第53話
朝、イリスの部屋を訪れたメアリアは、眉を顰めてじっと中空を睨みつけるイリスに首を傾げて訊いた。
「どうされましたの? お姉様」
イリスは視線を動かさず、それに答える。
「陛下に愛していると言われたの」
「それが何か?」
「王妃になってほしいと……」
メアリアが「あら?」と言い、扇で口元を隠して椅子に座った。
「もしかして、今まで正式に言われたことがありませんでしたの?」
イリスの視線がメアリアに向く。
「あんなに真っ直ぐに告白されて、身体中を撫で回されて、正直気味が悪かったわ」
「まあ。それはそれは……」
メアリアがクスクスと笑う。
「私は帰りたいの。王妃になんてなりたくないの。どう言えば理解してもらえるのかしら?」
「陛下に理解など求めても、無駄だと思いましてよ」
「…………」
イリスは溜息を吐き、立ち上がる。
「お姉様、どちらへ行かれるのですか?」
「王太后様のところよ」
先程『早く来なさい』という王太后からの伝言を、女官より受け取ったのだ。
ドアに向かうイリスを、メアリアがじっと見る。
「このままで本当に良いのですか?」
掛けられた言葉にイリスは眉を寄せて振り向いた。
「良くないわよ。だけどどうしようもないでしょう?」
「このまま王妃になって良いのですか?」
「だから――」
イリスは両手を腰に当て、子供を叱るような口調で言った。
「良くないけど、どうにもならないでしょう?」
絶世の美女でも現れて、陛下を誘惑してくれないかしら……、と呟きながら、イリスが再びドアに向かう。そして――。
バンッ!
不意に聞こえた音。振り向くと、メアリアの扇が折れていた。
「本当に信じられませんわ。どうして自分で道を切り開いていこうと思わないのですか?」
イリスが溜息を吐く。
「この状況でどうやって切り開くの? それより扇を折るなんて勿体無いわ」
「黙らっしゃい! 人間やる気があれば、どんな困難でも乗り越えられるのよ!」
「やる気だけでは何も解決しないわ」
「解決しますわ! そう、それは――」
メアリアは折れた扇でビシッとイリスを指した。
「暗殺です!」
「…………」
またか、とイリスがうんざりとした顔をする。
「そうですわね。王妃か暗殺か、どちらが自分にとって得か考えればどうですか?」
「メアリア……、どれだけ陛下を殺したいの? 暗殺なんて出来る訳がないでしょう?」
「やる前から諦めてはいけませんわ! 成功を信じて突き進むことが大事なのです」
「そして? 陛下を刺そうとして失敗して、処刑でもされろというの? 嫌よ」
メアリアが折れた扇をイリス目がけて投げる。
「そうやって、嫌だ嫌だばかり! 自由になりたいのでしょう? ならば多少の危険は覚悟するべきですわ!」
「自由にはなりたいわ。安全に金銀財宝を持って家に帰れる方法があるなら」
「お姉様はどうして……!」
イリスとメアリアが睨み合う。
重苦しい空気の中、口を開いたのは――。
「では毒を盛りますか?」
イリスとメアリアが「え?」と振り向く。無表情のフェルディーナがイリスをじっと見つめていた。
「長期戦にはなりますが、本人も周りも気付かぬ内に身体を蝕んでいく事が可能な筈です――イリス様のお兄様の力を借りれば」
イリスが目を見開き、メアリアがパンッと手を叩く。
「あら、いいじゃないの、それ」
「良くないわ! 何故兄様の名がここで出るの!?」
「お姉様、少しお黙りになって」
メアリアは立ち上がり、イリスを強引に椅子に座らせた。
「メアリア!」
「フェルディーナ、話を続けてちょうだい」
フェルディーナが頷き、二人に近付く。
「イリス様を毒に耐性がある身体にするくらいですから、お兄様は毒に相当お詳しいのでしょう。ならばじわじわと時間を掛けて身体を蝕み、病死に見えるような毒を作ることも可能な筈です。ただ――」
フェルディーナは立ち止まり、微かに眉を寄せた。
「研究施設にいるお兄様と秘密裏に連絡をとる手段が問題なのですが……」
メアリアが顎に手を当てる。
「そうねえ」
「メアリア! 女官長! 馬鹿なことを――」
叫ぶイリスをメアリアが睨みつけた。
「うるさいですわよ。今大事な話の最中ですの」
「メアリア!」
「いいからちょっと、これでも食べていてくださいな」
メアリアはテーブルの上に置いてあった菓子を鷲摑みして、嫌がるイリスの口に強引に押し込んだ。
「う! げほ!」
咳き込むイリスの元に、壁際にいたケティが慌てて駆け寄る。
「メアリア様! 何てことをなさいますか!」
ケティの抗議を無視し、メアリアはフェルディーナに向き直った。
「話を続けましょう」
フェルディーナが頷き、再び口を開く。
「陛下にも騎士にも他の研究者にも気付かれずに、長期にわたり何度もお兄様と接触する方法をまず見つけなくてはなりません」
