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第21話

「風邪です」


 若い女の医者はイリスの胸に軽く聴診器を当て、あっさりとそう言った。

「……え?」

「風邪です」

 戸惑うケティにもう一度言い、医者は鞄から小さな袋を取り出す。

「薬です。食後お飲み下さい」

 薄く目を開けて荒い息を繰り返すイリス、その枕元に袋を置いて帰ろうとする医者を、ケティは慌てて引き止めた。

「お待ち下さい! 本当に風邪なのですか、これが。熱が高いし嘔吐も酷い。意識も朦朧としているではありませんか。何か大きな病気ではないのですか?」

 医者は振り向き、不快感を顕にしてケティに告げた。

「嘔吐は胃腸風邪だから。意識が朦朧としているのは熱と脱水症状からです。水分を沢山摂って安静にしていれば治ります。私は医者ですよ、間違いありません。ではお大事に」

「あ!ちょっとお待ち――」

 医者は頭を下げ、もう振り向く事無く部屋から出て行く。

「…………」

 ドアを見つめ唇を噛み締めていると、その手に何かが触れた。

 弾かれたように振り向いたケティの目に映ったものは、ベッドの中から手を伸ばして懸命に笑おうとしているイリスの姿だった。

「イリス様!」

「大丈……夫。少し楽になった……から」

 無理をしている事はあきらかで、痛々しい笑顔に零れそうな涙を堪え、ケティはイリスの手をベッドの中に戻した。

「お水、飲めますか?」

 訊きながら、ベッド脇に持ってきていたテーブルの上から水の入ったグラスを手に取る。

「あり……がとう」

 ケティはイリスの身体を少しだけ起こし、グラスを唇に当てて水を喉に流し込んだ。

 それを二口程飲んだところでイリスが首を振る。

「…………」

 ケティはイリスの身体をそっとベッドに戻し、グラスを置いて桶から布を取り出し絞った。

 熱い額に布を当てると、イリスは目を瞑った。





 眠ったり起きたり、そして嘔吐するイリスの背中をケティは擦った。

 朝になり、もう胃の中には吐くものが無いというのに、吐き気はまだ止まらない。

 再び眠りに入るイリスの額に手を触れ、ケティは桶を持つ。

 夜中に厨房で分けてもらった氷はすっかり溶けてしまった。

「新しい氷を貰ってきます」

 眠るイリスに小さな声で告げ、出来るだけ静かに歩きドアに向かう。

 そしてそっとドアを開け……ケティは固まった。

 そこに、いつものように獣の生首が置かれていたからだ。


「こんな時に……!」


 ケティは桶を足下に置いて生首を鷲掴みすると、窓際まで行き、渾身の力を込めて生首を投げた。

 毎日の楽しみだった飛距離を見る事無くドアへと戻り、桶を持って部屋から出て行く。

 長い廊下を歩き厨房に着くと、忙しく働いていた女料理人達がケティの顔を見たとたん、顔を背けてスッと奥へと移動しようとした。

「この桶に氷をいっぱい下さい」

 一番近くに居た者を捕まえ、ケティは桶を渡す。

「……はい」

 酒を盗まれたあの日以降、厨房の料理人達はケティを苦手としていた。

 ほんの少し厨房を無人にしてしまったが為に高級酒を何本も持っていかれ、酔ったケティに絡まれ、挙げ句女官長に管理がなっていないとお叱りをうけたのだ。


 あの侍女に関わると、ろくな事がない。


 料理人達はそう囁き、出来るだけ接触を避けるようにしていた。

 運悪く桶を渡された者は、仕方なく食材を冷やす為の大きな氷を砕きケティに渡す。

「ありがとう」

「いえ……」

 ケティは桶を持って足早に部屋へと戻り、イリスの額の布を氷水で冷やした布と交換した。

「イリス様、早く良くなって下さい」

 祈るような気持ちでケティはイリスの手を握りしめる。

 その後もケティは食事も摂らずに必死にイリスの看病をし、そのおかげか昼には嘔吐が止み、夕方には熱が下がった。

 そして夜には身体を起こして会話が出来るまで回復したのだった。


「はぁ……、苦しかった」


 擦れた声で言い、ホッと息を吐いてイリスはグラスの水を飲んだ。

「一時はどうなるかと思いました。良かったです」

 イリスはまだ重い腕を持ち上げ自分の髪に触り、眉を顰める。

「髪も身体もベタベタで気持ち悪いし、何だか臭う気がするわ」

「服は着替えましたけど、顔や髪は汚れを布で拭いただけでございますからねぇ。湯浴みなさいますか?」

「そうね」

 よろめくイリスの身体をケティが支えて軽く湯を浴び、更にシーツも清潔な物に取り替えて、サッパリとしたベッドにイリスは戻った。

「あぁ、湯浴みをしたらお腹が空いてきたわ」

「スープがございますよ」

 テーブルの上に置いてあったスープをケティはイリスに渡す。

 一口飲むと、ぬるくはなっていたが身体に染み渡るような感じがして、イリスの顔に笑みが浮かんだ。

 半分程度飲むとケティにスープを渡し、疲れたのかイリスは身体を横たえる。

「それにしても……。丈夫さだけが取り柄だったのに、どうして風邪なんてひいたのかしら」

 首を傾げるイリスに、ケティは顎に手を当て答えた。

「ただの風邪だったとは思えません。やはり、心労ではないでしょうか」

「心労……」

「最近色々ありましたから」

 イリスは『色々あった事』を思い出し、暗い気持ちで溜息を吐いた。

「そうねぇ。でもそれならば、原因を取り除かない限り良くはならないわね」

「そうでございますねぇ。でもどうやって取り除きましょう」

 イリスとケティが同時に唸った時――。


 トントントン。


 ノックの音がして、噂の『心労の原因』が現れた。


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