第35話
「陛下……」
メアリアの目から涙がはらはらと流れる。
「私、陛下を愛しています」
「まあ! 良かったですね陛下。こんなに可愛い方に愛してもらえて」
「ずっとお側に居たい……。私では駄目ですか?」
「そんな事ありませんですわよね」
「イリスさんは怪我で陛下のお相手を出来ないと心を痛めておられるようですし、せめて今宵は私が陛下の欲望を満たして差し上げたいのです」
「今宵だけではなくこの先ずっと満たしてもらえば良いですわ」
「どうか恋する憐れな側室にご慈悲を……!」
「こんなに可愛いメアリアさんのお願いが聞けないというのですか? いいえ、お優しい陛下がか弱い側室の訴えを無視するなどあり得ませんわよね」
言葉を挟む隙さえ与えぬイリスとメアリアに、ヴェリオルが引きつる。
「王妃になれなければ、もう生きている価値も無いとおっしゃるのですよ。可哀想なメアリアさん」
「小さな頃から陛下の隣に立つ事を夢見ておりました」
「お二人が並んだ姿はなんて絵になるのでしょう。さあ、メアリアさんを連れて早く行ってください。そしてお二方とももう私を巻き込まないでください」
イリスが軽く頭を下げて話を締めくくる。
ヴェリオルはギュッと目を瞑り大きく息を吸った。
「お前は……! 何を考えているのだ!」
右手で髪を掻き毟り、苛ついた視線をイリスに向ける。
「陛下にはメアリアさんと幸せになってもらいたいと考えております」
「違うだろう!」
何が違うのかと眉を寄せるイリスから、ヴェリオルはメアリアへと視線を移す。
「メアリア、そなたもふざけた真似をするな」
厳しい眼差しを向けられたメアリアは、目を見開いて小さく首を振った。
「そんな……! 私は真剣です」
「ほお……?」
ヴェリオルが右手を腰に当て、口角を上げて笑う。
「余を愛していると?」
「はい」
「恋人がいるのにか?」
メアリアの表情が一瞬固まり、しかしすぐに微笑み首を傾げた。
ヴェリオルが鼻を鳴らす。
「え!? 恋人?」
イリスは驚きの声を上げ、メアリアを凝視した。
後宮の側室、しかも王妃候補であるメアリアに恋人がいるというのか。
しかし先程メアリアは陛下を愛していると言ったではないか。
混乱するイリスの目の前で、メアリアが唇に指を当てる。
「何の事でございますか?」
「下手な演技はやめろ。余が知らぬとでも思っているのか? 相手はランドルフだろう」
「……陛下は何か勘違いなさっているのではないでしょうか?」
上目遣いをするメアリアをヴェリオルは睨み付けた。
イリスはそんな二人を交互に見て、後ろを振り向きそこに立っているケティに訊く。
「『ランドルフ』ってまさかあの?」
「ええと……」
ケティは首を傾げて横に立つフェルディーナを見た。
「さあ? どうでしょうか」
フェルディーナも首を傾げたのでイリスは再び前を向く。
ヴェリオルが髪を掻き上げ冷酷に笑った。
「そうか。ランドルフがメアリアという女に会いたいと泣いていたが、お前ではなかったか」
「………」
「では仕方ない。アレには別の女を用意してやるか」
メアリアの身体がビクリと動く。
「それとも……」
ヴェリオルが目を眇め、メアリアが拳を握った。
隣に立つイリスにも分かる程メアリアの身体は震え、その顔は蒼白になっている。
緊迫した時間が流れる。
繰り返される浅い呼吸。
やがてメアリアは、ゆっくりと口を開いた。
「……卑怯ですわ」
ヴェリオルが片眉を上げる。
「何の罪もないあの方を幽閉しておきながら、更に苦しみを与えると言うのですか?」
「罪があるから幽閉しているのだろう」
からかうような口調に、メアリアが声を荒げる。
「殿下は何も知らなかったのですわ! すべてはあの女がやった事、それなのにどうして殿下がその罪を背負わなければならないのですか!」
