手を当てるイリスの様子にヴェリオルは溜息を吐き、腰に手を当てて、ある提案をした。
「ならば結婚させるか?」
「結婚……?」
イリスが顔を上げて戸惑う。
ケティとランガでは身分が違う。それを分かっていて言うのか。
そんなイリスの心の声が聞こえたかのように、ヴェリオルが口角を上げる。
「養女にすれば良い」
「え? 養女……?」
「一度適当な身分、そうだな……三位か四位貴族の養女にして、それから嫁に出せば良い。俺が命じれば、ランガの家も反対はしないだろう。それでどうだ?」
「…………」
養女……結婚……。イリスは顎に指を当てて考えた。
「でもケティがそれで幸せかしら?」
「大丈夫だろう。ランガは悪い男ではないし、実家は金持ちだ」
お金持ち……。
イリスの瞳が揺れる。
「そうですか。ならばそれでお願いしますわ。でも二度と勝手な真似はしないでください」
「ああ。分かった」
「……本当に分かっていますか?」
「勿論だ。俺が嘘を言っているように見えるか?」
「見えます」
「酷いな」
ヴェリオルがクスクス笑いながらイリスの身体に腕を回す。
隅に控えていたフェルディーナが頭を下げて、静かに部屋から出て行った。
◇◇◇◇
「ああ、ランガ様は今頃鍛練場かしら?」
窓辺から外を見つめるケティに、イリスが声を掛ける。
「ケティ、お茶を淹れてちょうだい」
しかしケティは動かない。
「まったくもう」
口では怒りながら、イリスの心は穏やかだった。
ケティは三位貴族の養女となり、数か月後にはランガと結婚をする。
「イリス様、聞いてください。ランガ様はとても優しくて――」
振り向いたケティがイリスにランガの話をし始めた。最近は毎日のろけ話を聞かされ、もうイリスは苦笑しか出ない。
「――で、イリス様、ランガ様が昨日、私にこれをくださいました」
ケティが胸元から何かを取り出す。イリスがギョッと目を見開いた。
「短剣……?」
唖然とするイリスに、ケティは自慢げに語る。
「もししつこく言いよってくる輩がいたらこれで戦いなさいと、扱い方の基本も教えてくださって……。ランガ様ったら私が綺麗だから心配だとおっしゃるのですよ」
「…………」
もしかすると少し早まったかもしれないが、それでも本人がこれだけ幸せそうなのだから……。
「……良かったわね」
これで良いのだろう――たぶん。
「私、幸せでございます」
ケティは短剣を握り締めて微笑んだ。