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「後宮の料理人」

「今すぐに料理人全員を集めなさい」


 女官長の突然の言葉に、厨房にいた料理人達は困惑した。

 あきらかに怒っているが、怒られる覚えなどない。

 短い休憩時間が終わり、そろそろ夕食の下ごしらえをしようかと思っていた矢先の出来事だった。

 まだ休憩室にいた料理人をすべて厨房に集め、女官長は目尻を吊り上げる。

「食品の管理を徹底しろと言っていませんでしたか?」

 手を抜いた覚えなどない。

 視線を交わす料理人達に女官長は珍しく苛々した様子を見せた。

「クーリュカンティの在庫を確認しなさい」

 女官長が言ったのは式典等特別な日に出す高級酒の銘柄である。

 料理長が戸惑いながら保管してある鍵付きの棚を見るが、特に変わりない。

「早くなさい」

 仕方なく鍵を開けて酒を数本取り出して、そこで料理長はピタリと動きを止めた。


 あきらかに足りない。


 棚の奥まで酒が規則正しく並んでいた筈なのに、隙間が見える。

 まさか、鍵は掛かっていた。今確かに鍵を開けた。それなのにどうして……。

「足りないのですね」

「……はい」

 女官長は溜息を吐いて料理人達を見回す。

「ある側室の部屋にありました。侍女がこちらから持って行ったようですが誰か……が渡したのではないですね。では、どうして酒を持って行かれたのですか? まさかとは思いますが、厨房を無人にしたのではないですか」

 その時、「あ!」と声を上げた料理人と、もう一人蒼白になっている料理人がいた。

 皆の視線がその二人に集まる。

 料理人は真っ青になって、震えながら途切れ途切れに告白した。

「ふ、腹痛で御……手洗いに行っていました……」

「私はゴミを外に出して……」

「他の料理人は何をしていたのです」

「休憩室に……」

 つまりは休憩時間に厨房の番を任されていた者がゴミを外にだしたり御手洗いに行っていた隙に、酒を盗まれたのだろう。

「何故手洗いやゴミ出しに行くなら代わりを頼まなかったのですか?あなた方は後宮の厨房がどれだけ重要な場所であるかを分かっていないようですね。万が一これが酒ではなく別の物であったらどうなりますか――」

 料理人達は冷や汗を流しながら女官長の長い説教を頭を垂れてただひたすら聞いた。





 やっと解放された料理人達は、無言で側室達の夕食の準備に取り掛かった。

 今回の事は自分達が悪いとしか言い様がない。

 厨房の番を任されていた料理人は、可哀想な程落ち込んでいた。

 それにしても、いったいどの侍女が酒を持って行ったというのだろうと料理人達が思っていたその時――。


「お酒ー! 下さい」


 ベロベロに酔った侍女が厨房に現れた。

「…………」

「…………」

「…………」

 料理人達は確信した。この侍女が犯人だと。

 しかし、この侍女は料理人達の中でも評判の良い侍女であった。

 料理に一々注文をつけたり主人の口に合わないと文句を言う侍女達が多いなか、この侍女は『美味しかったですわ』と微笑んで食器を返却する料理人にとっては嬉しい存在だったのだ。

「お酒下さい。沢山」

 まさかこの侍女が何故……。

 そういえば、この侍女の主人は少し前まで王が足繁く通っていた側室ではなかったか。

 王妃候補が後宮に入って捨てられたという噂の。

 料理長が前に進み出て、侍女に向かって言った。

「クーリュカンティを持って行かれたのはあなたですか?」

「クーククカ……?」

「あの鍵付きの棚にあったお酒です」

「あ……」

 突然、侍女は床にうつ伏せに寝転ぶ。

 そして驚く料理人達にわめき始めた。


「ごーめんなさいー! 持ってっちゃいました。でもねえ、女官長様が好きにしていいって言ったんですのー!vだからお酒下さいー! 普通のお酒でいいので下さいー!」


「…………」

 酒乱なのか。

 料理人達は呆然とした。

 侍女は床の上で泳ぐように手足をばたつかせている。

「女官長様が飲んでいいって言ったから早く下さい」

 料理長が隣にいた料理人に囁いた。

「確認をしてきて」

 料理人が厨房から出て行き、そしてすぐに戻ってくる。

「女官長様は今後宮にいらっしゃらないようで……。普通のお酒を数本渡してはどうかと女官方に言われました」

 少し考え、料理長はいつも夕食時に出している酒を三本取り出しまだ床に寝そべっている侍女の前に置いた。

「足りないでございます」

「…………」

 料理長は溜息を吐き周りの者に命じた。

「料理用の酒を持って来て」

 料理用とは言え、庶民が飲む酒よりは高価な物である。

 舌の肥えた者に出せば叱られるだろうが、この侍女ならば大丈夫だろうと料理長は考えた。

 運ばれた酒を見た侍女は嬉しそうに笑い、ふらつきながら立ち上がった。

「一緒に飲みませんか?」

 侍女に笑顔を向けられた料理人が「え!?」と驚き慌てて首を横に振る。

「じゃああなたは?」

 侍女は次々に声を掛け、料理人の腕を引っ張ったり背中を叩いたりして絡んでくる。

 一通り声を掛けると、侍女は残念そうに溜息を吐いた。

「仕方ないでございますねえ。あ、それ運んで下さいますか?」

 料理人達はホッとし、酒瓶を持って侍女の後に付いて行った。





「あなた方は私の名を出されたら、何でも言う事をきくのですか?」


 並んだ料理人達が頭を垂れて女官長の説教を聞いていた。

「もう少し考えて行動していただかない事には困ります。特に料理長、あなたは責任ある立場にあるのですから軽率な行動は――」

 きっとあの侍女は鬱憤が積もっていたのだろう。酔わなくてはやってられないくらいに……。

 王に見向きされなくなった側室の侍女であるというのは少々同情もするが、だが今後あまりかかわり合いにはなりたくない。

 料理人達はそっと溜息を吐いた。


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