第54話
テーブルに地図が広げられ、ユインが説明を始めた。
「ここが武器庫です。イリス様の兄上がいる施設はこちらになります。追加情報として、イリス様の兄上が開発をして戦争で用いた新型大砲は、武器庫ではなくこの施設に保管されているようです」
フェルディーナが頷く。
「そういえば陛下の兄上の一人が最近『病死』したようですね。他の王兄殿下方に不安と不満が広がっているようですし、何人か味方に付けることが出来ますか?」
メアリアが扇で口元を隠して微笑んだ。
「まかせてちょうだい。それより準備に時間を掛けすぎると気付かれるわ」
「そうですね。メアリア様、資金は?」
「大丈夫。元々暗殺するつもりで準備はしていましたから。我が家の財産と、あといくつかの貴族の財産は私の手の中にあるわ」
「では組織との接触を始めましょう。ケティさんもいつでも動けるように」
ケティがぎこちなく頷く。
「は、はい」
フェルディーナは一つ深呼吸をして、右手を地図にかざすように差し出した。
「頑張りましょう」
そのフェルディーナの手に、メアリアが自らの手を重ねる。
「そうよ。陛下の狼藉を許してなるものですか」
更にその上に、ユインの手が重なった。
「自分達の国は自分達で護る」
最後にケティの手が重なり、メアリアが高らかに宣言した。
「エルラグドを我らの手に!」
重なった手に込められる、力と想い。
傲慢な王を打ち滅ぼし自由と平和を手に入れるために立ち上がった勇者達の瞳は、力強く輝いていた。そしてその時――。
「……ちょっと、邪魔よ」
盛り上がる場に響く、不機嫌な声。
雰囲気をぶち壊しにする言葉に、勇者達は振り向いた。
「何ですの? お姉様」
イリスは頬を引きつらせてテーブルの上の地図を払うようにどけた。
「食後のお茶の時間を邪魔しないでちょうだい。そしてケティ、関わり合いになっては駄目でしょう?」
「だってイリス様……」
「『だって』じゃないわ」
「……申し訳ございません」
ケティが深く頭を下げる。
メアリアが眉を寄せてイリスを睨んだ。
「もう、お姉様ったら! これだけ盛り上がっているのに水をささないでくださらない?」
「私とケティをくだらないことに巻き込まないでちょうだい」
「何をおっしゃいますか。お姉様は、我ら『薔薇と蛙革命団』の総帥ではございませんか」
「誰が総帥よ! それに『薔薇と蛙』って何なの!?」
憤慨するイリスをメアリアは扇で指す。
「いいから私達に任せて、お姉様は今まで通りの態度でいてください。絶対に陛下と王太后様に計画を悟られないようにお願いしますわ。この計画がばれたら私達は勿論、お姉様の家族だって無事では済まないのですから」
イリスが目を見開いてメアリアを怒鳴りつけた。
「今すぐ計画を中止しなさい!」
「そんなことおっしゃられても、ねえ」
メアリアがフェルディーナを見る。
「ええ。もう遅いです。そうですね、ユイン」
ユインが頷いた。
「心配は無用です。国の現状を憂えている優秀な騎士の多数が、イリス様のお味方につきました」
それのどこが心配無用なのか。勝手な行動にも程がある。
「イリス様! 私、イリス様に何処までも付いていきますです!」
「…………」
いったいこの者達の思考はどうなっているのか。
溜息を吐いていると、フェルディーナがチラリと時計を見てイリスに告げた。
「イリス様、メアリア様。そろそろ王太后様との約束の時間です」
「あら、もうそんな時間? 行きましょう、お姉様」
メアリアがイリスに微笑む。
「……それどころではないでしょう?」
「大丈夫ですわよ。お姉様はどんと構えていれば良いだけですわ」
「…………」
暴走する者達に巻き込まれないようにするには――、どうすれば良いのか答えの出ぬまま立ち上がり、イリスはドアへと歩き始めた。
「イリス、どうしたの? 元気がないわね」
数時間続いた『お妃教育』という名の望まぬ勉強の時間が終わり、イリスと王太后、それにメアリアは王太后の部屋でお茶を飲んでいた。
「はぁ……、いえ、まあ……」
