第23話
「……ねぇケティ、この食事は何かの間違いではないかしら」
テーブルの上にズラリと並んだ料理を見て、イリスは唖然とした。
今までもイリスの実家とは比べものにならないくらい豪華な食事が出ていたが、今朝は更に豪華な内容となっていた。
「これ、チェルルの実よね」
イリスは皿の上の赤くて丸い果実を指先で摘んだ。
エルラグド国から遠く離れた国でしか採れない果物が、しかも加工品ではなく生の状態で皿に山盛りになっている。
この一皿でイリスの実家の数ヶ月分の生活費と同額である。
「はぁ。女官長様がおっしゃるには、陛下が病気のイリス様に栄養をつけて欲しいと料理人に特別な食事を用意させたとか……」
「栄養って……、病み上がりにこんなに沢山食べろと言うのかしら」
イリスはチェルルの実を皿に戻し、スプーンを手に持った。
「ケティも一緒に食べましょう」
「はい。ありがとうございます」
ケティが椅子に座るのを待って、イリスはスプーンでスープを掬い一口飲んだ。
そしてケティはフォークで目の前にあった料理を口に入れる。
「…………」
「…………」
二人の動きが止まった。
「な、なんでございましょう、これ。この美味しさは!」
ケティが目を見開き、目の前の料理をもう一度口に運ぶ。
「トロトロでございます。肉ではなく……魚? いえ、しかし魚でもないような……」
イリスは行儀悪くスープをかき混ぜ、中に入っているものを確認した。
「具はいつもと変わらないと思うのだけど……他の料理もかしら?」
フォークに持ちかえて他の料理も次々に口に運び、イリスは驚愕する。
あきらかにいつもと味が違う。
二人は大騒ぎしながら食べ進め、気が付けばすべての料理が綺麗に無くなっていた。
「美味しゅうございましたねぇ」
「本当に。こんな料理を用意して下さるなんて、初めて陛下に感謝したいわ」
満ち足りた表情でイリスがまったりとしていると、ケティが「あっ!」と声を上げて立ち上がった。
「そういえば、女官長様から茶葉もいただきました」
ケティはテーブルの上を片付け、貰った茶葉でお茶を淹れた。
そのお茶を飲んだ二人が再び固まる。
「……なんて美味しいの」
「イリス様、私怖いです。こんな美味しいお茶と料理を食べたら、もういつもの食事では満足出来ないかもしれません」
イリスはお茶をじっと見て唸り、そして首を横に振った。
「駄目よ。あまり贅沢に慣れ過ぎたら、家に帰った時に辛い思いをするわ」
「……そうでございますねぇ」
二人はイリスの実家の貧相な食事を思い出し、暗い気持ちになった。
「食器を厨房に返しに行ってきます。イリス様はベッドでお休みになられますか?」
「そうね。まだ少し怠いから」
お茶を飲み干すと、ケティは食器をワゴンに載せて厨房に向かう。
一方イリスはベッドの中に潜り込んで深く息を吐いた。
「お金があれば、お父様もお母様も兄様も、こんな食事を毎日食べられるのね」
早く帰ってお金持ちと結婚したい。
イリスは目を閉じ、家族の顔を思い浮かべた。
目を開けると、ベッドの脇に座ってケティが本を読んでいた。
「ケティ……」
イリスの声に気付いたケティが顔を上げ微笑む。
「目が覚めましたか?」
ケティは立ち上がり椅子の上に本を置いて、起き上がろうとするイリスの背に手を添えた。
「あぁ、いつの間にか眠っていたのね」
目を擦るイリスに、ケティが水を差し出す。
「どれくらい眠っていたのかしら?」
「ほんの少しだけです。まだ『十の時』ですから」
イリスは水を受け取り半分飲んでケティに返した。
「何を読んでいたの?」
イリスに訊かれ、ケティが椅子の上の本を手に取り見せる。
「『テラン戦記』です」
「……好きね、そういう話」
ケティは激しい戦闘が書かれた物語が好きなのだ。
「このドキドキハラハラする感じが堪らないのです。向かってくる敵を次々倒す騎士様が素敵です。こんな方に私も守られてみたいです」
ケティが胸に本を抱えてうっとりとした時、ノックの音がして女官長が部屋に入ってきた。
「失礼致します」
女官長は一礼してドアの鍵を掛け、イリスの傍までやってくる。
