カワタロウの正体
カワタロウといるのが楽しくて、つい帰りが遅くなってしまったある日のこと、僕が祖父と祖母のいる家に戻ると、祖父が僕を咎めに来た。
「毎日、家のもの持ち出して夕方から出歩いて……遅くまで、何処で何をしているんだい?」
口調は軟らかかったけれど、祖父の目は、僕には怒ってみえた。
「……、トモダチと、外で遊んでいるんだ。夕方の方が暑くないし、トモダチはちょっと……えと、病気だから……、夕方からしか外に出られなくて……。今日は楽しくなっちゃって、つい遅くまで一緒にいたんだ。心配かけて、ごめんなさい」
祖父がふーっと深く溜め息をつく。
祖母が台所から出てきて、僕を庇ってくれた。
「おじいさん、その辺にして。明ちゃんも、反省してますよ。ね、明ちゃん、お腹減ったでしょう、夕御飯、出来てますからね。おじいさん、ほら、一緒に食べましょうよ」
祖父の目は「まだ納得はしていない」と僕に告げながら、僕を咎める勢いだけは止めた。諦めたような、今だけは追及を許してくれたような……、そんな色を僕は感じた。
「おじいちゃん、ごめんなさい……、僕、なるべく早く家に帰るようにするから。カワタロウもたぶん、こんな風に僕が家族に心配かけるの、喜ばないから」
「……、かわ、たろう?」
「明ちゃん……? お友達って、御名前、かわたろう、と言うの?」
僕がうっかりとカワタロウの名前を出してしまったら、祖父と祖母の態度が急激に変わった。
「……明、おまえ、まさか夕方に川に行っているのか?!」
「お、おじいさん! ま、まだ、分かりません、まだ……!! た、ただの渾名かもしれませんし、明ちゃんに限って、そんな……、河童子なんかに見付かるなんて!!」
僕は祖母に抱きすくめられ、祖父に詰問されていた。
「な、なんで……? 僕は毎日たのしく遊んでるだけだよ……どうしたの? おじいちゃん、おばあちゃん……?」
「――明、真剣に、本当の事を答えろ。お前が友達だと思ってそう呼んでいる、カワタロウってヤツは――」
「おじいさん! 駄目よ! わざわざ聴かなくても、きっと勘違いなんですから!!」
「響子!! ハッキリさせてやらなきゃ、その方が明の為によくない! ……そうだろう!?」
僕を抱く祖母の力が強くなり、彼女の怯えた震えが身体に伝わると、僕は心をひどく揺さぶられた。
――僕は、してはいけない事をしてしまっていた? カワタロウと遊ぶのは、悪い事、恐い事、だった……、の……?
祖父の目が、言葉が……、次に僕に何を問うのかなんとなく解ってしまい、僕はそれに対して抗ってみせて嘘をつくか、従順に頷き本当の事を話すか、頭の中でぐるりと迷った。
祖父が僕に聞く。避けられない質問が僕に向かって真っ直ぐに落とされてくる。
「明、答えなさい。お前、まさか」
{『河童』と遊んでいないだろうな?}
▽▼▽
「カワタロウ、僕、明日で僕の家に帰るんだ」
夏の夕方、川辺で僕はカワタロウに祖父母の家から遠い、自分の生家に帰るのだという事を伝えていた。
「なんだ今年は短ェねい、坊主。ま、俺といる時間よりマトモな奴等とヨロシクやった方が良い、帰るんだったら早く帰ェんな」
「……カワタロウ……、カワタロウは……、どうしていつも川にいて、夕方からしか遊べないの……?」
「……は、それをようやく聞いたなぁ、坊主。そりゃ、俺の生まれ育ちが卑しいから、だぁな。俺はこの川から離れらんねェ、夕方からこの世に浮き出るのは……、逢魔が時ってヤツなんだろうナァ、自分じゃわかりゃしねぇけど、俺は川に囚われてる{童子らどもの妄執のあつまり}、って事、なんだろぉねェ
