第40話
今日も朝からメアリアはイリスの部屋に居座りお茶を飲んでいる。
イリスとしてはメアリアを部屋の中に入れたくはないのだが、フェルディーナや最近はケティまでもが勝手に招き入れてしまうので、主人である筈のイリス自身にはもうどうにもならない状態であった。
チラリと時計を見ればまだ『五の時』……、あと何時間居座る気なのだろうかとイリスが溜息を吐いた時、メアリアが話し掛けてきた。
「ねえお姉様、今宵の夜会には本当に出席なさいませんの?」
数ヶ月に一度催される夜会へは、普段西棟から出られない側室も、本人が希望し許可が下りれば参加出来る。
当然側室達は皆、許可申請をする――といってもイリスだけは一度も申請も参加もしたことはないが。
更に今日は特別な日、国王であるヴェリオルの誕生日なのだ。
少しでも王の気を引こうと側室達は朝から準備に忙しい。
「ええ」
イリスはまるで欠席が当然であるかのように頷いた。
「陛下はそれで良いとおっしゃられていましたの?」
「陛下? 特に何も」
自らの誕生日の準備に忙しいのか、ヴェリオルとはここ三日程会っていない。
「変ですわね」
メアリアが顎に手を当てる。
「そうかしら?」
「そうですわ。誕生日ですよ、好きな人に祝って貰いたい筈です。大体お姉様も贈り物さえ用意していないなんておかしいですわ」
厳しい表情で言うメアリアにイリスは首を傾げる。
「贈り物って……、今更陛下に欲しい物なんて無いでしょう? だいたい私の家はメアリアさんのところとは違ってあまり裕福では無いの。高価な物は用意出来ないわ。それよりメアリアさんこそ夜会に行ってらっしゃい」
「お姉様が行かないなら行きません。何で私が陛下の誕生日を祝ってやらなくてはならないのですか」
「…………」
イリスがゆっくりとお茶を飲み干し、空になったカップにケティがおかわりを注いだ。
「そういえば……」
ふと気付いたように、メアリアはケティに話し掛ける。
「いつの間にかフェルディーナの姿が見えませんわね」
「ちょっと出掛けるとおっしゃってました」
「出掛ける……?」
メアリアだけでなくイリスも眉を寄せ、首を傾げてケティを見た。
出掛けるとは何処に……?
側室は勿論だが、その侍女も気軽にこの西棟からは出られない。
いくら元女官長と言えどそれは同じ筈なのだが……。
「悪巧みの臭いがしますわ」
メアリアが呟く。
「やめてちょうだい」
「まあ、お姉様ったら」
心底嫌そうな顔をして、イリスは両手でカップを包む。
コロコロと笑いながらメアリアが扇を広げた。
「……その扇も素敵ね」
「あら、そうですか? ありがとうございます」
じっと扇を見つめながらイリスがカップを口元に運んだ時、ノックの音がする。
フェルディーナが帰ってきたのか。
ケティがティーポットを置いてドアに向かい、声を掛けてフェルディーナだと確認し、ノブを握る。
ドアが開きそして――。
「な、何ですの!?」
入ってきたのは大勢の女官。
驚愕するイリスの腕をフェルディーナが掴む。
ティーセットが素早く片付けられ、運び込まれる化粧品、ドレス、宝石の付いた首飾りや髪飾り。
「これはいったい……」
忙しそうに動き回る女官達の姿に呆然とするイリスに、フェルディーナが告げる。
「陛下からの伝言でございます。『今宵の夜会はこれらを身に付けるように』との事です」
イリスは目を見開いて首を細かく振った。
「夜会……? 私は欠席――」
「本日の夜会は側室全員参加するようにとの仰せです」
「そんな……」
衝撃を受けつつも参加しないですむ方法を必死に考えているイリスの耳に、ケティとメアリアの悲鳴のような歓声が聞こえる。
「す、凄いですわイリス様。なんて大きな宝石」
視線を移すと、女官がテーブルの上に拳大の赤い宝石が付いた首飾りを置いたところだった。
メアリアが扇で口元を隠し、首飾りをまじまじと見つめる。
「これは……国宝ではなかったかしら? 王太后様が身に付けてらしたのを見たことがある気がしますわ」
「……え」
王太后――つまりヴェリオルの母親が身に付けていた首飾りで国宝。
イリスの顔が引きつる。
「やっと本気で動き始めましたのね、陛下」
「…………」
帰りたい。
身に迫る危険をビンビンと感じる。
「ではまず湯浴みを致しましょう」
フェルディーナの声にハッとして慌てて抵抗しようとした瞬間に、イリスは複数の女官に身体を拘束された。
「嫌、やめて!」
持ち上げられ、祭りの御輿のようにわっせわっせと浴室に運ばれる。
「イリス様! 皆様乱暴はおやめくだ――」
イリスに駆け寄ろうとしたケティが女官に押さえつけられ、更に叱責されて侍女部屋に引き摺られていき、メアリアが部屋から追い出されれた。
