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第50話

 朝、イリスが目覚めた時、時刻は既に『十の時』だった。

 ゆっくりと起き上がると、部屋の隅に控えていたケティがベッドに近付いてくる。

「おはようございます」

「おはよう、ケティ」

 カーテンが開けられ、眩しい日の光に顔を顰めながらイリスは立ち上がった。

「女官長は?」

「朝食を取りに行かれました」

「そう」

 ケティが持ってきたドレスに着替え、髪を結ってもらいながら、イリスは大きなあくびをする。

 ケティがクスリと笑った。

「まだ眠いですか?」

「そうねえ、昨夜は昼間に変な話を聞いたせいか、なかなか眠れなくて……」

 イリスの言っている変な話とは、メアリアの『陛下暗殺計画』のことだ。

「困ったものね、メアリアも、それに女官長も」

 フゥ……と溜息を吐いて苦笑し、イリスはふとケティが難しい顔をしていることに気付く。

「あら、どうしたの?」

「いえ……。あ、そういえば、イリス様はいつの間にかメアリア様を呼び捨てになさってますね」

「あら、そうね。いつから呼び捨てにしていたのかしら、気付かなかったわ」

 その時、ノックの音と共にフェルディーナが部屋に入ってきた。

「イリス様、朝食です!」

 ケティが明るい声を出す。


 気のせいだったかしら?