……」
カワタロウの言葉は所々むつかしくて、僕にはよく解らない部分もあった。
「カワタロウ、悔しい? 僕らみたいに育ってく子供を見るの……辛い?」
カワタロウは川を見下ろしながら己の胸中をようく見て、探し出すみたいにしてから「今はもう違うかねぇ」、と呟いた。
「さいしょは、妬ましかった。俺が産まれて育てて貰えねぇのに……、俺の側で楽しそうに笑う餓鬼らが怨めしかったよ。だからなぁ、川に水遊びなんかしにくる奴等の脚を引いてやったり……、馬を溺れさせたり、してやったんだが、ねェ。もう、今じゃ……」
――とおーい昔の噺だからねェ――
「河童、カッパって、カワタロウは、それでいいの……?」
「いい、わるい、か。そりゃあ、良くないよ、善くも、ないさ」
――でも、なァ――
「お前がいたから、悪くもないさ。地獄にも堕ちられねぇ、空にも上がれねぇ、そんでも、お前が遊んでくれた」
――子供の魂なんて遊ぶ事だけに執心するものさ――
「……。ぼくが、遊べなくなっちゃうのに、いいの? カワタロウ……」
「いいも、わるいも、ねェ」
――水は繋がってる、また会えるさ――
「……僕が水路になれない? 僕の家の田んぼ、小さいけど湧き水もあるんだ、僕の家族ならきっとカワタロウをいれてくれるよ。僕のところに遊びに来られない?」
「だめだね」
「……、カワタロウ、なんで」
「線引きだよ。死者と生者の間の線引き。子供は遊びに執心する。だから楽しくなると引っ張って行きがちになるんだ。いいもわるいも、ねェ。これだけは変わらねェんだよ、逢魔が刻に線引きが淡くボヤけるから、俺とお前は遊んでいられる。でもな、真昼間や彼は誰時に会おうもんなら」
――戻れねェぞ――
「僕がそっちに遊びに行くんじゃ、駄目なの……?」
「――それが一番あぶねぇ。大人に忠告されたんだろォ? もう、会うな、って」
「……っ!」
カワタロウは、ぜんぶ、わかってるんだ。
「どうして、カワタロウがガマンしてるの」
「……俺の生まれ育ちは卑しいから、ねェ」
「なんで、なんで選べないことでカワタロウが一人になるの」
「魂までも、卑しいからさ。まざれねぇぐらいには、俺は駄目なんだよ、坊主」
「……イヤだよ……」
いい、わるい、じゃ、確かに無かった。
カワタロウを一人にするのを、僕が単純にイヤだと思ったから、僕はカワタロウとお別れをしたくなかっただけだった。
他の理由は、なんにも関係なかった。
夏の『トモダチ』を、僕は失いたくなかったんだ。
「泣かしちまったかい」
カワタロウの声が、少し遠ざかった。
「もっと、僕と、遊んでいてよ!」
「――今日がお前を大人に押し上げる日の最初になるんだろうかねェ。あんまり、困らせちゃあ、いけないよ」
「……明ちゃん!」
おばあちゃんの声が、僕を呼んだ。
「響子! 駄目だ、河童に子供の名前を知らせるな!!」
おじいちゃんの腕が、僕の身体を引き寄せた。
せん、びき。これが、カワタロウの言った、線引きなのかもしれない、と僕はぼんやり一瞬かんがえを巡らせた。
「――いい家族だねェ、大事にしなよ」
連れてなんていかねぇよ、こんな坊主は。
カワタロウが川に潜った。
僕を夏休みに置いてけぼりにして、河に帰って行ってしまった。
僕を案じながら見守っていた祖父母は、カワタロウとのやり取りが長く続いて、中々切り上げられなくなった僕を心配するのに堪えきれなくなって、僕を迎えに出て来てしまった。
夜に食べた素麺が僕の喉と鼻から汚く出て来て粘膜が痛んでも、僕は泣くのをやめられなかった。




