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第16話

 一針一針丁寧に、布に刺繍を施していく。

「もう少し……」

 あと少しで完成する。

 イリスは針を刺しながら笑みを浮かべた。

 複雑な模様に仕上げたこの布は、高く売れるだろう。

 側室になる前は、よくこうして刺繍を施した布を売って、家計の足しにしていた。

 今、実家はどうなっているのだろうか?

 月に一度父親から届く手紙にはいつも、イリスを案じる言葉と共に『なにも問題ない』と書かれている。

「絶対嘘よ」

 イリスは確信をもって呟く。

 下位貴族ならまだしも二位貴族ではあり得ない『貧乏』という状況に陥っている原因は、父親の性格にあった。

 祖父から受け継いだ事業に失敗したり、人にすぐお金を貸したり、騙されたり騙されたり騙されたり。

「はぁ……」

 家族の事を思い出すと溜息が漏れる。

 気の弱い父、人生を半分諦めた母、研究者というまったく金にならない道に進んだ兄。

 それでもイリスは家族を愛している。

 両親も研究という名のもとに引きこもる兄も、イリスを愛してくれる。

 だからこそ後宮から出た暁には金持ちと結婚し、実家に援助をしてもらわなくてはならない。


 そしてお父様には隠居してもらいましょう、監視付きで。


 指先に力を入れ、イリスは布に針を刺した。





 ドンッ! ドンッ!


 刺繍に集中していたイリスは、突然聞こえた音に驚き飛び上がった。

「イリス様~! イリス様~!」

 微かに聞こえる声。

 イリスは布をテーブルに置いて立ち上がり、ドアに向かう。

「ケティ?」

 ドアを開けると、昼食後厨房に食器を片付けに行ったきり戻って来ていなかったケティが両腕に沢山の瓶を抱えて息を切らして立っていた。

「まあケティ!」

「イリス様お願いです! テーブルの上を片付けて下さい」

「え? ええ」

 慌ててイリスが布を退かすとケティはヨタヨタと歩き、持っていた瓶をテーブルの上に置いた。

「あぁ、良かったです。落とさなくて」

 ホッと息を吐き肩を回すケティに、イリスは瓶を手に取りながら訊いた。

「こんな高級なお酒、どうしたの?」

 普段夕食時に側室に出される酒の約百倍もする酒で、年に数回祝い事があった時のみ出される最高級酒。

 それを何故ケティが持っているのか。それもこれだけの本数を。

「ウフフ。それがですねぇ」

 ケティはニヤニヤと笑いながら、腰に手を当て胸を反らした。


「厨房に誰も居なかったので、戴いてまいりました」


「……戴いて?」

 首を傾げるイリスにケティは頷く。

「はい。このお酒が厨房の戸棚の奥に隠されるように置いてあったのを、私知っていたのです」

「まあ」

「厨房に珍しく人が居らず、この好機を逃してはいけないと思い戴いてまいりました」

「それは」

 ケティは自慢気に、髪から変形したピンを抜いてイリスに見せた。

「戸棚に鍵が掛かっていたのですが、ピンで開きました」

「ケティ……」

 イリスが眉を寄せる。

「泥棒ではなくて?」

「え!?」

 心外だと言わんばかりに大きく目を見開き、ケティは首を横に振る。

「そんな事ありません! 後宮の物は側室の物。ひいてはイリス様の物です!」

「そんな事言って、ケティが飲みたいだけでしょう?」

「はい!!」

 イリスは溜息を吐いて、瓶をテーブルに戻した。

 ケティはお酒が大好きで、イリスの夕食に付いてくる酒も、実は殆どケティが飲んでいるのだ。

「大丈夫ですよ、この国は腐る程金があるのですから。ちょっとぐらい戴いても痛くも痒くもありません」

「まあ、それはそうだけど。でもねぇ」

 ケティは拳を握り、力強く言う。

「陛下から受けた苦痛の迷惑料として受け取っておきましょう」

「迷惑料……」

 イリスの瞳が一瞬迷うように揺れたのをケティは見逃さなかった。

「ちょっと味見して、残りは持って帰りましょう。きっと高く売れますよ!」


 高く売れる。


 その言葉に、ケティを窘めるつもりだったイリスの気持ちが逆方向へ急速に固まっていく。

「そう、ねぇ……」

「そうです!」

「でもこれがバレたら……」

「大丈夫! 誰にも見られませんでした」

「そう? それならいいかしら」

 あっさりとイリスは共犯となり、ケティは嬉々として瓶を一本手に取って栓を抜いた。

 途端に広がる華やかな香り――。

「ああ、素敵……」

 うっとりとした表情で思い切り鼻から香りを吸い込みながら、ケティは素早くグラスを二つ用意してそれに酒を注ぐ。

「さあどうぞイリス様」

 イリスに勧めた直後、ケティは立ったままグラスを煽る。

「座ったら? ケティ」

「ああー! なんて美味しいのでしょう!」

「ケティ」

 苦笑しながらケティの肩を軽く押して椅子に座らせ、イリスも向かいの椅子に腰掛けた。

 グラスの中の液体は透明のようにも銀に光っているようにも見える。

「不思議な色よね」

 グラスを手に持ち酒を見つめるイリスを尻目に、ケティは飲んでは注ぎを繰り返す。

「ケティ。もっとゆっくり飲まなければ駄目よ」

「だって美味しいのでございます」

 ヘラヘラと笑うケティは、既に酔っているようにも見える。

 溜息を吐いてイリスもグラスに口を付けた――が。


 トントントン。


 聞こえたノックの音に二人は固まる。


 トントントントン。


「……誰かしら」

「さぁ……」


 トントントントントントン。


 まさか……。

 イリスはテーブルの上の酒に視線を移す。

「誰にも見つからなかった、のよね」

「はい。その筈ですが……」


 ドンドンドン。


「……怒っているように聞こえるわ。もしかしてバレたのかしら」

「え!?」

 イリスとケティはドアに視線を向ける。

 こんな時によりによって、ドアの鍵を掛けていない。

「ど、どうしましょうイリス様」

 イリスはグラスの酒を一気に喉に流し込むと、瓶を手に持った。

「取り敢えず隠しましょう。ベッドの下へ」

「はい」

 二人は両腕に瓶を抱え、急いでベッドへと向かう。


 ドンドンドン!


「少々お待ちになって下さい!! ――ケティ早く」

「はい」

 だがしかし……。


 ガチャッ!


 ドアが……開いた!?

 イリスとケティは目を見開いて、同時に振り向いた。


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