メアリアは俯いて暫く唸り、顔を上げた。
「難しいわね。いっそ施設ごと乗っ取れないかしら?」
フェルディーナが首を横に振る。
「乗っ取るほうが余程難しいのでは?」
「騎士団を使っても?」
「それにはまず騎士団を掌握しなくてはなりません。そんなことができますか?」
「掌握……ねぇ」
メアリアはドアの方に顔を向け、大きな声で呼んだ。
「ユイン、聞いているのでしょう? 入ってらっしゃい」
少しの間の後、ゆっくりとノブが回り、ドアが開く。
現れたユインは緊張した面持ちで、やっと咳が止んで荒い呼吸を繰り返すイリスの後方に立った。
メアリアが口角を上げる。
「陛下とお姉様、ユインはどちらの味方に付くのかしら?」
ユインはごくりと唾液を飲んだ。
「自分は……」
ユインの視線がイリスに向けられる。
「イ、イリス様に!」
暑くも無いのに汗を流すユインに、メアリアは満足気に微笑んだ。
「よく言ったわ」
フェルディーナがユインを厳しい目で見つめる。
「陛下を裏切る覚悟があるのですね」
ユインは大きく頷いた。
「はい」
「では騎士団の中で味方に付きそうな者に近付いてください。現状に不満がある者にです」
フェルディーナの指示にユインがもう一度頷く。
メアリアがふと思い出したように「そういえば……」と呟いた。
「以前、お父様から王制に反対する組織があると聞いた記憶があるのだけど、利用出来ないかしら?」
フェルディーナが軽く目を見開く。
「なるほど……そうですね。そういった組織をいくつか利用し、あちこちで派手に暴れさせれば隙が出来るかもしれません。ユインさん、武器や火薬を保管してある倉庫からそれらを盗むことは可能ですか?」
ユインは額の汗を指で拭いながら首を横に振った。
「あそこは警備が厳重な上、鍵が何重にも掛けられています。その鍵も厳重に警備されているので厳しいです」
「そうですか……。鍵が……、鍵?」
フェルディーナはふと、イリスに水を飲ませているケティに視線を向ける。
「そういえばケティさんは以前、厨房の棚の鍵を開けてお酒を盗みましたね」
ケティが「え?」と顔を上げた。
「あの鍵はどうやって開けたのですか?」
視線がケティに集中する。
「あ、わ、私は鍵開けが得意なので……。昔――まだ田舎に住んでいた頃、ご近所に住む元盗賊のおじいさんに教えてもらいました」
「どんな鍵でも開けられるのですか?」
「は、はい。鍵開けに必要な道具があれば……」
メアリア、フェルディーナ、ユインが視線を交わす。そしてメアリアが笑みを浮かべてケティの肩を叩いた。
「そんな特技があるなんて! ケティ、見直したわ」
「でも……」
戸惑いイリスに視線を向けるケティに、メアリアは告げる。
「ケティ! 今こそその能力で、主人の役に立つ時よ!」
「…………!」
ケティがハッとしてメアリアを見た。
「すべてはお姉様の為!」
「イリス様の為……」
フェルディーナが手を二回叩き、皆の視線を自分に集中させる。
「では鍵はケティさんに担当してもらいましょう。騎士団はユインさん、私は組織と接触しましょう。メアリア様は……」
「私は、現状に不満を抱く王族や貴族共と接触してみるわ。上手く騙して利用してやりましょう」
「お願いします。ユインさん、詳細な地図を用意してください」
ユインが力強く頷いた。
「分かりました。それなら騎士団にあります」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
それぞれの担当が決まり、一瞬の静けさが訪れる。
メアリアがフゥ……と息を吐いた。
「私、思うのですけど、これはもう革命ね」
フェルディーナが頷く。
「革命です」
「革命……」
「か、かかか革命でございます!」
メアリアが、やっと呼吸が落ち着いたイリスの手を握る。
「お姉様、今こそ立ち上がる時! 一緒に国をひっくり返してやりましょう!」
イリスは顔を引きつらせてメアリアの手を振り払い、大きく息を吸った。
「ちょっと待って! 話が滅茶苦茶になっているわよ!」
あらん限りの声で叫び、イリスは掌でテーブルを叩く。
「何が『立ち上がる時』よ! こんな計画、成功するわけがないでしょう!?」
メアリアが手で口元を覆い悲しげな表情をした。
「まあ! お姉様の為に頑張ろうとしている私達に酷いですわ!」
フェルディーナが眉を寄せる。
「イリス様、お声が大きすぎます。計画が外部に漏れたらどうしますか」
「どうもしないわよ!」
イリスは立ち上がり、おろおろとするケティの腕を掴んだ。
「行くわよ、ケティ。あなたも簡単に洗脳されては駄目よ」
フェルディーナとメアリアを押し退けてイリスはケティを引き摺って歩き、自らドアを開けて部屋から出て行った。