第17話
目を見開き振り向いた二人を、同じように目を見開いて見ている人物――。
「なにを……されているのですか?」
女官長は眉を寄せ、イリスを見つめた。
なかなか返事をしない上にバタバタと走り回る音がするのを不審に思いドアを開けたのだが、これはいったいどういう事なのか。
「その腕の物は、なんですか?」
訊きながらも女官長は分かっていた。
部屋に広がる香りは間違いなく酒のもの。
それも、ごくたまにしか口にする事が出来ない高級酒の。
「ええと、これは……」
女官長がつかつかとイリスに歩み寄り、ケティがおろおろとして「イリス様ぁ」と小さな声で言った。
「どうしてこれが、イリス様のお部屋にあるのですか?」
「それは……」
女官長の厳しい表情に、最早言い逃れ出来ないとイリスは悟った。
「見逃して下さい!」
「イリス様!」
女官長は珍しくイラついた様子で、溜息を吐いてこめかみを押さえる。
「あなたという方は、どうしてまたこんな……」
「違うのです! これをここに持って来たのは私です!」
慌てて言ったケティをチラリと見て、女官長は益々深く溜息を吐いた。
「主従揃って……」
首を振ってギュッと目を瞑り数秒、気を取り直すように顔を上げて、女官長はイリスを真っ直ぐ見た。
やはり処罰の話をされるのだろうか、とイリスとケティは緊張してゴクリと唾を飲み込む。
しかし、女官長の口から出たのは予想もしない言葉だった。
「ところで、なにか不満はありませんか?」
「は?」
「へ?」
イリスとケティが顔を見合わせる。
同じような言葉をつい最近聞いたような気がするが……。
「不満です。今なら特・別・に・陛・下・が・イリス様のお願いを聞いて下さるそうです」
「願い……?」
その力強い言い方はいったい何なのか。
「遠慮無く、遠慮無くおっしゃって下さい」
何故またもや『遠慮無く』を二回言うのだろう。
いや、それより……願いを聞く?何だかよく分からないがそれならば。
イリスはギュッと拳を握りしめた。
「私達の罪を許し、尚且つこのお酒をください! と陛下にお伝え下さい!」
「…………」
「女官長?」
「………」
女官長の身体がフラリと傾く。
「女官長様!」
ケティが抱えていた瓶を素早く且つ丁寧に床に置き、倒れかけた女官長を支えた。
「しっかりして。さあ、そこにお座りになって」
イリスも床に瓶を置いて女官長を支え、ふらつく身体をベッドに座らせた。
「大丈夫でごさいますか? 女官長様はやはり働きすぎではないでしょうか」
「そうねぇ。たまには休暇を取ったらどうかしら?」
「…………」
女官長がうなだれ頭を抱える。
「まあ、頭が痛いのね」
「医者を呼びましょうか」
女官長は何かを耐えるように深く呼吸を繰り返し、顔を上げた。
「いえ、結構です」
「そう? 無理はしない方がいいわ」
「大丈夫です」
「あ!」
ケティがパンッと手を叩く。
「では私、マッサージを致します」
「いえ――」
「それはいいわね」
ケティは靴を脱ぎ捨ててベッドの上に乗り、女官長の肩を揉み始めた。
「ですから……」
「ああ! 女官長様凄く凝っています」
「それは大変。よく解してあげてちょうだい」
「はい。女官長様うつ伏せに寝て下さい」
抵抗する女官長を「そう遠慮なさらず」と強引に寝かせ、ケティは全身を揉んでいく。
「どうですか?」
「気持ちよいでしょう?」
「…………」
女官長はもう答えるのにも抵抗するのにも疲れ、ぐったりと力を抜いた。
「『女官長』というのは大変な仕事でございますねぇ」
「こんなに疲れ果てるまで休み無く働かせるなんて、陛下も酷な方ね」
「…………」
「そうでございますねぇ。畏れながら、女性に対する気遣いが少々足りないような気がします」
「本当に。畏れながら、少々自己中心的な部分がおありになるような気がするわ」
「…………」
「あら? 女官長様って意外と色っぽい身体をしてますのね。胸が豊かで腰が細く、お尻は少し大きめで。揉みがいがありますわぁ」
「まあ、そうなの? でもケティ、お尻はそんなに揉む必要は無いのではなくて?」
「…………」
そして一通り全身揉み解され、ケティの「終わりです」という声が聞こえると、女官長はノロノロと身体を起こした。
「楽になりましたか?」
「ええ、まあ」
確かに身体は楽になった、が、それ以上に心が疲れた気がする。
「それは良かったですわ」
「女官長様どうぞ」
ケティから差し出されたグラスを受け取り、口を付けようとして………女官長は眉を顰めた。
「ケティさん、これはお酒ではないのですか?」
「あ、バレました?」
「バレ……」
「ケティ、駄目よ」
イリスがケティを軽く睨む。
「女官長様に共犯となっていただこうと思ったのですが、失敗です」
エヘヘと屈託無く笑うケティ。
「もう、仕方のない子ね。女官長、ケティに悪気は無いの。許してあげて」
「…………」
共犯にしようとしたのに悪気が無い……いや、しかしその通りなのかもしれない、この二人は。
はぁぁぁぁ~、と長い溜息を吐いて女官長は立ち上がり、ケティにグラスを押し付けるようにして返した。
「分かりました」
軽く頭を下げて、女官長がドアに向かって歩きだす。
「女官長……?」
女官長はドアの前で振り向いて、不思議そうな表情のイリスに諦めの気持ちを込めて微笑んだ。
「お好きになさって下さい」
イリスとケティが首を傾げる。
「好きに……?」
「ええと、それは女官長様、このお酒も?」
「差し上げますから、どうぞ好きなだけお飲み下さい」
女官長は砕けそうになる身体を気合いで支えて背筋を伸ばし、綺麗なお辞儀をして部屋を出て行った。
「…………」
「…………」
二人は唖然としてドアを見つめた。
「笑っていたわ、女官長が」
「お酒、貰っちゃいました」
床に置きっぱなしだった瓶に視線を移し、イリスが首を傾げる。
「いいのかしら、貰って」
貰える事は嬉しいが。
「女官長がいいと言ったからいいのですよね。イリス様、味見の続きしましょう!」
ケティは嬉々として瓶を抱えると小走りでテーブルまで行き、早速栓を抜いてグラスに酒を注いだ。
「ああ~! 美味しいです」
主人を差し置いて、ケティは遠慮無く酒を飲む。
「そんなに飲んでは『味見』じゃないわ」
イリスは苦笑して、全部飲まれては大変と、まだ床に残っていた瓶を棚の奥に片付けた。
「それにしても、女官長は結局何の用事でここに来たのかしら」
「イリス様~。早く来て下さい」
「はいはい」
イリスは最後の一本を棚に置くと、ヘラヘラと笑うケティの元へと向かった。
次こそあの御方が・・・・・。