イリスは裸に剥かれて湯の中に放り込まれ、隅々まで石鹸で磨きあげられる。
それが終わると全裸のまままた担ぎ上げられて部屋へと運ばれ、下着と豪奢なドレスを着せられた。
「付け毛を――」
イリスを椅子に無理矢理座らせながら、フェルディーナが指示を出す。
そこまで用意しているのかとすぐ横にいる女官の手元を見れば、どこか見覚えのある色ツヤの髪。
黄金に輝く長い髪に首を傾げるイリスに、フェルディーナが爆弾発言をする。
「陛下の御髪でございます」
「え……!?」
そんな筈は……言われてみれば確かによく似ているが、ヴェリオルの髪はこんなに長くはないではないか。
イリスの疑問を察し、フェルディーナが口角を上げる。
「陛下は少年時代、それは見事な長髪でございました。成人を期にバッサリお切りになってしまわれましたが、今回は大切に保管してあったこの御髪を是非イリス様にと――」
「要りません!」
イリスが叫ぶ。
「ご自分の髪を付け毛になんて……陛下は何を考えておられるの!? 怨念が籠もってそうなので嫌です!」
「イリス様の髪とはお色目が少々違いますが、二色の髪というのもこれはこれでよい感じですね。時間があまりないので早く付けてしまいましょう」
「女官長!」
暴れるイリスを押さえつつ、女官達は手際よくヴェリオルの髪をイリスに付けていく。
「そういえば陛下が、『これで常に一緒にいられるな』と微笑んで――」
「やめて!」
「『一つになった姿を早く見てみたい』とも――」
「嫌! 言わないで!」
フェルディーナからもたらされる余計な情報に震えながら、イリスはヴェリオルの髪を付けられて複雑に結い上げれ、爪もピカピカに磨かれ顔に化粧を施され、最後に宝飾品を付けられる。
そうして暴れ疲れてぐったりとなったイリスにフェルディーナが手鏡を見せた。
「え……?」
ポカンと口を開け、イリスが自分の頬を触る。
そこにある筈の傷が消えていた。
「どうして……。凄いわ」
呟くイリスの姿を満足げに見つめる女官達。
どうやらこの女官達はとても高度な技術を持っているようだ。
「さあ、行きましょう」
「嫌です」
反射的に答えたイリスをフェルディーナと女官が立たせて引き摺る。
「待って! 嫌、行きたくないわ!」
イリスが叫んだちょうどその時ーー。
侍女部屋から女官と共にケティが出てきた。
そのケティの姿にイリスはまたもポカンと口を開ける。
「ケティ……?」
前々から美しいとは思っていたが、これ程までにケティは美しかったのか。
いつも着ているイリスのお古ではなく、立派なドレスを身に付け化粧を施したケティは、まるでどこかの貴族の令嬢のようだ。
「イリス様ぁ、こんなに素敵なドレスを戴いてしまいました」
フェルディーナが満足げに頷く。
「いいでしょう。イリス様の侍女として恥ずかしくない格好です。後は馬鹿だとバレないように。誰とも話をしてはいけませんよ」
唖然としているイリスをフェルディーナと女官は一気に廊下へと出し、ケティが戸惑いながらその後に続いた。
西棟と主棟を繋ぐ回廊への出入口、その前まで行くと、メアリアを含む側室達が女官と騎士に囲まれて立っていて、現れたイリスの姿を見て目を見開く。
フェルディーナは当然のようにイリスを一番前に連れて行き、メアリアが他の側室を押しのけてちゃっかりイリスの隣に立った。
「お姉様、凄いですわ。傷が消えて……、それに鼻も少し高く見えていつもより数段マシな顔です」
マシ……。
「メアリアさんは正直ね」
「ありがとうございます」
先頭に立つ騎士が歩きだし、周りに押されるかたちでイリスも歩きだした。
そのイリスの周りは複数の女官と騎士によりガードされ、侍女を連れているのもイリスだけのようだ。
背中に感じる複数の殺気に溜息を吐きながら歩いていくと、途中でフェルディーナが「こちらです」とイリスとケティを他の側室達と別方向へと導く。
「え、ちょ、何処へ……」
「あら、私は駄目ですの? 仕方ありませんわね。お姉様、また後程お会いしましょう」
扇を振るメアリアに見送られ、背中を押されて連れて来られたのは一つのドアの前。
「もの凄く嫌な予感がするので部屋に帰っていいかしら?」
イリスの言葉を完全に無視してフェルディーナがドアをノックし開ける。
「イリス!」
予想通りそこにいたのはヴェリオルだった、が、それだけではなかった。
駆け寄ってきたヴェリオルにふわりと優しく抱擁されながら、その肩越しに見える人物にイリスの目は釘付けになる。
血のように赤い唇と赤く長い爪――。
そこには『魔女』がいた。




