第34話
散歩を日課にし始めてから、イリスの身体は驚異的なスピードで回復し、日常生活には支障が無い程にまでなった。
頭と顔の傷は跡が残っているが、これはもう仕方がないとイリスは諦めていた。
「陛下、今までありがとうございました。私はもう大丈夫です」
ドレスの裾を摘み膝を曲げて挨拶をするイリスに、ヴェリオルは眉を寄せる。
「何のつもりだ?いいから早く夜着に着替えろ」
政務を早く切り上げて来たというのに……と言いながらヴェリオルはイリスを抱えてベッドに下ろした。
「陛下、一人で歩けます」
「だからなんだ?」
ヴェリオルはイリスのドレスを脱がせて夜着を着せる。
「着替えも一人で出来ますわ」
「だからなんだ?」
イリスは苛ついた表情でヴェリオルの胸を押した。
「もう! 何なのですか陛下は!」
ヴェリオルは溜息を吐きながらイリスの頬を撫でる。
「まだ怒っているのか。落ち込んだり怒ったり、最近言動が安定していないが大丈夫なのか?」
「陛下に言われたくありません!」
「仕方ないだろう。護衛は必要だし女官長は復職を拒否している。ちなみにお前を帰すつもりもないぞ」
自分を睨み付けるイリスをヴェリオルは腕の中に閉じ込めた。
「お前には人を惹き付ける魅力があるのだろう。女官長もだが、ユインという騎士も自ら志願してお前の護衛になったのだからな」
イリスが「え!?」と驚きヴェリオルを見上げる。
「どうして……」
「だからお前にはそういう魅力があるのだ。人を惹き付ける……な」
惹き付けているつもりもないし、惹き付けたくもない。
ケティ以外は必要も感じない。
「何とかならないのかしら……」
「慣れろ」
イリスの呟きはヴェリオルに一刀両断された。
せめてこれ以上面倒な人物が寄って来ないように、と一番面倒な人物の胸に顔を埋めながらイリスは思った。
イリス一行は、いつもより遅い夕暮れ時に庭園へと行った。
夕食前、側室は部屋に戻らなくてはいけない時間ギリギリだけあり、イリス達以外の姿は無い。
煩わしい視線を気にせずイリスは思う存分花を愛でながら歩く。
「こんなにゆっくり散歩するのは久し振りね」
「そうでございますねぇ」
いつも必要以上に警戒しているケティも落ち着いていた。
「これからは毎日この時間に散歩しようかしら」
イリスは他の側室が居ない状況をいたく気に入り、顔に笑みを浮かべる。
ところが――、そこにバタバタと一人の侍女が駆けてきた。
よく見るとそれはメアリアの侍女で、何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回している。
「あら?どうしたのかしら?」
イリスがじっと見ていると、その侍女もイリスに気付き、あからさまに眉を顰めて立ち去った。
「何なのかしら?」
「捜し物をされているようでございましたねぇ」
「そうね」
立ち去ったという事はここに目的の物は無かったのだろう。
どちらにしろ自分には関係ないようだとイリスは歩を進める。
そうして庭園の端まで行き、お腹が空いたからそろそろ戻ろうかと思った時――。
「う……、うぅ……」
何処からか微かに呻き声のようなものが聞こえた。
イリスが眉を寄せてケティに話し掛ける。
「変な声が聞こえるけど……」
「こ、今度こそ霊現象でございますかねぇ」
後宮に住まう側室達の怨念が襲ってくるのかと恐怖に震えながらも身構えるケティにフェルディーナが冷たい言葉を投げ掛ける。
「そんな馬鹿な事はあり得ません。風の音です。さあ、帰りましょう」
「そうね」
苦笑しながらケティの背中を軽く叩いて踵を返そうとしたイリスは、しかしふと見た花壇の中に蹲る人影を発見してしまった。
「あれ……」
ユインがイリスの視線を遮るように立つ。
三人の騎士が交替で警護をするという話だったが、実際にイリスに付いているのはユインが主で、他の二人はどちらかといえば補助的役割をしているようであると最近になってイリスは知った。
ユインは剣の柄を握り、人影に向かって身構える。
「何者か!」
イリスの横でフェルディーナが溜息を吐いた。
「見なかった事にして帰れば良いものを……」
フェルディーナの呟きは、まるで人影が誰なのか知っているようだ。
「イリス様、相手をする必要はありません。行きましょう」
フェルディーナがイリスを促した時、人影が振り向いた。
「あれは……」
夕日に映し出された美しい金の巻き毛――、メアリアだ。
何故こんな所に一人で居るのか……。
眉を寄せて首を傾げるイリスにメアリアは叫んだ。
「何よ! あなた達、私を笑いに来たの!?」
「……え。いきなり何なの……?」
意味が分からず唖然とするイリスの腕をケティが引っ張る。
「危険ですイリス様! 早くお部屋へ」
フェルディーナも頷いてイリスの背を押した。
「そうですね。ケティさんイリス様をお部屋へ」
侍女達に引き摺られるようにして歩き出すイリス。
メアリアはそんなイリス目がけて土を投げつけた。
ユインが庇うように動くが、土はそこまでは届かず地面にバラバラと落ちる。
「何よ! あなたなんか美人でもないくせに!」
「は……あ」
メアリアの目からポロポロと涙が零れ、そこでようやく先程の呻き声が霊現象ではなくメアリアの泣き声だとイリスは気付いた。
「私は、私は……!」
突然、メアリアはイリスに向かって走り、止めようとしたユインの手前で倒れこむ。
そして泣きじゃくりながら訴えた。
「王妃候補である私ではなく、どうして陛下はあなたの元にばかり通うの?私はこんなに陛下を愛しているのに……!」
「え……?そんな事言われても……」
イリスが眉を寄せる。
むしろ王妃候補のメアリアにこそ頑張ってほしいのに、訊かれても困る。
「私がどんなに辛い想いをしているかあなたには分からな――ちょおっとお待ちなさい!!」
侍女二人に引き摺られていくイリスをメアリアが呼び止める。
「か弱き乙女の涙の訴えを無視するなんて、イリスさん、あなた最低よ!」
「イリス様、相手にするだけ無駄です」
「侍女の分際で口出しするんじゃありませんわよ!」
フェルディーナを怒鳴りつけ、メアリアは立ち上がりイリスに近付こうとする、が、あっさりユインに捕まった。
「私はイリスさんに話があるのよ!離しなさい!イリスさんもボケッとしてないで何とか言いなさい!」
そうは言われても、状況がまったく把握出来ないイリスはどうすれば良いのか分からず戸惑うしかない。
「つまり、メアリアさんは何が言いたいの?」
イリスに質問され、メアリアは暴れるのをやめる。
そして涙に濡れる瞳でイリスを見据えた。
「つまり――」
「という事で、今宵はこのメアリアさんが陛下のお相手をする事に決定いたしました」
イリスの隣でメアリアが優雅に頭を下げる。
「何が『という事で』だ!!」
ヴェリオルの怒声が部屋に響いた。