三十四品目 チョコチップクッキーと計画―後編
「エリー、良く来てくれたね。さぁ、中へ入って」
案の定、アルノー達はエルフリーデの思った通りの廃倉庫を根城にしていた。
わざわざ建物の外にまで出てきたアルノーはそう言ってエルフリーデを促し、秘密基地へと迎え入れる。
その純粋な眼差しに、胸がつきっと痛んだ。
建物の中は、最後に訪れたときの寂れた雰囲気とは比べものにならないほど様変わりしていた。
地上部分の倉庫には、大勢のエルフ達がたむろし、ドラム缶を用いた焚き火を囲って暖を取っていたのだ。
西部から、アルノーが連れてきたのだろう。殺伐とした、張り詰めた空気が漂っている……その只中にあって、まだ幼い子供たちが無邪気に走り回って遊んでいる姿が見えた。
何故、こんなところに子供が。エルフリーデがそう尋ねるより先に、アルノーが口を開いた。
「西部に置いてくるより一緒にここへ来る方が余程安全だと、子供連れで軍事境界線を越えた仲間達は、案外多い。
赤ん坊だっているよ。ほら」
アルノーが指差す方を見て、エルフリーデは言葉を失った。
廃倉庫の隅の方。そこに、まだ生後幾ばくもない小さな赤ん坊を抱いた母親達が何人も、身を寄せ合うように一塊になって座り込んでいる。
ボロ布のようなおくるみに包まれた赤ん坊の中には、耳先の丸い子も少なくなかった。
(父親が、エルフ族では無いんだろうな)
西部の連中との間に出来た子か、はたまた……そんな事を考える内に、エルフリーデは人知れず眉間にしわを寄せていた。
(これが、私の知らない同胞達の姿か)
棒切れのような義足を履いた娘、耳の丸い赤子を抱く母親、幼い妹達の世話を焼く片腕の無い青年――これが、アルノーのよく知る同胞達の姿。
その、ごく一部なのだ。
「アルノー。君は、こういう人らと共に生き、戦ってきたんだな」
彼らが、ガルノード人へ血の制裁を強硬に望む理由が、良くわかった。
虐殺は過去のものでは決してない。未だ続く、残酷な現状なのだ。
そのことに、軍にいながら気がつけなかった自分が、恥ずかしかった。
「……ここは寒い。下に降りようか」
エルフリーデの言葉に応えることなく、アルノーはそう言って床扉を開け、地下へ続く階段を下った。
その背を追いながらも、エルフリーデは大勢の同胞達の姿から、目を離せないでいた。
(…………私は――)
エルフリーデは階段を一段一段、踏み締めるように降りていく。
その姿を、少し遠くから密かに双眼鏡で覗く者がいることに、ついに気づくことはなく。
*
地下室は相変わらず狭かったが、アルノー達が手入れをしたからか、以前来た時のような埃っぽさや薄暗さは無く小綺麗になっていた。
寒風にさらされることがないからだろう。暖房の類をつけていない割には暖かい。
レオナは、そんな部屋のほぼ中央に並べられたパイプ椅子に、静かに腰掛けていた。
すぐ両脇には、レオナの情報伝達の手伝いをしている仲間達が、緊張した面持ちで落ち着かなげに控えている。
一行の正面に置かれた折りたたみ式の長テーブルに人数分並べられた紙皿には、数枚の安いチョコチップクッキーが置かれているが、いずれも手を付けた形跡は無かった。
「来てくれたんだね、エリー。仕事中だったのに、良かったの?」
ゆっくりと振り返ったレオナが、口元に微笑を浮かべて言う。
細く掠れた、力みのない声。蒼い瞳には、一抹の酔いも、感情も浮かんでいなかった。
「たまたま外に出てたから大丈夫だ。服だって、私服に着替えてたしな」
「……そう。それは、良かった」
エルフリーデはレオナの仲間の一人が譲ってくれた席に腰掛けると、一つ息をついて、レオナに耳打ちした。
「アルノーとは、何か話したのか?」
レオナは首を横に振る。
「再会の挨拶ぐらいで、重要なことは何も。
向こうも、私のことちょっと警戒してるみたいだし、ね」
言って、レオナはテーブルをぐるりと回り、自分達と正対する位置に立ったアルノーに目を向けた。
その視線を受け、アルノーが苦笑する。
「それはお互い様だよ。……家族みたいに暮らした君を疑うような真似するのは、心苦しいけどね」
「わたしの事は警戒するのに、エリーのことは疑わないんだ?」
アルノーはきっぱりと言った。
「もちろん。彼女は、特別だからね。僕達を導く存在だ」
エルフリーデは、居心地の悪さが身を包むのを感じていた。
アルノーや、彼の連れてきた同胞達から向けられるこの祈るような視線や空気感が、心をじわじわとざわつかせる。
出来ることなら、一刻も早くこの場から立ち去りたかったが、そうする訳にはいかない。
(同胞達を、救わなくては)
横目でちらりとレオナを見て、エルフリーデはアルノーに向き直ると、紙皿の上のクッキーを一枚、手に取った。
「それじゃあ、聞こうか。私を呼び出した理由を」
アルノーは頷くと、静かな声で、言った。
「この街に、毒ガスを撒く」
血の気がさっと引き、背筋が冷たくこわばるのが分かった。
動揺を隠そうと、微かに震える手で口に運んだクッキーの味は、どれだけ咀嚼しようとまるで感じられない。
膝の上に置いた左手に、そっとレオナが手を重ねてくれたが、その温もりすらも、どこか遠くにあるようだった。




