第51話
「ごきげんようお姉様。今日はまた随分華やかでいらっしゃいますわね」
優雅に膝を折るメアリアに、イリスは眉を寄せる。
「ホホホ! そうでしょう。今日は私が見立てたドレスなのだから当然よ」
自慢げに言う王太后には溜息しか出ない。
華やか――というより派手なドレスと化粧を施されたイリスは、静かにお茶を一口飲んだ。
毎日のように来る王太后とメアリア。
ヴェリオルが軍を率いて旅立ってからそろそろ三ヶ月。長期にわたって留守だというのに、これでは気がまったく休まらない。
たまにはケティと二人になりたいと何度か訴えはしたが、些細な願いは笑いながら一蹴されてしまっていた。
「こうしてみると、王太后様とお姉様は本当の親子みたいですわ」
「あら、そう?」
「ええ」
にっこりと笑って、メアリアは椅子に腰掛ける。
「イリスは遠慮してなかなか義母様と呼んでくれないのよ」
「そうなのですか? お姉様、王太后様もこうおっしゃられていますし、義母様とお呼びになればよろしいではありませんか」
イリスはカップをテーブルに置き、小さく、しかしきっぱりと言った。
「嫌よ」
メアリアと王太后が扇を口元に当てて笑う。
「まあまあ、仕方の無い子ね」
「お姉様ったら」
何故今の言葉で笑えるのか、イリスには理解が出来なかった。
今日の王太后は不気味なほど機嫌が良い。おかしい、何か悪いことが起きる前触れなのではないかとイリスは内心不安だった。
メアリアと王太后の話を聞き流し、時々適当に頷きながらイリスは目の前の菓子をぼりぼりと食べる。
菓子を食べていれば頷くだけでよいという事実に気付いたイリスは、最近食べすぎにより少々太り、ドレスがきつくなっていた。
ブサイクな上に肥満ならば、陛下も愛想を尽かしてくださるかしら?
などとくだらないことを考えていると、ノックの音がして女官が現れる。
何か王太后に用なのだろうか?
部屋に入った女官は首を傾げるイリスをチラリとも見ず、王太后に向かって丁寧なお辞儀をし、そして衝撃的な言葉を放った。
「陛下がもうすぐ城に到着されるそうです」
「え……!?」
口からポロリと菓子が落ちる。
まさか、もう帰ってきたというのか。
あと数ヶ月は帰ってこないと勝手に思い込んでいたイリスは呆然とした。
「イリス! 行くわよ!」
王太后に腕を引かれ、イリスはハッと我に返る。
「何処に?」
「出迎えに決まっているでしょう!」
出迎え? 目を見開き首を振る。
「行きません!」
「イリス!」
抵抗はしたが王太后に強引に引っ張られ、イリスは後宮の外へと連れて行かれた。
「お姉様、しっかり歩いてください」
どさくさにまぎれて付いてきたメアリアにも背中を押されて、正門へと向かう。
遠くから聞こえる歓声。どうやら門の外には大勢の人が集まっているようだ。
「もうすぐよ、イリス」
嬉しそうな王太后の声に顔を顰め、イリスは呟く。
「このまま人に紛れて上手く逃亡出来ないかしら?」
メアリアがころころと笑った。
「すぐに捕まりますわよ」
「そうよね……」
正門前に辿り着くと、やはりそこには大勢の人。
「これだけ盛り上がっているということは、勝利だったのね」
「当然でしょう!」
王太后に怒られて溜息を吐くイリスに、歓声がどんどん近付いてくる。そして――。
「ヴェリオル!」
王太后が叫び声を上げる。
馬に乗ったヴェリオルが、国民に手を振りながら正門前まで来た。
「イリス、行きなさい!」
「ええ!?」
顔を顰めて拒否の意思を示したイリスは、しかし王太后に突き飛ばされて、躓きながら前へと出てしまう。
「イリス!」
ヴェリオルが馬から降りてイリスに駆け寄り、不恰好に傾く身体を強く抱きしめた。
「へ、陛下、やめてください」
こんな沢山の人が見ている前で王と抱き合うなどとんでもない。なんて恐ろしいことをするのだ。
首を振り嫌がるイリス。先程まで歓声を上げていた民衆がざわつく。
「イリス、元気だったか? 会いたかった」
「私は会いたくありませんでした」
「素直ではないな」
イリスが『違う』と文句を言おうとした時、ヴェリオルの唇が素早く重なる。
「――――!」
目を見開き暴れようとするが、ガッチリと抱きしめられて出来ない。
一層大きくなるざわつき。微かに聞こえる王太后の高笑い。
長い口付けが終わり、ヴェリオルは茫然自失のイリスの肩を抱き、再び国民に笑顔で手を振った。
「イリスも手を振れ」
「…………」
イリスが反応しないので、ヴェリオルはイリスの手首を掴んで動かす。その姿はまるで、動かぬ人形で無邪気に遊ぶ子供のようだ。
「さあ、そろそろ行くか」
そして一頻り国民に笑顔を振りまくと、イリスの腰を抱き、ヴェリオルは城内へと入った。
「お帰りなさい、ヴェリオル」
「ただいま戻りました、母上」
親子は軽く抱き合いイリスを挟んで歩き出す。その後ろをメアリア、更にその後ろをしっかり付いて来ていたフェルディーナと、イリスを同情の籠もった視線で見るケティが続いた。
