六品目 カモミールティーと“エルクの角”
東部軍管区時代、エルフリーデは軍の治安部隊に所属していた。
その為に当時は現場に出て、パトロールやら警察と共同で事件の捜査やらをすることが多かったのだが、首都に来てからは事務や内勤の比率が増えた。
中間管理職だから、と言うのはあるだろう。
軍高官や政府関係者との会議なども多く非常に不愉快である反面、それによって軍部や政府の内情を直接知る機会が増えたのは、なんとも喜ばしいことだった。
首都栄転から丁度一ヶ月が過ぎたその日も、エルフリーデは丸一日会議や研修、事務処理に忙殺され、気がつけば夜になっていた。
都心の一等地に鎮座する国防総省本部に置かれた事務室の窓から覗く空には、重いねずみ色の雲が掛かっている。
雨の予報は出ていなかったが、もしかすると一雨降るかもしれなかった。
「少佐殿、ちょっといいですか?」
帰り支度をしていると、不意にルートヴィヒに声を掛けられた。
時刻は夜の八時を少し過ぎた頃。
別に良いと言ったのに、この男は他の同僚達を先に帰らせて、こんな夜遅くまで仕事を手伝ってくれていた。
本当なら、酒の一杯でも奢ってやるべきところなのだろうが、今晩は生憎と予定が入っている。
そのことを先に告げておいても、ルートヴィヒは「別に大丈夫ですよ! 残業代も出ますし」と残ってくれた。
昔から、そういうヤツなのだ。ガルノード人のままにしておくのが、本当に惜しい。
「おう、どうした?」
そう言いながら、振り返って見たルートヴィヒの表情がいつになく神妙なものだったので、エルフリーデは少し面食らった。
「ど、どうした? 腹でも壊したか? 過労か?」
「あぁ、いや、大丈夫です。大丈夫なんですが――」
一息ついて、ルートヴィヒは言った。
「少佐殿のご自宅、以前北地区の安アパートだと、言っておられましたね?」
「ああ、そうだ。壁薄、オートロック無し、雨漏り有り、付近の治安最悪の、安さだけが取り柄みたいなところだぞ。良いだろう」
連邦首都カールブルグは国の東西をつなぐ街道の丁度中間に有り、南から流れるヴァイター川の河口部にもほど近いため、古くから物流拠点として栄えてきた。
その特性上市街地の北方には港湾労働者や船乗り達が多く居住し、彼らのための酒場や歓楽街も昔から多い。
世の常として、そういう地域には至る所で反社勢力の影がチラつく。
故に、エルフリーデも自覚する通り、お世辞にも治安が良いとは言えない場所だった。
「いや、何をもってして良いとしてるんですか……じゃなくて! そう、それ、それですよ。
実は今日、食堂で同期から嫌な話を聞きましてね」
そう言ってルートヴィヒが聞かせてくれたのは、最近深夜の港湾倉庫や人気のない路地裏で、盛んにエルフ達が集まって何かをしているらしい、という話だった。
「ほら、この前も郊外で軍の施設がエルフのテロに遭ったでしょう?
結局あれも捜査打ち切りになっちゃいましたけど、実際最近になってエルフ絡みのトラブルとか事件が増えてるのは事実みたいです。
西部軍管区でも軍高官を狙った誘拐事件とかが頻発してますし、少佐殿も気をつけてくださいね?」
エルフリーデは眉を上げた。
「なんだ、心配してくれるのか」
「そりゃまぁ、長い付き合いですし……」
言い淀むルートヴィヒに、エルフリーデはニヤリと笑った。
「長い付き合いなら、分かるだろう? そんな連中、私の敵じゃない」
もっともその言葉の内に秘められた意味は、一つだけではないのだが。
*
夜も随分更けた頃。
一度家に帰り、シャワーを浴びて服を着替え、軽く腹ごしらえをしたエルフリーデは、ひっそりと深夜の街へ繰り出した。
この時間になると、住宅街の辺りは静かだが、少し離れたところにある歓楽街からは賑やかな声が夜風に乗って聞こえてくる。
それを聞くともなしに聞きながら、エルフリーデは脇道に入り、ひときわ寂れた区画へと入っていく。
五分程度、そうして細く静かな道を歩いていると、不意に目の前に人影が現れた。
向こうも、こちらに気づいたらしい。大きく右手を振っている。
大きなコートを羽織り、フードを被っているため顔は見えないが、雰囲気で分かる。レオナだ。
エルフリーデも小さく手を振って応えながら、少し小走りになってそちらへ駆け寄る。
近づくにつれて、その顔がはっきり見えるようになってきた。長い白金色の髪に、整った顔立ち。
やはり、レオナだった。
「エリー、お疲れ様ぁー!」
もう既に、随分酔っ払っているらしい。赤ら顔のレオナはそう言いながら、のしかかるようにエルフリーデに抱き着いてきた。
