第32話
クッションを背にしてベッドに座るイリスは、深く息を吐いて手元にある宝石を弄ぶ。
蝋燭のあかりに照らされ、宝石がキラキラと光った。
お金があっても自由がなくては何もならない。
髪が長かった頃の癖で頭に手をやると、少しだけ伸びた毛のザラザラとした感触がした。
こうして座れるまで身体は回復した。
痛みも弱くなり、医者は回復の早さに驚いていた。
あともう少し我慢すれば動けるようにもなるだろう。
だが……。
手からこぼれた宝石が脇に置いてあった金の延べ棒に当たる。
宝石も金の延べ棒も指輪も髪飾りもドレスも外国のお菓子も、何を見ても心が躍らない。
それより家に帰りたかった。帰って家族に会いたかった。
最近イリスは急速に芽生えた純粋に家族を恋しく思う気持ちに戸惑っていた。
「イリス様、そろそろおやすみになられますか?」
訊きながらもフェルディーナは金の延べ棒と宝石を棚に片付ける。
「ええ、そうね」
ケティがイリスの身体を支えてベッドに寝かせようとした時、ノックの音がしてヴェリオルが部屋に入ってきた。
ヴェリオルは手に箱を持っている。
最早習慣のようになっている、イリスへの贈り物だろう。
軽く手を振り侍女を下がらせ、ヴェリオルはイリスの頬に口付ける。
「今日は良い物を持ってきたぞ」
箱を渡されるのかと思いきや、ヴェリオルは胸の内ポケットから封筒を取り出しイリスに差し出した。
「これは……」
「開けてみろ」
言われてイリスが片手で封を開ける。
中には数枚の便箋が入っていた。
「あ……!」
便箋には見慣れた筆跡。
久し振りの父からの手紙には、イリスの身を案じる言葉が細かな文字でびっしりと書かれていた。
「お父様……」
潤む瞳で便箋を一枚捲ると、今度は母からの手紙だった。
「お母様……」
そして最後には兄からの手紙。
『空飛ぶ馬車で迎えに行く』
「……兄様」
たった一言書かれた手紙にイリスは呆れ、口元には笑みが浮かぶ。
「やっと笑ったか」
顔を上げるとホッとした表情のヴェリオルがイリスの頭を撫でた。
「やっと……?」
不思議そうに首を傾げるイリスにヴェリオルは目を細める。
「気付いていなかったのか?ここ数日、酷い顔をしていたのだぞ」
「……ええ。私は酷い顔ですわ」
眉を顰めるイリスにヴェリオルが慌てる。
「そういう意味ではない! 表情が暗くなっていたのだ。侍女も心配していたぞ」
「それは陛下の所為でございましょう? 私の顔を見るのがお嫌なら、ここに来なければよいではありませんか」
「……お前は」
まあ良いと呟き、ヴェリオルはベッドに腰掛けイリスの手に握られた手紙を覗き込んだ。
「ところで、その『空飛ぶ馬車』とは何だ?」
「さぁ? その名の通り馬車が空を飛ぶのでは?」
ヴェリオルがポカンと口を開く。
「そんなわけがないだろう。馬に翼でも生えて飛ぶというのか?」
「私に訊かれても困ります。兄の話では空飛ぶ馬車が完成すれば、この中央大陸のエルラグド国から海を越えたスバリア国まで僅か数刻で行き来が出来るようになるらしいですわ」
イリスの話にヴェリオルは驚いた。
「スバリア国まで数刻? 船で幾日も掛かるのだぞ。それが数刻?」
「ですから私に訊かれても困ります。更に兄は、いずれあの空に瞬く星に行くらしいですわ」
「どうやって?」
「ビュンと飛ぶらしいです」
「ビュン……」
星に行くなど、そんな話は聞いた事がない。
「お前の兄は妄想癖があるのか?」
「さあ、よく分かりません」
「…………」
ヴェリオルは理解不能というように首を振り、持っていた箱を自ら開けた。
「分からないと言えばこれもだが……」
取り出された物を見たイリスが目を見開く。
「それは……鋼鉄の身体になる薬ではないですか! 要りません、捨てて下さい!」
以前より明るい緑色になった怪しい薬に不穏な気配を感じる。
眉を寄せるイリスに、しかしヴェリオルは困ったようにその頬を撫でた。
「実はこの薬――鋼鉄薬・改だったな、の成分を調べさせたのだが……薬学者共に言わせれば『色々とあり得ない』らしいのだ。栄養価の高い薬であり、絶妙な配分で毒も混ぜられ、その上学者達でさえ見た事もないモノが入っているらしい。新発見の宝庫だと言っていたな」
「そんな事はどうでも良いです。早く捨ててください」
「しかもこれを怪我をした動物に飲ませたら、通常より早く元気になったらしいぞ」
「だからどうしたのですか」
プイと横を向いたイリスをヴェリオルは抱きしめる。
「少しだけ飲んでみろ。俺はお前に早く元気になってもらいたい」
「元気になったらあの露出の多い夜着を着せて口ではとても言えないような事をするのでしょう。いやらしい」
「……何故そういうふうに捉える」
溜息を吐いてヴェリオルは薬瓶の栓を開け、イリスの口にあてがった。
「…………」
ヴェリオルをじっと見ながらイリスが仕方なく薬を少しだけ口に含む。
懐かしい苦い味。
吐き気を堪え、無理矢理嚥下する。
ヴェリオルはイリスが飲んだ事を確認してから瓶に栓をしてサイドテーブルに置いた。
「残りは明日飲め」
「ええ!?」
「国王命令だ」
こんな事にわざわざ国王命令まで出すのか。
「兄様……どうしてこんな薬を作ったのですか」
「学者共はお前の兄に興味津々らしいがな。先程の空飛ぶ馬車の話が本当なら研究に必要な費用を出してやっても良いかもしれん。さあ、もう寝ろ」
ヴェリオルがイリスをそっと寝かせた。
「兄様にお金を出してくださるのですか?」
イリスがヴェリオルの服を掴む。
「国にとって有益ならそれも可能だろう。あまり知られてはいないが色々と研究している施設があるから、そこにお前の兄を推薦してやっても良いが?」
「…………!」
イリスが目を見開く。
貧乏故に学校にもまともに通えず、かといって働かず、怪しい研究ばかりしている兄にぴったりの場所があるというのか。
「給金は出るのですか?」
「勿論だ。役立つものを発見、発明した者には報償金も出るぞ」
「是非、是非兄を推薦してください!」
縋るイリスの頬にヴェリオルは口付ける。
「ああ、分かった。お前の兄がそこで研究出来るようにしよう。さあもう寝るぞ」
ヴェリオルが寝転び、イリスは左手を胸に置き目を閉じた。
あの兄様が働く――。
これで少しは家計も助かるだろう。
胸に熱いものが込み上げる。
「あとは陛下がここに来なくなり家に帰れれば良いのだけど……。もう少し頑張って陛下を誘惑しようという根性のある側室はいないのかしら?」
「……イリス、心の声が口から漏れているぞ」
ヴェリオルは溜息を吐いてイリスの口を手で覆った。