「後宮の扉番」
後宮の警備はキツい。
配属されてからまだ日の浅い、後宮の出口を護る扉番の女騎士はそう思っていた。
体力的にではなく精神的にキツいのだ。
扉を挟んで向こう側にはもう一人女騎士が居るが、勿論話したりは出来ない。
誰とも言葉を交わす事無く一人でひたすら立っている、しかも時々側室や侍女達と目が合うのだが、そんな時には必ずツンと澄ました顔で視線を逸らされるのだ。
側室と騎士では身分が違うので当たり前と言われればそうなのだが、それでもあまり気分の良いものではない。
後宮の警備はキツい。
後宮は側室が暮らす場所、次期王が生まれる可能性もある場所であるにも関わらず警備が薄い。
出入口であるこの扉に二人。
建物は一階のみで広く、この位置からすべてを見る事は出来ないのに、だ。
後宮の塀の外や使用人用の出入口を見回る騎士、主棟とこの西棟を繋ぐ回廊を見回る騎士もいるが、何か起こった時にすぐ対処出来るのは扉番の二人と女官しかいない。
王は後宮に来ると、護衛を置いて女官長のみを連れて側室の部屋へと行く。
一見細く見える王の身体が実はかなり鍛えられていて、剣の腕もそこらの騎士より余程良いのは知っているが、少々無用心なのではないかと女騎士は心配していた。
そして後宮に来る時も帰る時も、王はいつも無表情だ。
おそらく王は後宮にさほど関心が無いのだろう。
それなりに通ってはいるが、愛妾がいる訳でもない。
だからこそ側室達が寵を競っているのだが……。
二十数人もいる側室の誰もが懐妊を望み、誰もがまだ成し得ない。
王の子を産み王妃になる――。
側室達の心の声が聞こえてくるようだ。
女騎士は深く息を吐いた。
やりがいがある場所かと問われれば答える事は出来ないが、それでも騎士としての誇りはあるので決して仕事に手を抜いたりはしない。
交代まであと数時間。
自らに気合いを入れ直し、女騎士は前方を見据えた。
パタパタパタパタ。
「…………?」
不意に聞こえた足音。
女官なのだろうか。急ぎ足のようだが。
まだ『七の時』にもなっていない。
こんな時間に急ぎの用か、それとも何かあったのか。
じっと見ていると、大きな箱を抱えた女の姿が現れた。
「……ん?」
女官ではない。制服を着ていないので、それは間違いない。
料理人でも庭師でもない。
ならば侍女なのだろうか?
後宮には色々と細かい決まりがあり、この時間には側室も侍女も部屋から出てはいけないのだが、側室が急病などやむを得ない事情がある時には例外を認めている。
それにしてもあの箱は何なのだろうかと思いながら女を注視する。
近付いて来た女の顔はブサイクで、見覚えはなかった。
更に良く見ると、侍女が着るには相応しくない綺麗なドレスを着ている。
まさか側室だというのか!?
一人一人紹介された訳ではないが、先日夜会が行われ、それに出席する為に側室達はここを通った。
その時丁度同じように扉番をしていたが、こんなブサイクな女は見ていない。
第一、この顔で側室とは考えられないのだが。
女は顔に笑みを浮かべてこちらに向かって来て、そして目の前まで来ると箱を床にゆっくりと置いた。
「疲れた……」
溜息を吐きながら顔を上げた女は、女騎士と目が合うと首を傾げて挨拶をした。
「おはよう」
女騎士はハッと気付いて慌てて厳しい視線を謎の女に向ける。
「何をされているのですか?」
気さくに声を掛けて来るという事は、側室ではないのだろうか。
「え……、荷造りを。もしかして、ここに置いては邪魔でしたの?」
「違います、そうではなくて――」
「イリス様!! 何をなさっているのですか!」
突然聞こえた怒声に女騎士は驚いて声のした方へ視線を向ける。
すると、普段は冷静な女官長が足早に向かって来るのが見えた。
女官長が『様』と付けるからには女は側室なのだろう。
いや、それより女官長の後ろには陛下の姿が見える。
女騎士は姿勢を正して敬礼をした。
「長く後宮で勤めておりますが、これ程堂々と規則を破った方はあなたが初めてです」
「はぁ……。すみません。規則の事、すっかり忘れていました」
女騎士は驚愕し、思わず側室の顔をまじまじと見た。
側室という立場の者が女官長に謝るなどあり得ない。
本当にこの者は側室なのか?
「部屋にお戻り下さい。後程何らかの処罰が科せられるでしょう」
「ええ!?」
「当然です」
「見逃して下さい!」
女騎士は確信した。
この側室は変り者だと。
「なんだ? その箱は?」
「ティーセットや花瓶です!」
「……女官長、この者は誰だ?」
女騎士は悟った。
変り者ではなく『馬鹿』だったと。
結局、あれは相手をされない側室の直訴だったのか?
事情は良く分からないが詮索する気はない。
それは自分の仕事ではない。
ただ……もしそうだとしたら、あの側室が陛下からお情けをいただいていたら良いとは思う。
女騎士は気さくに声を掛けてきた珍しい側室を、少しだけ応援してあげたかった。
そうして数日前の事を思い出しながら扉の前に立っていると、コツコツと足音が聞こえてきた。
女官長と王の姿が現れる。
背筋を伸ばし、いつもと同じように敬礼をして……ふと気付く。
王の口元に浮かぶ笑み――。
扉を開けて目の前を通る端正な横顔を見つめる。
昨夜、王は誰の元に行ったのだろうか。
女官長が立ち止まり頭を下げる。
扉の外で待っていた護衛の騎士を引き連れて王は去って行った。