曖昧な返事をするイリスにメアリアが微笑む。
「お妃教育で疲れましたか?」
メアリアの言葉を受け、王太后が慌てて侍女に命じた。
「イリスの疲れが取れるような、甘いお菓子を持ってきなさい!」
事前に用意してあったのか、すぐに侍女が沢山の菓子を持ってくる。
目の前に置かれた菓子の一つを手に取り、イリスは無言で次々と頬張った。
「ホホホ、良い食べっぷりだこと。そうだわ、頑張っているイリスに何かご褒美を用意しましょう。何がいいかしら?」
イリスは顔を上げ、微笑む王太后を見つめる。
「新しい宝石かドレス? それとも絵画がいいかしら?」
楽しげに話す王太后。
「腕の良い細工職人を呼んで何か作らせるのもいいわね」
「…………」
王太妃は相変わらず見た目も言葉もキツく、強引だ。もうこれは性格なので変わりようが無いのだろう。だが――。
嫌いではないわ……。
王太后はヴェリオルと同じ、関わり合いになりたくない種類の人間なだけだ。遠くから見ている分には問題ない。
そして……、イリスはふと思う。もし本当に革命が起これば王太妃はどうなるのか――と。
「イリス?」
声を掛けられてハッとする。
「ボーっとしてどうしたの? 何が欲しいか決めたのかしら?」
「…………」
王太后の吊り上ったきつい目を見つめながら、イリスの口が勝手に動いた。
「……国」
王太后が首を傾げる。
「国?」
イリスは頷いた。
「この国、戴けませんか?」
「…………」
王太后は一瞬ポカンと口を開け、それからクスクスと笑う。
「まあ、おかしな子ね。ええ、もうすぐこの国はヴェリオルとイリスのものになるわよ」
「王太后様、そうではなく……」
イリスが説明しようとしたその時――。
「い――っ!」
メアリアの足がイリスの脛を蹴り、フェルディーナが大きな咳払いをした。
王太后がフェルディーナに視線を向ける。
「申し訳ございません。喉の調子が少し悪いようです」
「そう、気を付けなさい」
王太后とフェルディーナが会話している隙に、イリスはメアリアに激しく睨まれる。声には出さないが、その目は『余計なことを話すな』と、はっきり言っていた。
王太后が再びイリスに視線を向ける。そしてパンッと手を叩いた。
「そうだわ。宮殿に飾る彫刻にしましょう」
「宮……殿?」
目尻の涙をそっと拭いながら、イリスが何のことかと首を傾げる。
「もうすぐ完成するそうよ」
「え……?」
「イリス、まさか忘れていたの? 以前欲しいと言っていたでしょう?」
欲しい……。そういえば言ったような気もする。
「本当に建てていたのですか?」
「勿論よ」
当然のように言って、王太后は笑う。
「そうね、イリスとヴェリオルが仲良く並ぶ姿を彫刻にしましょうか。黄金や宝石をふんだんに使って、それから……」
王太后は話し続ける。自分の夢を語るように――。
「…………」
どうすれば良いのか。
誰も傷つかず、そして自分は巻き込まれること無く、金銀財宝すべてを持って帰りたい。
「……王太后様、どこか遠い地へ、長期間遊びに行ってもらえませんか?」
言った瞬間、背後から聞こえる咳払いと、またしても蹴られる脛。
イリスが俯き、蹴られた箇所を押さえる。
「あらあらお姉様、今日は随分お疲れですわね。昨夜は陛下と仲良くしすぎたのではございませんか?」
扇で口元を隠して笑うメアリア。
王太后が「まあ!」と軽く目を見開き豪快に笑う。
「それならそうと早く言えば良かったでしょう? いいわ、今日はもう部屋に戻って、夜に備えて昼寝でもなさい」
王太后の言葉に、イリスではなくメアリアが大袈裟に喜んだ。
「何てお優しい! ありがとうございます王太后様! 良かったですわね、お姉様。さあ、戻りましょう。」
メアリアと、いつの間にか傍まで来ていたフェルディーナがイリスの腕を掴む。
「イリス、また明日来なさい」
イリスが顔を上げて王太后を見つめる。
「…………」
言葉が――出てこない。
笑顔の王太后に見送られ、イリスはメアリアに引き摺られて部屋に戻った。