「やめろよそんな大きな声で……あと酒臭いし重い」
「酷いなぁ、もぉー」
ふにゃふにゃ笑いながらようやく離れたレオナと並んで、さらに奥へと歩く。
次第に、潮鳴りの音と、何人かの話し声が聞こえてきた。どうやら、もうメンバーは集まっているらしい。
やがて視界が広がり、少し開けた場所に出た。
帝政時代に造られた、もう誰にも使われていない古い赤レンガ製の港湾倉庫の裏手にある空き地。
その隅の方に、ドラム缶を用いた焚き火を囲ってたむろする人々の姿があった。
数は五人。壮年の男と、今年十五になるその息子がいる以外は、皆エルフリーデと同年代の女ばかり。
ニット帽やフードで耳や髪を隠しているが、紛れもなく、全員エルフだった。
「お、来られましたか」
エルフリーデの到着に最初に気づいたのは、壮年の男だった。
「我らが祖となる“エルクの角”を創立せし、偉大なる男らが一人、コマンダント・ヴィルヘルムの子、エルフリーデ。御機嫌よう」
男がそう言って頭を垂れると、他の者達も立ち上がり、同様のことを口々に言ってお辞儀した。
「久しぶりですね。みんな、元気そうで良かった」
エルフリーデは面々の顔をぐるりと見渡し言うと、拳で自分の左肩、胸、右肩を順々に叩く、祭祀階級のエルフ特有の答礼を行い、輪の中に入って行った。
ここに集まったメンバーは、それぞれ“エルクの角”という一つの勢力を祖とし、各々首都に身を潜めているが、実際には親子二人を除き、皆異なる組織に所属する者達だ。
それぞれの組織で思想やものの見方などは微妙に異なっているが、最終的な目標やその手段に共通点を見出し、今は仲間として活動している。
そして、そんな異なる組織同士の情報共有や折衝などを全般的に請け負っているのが、レオナだった。
「本当は、もっと早いうちにお会い出来ると思っていたんですが、ねぇ?」
壮年の男が苦笑しながらレオナを見たので、一同から失笑が漏れた。
「いやいや、ホントその節は申し訳なかったと思ってるよぉ」
言いながら、レオナは酒瓶をあおる。
全く懲りていなさそうな様子だが、今更言っても仕方がないことだと皆知っているため、誰も何も言わずに、話を先に進めることになった。
「西部の方は、やはり厳しい戦況です。
ロートシュタインでは、追放された旧王の軍に我々も加勢して、連邦の指名した州知事を中心とした西部軍と戦闘を続けているのですが……。
この一ヶ月のうちに、村を四つも落とされました」
壮年の男に続いて、娘の一人が口を開いた。
「南部も、全くダメね。この前の軍管区長交代の後から、段々締め付けが強くなってきてる。大規模な活動が、あとどれだけ出来るか……」
それからも続々と各組織の近況報告が続いたが、どこも状況は厳しいようだ。
現在の連邦指導者の政策は、ここ数代の中ではもっともエルフに対して『バランスが取れている』と言われている。
救貧法などの社会保障の枠組みに、条件付きではあるがエルフの加入を認めたり、軍や警察などを除く一部公的機関でエルフの就労を許可したりという融和政策をとる一方で、武装勢力に大しては締め付けをより強く行う。
テロ行為も、物損までならまだ大目に見るが、人的被害が少しでも出れば、その地域にあるエルフ族コミュニティごと徹底的に捜査する。
それにより、武装勢力や組織のメンバーそのものが、同胞の為に戦っているのに同胞から敬遠されるという異常事態に陥っていた。
メンバーの脱退や逃亡も、このところ増えている。未来に希望が持てるような状況でないのは、確かだった。
「俺としては、以前から申し上げている通り、やはり『あの手段』しか無いと思っています。組織としても、それを推す声が強い。
エルフリーデには今以上に苦労をかけることにはなってしまいますが、いかがだろうか?」
壮年の男の、静かだが、底光りするような目に見つめられ、エルフリーデは思わずたじろいだ。
「ゲッツさん。あの手段というのは、軍の研究所から新型の毒ガス兵器を奪取してばら撒くという、あれでしょう?」
ゲッツと呼ばれた、壮年の男が頷く。
「ええ、そうです。最早それしか無いと、私は思っています。それに多分、この場にいる多くの者達が、同じ意見ではないでしょうか」
言い終わるや、他のメンバー達もめいめいに頷き、こちらを見つめた。
(新型の毒ガス兵器……)
確かに、市井ではたまに耳にする、有名な話だ。
軍が首都の地下施設で、万一に備えてそういう兵器を開発し、貯蔵しているとかそういう話だが、エルフリーデは未だかつてそれらしいものに出くわしたことは一切無い。
第一、それほど危険極まりない代物を、首都の地下なんぞに配備するはずが無いだろう。
