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第29話

 イリスが幼い頃、アードン家は裕福だった。

 といってもイリス自身も殆ど覚えがない程昔の事だ。

 おかしくなり始めたのは祖父が病気になり父が跡を継いでから。

 そしてイリスが十歳の時に祖父が亡くなり、アードン家は急速に傾いた。

 お金が無くなり借金が増えるに従い、使用人の数も一人二人と減っていった。

 最後に残ったのはケティとその家族のみ。

 どんな状況でも常に明るいケティは、イリスの侍女である前に友人であり妹のような存在であった。

 後宮からの迎えが来た時、ケティは『私も一緒に行きます』と言って制止を振り切り馬車に乗り込んだ。

 ヴェリオルからも他の側室からも注目される事無く、それでも心の何処かで不安を感じながら過ごした二年間も、うっかりでは済まされないミスの所為でヴェリオルに会ってしまい、他の側室からの嫌がらせを受け大怪我までした現在も、イリスが頑張ってこられたのはケティの存在があったからだ。

 しかし、イリスは今迷っている。

 少しだけ顔を左に向けると、くたびれたドレスを着たケティがサイドテーブルの上をノロノロと片付けている姿が見える。

 時々、他国からの献上品のドレスが側室に配られる事がある。

 そのドレスの一着をイリスがケティに贈り、ケティはそれを地味に見えるように手直しして大事に着ていた。

 これからもずっと一緒に居たい。

 そして一緒に家に帰りたい。

 だが、この状態のケティをこのままここに置いておいて良いのだろうか。


 帰した方が良いのかもしれない。


 ケティだけでも家に帰れるように、ヴェリオルに頼んでみようか。

 まだ十八歳、若く美しいケティなら良い嫁ぎ先も見つかるかもしれない。

 ここを出て誰か優しい人と一緒になれれば――。

 そうイリスが考えていると、ノックの音が聞こえた。

 ケティが振り向いてイリスを見る。

「誰かしら? 確認してみて」

 今回の事件で、二人は警戒する大切さを覚えた。

 ケティは頷き、ドアに近付いて外の人物と話して戻って来た。

「女官長様のようです」

「え!?」

 ケティの報告を受けたイリスが驚く。

 昨夜のヴェリオルの言動から、女官長は解雇もしくは処罰されてしまったのではないかと思っていたのだ。

「通してちょうだい」

 命じながらホッと胸を撫で下ろす。

 ドアまで行ったケティが鍵を開けた。

 そして細くドアを開けて確認しているようだが、何故かなかなか中に入れようとしない。

 イリスが限界まで頭を持ち上げて声を掛ける。

「ケティ?」

 振り向いたケティが戸惑いの表情を浮かべながら一歩後ろに下がった。

 ドアが大きく開き、見えた姿。

「え?」

 女官の制服ではなく、ドレスを着て両手に大きな鞄を持った女官長が、深々と頭を下げた。





 ベッドの横に置かれた椅子に座り、女官長は再び頭を下げた。

「図書室の棚のネジが緩んでいたのに気付かず、このような大怪我をさせてしまい申し訳ございませんでした」

 イリスが小さく首を振る。

「いいえ、それより……」

「もっとはっきり危険を知らせるべきでした」

 女官長は目を伏せて手を強く握りしめる。

 何と言って良いのかイリスには分からない。

 今考えると、『女官長』という立場のものが側室にあのような助言をしてはいけなかったのかもしれない。

 それでも危険を知らせてくれたのに、活かす事が出来なかった。

「女官長……」

 顔を上げた女官長が、苦笑する。

「もう女官長ではありません」


 まさか、やはり……。


 目を見開くイリスに女官長は頷く。

「辞職致しました」

「……辞めさせられたのね。私の所為で」

「いいえ。当然の責任を取っただけでございます」

「…………」

 女官長が自分の所為で職を失った。

 イリスは左手でシーツをギュッと掴み、視線を彷徨わせた。

「そんな顔をしないで下さい」

「私――」

 数回深く呼吸をして気持ちを落ち着かせ、イリスが真っ直ぐに女官長を見る。

「陛下にお願いしてみます。もう一度女官長に戻れるように」

 しかし女官長は首を横に振った。

「いいえ。良いのです」

「でも――」

「良いのです」

 女官長が微笑みながらイリスの頭に手を添えてそっと枕に戻す。

「幸い次の職も見付かりました事ですし」

「……そう」

 職が見付かったなら、まだ良かった。

 しかし長く後宮に居た者が、外の世界でやっていけるのだろうか。

「はい」

 女官長が立ち上がる。

「女官長?」

 大きな鞄を両手に持ち、女官長は歩き始める。

 帰るのだろうか。挨拶も無しに?

 訝しげに見るイリスの視線を気にする事無く、女官長はケティの部屋へと向かう。

 そしてケティの部屋のドアを開け、鞄を中に放り込んだ。

「……あの、何を?」

 謎の行動をポカンと口を開けて見るイリスに、女官長はあっさりと言う。

「荷物を片付けております」

 それは分かっている。

「どうしてそこに?」

 ベッド脇まで戻りながら、女官長はニッコリと笑った。

「アードン様は優しい方でございますね。私のような者を雇って下さるなんて」

「……え?」

「行く宛てもなく途方に暮れる私に、アードン様だけが手を差し伸べて下さいました」

 手を差し伸べて? それは……。

 首を傾げるイリスに、女官長は姿勢を正して綺麗なお辞儀をした。


「これからはイリス様の侍女として、精一杯努めさせていただきます。宜しくお願い致します」


「……は?」

 頭を上げた女官長は、唖然とするイリスから視線をゆっくりと左に移す。

「さて、それではまず……」

 壁ぎわで呆然としていたケティが、女官長の鋭い視線を受けてビクリと震えた。

「ケティさんと少しお話をさせていただきます」

 カツカツと靴音を響かせてケティに近付く女官長。

「私、侍女という仕事は初めてなので、色々教えていただけますか?」

 丁寧に言いつつも、ケティの腕を掴んで引き摺るように隣の部屋へと連れて行く。

「では、少々失礼させていただきます。何かあれば呼んで下さい」

「あ……! 待って女官――」

 ケティを部屋の中に押し込め、女官長は静かにドアを閉めた。


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