「今宵の祝賀会が楽しみだわ」
王太后の言葉にヴェリオルが頷く。
「そうですね。イリス――」
「嫌です」
やっと反応を返してきたイリスにヴェリオルは口角を上げた。
「まだ何も言っていないぞ」
「体調不良により欠席です」
「駄目だ」
きっぱりと言われ、イリスは青空を仰いだ。
結局、更に派手に着飾らされてイリスは祝賀会に出席し、国王誕生会と同じ、いや、それ以上に居心地の悪い時間を過ごして、深夜になって漸く自室へと戻って来ることができた。
フェルディーナを先に下がらせてケティと二人になったイリスは、ドレスを脱いでベッドに倒れこみ、大きく息を吐く。
「イリス様ぁ、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわ」
うつ伏せに寝るイリスの複雑に編み込まれた髪を、ケティは丁寧に解いた。
地毛とヴェリオルの髪で作った付け毛、二色の髪がベッドに広がる。
「ケティ」
「はい」
イリスは大きく息を吸って命じた。
「ドアが開かないように、荷物で塞いでちょうだい」
ケティが眉を寄せて曖昧な返事をする。
「はあ……」
「早く。陛下が来る前に」
「……分かりました」
イリスの髪から取ったピンをドレッサーの引き出しにしまい、ケティはドアへと向かった。
「では、この甲冑で塞ぎましょうか」
「何でもいいから早く」
急かされて、ケティは重い甲冑を引き摺ってドアの前に置く。
「もっと置いて、ケティ」
「はい。えーと、ではテーブルと椅子と――」
「私も手伝うわ」
イリスも立ち上がり、ケティと共に動かせる物をすべてドアの前へと運んだ。
そして数十分後――、積み上げられた荷物を見上げてイリスは頷く。これでいくらヴェリオルといえども入っては来られないだろう。
「疲れたわ。もう休みましょう」
「はい」
「ケティももう下がって――」
その時、イリスの部屋と繋がっている侍女部屋のドアが開く。
フェルディーナかと思い視線を向けたイリスは、驚きに目を見開いた。
「陛下……!」
ヴェリオルは眉を寄せて、積みあがった荷物を見上げる。
「ドアが開かぬと思ったら、何だこれは? 新しい遊びか?」
「…………」
そういえば侍女部屋にも廊下に繋がるドアはある。一つだけ塞いでも意味がないということにイリスは漸く気付いた。
「侍女は下がれ」
ケティが「イリス様ぁ」と呟き、伺うようにイリスを見る。
焦れたヴェリオルが後ろを振り向いて顎をしゃくると、侍女部屋からフェルディーナが出てきてケティを連れて行った。どうやら侍女部屋からヴェリオルを入れたのはフェルディーナのようだ。
彼女にも注意しておくべきだった、と後悔するイリスにヴェリオルが近付く。
「イリス――」
「陛下、お疲れでございますわよね。どうぞ自室に戻ってお休みください」
ヴェリオルが微笑んでイリスの頬を撫でた。
「お前と居るのが一番安らぐ」
「私は安らぎません。ゆっくり寝たいのでお帰りください」
「相変わらずだな」
ククッと笑い、ヴェリオルはイリスを抱き上げてベッドへと連れて行く。
「陛下!」
嫌がる身体を横たえ、ヴェリオルはその胸に頬を押し付けた。
「ああ、この真っ平らな胸の感触……。帰って来たと実感するな」
「嫌味ですか?」
ヴェリオルの手が滑るように動き、イリスのわき腹に触れる。
「少し肉が付いたか?」
「ええ」
「柔らかくなった」
全身をゆっくりと撫で回されて、イリスは顔を顰めた。
「今宵はお前に抱かれて眠りたい」
「嫌です」
「大きな領地を土産に帰ってきたのに、冷たいな」
拗ねるように言うヴェリオルの肩をイリスが押す。
「やめてください。そんな土産は要りません」
「領地が欲しいと言っていたではないか」
「それはそうですが……」
だからといって、国一つはさすがに大きすぎる。
「イリス、抱きしめてくれ」
「子供ではないのですから……」
「イリス」
拗ねた口調で言われ、イリスは仕方なくヴェリオルの背中に腕を回した。
「ただいま、イリス」
「お帰りなさいませ。いろいろと戴けたことですし、私もそろそろ実家に帰りたいのですが」
「今はこの城がお前の家だ。広くて立派で良いだろう?」
「広すぎます」
溜息を吐くイリスを見上げ、ヴェリオルはふと思い出したように言う。
「そうだ、お前が好きそうな宝飾品を手に入れた」
「侵略先で略奪ですか?」
「要らぬのか?」
「要ります」
口角を上げ、ヴェリオルがイリスに口付ける。
「はぁ……」
「溜息ばかり吐くな」
そう言われても、自然に出てしまう。イリスは眉を寄せて身体を捩った。
「陛下、重いです」
「そうか」
ヴェリオルが広いベッドをクルリと転がって二人の身体を入れ替える。
「そうではなくて、陛下の気持ちが――」
イリスの言葉は口付で封じられた。