「護衛の騎士」
見回りの騎士が背中を向けて去っていくのを、いつものように扉番の騎士は見送った。
今日も何事もなく終われるか……。
夕食の時間以降に側室が部屋から出ることはまずない。
扉番の騎士自身もあと数時間で交代、緩みそうな気を引き締めて前を見つめる。
じっと扉の前に立ち続け――だがしかし、扉番の騎士は異変に気付く。
建物内を見回る騎士は二人。
先程とは別の見回り騎士がそろそろ戻って来る筈なのだが、その気配がない。
扉番の騎士は、外にいる騎士に声をかけた。
「見回りが戻って来ない。様子を見に行く」
その時、急ぎ気味な足音が聞こえ、見回りの騎士が向かって来るのが見えた。
扉番の騎士の前まで来た見回りの騎士は、眉を寄せて小さな声で告げる。
「あの側室と侍女が周囲を気にしながら部屋の外に出た。庭園に向かったようだが、少々様子がおかしい」
騎士達は視線を交わし、それぞれ動き出す。
「ネルが尾行している」
ネルとはもう一人の見回り騎士の名だ。
「イリス・アードン様の無事は確認したか?」
「いや、まだだ。だが部屋から出てはいない筈だが」
確認をしていないのか。
扉番の騎士は内心舌打ちして歩を速めた。
広い後宮、注意すべき側室と守るべき側室――。
文句を言える立場ではないと分かっていて敢えて言えば、それを限られた人数で見張るのは無理がある。
何がどうなっているのかという情報さえ与えられていない状況では尚更だ。
「私はイリス様を――」
扉番の騎士が言い掛けたその時、ハッと騎士達は顔を見合せた。
大きな音と――悲鳴。
騎士達は走る。
廊下に響く錯乱したように叫ぶ女の声。
部屋の中に居た侍女や側室が何事かと顔を出した。
「イリス様が……!」
目の前に現れたイリス・アードンの侍女が震えながら図書室を指差す。
騎士達は中に駆け込み――絶句した。
何故こんなことに……!
だが後悔も反省も後にすべきだとは分かっている。
応援を呼び、倒れた本棚を退かす。
流れる血と折れ曲がった手足。
だがイリス・アードンは意識を保っていた。
「気をしっかり持ってください!」
声を掛けた直後、扉番の騎士は目を見開く。
血塗れの顔、ゆっくりと上がる視線――。
笑った……。
この状況で笑う精神力に、扉番の騎士の心は震える程驚愕し、また不謹慎にも感動を覚えた。
何としても助けなければならない。
医師が駆け付ける迄の間、扉番の騎士は必死にイリス・アードンを励まし続けた。
扉番の騎士――いや、元扉番の騎士ユインはイリスの専属護衛となった。
あの『事故』のあった夜、ユインは処罰を覚悟で騎士団長と王に直訴した。
『イリス・アードン様に専属の護衛を付けてください』
ユインの訴えをヴェリオルは聞き入れ、更にはその専属護衛にユインを任命したのだった。
イリスの護衛となり、ユインは改めて思う。
イリス様は不思議な魅力のあるお方だ――と。
あれだけイリスを敵対視していた王妃候補が味方に付いた。
懐妊説はデマだったが、王にとってイリスが特別な存在であるのは、今回のことでよりはっきりとした。
そしてあの側室のことも……。
単純な手に引っ掛かった。だが、もう二度と失敗はしない。
後は……そう。
陛下がいつ動くのか――。
その時、イリスの部屋の中から聞こえる足音。
ドアが静かに開き、ヴェリオルが出てくる。
敬礼するユインを一瞥することもなくヴェリオルは歩きだし、侍女部屋から姿を現したフェルディーナが頭を下げてそれを見送った。
「忙しくなる――かもしれませんね」
フェルディーナ呟くように言い、口角を上げて部屋の中へと戻る。
耳をすませばその侍女部屋から、微かに聞こえる啜り泣きと叱る声。
「私がこれだけ教えてるというのに、いつその暴走癖は直るのですか。いいですか、敵と味方の判断を的確にしなさい」
「はい」
「ではメアリアさんは敵と味方どちらですか?」
「味方……、でございますか?」
「違います。彼女は『利用出来る存在』です。上手く使っていきましょう」
「はい」
味方ではないのかとユインは眉を寄せる。
後宮は恐ろしいところだ。
騙し合い傷つけ合い……頂点を目指す。
そんな中で染まらない珍しい側室もいる――。
必ず守るとユインは固く心に誓い、今日もイリスの部屋の前に立っていた。