第33話
鋼鉄薬のおかげかは分からないが、イリスの身体は順調に回復していた。
髪も少し伸び、まるで鳥の雛のようだ。
医者からそろそろベッドから降りて無理しない程度なら歩いても良いと許可が下りたので、侍女二人に支えられてイリスは久し振りに立ち上がった。
「あ……」
思っていたより足に力が入らない。
これ程までに弱るものなのかと驚きながらもイリスは侍女の肩を強く掴み、一歩一歩足を進める。
そうして少しずつ練習し、数日後イリスはゆっくりとだが一人で歩けるようになった。
「外を散歩してみたいわ」
ずっと部屋の中に居たので、外の空気を吸いたいという気持ちが強かった。
「では行きましょうか。少々お待ちください」
フェルディーナがイリスを椅子に座らせドアを内側からノックする。
何をしているのかと不思議に思いながらイリスが見つめているとドアが開いた。
「え……?」
入って来たのは三人の女騎士。
歳は二十代後半から三十代くらいだろうか。
女騎士達は驚くイリスに敬礼をし、最初に入って来た肩に掛かるくらいの茶髪の騎士が代表して話し始めた。
「イリス様の警護を担当しておりますユインと申します。こちらはトウミとキリです。私達が交替でイリス様の警護をしております。宜しくお願い致します」
「……しております?」
イリスが首を傾げる。
「はい」
「いつから?」
「イリス様が怪我をなされた日からです」
「…………」
知らぬ間に、そしていくら危険な目に遭ったといっても一側室でしかない筈の自分に騎士の警護が付いていた事にイリスは衝撃を受けた。
「必要――」
「あります」
イリスの言葉をフェルディーナが遮る。
「既に二度も命の危険にさらされているのですよ。その犯人も捕えておりませんし、対応が遅いと陛下にお怒りになられても良いぐらいです」
「そうですそうです」
「ケティまで……。でも……」
戸惑いながら騎士の顔を見上げ、イリスはふと気付いた。
「あら? あなたあの時の……」
ユインと名乗った騎士は、図書室で本棚からイリスを救出し、意識を保てとうるさく言ってきた騎士だった。
「覚えてくださっていたのですね」
ユインは一瞬嬉しそうに微笑み、すぐに元通り顔を引き締める。
「ええ……まぁ……」
鬱陶しかったからとはとても言えず、イリスは曖昧に微笑んだ。
「どちらに行かれますか?」
「て、庭園に」
「お供致します」
「え。結構です」
断られたユインは顎を引き力強く言い切った。
「お供致します」
「…………」
どうやら拒否権はないようだ。
イリスは仕方なく、侍女二人と女騎士一人を引き連れて庭園へと行った。
落ち着かない……。
イリスはブラブラと花壇の間を歩きながら溜息を吐いた。
せっかく外に出たというのにこの騎士と元女官長の組み合わせ、警戒しているつもりなのかキョロキョロと周囲を見回すケティに解放感は半減だ。
おまけに他の側室達からの視線が煩わしい。
「疲れる……」
思わず漏らした言葉にケティが素早く反応した。
「え!? それはいけません! そこにある椅子にお座りください」
「……ありがとう、ケティ」
肉体的には疲れていないが、勧められるまま椅子に座る。
「あなた達も座ったら?」
「まあ、お優しい。お気持ちだけありがたく頂戴致します」
「いえ! イリス様油断大敵です!」
「そんな……。騎士の自分がイリス様と同席など畏れ多い」
一斉に断られ、イリスの頬が引きつる。
特に『畏れ多い』とは何なのかと頭を抱えたい気分でいると、更に頭の痛い事に側室の団体様がイリスを睨みながら近付いて来た。
「ごきげんよう、イリスさん。騎士など連れて、さすが陛下の寵愛を得ているだけありますわね」
寵愛……。やはりそう見られるのか。
答える気にもなれず、イリスは深く息を吐く。
「何ですの? その男のような頭。顔も傷があるのでしょう? 醜い顔がますます醜くなりましたわね」
側室達がイリスの顔のガーゼを見ながらクスクスと笑った。
では美しいあなた達が頑張って陛下を籠絡すれば良いのに……とイリスは心の中で呟く。
面倒なので相手にしないでおこうと心に決めた――その瞬間、イリスの前に立ちはだかる影。
「ケティ!」
諫める言葉は間に合わなかった。
「イリス様は醜くなどありません! 普通より愛嬌のあるお顔なだけです! 心がケダモノなあなた達より顔が微妙なイリス様の方が余程マシです!!」
イリスが溜息を吐く。
側室達に噛みつかんばかりのケティの腕をフェルディーナが掴んだ。
「おやめなさい、ケティさん。あなた方も」
「女官長をクビになったくせに偉そうに」
鼻で笑う側室達。
ユインが一歩踏み出しそんな側室達を見回した。
「陛下に報告しなければならないですか?」
「…………!」
側室達がギリギリと唇を噛む。
ユインとイリスを激しく睨み付け、側室達は去って行った。
ヴェリオルの名を出された事は多少気になるが、騒ぎがおさまったので取り敢えずイリスはホッとする。
すべての争いは自分とケティを抜きでやってほしい、そして誰か陛下の心を射止めてと改めて思いながら視線を移すと、ケティがフェルディーナに詰め寄っていた。
「フェルディーナ様、どうして!」
フェルディーナが静かに首を振り微笑む。
「まだ暴走癖が治らないのですか?イリス様の前で争い事などいけませんよ。イリス様、あまり無理は出来ませんし、そろそろ部屋に戻りましょう」
膨れっ面のケティを無視し、フェルディーナはイリスを支えて立たせる。
「ケティ、戻りましょう」
「……はい」
イリスはそっと溜息を吐き歩き始める。
騎士と侍女に守られて、イリスは部屋へと戻った。
数日後、イリス一行は庭園で先日の側室達と偶然会った。
また何か言われるのかと眉を寄せるイリスだったが、予想外に側室達は近付いて来ない。
いや、それどころか怯えたような目でイリスを見つめている。
「ご、ごきげんよう……」
側室の一人がうわずった声でイリスに挨拶をすると、フェルディーナとケティがスッと前に出た。
「ヒイィ……!」
悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げる側室達。
「……え?」
呆然とするイリスの目の前で、フェルディーナとケティが会話する。
「これが『後宮での戦い方・中級編』です。覚えましたか?」
「はい!」
「では次は上級編を勉強しましょう」
「はい! お願いします!」
「…………」
あの側室達があれだけ怯えるなど、いったい何をやったのだろうか。
「フェルディーナ殿は凄いですね。敵の内側を粉砕するとは、さすが女官長をされていただけある」
ユインが感心したように頷きながらイリスに言う。
「内側……」
精神に打撃を与えたのか。
「これで少し不安が軽減されましたね」
むしろ不安要素が増えた気がする。
あのように怯えていては、ヴェリオルを誘惑する事も出来ないだろう。
「もうどうせなら陛下の内側も粉砕してくれれば良いのに……」
イリスが思わず呟き、ユインが目を見開いて振り向く。
「…………」
「…………」
ユインはじっとイリスを見た後、堅い表情で口を開いた。
「……いいえ。自分は何も聞いてはおりません」
王に忠誠を誓っている騎士の目の前で失言だったとほんの少しだけ後悔しつつ、イリスは溜息を吐く。
「そう。ありがとう」
何となくだが、このユインという騎士はフェルディーナやケティと同じ雰囲気を持っているとイリスは思う。
周りが勝手に色々と動いている事実にうんざりしながらイリスは青空を見上げ、ただただ自由になりたいと願った。