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第49話

「とても素晴らしい考えがありますの!」


 メアリアが扇を広げて身を乗り出した。その青い瞳は、宝石のようにキラキラと美しく輝いている。

「え?」

 首を傾げるイリスにメアリアは愛らしく笑い、『素晴らしい考え』の詳細を語り始めた。

「まず、お姉様は王妃になります」

「ええ!?」

 文句を言おうとするイリスを手で制し、メアリアは続ける。

「その後、おそらく後宮は解散となるでしょう」

「そうかしら?」

「そうです! ――ところでお姉様、騎士団長のリュートはご存知?」

「リュート? 私は知らないけど、ケティは知っているかしら?」

 イリスに訊かれ、フェルディーナの横に立っていたケティが頷いた。

「はい。実際にお見かけしたことはございませんが、噂によると、真面目で統率力に優れていて陛下の信頼も厚く、その上お顔も渋くて素敵だそうです」

「まあ、良く知っているわね。ケティは本当に騎士が好きなのね」

 ケティは夢見る乙女の目をして微笑む。

「会ってみたいでございますねえ、リュート様。でも私、リュート様も良いですが、『赤騎士』様のほうがもっとお会いしとうございます。そして出来れば、逞しいであろうその腕に触れてみたいでございますよ、あぁ……」

 うっとりと溜息を吐くケティ。

「赤騎士?」

 それはどんな人物なのかとイリスが尋ねようとした時、メアリアが扇でテーブルをピシャリと叩いた。

 イリスがメアリアに視線を戻す。

「お姉様、話を続けますわよ。その騎士団長ですが、実はあの男、真面目な振りしてとても好色ですの」

 メアリアの言葉に、イリスではなくケティが「え!?」と声をあげた。

「外に自分の娘と同じ年齢の愛人がいて、隠し子までいますのよ。最低ですわね」

 まさかそんな……と驚くケティを振り返るイリス。その視線をもう一度扇の音で戻し、メアリアはイリスの目を見つめる。

「お姉様、私がリュートを誘惑して軍を掌握します」

「え?」

 イリスが眉を寄せ、首を傾げた。

「そこで、これが一番重要ですが――」

 コホンと咳払いをして、メアリアは姿勢を正す。


「お姉様が陛下を暗殺してください」


「……は?」

 ポカンと口を開けるイリスに、メアリアはもう一度はっきりと言った。

「暗殺です。陛下ってあれでお強いでしょう? 隙を突くのはなかなか難しいでしょうが、それも寵愛を得ているお姉様なら可能ですわ。油断しているところをブスッとやってくださいませ。それから私が軍を意のままに操り、ランドルフ殿下を国王にして私が宰相になる。お姉様には大金をお渡ししますから、それで面白おかしくお暮らしなさいませ」

「…………」

「どうですか? 良い案でしょう?」

 満足気に微笑み背もたれに身体を預けるメアリア。イリスがゆっくりと口を開いた。

「……メアリア」

「はい?」

 穢れを知らぬ少女のような笑顔を見つめる。

「確か『国王暗殺計画』は、失敗して諦めたのではなかったかしら?」

 ランドルフとの関係をヴェリオルが把握していることを知り、諦めた筈だ。メアリアは以前『悔しいけどあれで駄目ならもう無理』と確かに言っていた。

 メアリアが鼻を鳴らす。

「何をおっしゃいますか。倒れても倒れても立ち上がる逞しさ、それこそが人間の素晴らしいところではないのですか? それに今回はお姉様という協力者がいるのですから絶対成功しますわ」

「誰が協力するなんて言ったの!? 私は嫌よ、そんな危ない計画に巻き込まないでちょうだい」

 冗談ではないと首を振るイリスを、メアリアはキッと睨んだ。

「何故!? 自由になりたいのでしょう? 必要なのはちょっとの勇気だけですわよ!」

「そんなに上手く事が運ぶとは思えないわ!」

「やって見なければ分からないではありませんか!」

「それはそうだけど……! 私は陛下を迷惑だとは思っても、暗殺したいとは思っていないわ。第一危険すぎるでしょう!?」

 頑なに拒否するイリスに溜息を吐き、メアリアはそれならばとケティに視線を向ける。

「ではケティ、あなたがおやりなさい」

「え!?」

 呆然と成り行きを見ていたケティが突然の命令に戸惑う。

「大好きな主人の顔に傷があるのもあの男のせいなのよ、憎いでしょう? 陛下がお姉さまに夢中になっているところを、後ろからやっておしまいなさい」


「やめてちょうだい!」


 ケティまで巻き込むなとイリスは声を荒げ、テーブルを掌で強く叩いた。

 それに対し、メアリアも扇でテーブルを叩く。

「あれも嫌これも嫌! お姉様は我が儘過ぎですわ! もうそれなら大人しく王妃になってしまいませ! そして殿下の解放を!」

「嫌よ!」

「自らは何も動かず努力もせず、それで自分は不幸だと嘆いているなんて、おかしいですわ! 本当に嫌ならここから逃げる努力をもっとなされば良いではないですか!」

「この状況でどんな努力をすればここから出られると言うの!?」

 後宮から出られる方法があるのなら教えてほしい。

 嬉しくもない寵愛から逃れ、どこかの成金と結婚できるのなら――。


「ありますよ」


 不意に聞こえた言葉にイリスは目を見開いた。

 振り向くと、無表情のフェルディーナがじっとイリスを見ていた。

「フェルディーナ、どういうことですの?」

 メアリアの問いにフェルディーナは僅かに眉を動かす。

「言葉の通りです。ここから逃げる方法ならあります。イリス様に覚悟があるのならば、お教えいたしますよ」


 逃げる方法が……ある?


