第22話
イリスの部屋に入ったヴェリオルは、異変を感じ眉を寄せた。
まだそれ程遅い時間ではないのにベッドに寝ているイリス。
そのうえベッドの脇に置かれたテーブルには桶と布。
「イリス、どうした?」
ヴェリオルの言葉に、ドアを閉めて立ち去ろうとしていた女官長の動きが止まる。
早足にイリスの傍らに行き、ヴェリオルはケティを押し退けてベッドに腰掛けた。
女官長も部屋に入ってベッドから少し離れた場所に立つ。
「具合が悪いのか?」
ヴェリオルの手がイリスの額に触れる。
「はぁ……まあ、昨夜から少々体調を崩しておりまして……」
「女官長、医者を呼べ」
「はい」
女官長が頭を下げて出て行こうとしたので、イリスは慌てて引き止めた。
「いえ、もう診てもらいました」
「診てもらった……?」
ヴェリオルが女官長の方を振り向くと、女官長は厳しい表情で頭を深くさげた。
「申し訳ありません。私の元にも報告がありませんでした」
「…………」
ヴェリオルはイリスに視線を戻して、その髪を手で梳く。
「それで、医者は何と言っていた」
「風邪と……」
「風邪?」
イリスが頷く。
「はい。嘔吐が酷く、胃腸風邪だと言われました」
「……他の症状は?」
「熱と眩暈がありました」
ヴェリオルの顔からスッと表情が消える。
「…………」
無言で髪を梳き続けるヴェリオル。その視線はイリスを見ているようで見ていない。
そんなヴェリオルの顔を見つめ、イリスが思わず呟いた。
「陛下は、色々な顔をお持ちなのですね」
軽く目を見開いて、手が止まる。
「……ほぉ?」
イリスと目が合ったヴェリオルは、ニヤリと笑った。
「興味があるか?」
「いいえ。深く知りたいとは思いません。というより上辺だけの付き合いも出来れば遠慮したいです」
「……お前なぁ」
フッと息を吐き、ヴェリオルはイリスの頬に手を添える。
「他に何か変わった事はあったか?」
「陛下がここにいらっしゃってから変わった事だらけです。平穏無事な生活を返して下さい。いえ、それより家に帰していただけませんか?」
「それは駄目だが……もう大丈夫なのか?」
イリスはガックリとしながら、ぶっきらぼうに答えた。
「ええ。薬もいただきましたから」
「……薬はどこにある?」
イリスの視線を追いテーブルの上に置いてある薬を見付けたヴェリオルが、女官長をチラリと見てまたイリスに視線を戻す。
女官長が静かにテーブルに近付き、薬の袋を手に持った。
「ゆっくり休め」
立ち上がり微笑んでイリスの頬に口付けたヴェリオルは、踵を返して女官長を伴い帰って行った。
「…………」
「…………」
イリスとケティは顔を見合わせる。
「陛下……、いつもの数倍様子がおかしかったわね」
「女官長様、薬を持って行ってしまわれました」
イリスはギュッと目を瞑り、首を振る。
「何だか分からないけれど、何となく関わり合いになってはいけない気がするわ。見なかった事にしましょう」
「はい。イリス様」
二人は先程あった事は忘れ、先日読んだ本の内容などをポツポツと話ながらその後を過ごした。
そしてそろそろ寝ようかと思った時、またもやノックの音が聞こえた。
「え……。まさかまた陛下なのかしら」
イリスが顔を顰めてドアを見ると、返事もしていないのに勝手にドアが開き、女官長が部屋に入ってきた。
しかも、女官長は一人ではなかった。
その後ろにゾロゾロと付いて来たのは白衣を着た三人の女。
驚くイリスとケティの目の前で、女官長は深々と頭を下げた。
「診察をいたします」
女性の医者達がイリスを取り囲み、ある者は聴診器を当て、ある者は血を抜き、目や喉を覗きこんだり脛を押したり爪をじっと見たりした。
「あの……、女官長これは?」
「診察です。陛下が大変心配されて、もう一度詳しく診るように、この者達に指示されたのです」
「はぁ……」
そうなのか……、あぁ、そういえば。
イリスは自分の目を覗きこんでいる医者に訊く。
「夜中に私を診てくれた医者は居ないのですね」
医者達が一斉にビクッと身体を震わせる。
「……え?」
過剰な反応に驚きながら目の前の医者を見ると、医者は視線を逸らして俯いた。
「彼女は――」
「どうですか? イリス様の容体は」
女官長が会話に割り込み、医者がまたもやビクッと震える。
「え……あ、やはり風邪のようです」
「そうですか。よく効くお薬を用意して下さい」
「は、はい」
医者は鞄から袋を取り出し、イリスに渡す。
「…………」
イリスが受け取ると、診察が終わったのか、医者達がイリスから離れた。
「ではイリス様、おやすみなさいませ」
女官長は頭を下げ、医者達を伴って部屋から出て行った。
「…………」
「…………」
イリスとケティは顔を見合わせる。
「……関わり合いになってはいけない気がするわ」
「……そうでございますねぇ」
深く考える事を拒否し、イリスは端に移動して掛け布をかぶる。
「おやすみ、ケティ」
「おやすみなさいませ、イリス様」
部屋に灯るランプの明かりを小さくし、ケティはイリスの横に寝る。
今夜は念のため、一緒に眠る事にしたのだ。
「気分がすぐれない時は、すぐに起こして下さい」
「ありがとう、ケティ」
イリスは微笑んで目を閉じた。