二人の会話から、イリスは自分の予想が当たっていた事を知った。
王弟ランドルフ――。
ヴェリオルの異母弟だが、母親の身分が低いため王位継承権は無い。
それを嘆いたランドルフの母親が、逆恨みからヴェリオルを毒殺しようとして失敗、追い詰められた母親は毒を煽り自害した。
そして『共犯』であるランドルフは王城の北にある塔に幽閉されたのだ。
イリスが側室になる一年程前の有名な事件である。
「それがどうした?」
「……!」
メアリアが手を振り上げる。
その手首をヴェリオルは易々と掴んだ。
ギリギリと締め付けられ痛みと怒りに歪むメアリアの顔を笑い、ヴェリオルは視線をイリスに向ける。
「イリス、コレをどうする?」
「え……?」
呆然と成り行きを見ていたイリスは、急に話を振られて戸惑った。
ヴェリオルがもう一度問う。
「どうする?」
「どうすると言われましても……」
イリスは眉を顰め、渋々口を開いた。
「何だか話がよく分からない方向へ行ったので、関わり合いになりたくありません」
「…………」
ヴェリオルが溜息を吐く。
この状況でその答えなのか。
イリスらしいといえばそうだが……。
「もう良い」
突き飛ばすように、ヴェリオルはメアリアから手を離した。
よろめきながらも自分を睨み付けるメアリアに軽く手を振る。
「行け」
俯いて唇を噛みしめ、メアリアは部屋を飛び出した。
「…………」
イリスが脱力して額に手を当てる。
「何なのですか? これは」
「それはこっちの台詞だ!」
元はと言えば、誰のせいなのか。
ヴェリオルはイリスの顎を掴んで無理矢理視線を合わせた。
「よくもまあ堂々と他の女を勧めてくれたな。――女官長も」
チラリとヴェリオルがフェルディーナを見る。
「何の為にイリスに付いている」
フェルディーナはピクリとも表情を変化させず、淡々と答えた。
「もう女官長ではありません」
「…………」
ヴェリオルが溜息を吐いてイリスを抱き上げる。
「お前達ももう良い。下がれ」
侍女二人は頭を下げて部屋から出て行った。
ヴェリオルはイリスをベッドに下ろし、ドレスを脱がせて夜着に着替えさせる。
そしてイリスの短い髪を撫でて互いの額を合わせた
「よりによってメアリアと結託しようとするとは。もう少し考えろ」
「はあ……」
イリスが首を傾げて曖昧に返事し、疑問に思っていた事を訊く。
「メアリアさんはランドルフ殿下と恋仲なのですか?」
「まあ、そうだな」
「……王妃候補なのに?」
ああ、とヴェリオルはイリスから額を離した。
「それは単なる噂だ。俺は一度もメアリアが王妃候補だと言った覚えはない」
「え? そうでございました?」
「元々あの女はランドルフにくれてやるつもりで後宮に入れたのだ。王位継承権を持たず、しかも犯罪者と一位貴族の娘では結婚は難しいからな。いったん俺の側室にして、時期が来たら適当に理由を付けて下げ渡し、離宮でひっそり暮らせるようにしてやるつもりだったのだが……あの女は性格に問題がある。考え直した方が良さそうだな」
ヴェリオルは溜息を吐いて片膝を立てる。
話を頭の中で整理し、イリスが首を傾げた。
「それにしても陛下、事情は何となく分かりましたが、弟殿下の恋人と知っていてお相手をさせたのですか? それはあまりに酷ではございませんか」
「いや、抱いていない」
首を振るヴェリオルの顔をイリスが覗き込む。
「あら、そうだったのですか」
しかし目が合った瞬間、ヴェリオルはスッと視線を逸らした。
「…………」
「…………」
「……まあ、いいですけど」
咳払いをしてヴェリオルが身体を横たえる。
「寝るぞ」
「はぁ……。そうですね」
イリスも横になり、二人は静かに眠りについた。