もし仮に本当にそんなものがあったとして、首都勤務の佐官が知らないなどということは、まずもって有りえぬことではないか。
そんな少し考えれば分かるだろう、どこから飛んできたか分からぬ流言蜚語を、彼らは本気で信じているのだろうか。
(そこまで、追い詰められているのか)
だとすれば、組織としてあまりにも危険過ぎる。
それに、
(大虐殺の折、一部の連邦軍は毒ガスを撒き散らして集落を根絶やしにした。同じところまで、落ちるというのか……)
それでも構わないと、思っているのか。
「かつて奴らが女も子供も見境無しに殺したように……我々の大切な家族や友を惨殺したように、我々も、奴らの家族や友を、女も子供も皆殺しにする。
そうでなければ、釣り合いが取れません」
そう言う彼らの目には、今までは気づくことの出来なかった、蒼炎のような狂気が宿っていた。
気づいた瞬間、ぞっとした。この目を、エルフリーデ見たことがある。
二十年前の、あの燃え盛る故郷。
大火傷を負ったレオナと共に逃げる最中に垣間見た、ガルノード兵の青い目には、彼らと同じ狂気が宿っていた――それを思い出し、背筋が凍った。
「……そういったものが本当にあるのかも含め、次回までに少し調べてみます」
身の震えを必死に堪え、平静を装いつつ、エルフリーデはようやく一言、そんな心にも無い返事をした。
そんなぎこちないエルフリーデの様子を、射抜くような目で、じっと見つめる者がいた。
ゲッツの隣で、彫刻のように一言も発することなく、表情さえ動かすことなく座り込む、彼の一人息子。
話題がかわり、時間が流れ、やがて解散の運びになるその時まで、その少年はエルフリーデのことをただじっと、気配を殺して見つめ続けていた。
*
「もし?」
翌日の昼頃。
いつもの喫茶店、いつもの席に座っていたエルフリーデは、老店主のそんな声で、物思いから覚めた。
「ご気分がすぐれないようですが、大丈夫ですか?」
言いつつ、お冷やとメニューを差し出した店主に、エルフリーデは慌てて取り繕うに、早口になって返した。
「あぁ、いや……申し訳ない。考え事をしていまして」
昨夜の会合から、ずっとこうだ。
皆の、異様にギラついた、狂気を宿したような目が頭から離れず、結局昨日は一睡もできぬまま朝を迎えてしまった。
今もまだ、気が立っているのだろう。眠気は全く無かったが、疲労感だけはしっかりと、体の芯に居座っていた。
「随分、お疲れのようですね?」
言われて、一瞬否定しようとして、辞めた。
何故だか、この人の前では出来る限り嘘をつきたくない自分がいる。
「ええ。少し、色々有りましてね」
エルフリーデがそう言うと、老店主は「では、少々お待ち下さい」と微笑んで、厨房へと引っ込んでいった。
そうしてしばらく待っていると、店主がお盆の上にティーカップを乗せて戻ってきた。
「こちら、カモミールティーになります。よろしければ、どうぞ。
……疲れに、よく効きますよ」
老店主は、また微笑んでそう言い残すと、エルフリーデが何かを言おうとする前に、カウンターの方へ帰ってしまった。
(まぁ、サービスみたいだしな。ありがたく、頂こうか)
エルフリーデはおずおずとティーカップに手を伸ばし、持ち上げた。
白い湯気と共に甘いリンゴにも似た、カモミールの優しい香りが辺りに漂う。
一口、口に含むと、その香りが、温もりとともにすっと全身に染み渡っていくような心地がした。
「……美味しい」
芯から感じていた疲れが、引き潮のように収まっていく。
すると代わりに、じんわりと心地よい眠気が、次第に押し寄せてきた。
数十分かけ、カップが空になる頃には、もう随分まぶたが重くなってきてしまっていた。
それほどまでに、心地よい、落ち着く香りだったのだ。
(いかん、いかん。ここで眠ってしまえば、店主の迷惑になってしまう)
それに、今日はここでレオナと待ち合わせもしているのだ。
やつが来るまで、待っていてやらないと……と、思ったのを最後に、エルフリーデは机に突っ伏したまま、眠ってしまった。
レオナが店に入ってきたのは、そのすぐ後のことだった。
「ごめんくださーい」
カランカランとドアベルを鳴らし、そう言いながら入って来るレオナに、店主は口元で指を立て、エルフリーデの方を目で指した。
「もう少しだけ、寝かせておいてあげてください。随分、疲れていたようですから」
「……ありがとうございます、マスター」
老店主とレオナは、エルフリーデの目が覚めるまでの間、すぅすぅと寝息を立てる彼女を、微笑ましげに見守っていた。