 本当なのだろうかと、イリスがまじまじとフェルディーナを見つめる。

 嘘を吐いているような感じはないが、はたしてそれはどんな方法なのか。

「どうされますか?」

 もしかするとここを出て、家に帰れるかもしれないのか。

「ちょっと、なんですの? もったいぶらずに早く教えなさい!」

 メアリアの声を聞きながら、イリスは少しだけ考え、それからぎこちなく頷いた。

 フェルディーナが一歩踏み出しイリスに近づく。

「後宮から外に通じる秘密の地下道があります。その地下道は先々代王から教えられたもので、おそらくですが、陛下はご存じないと思われます」

「地下道……」

 イリスは呟いた。そんなものが後宮内にあると言うのか。

「逃げるなら、陛下が不在の今しかありません」


 逃げる。


 ありったけの金目の物を持って、家族の元へ帰れる。そして――。

 イリスは両手を胸に押し付け、荒い息をする。突如振ってきた幸運に、イリスは興奮した。

 だが――次の瞬間、現実を知る。

「ただし、家族を捨てる勇気は必要ですが」

 イリスはハッとした。

 メアリアが二度軽く頷く。

「まあ、当然ですわよね。ところでその地下道は、殿下が幽閉されている塔には繋がっていないのかしら?」

「繋がっておりません」

「そう……。残念だわ」

 俯いて顎に扇の先を当てるメアリアをぼんやり見ながら、イリスの気持ちは急速に沈んでいった。

 自分が逃げれば家族に害が及ぶと言う基本的なことを、一瞬忘れてしまっていた。

 でも……とイリスは考える。

「ここから出て、家族と合流して急いで遠くへ逃げられれば……」

「イリス様のご家族には監視が付いています。ご自分だけ逃げることを考えてください」

「…………」

 やはり、そう上手くはいかないのか。喜んでしまった自分をイリスは笑った。

「無理ね」

 イリスは家族を愛している。家族を犠牲に自分ひとりが自由になったところで意味など無い。

「はぁ……痛!」

 大きな溜息を吐くイリスの額に何か当たった。

 額を押さえて床へと落ちたものを見ると、それはメアリアの扇だった。

「お姉様、諦めが早すぎますわ」

 顔を上げると、いつに無く真剣な眼差しのメアリアと目が合う。

「せっかく地下道があるのですから、何か良い方法がある筈です。たとえば――」

「たとえば……?」

 どんな方法があるのか。

「お姉様が陛下を暗殺し、城内が混乱している隙にランドルフ殿下を救出して地下道から逃亡するとか」

「……物凄くメアリアにのみ都合が良い方法ね」

「あら、その後ちゃんとお姉様のご家族も救出して差し上げますわ」

 どこからその自信は来るのだろうと、イリスは溜息を吐く。

「何度も言うけど、私は暗殺なんてしないわよ」

「もう! またそんな我が儘を!」

「…………」

 暗殺を嫌がるのは我が儘なのだろうか。

「ではケティ、やっておしまいなさい」

「メアリア! 駄目だって言っているでしょう!」

 イリスの大声にメアリアが顔を顰める。

「本当に自分勝手な女ね。これだけ親身になって考えてあげているというのに! あぁ、腹立たしい。今日はもう帰りますわ。また明日、ごきげんよう!」

 メアリアは立ち上がり、踵を返して部屋から出て行った。


「…………」


 バタンとドアが閉まると、室内が一瞬シンと静まりかえる。

 ケティが「イリス様ぁ……」と小声で言い、フェルディーナが無言で新しいお茶を淹れる準備を始めた。

 イリスは細く息を吐き、目を瞑る。コポコポと、ポットにお湯を注ぐ音が聞きながら、先程のメアリアとのやり取りを頭の中で反芻する。

 何を考えているのだメアリアは。暗殺なんてとんでもない。まず絶対成功しないだろう。それに何より――。


 嫌いでも、暗殺したいほど憎くも無いのに……。


 ただ、迷惑なだけ。

 後宮のみならず、世の中にはもっといい女が大勢いるのに、どうして目を向けようとしないのか。少し……いや、かなりおかしい。

 兄であるジンと同じで一つのことに集中すると、周りが見えなくなるのだろうか。

 イリスとしては、当然逃げられるものなら逃げたいが。

「そういえば……」

 イリスがふと気付き、フェルディーナに訊く。

「女官長は側室だった頃、地下道を使って逃げたいとは思わなかったの?」

 フェルディーナは微笑んで、イリスのカップに新しいお茶を注いだ。


「逃げました」


 さらりと言われ、イリスが驚く。

「逃げたの!?」

 フェルディーナは頷いて、ティーポットを脇に置いた。

「はい。と言っても途中で陛下――先々代王に見つかり連れ戻され、全裸で鎖に繋がれ鞭で打たれ、それから水……」

 突然の思わぬ告白に、イリスがギョッして慌てる。

「い、いえ、女官長、もう結構よ!」

 フェルディーナが眉を上げて首を傾げた。

「そうでございますか? ではその後、祖国がどうなったかだけでもお話しいたしましょうか?」

「え?」

「幼い弟は――」


「それも結構よ!」


 フェルディーナが頭を下げて、イリスから離れる。

 まだ子供だったフェルディーナに、そしてフェルディーナの祖国に何が起こったかは知らないが、ろくでもないことには違いないだろう。

「危険だと分かっている方法を、何故教えるのかしら……」

 イリスの呟きに、フェルディーナが答える。

「ですから私は『覚悟があるのなら』と、ちゃんと言った筈ですが?」

「…………」

 それはそうだが、それにしてもフェルディーナもメアリアも極端ではないか。

 イリスは溜息を吐いて立ち上がり、床に落ちていたメアリアの扇を拾って壁際にある棚の中に片付けた。


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