第42話
「何故……陛下!」
夜会から帰ったイリスは部屋に入るなり一直線にベッドに向かい、そこに倒れこんだ。
「やられたわ。まさかこんなことになるなんて……」
ここまでやるとは、ましてや王太后まで出てくるとは思ってもいなかった。
抵抗する力も勇気も無いのが悔しい。
自分だけではなく愛する父まで巻き込んでしまった。
この先どうなってしまうのか、家族に危害が及ぶのではないか。
次々浮かぶ嫌な想像にシーツを強く握る。
絶対に家族だけは無事でいてほしい。
「イリス様ぁ……」
横に立つ気配。
顔を上げると心配そうに覗き込んでくるケティと目が合った。ぎこちなく笑う。
「もう寝るわ」
「……はい」
ノロノロと身体を起こしたイリスから、ケティとフェルディーナが装飾品を取り除いて豪奢なドレスを脱がした。
「あなた達ももう下がっていいわ」
夜着を着ながらイリスが言ったその時、ノックの音がしてドアが開く。
「陛下……!」
室内からの返事を待つことなく入って来たヴェリオルは、ベッドに座るイリスの姿に軽く口角を上げて足早に近付いた。
顎を引き眉を寄せて自分を見上げるイリスにヴェリオルは微笑む。
「イリス、疲れたか?」
「疲れました。家に帰して下さい」
「……まだ言うのか」
軽く手を振り侍女を下がらせたヴェリオルは、ベッドに腰掛けてイリスの髪を撫でた。
「今日の夜会がどういう意味を成すか分かっているだろう?」
「……分かりたくありません。私の意思は無視ですか?」
「そんなつもりは無い、が、逃がすつもりもない」
「…………」
俯くイリスの頬にヴェリオルの指が触れる。
「俺が嫌いか?」
「いいえ、好きも嫌いもありません。しかし迷惑な存在だとは思っています。他の側室かどこかの国の王女と政略結婚でもしていただければありがたいです」
はっきりした意見にヴェリオルは苦笑した。
「そうか」
「はい」
イリスが顔を上げて真っ直ぐヴェリオルの目を見て、何度も訊いた素朴な疑問をまた口にする。
「何故私なのですか? 顔も身体も良くないのに……」
頬を優しく撫でながら「そうだな……」とヴェリオルは目を細めた。
「お前といると気持ちが和らぐ。飾らない、ありのままの自分が曝け出せるのだ」
「ありのまま……」
それはつまり、夜会前に見てしまった王太后とのあのやり取りのことか。
「出来れば包み隠していただきたいです。目のやり場に困ります」
「――それに、似ている」
「似ている?」
ヴェリオルはブーツを脱いでベッドに上がり、イリスを後ろから抱きしめた。
「覚えているか? 初めて俺がここに来た時のことを」
「はぁ……」
「お前は信じられない程無礼で、テーブルをバンバンと叩きながら怒鳴っていたな」
「確かそんなこともありましたね」
いろいろと衝撃的なことがあり過ぎてあまり覚えてはいませんが、とイリスは心の中で付け足す。
「その時俺は、お前を面白い側室だと思った。少しからかって遊んでやろうと」
「ああそうですか」
「だが……」
ヴェリオルはイリスを膝の上に乗せた。
「いつの間にか俺の心にはお前が住み着いていた。その理由は自分でも最近まで分からなかったが――」
少しだけ抱く腕に力を込める。
「母上にも昔、同じように怒られたことがあった」
「王太后様に?」
何となく嫌な予感がしてイリスは眉を寄せた。
「あぁ、あれはまだ……六歳くらいだったか。兄上の暗殺に失敗した俺を母上は酷く叱った」
「……は? 暗殺?」
ポカンと口を開けるイリスの頬にヴェリオルは自分の頬を触れ合わせる。
「母上はテーブルをバンバンと叩きながら『何故しっかり刺さないの!? こんな好機は二度とないかもしれないのよ!』と俺を怒った」
「…………」
「あぁ、本当に……」
ヴェリオルはうなだれ、イリスの肩に額をのせて低く唸るような声で呟いた。
「何故あの時しっかりとどめをささなかったのか……。もし――そう、もしあの頃に戻れるのなら……、あやつの手足の指を一本一本ゆっくりと斬り落とし、恐怖に歪む顔を見ながら酒でも飲みたいな……。生きたまま心臓を引きちぎり、そして死体は外に吊して鳥の餌にでもしてやろうか……。あぁ、あの頃に戻れたら……」
深い溜息を吐くヴェリオル。
イリスの背筋に悪寒が走る。
「陛下……、怖いので心の闇を見せないでください」
ヴェリオルが顔を上げた。
「え? あぁ」
疲れたように口角を上げ、イリスの頬に口付ける。
「……殿下方と陛下は仲が悪いのですか?」
「王位継承については知っているか?」
「一応は」
エルラグドでは王位継承権はまず正妃が産んだ男子に与えられ、それから側妃の身分に左右される場合もあるが、産まれた順番に継承権が与えられる。
したがって腹違いの兄は複数人いるが、正妃の一人息子であるヴェリオルが王となったのだ
「計画なしに側室にポンポン子供を産ませるから面倒が起こる。俺は王妃にのみ子を産んでもらうつもりだ。だから……」
イリスの耳にヴェリオルが囁く。
「イリス、抱いてもいいか?」
「……『だから』って何ですか? もの凄く嫌な予感がするので駄目です」
一度身体を離し、反対の耳にヴェリオルは囁いた。
「イリス、抱いてもいいか?」
「仕切り直しても嫌なものは嫌です」
「抱くぞ」
「やはり私の意思は無視ですか?」
逃げる身体をガッシリ掴まれ押し倒されて、イリスは溜息を吐く。
「嫌いではないのだろう?」
「好きでもありません。陛下は『関わり合いになりたくない種類の人間』です」
「そういうはっきりとしたところも似てるな」
『誰に?』とはイリスは聞かなかった。
クックッと愉快そうに笑うヴェリオルを見上げ、逃げ道が塞がれつつある事実をひしひしと感じながら、この先どうすればよいのか――しかし考えが浮かばない。
首筋に感じる吐息に眉を寄せ、悪あがきするように唯一動く首を左右に振った。
「イリス、お前は本当にじゃじゃ馬だな。お前を御せるのは俺だけだ」
「それはただの思い込みです」
「口付けをしてくれ」
「この状況で?」
イリスの拘束が解かれる。
強く掴まれ痛む手首を擦りながらヴェリオルに支えられて身体を起こし、イリスはふと疑問に思ったことを口にした。
「ああ、そういえば陛下は今日でおいくつになられたのでしょうか?」
ヴェリオルが軽く目を見開く。
「知らないのか?」
「はぁ……」
イリスの腰を抱き寄せながらヴェリオルは答えた。
「二十七だ」
「二十七……、兄様と同じと――」
途切れた言葉。
不意に、感じる。
何となく――部類はまったく違うのだけど、兄様と陛下は同じニオイがする……。
「イリス」
背中に手を回され、ハッとした。
「何ですか?」
「イリス……」
眉を顰めるヴェリオルの顔を見て、口付けをせがまれていたとイリスは思い出す。
「しなくてはいけないのですか?」
ヴェリオルの口が不機嫌に歪んだ。
その顔はとても成人して久しい大人のものではなくて――。
「誕生日……おめでとうございます」
「あぁ」
イリスはヴェリオルの首に腕を絡め、少しだけ笑った。