 少しだけ疑問を抱きつつ、イリスは朝食を食べ、食後のお茶を飲んだ。

 フェルディーナが食器を持って退室し、そしてまたイリスがふと見ると、ケティが眉を微かに寄せている。

「ケティ、どうしたの?」

 言われたケティがハッと我に返った。

「いえ、何でもございません」

「嘘。何か気になることがあるのなら、言ってごらんなさい」

「何も」

「ケティ」

 イリスの少し強い口調に、ケティが俯いて唇を尖らせる。

「そんな、たいしたことではないんです。ただ……」

「ただ?」

 ケティは上目遣いでイリスを見た。


「私、やっぱり役立たずでございますね……」


 イリスが眉を寄せる。

「何を言っているの?」

「だって私、イリス様を守るどころか怪我をさせて……」

「それはもう終わった話でしょう?」

 なぜまた蒸し返そうとするのかと、イリスは溜息を吐いた。

 ケティが肩を落とす。

「私がやった仕事といえば生首を投げただけ。生首投げしか能のない私は役立たずでございます」

 そんなことをまだ気にしているのか。

 落ち込むケティにイリスは首を横に振った。

「違うわ、ケティ。後宮入りしてから、いいえ、それ以前も一緒に戦ったあなたは私の大切な戦友よ。苦しみも辛さもケティがいたから乗り越えられた」

「イリス様……」

「あなたはこのままでいいの、明るく笑っていてくれれば。あなたは私の心の拠り所なのだから」

「ありがとうございます。でも……」

 疲れた微笑を見せるイリスの前にケティは跪き、その手を握った。

「でも、もし本当にイリス様がここから逃げたいのでしたら、後は私が何とかいたしますから地下道から――」


「ケティ!」


 イリスがケティの言葉を遮る。

「私はあなたを置いて逃げるつもりはないわ。だいたい『何とかする』と言うけどどうするつもりなの?」

 ケティが「え?」と首を傾げて眉を寄せた。

「そうでございますねえ……。やはり暗殺――」


「ケティ!!」


 声を荒げるイリスにケティがビクリと震える。

 イリスはケティの手をぎゅっと握り締め、諭すように言った。

「いい、ケティ。暗殺なんて二度と言わないでちょうだい。そんなもの成功するわけが無いでしょう?」

「それはそうかもしれませんが、イリス様、私……」

 俯くケティ。

 イリスがケティの手をポンポンと叩く。

「あなたは余計なことを考えずに、ただ私の傍にいてくれればいいのよ」

 ケティが顔を上げた。


「私、イリス様が望むなら、陛下を殺害してみせます!」


 力強く宣言されて、イリスは深く溜息を吐く。

「ケティ……。私の話を聞いていたの? 望んでなどいないからやめてちょうだい」

 メアリアとフェルディーナだけではなくケティまで、どうしてこう無謀なことをしたがるのか。


 ただ、静かに。そしてそこそこ贅沢な人生を歩みたいだけなのに……。


 理想通りにはなかなかいかないものだと苦笑が漏れる。

「ケティ、お茶をもう一杯ちょうだい」

「……はい」

 ケティが渋い顔をしながらのろのろと立ち上がり、ポットを手にしようとして――そこで二人は部屋の外が騒がしいことに気付いた。

 聞こえる悲鳴のような叫び。

「何かしら?」

 イリスが眉を寄せ、訊かれたケティが首を傾げる。

「メアリア様が暴れているのではないでしょうか?」

「ああ、そうかもしれないわね。そっとしておきましょうか」

 しかし次の瞬間、忙しないノックの音と共にドアが開き、ユインが大きな声でイリスに告げた。


「お、王太后様がお見えです!」


 イリスとケティが目を見開く。

「ええ!? な、何故後宮に!?」

 イリスが立ち上がり廊下に出ると、左右に分かれて騒ぐ側室達と、その真ん中を女性騎士と侍女を従えて闊歩する王太后の姿が確かにあった。


 ま、魔女が眷属を従え、こんなところまで攻めこんできたわ……。


 目の前が真っ暗になり、イリスは一歩よろけた。

 そんなイリスに気付いた王太后が、満面の笑みを見せる。


「イリス!」


 王太后は足早にイリスの元に来ると、周囲を見回して側室達に怒鳴った。

「ボーっと突っ立って、王妃に対して無礼でしょう! ひれ伏しなさい!」

 誰が王妃だというのか!

 イリスは「ヒィ!」と悲鳴を上げて、慌てて自室に王太后を引き入れた。

「あら、この部屋は何? 狭いわね」

「王太后様からいただいた物が置いてありますから」

 いつか実家に帰る時の土産にするつもりなのだが、一向にその機会は得られない。これだけのものがあれば、家族もきっと楽な暮らしが出来る筈なのに。

 ヴェリオルに頼んでせめて荷物だけでも家に送ろうかと何度か考えはしたが、そうすると負けるような気がして、結局部屋に置きっぱなしになっていた。

「それにしても、ろくな側室がいないわね。イリスはブサイクだけど一番可愛いわ。やはりヴェリオルの目は正しかったのよ」

 顎を上げて自慢げに言う王太后をイリスは椅子に座らせる。

「ねえ、イリスもそう思うでしょう?」

 イリスが引きつった笑顔で王太后の向かいに座った。

「ホホホ……。ところで何故後宮に?」

「イリスが部屋から出られないと聞いたから、私が後宮に来てあげたのよ。嬉しいでしょう?」

「嬉しくありません」

「まあ! イリスは冗談ばかり。本当に面白い子ね」

 思わず漏らした本音は軽くいなされる。

 イリスは溜息を吐いた。

「王太后様も、お部屋から出るのは危険ではないのでしょうか?」

 王太后は微笑んで頷いた。

「ヴェリオルは部屋から出るなと言っていたような気がするわ」

「では――」

「私は大丈夫。この通り信頼のおける騎士達もいるのですから」

「はあ……」

 イリスは王太后の後ろに控える騎士達に視線を向ける。

 ユインより年配の屈強な女性騎士が二人。頼りにはなりそうだが、今この時期にあえて危険を冒す必要があるのだろうかと、イリスは眉を寄せる。

「イリスは優しすぎるわよ。もっと強くなりなさい。手始めにこの騎士達を使って良いから生意気な態度の側室を牢に入れてみせなさい」

「え?」

 いきなり何を言い出すのか。

 イリスは驚いて王太后に視線を戻した。

「牢では不満なの? では処刑に――」


「不満ではありません!」


 処刑などとんでもない!

 イリスが大きく首を横に振った時、ノックの音がしてフェルディーナ、次いでメアリアが部屋に入ってきた。

「まあ、王太后様。ご機嫌麗しゅうございます」

 メアリアが優雅に膝を折る。

 フェルディーナは軽く頭を下げて、どうして良いか分からない様子で壁際に立つケティに、小声でお茶の準備をするよう指示した。

「ホホホ、メアリアも元気そうね」

「ありがとうございます」

 勧めてもいないのにメアリアはイリスの横に座り、扇を広げてにっこりと笑う。

 何故、こうも濃い者達が集まるのか。


 心が休まらない……。


 望む生活はいつ手に入るのだろうかと、背もたれに背中を預けて目を閉じたイリスを王太后が叱る。

「イリス! 聞いているの!?」

 イリスは目を開けて姿勢を正す。

「聞いていませんでした」

「イリス!」

 王太后の怒声を聞きながら、目の前のカップに注がれたお茶を、イリスは溜息と共に一口飲んだ。


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