「イリス様、お加減はいかがでしょうか?」
「ええ、まだ少し怠いけど、大丈夫よ。ありがとう」
「それはようございました。では少しお話してもよろしいですか?」
「え? ええ」
イリスがケティに目配せして、ケティが女官長に椅子を勧める。
女官長は軽く頭を下げて椅子に座った。
「今朝のお食事はイリス様のお口に合いましたでしょうか」
「ええ。とても美味しかったわ。陛下にお礼を言っておいてくださらない?」
「はい、分かりました。陛下もお喜びになられることでしょう。――ところで」
女官長がイリスの目を見つめながら、少し身を乗り出す。
「イリス様はお身体が大変丈夫なようですね。こんなに早く回復するなどあり得ないと医者が驚いておりました。そこでなのですが、実は私、最近疲れが溜まり易く困っておりまして……。特別な健康法があれば教えていただきたいのです」
「は? 健康法……?」
「はい」
イリスは首を傾げて考える。が、健康法と言われても特に何をしている訳でもないし、教えてあげられる事もない。
「特に何もしていないのだけど……」
その時、ケティが女官長の後ろからイリスに声を掛けた。
「イリス様、丈夫なのはアレのおかげではないですか? ジン様特製の」
ケティに言われ、イリスが「あぁ」と苦笑する。
「アレ? でもあんな怪しい物……関係無いのではないかしら」
「いえ、でも意外にも効いていた可能性がありますよ」
女官長はイリスとケティを交互に見て首を傾げた。
「アレとはなんですか?」
「『鋼鉄の身体作戦』です」
ケティの言葉に女官長が眉を寄せる。
「鋼鉄の身体……?」
イリスは笑いながら難しい表情をしている女官長に頷いた。
「私の家はあまり裕福ではないから、病気になっても医者に診てもらう為のお金がないの。そこで兄が『病気にならなければ良い』と野山から色々な草やキノコや虫を採取し、それで薬を作って私達に無理矢理飲ませて……」
「あれは辛かったでございますねぇ」
ケティは薬の味を思い出し、ハンカチでそっと目尻を押さえた。
「兄が言うには、何を食べても平気な丈夫な胃と病気に負けない身体を作る薬だそうで、名付けて『鋼鉄の身体作戦』だそうです。それを幼い頃から後宮に上がるまでずっと飲ませられてきました」
「……お兄様は薬学者でございますか?」
女官長の質問にイリスは首を傾げる。
「さぁ……? ケティ知っていて?」
ケティもイリスと同じように首を傾げる。
「何か色々と研究しておられましたけど、よく知りません」
「そうねぇ。私が後宮に入る直前には『空飛ぶ馬車を作る』と言っていたけど……そんなもの出来る訳ないわよねぇ」
「本当に。馬車がどうやって飛ぶと言うのか」
イリスとケティはクスクスと笑い、そんな二人をじっと見ながら女官長は何か考えるように顎に手を当てた。
「あぁ、お兄様の事を思い出したら笑いが止まらなくなるわね」
ひとしきり笑ったイリスが女官長に視線を移す。
「女官長……?」
女官長は姿勢をただし、イリスに頭を下げた。
「分かりました。ありがとうございます。イリス様の身体が丈夫なのはお兄様のおかげなのですね」
「さあ? アレが本当に効いたとは思えないけれど」
苦笑するイリスに女官長が微笑む。
「イリス様は少々変わったご家庭でお育ちになられたのですね」
「そうねぇ。お兄様はそんな感じだしお父様はどうしようもないしお母様は遠くを見つめてばかりだし……でも愛しているわ」
貧乏な生活も、愛があるからこそ頑張ってこられた。
それだけは間違いない。
「…………」
女官長の顔から笑顔が消える。
「女官長?」
急に堅い表情になった女官長にイリスが首を傾げた。
「どうされました? 女官長様」
女官長が突然、立ち上がる。
「お帰りでございますか?」
イリスとケティの言葉に答える事無く女官長は壁に向かって歩き、二人に背を向けた状態で立ち止まった。
「イリス様、ケティさん」
「はい……?」
「はあ、なんでございますか?」
女官長はスゥ……と息を吸い、壁に向かって宣言した。
「私は今から独り言を言います」
「え……?」
「は……?」
二人はポカンと口を開けて顔を見合わせた。